ワース 命の値段のレビュー・感想・評価
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人を導くのは理動ではなく感動!試される起業家精神!
公平さとはなんなのか?を考えさせられる作品でした。
主人公のケン・ファインバーグは単なる弁護士ではなく起業家のような挑戦者として、
混沌とした状況の中で命の価値を金銭で評価するという難題に立ち向かいます。
困難に直面した時、起業家がどのように問題を解決し、人々を救うのか、その姿がリアルに描かれています。
起業家としての視点で見ると、彼の役割はリスク管理や利益追求だけでなく、社会的責任を果たすことが求められます。彼の決断は被害者遺族の人生を大きく左右するため、その重みがひしひしと伝わってきました。
葛藤とともに、弁護士事務所のチームと共にこの巨大なプロジェクトに取り組んでいるため、個人の判断が周りにも大きく影響していました。
ケンのチームがどのようにして信頼関係を築き、共に困難を乗り越えていくのか、そのプロセスは起業家精神の本質を描いていて、私自身の活動にとっても身になるものでした!
合理的な人には新たな価値観を知るものとして、特におすすめですが、
すべての起業家やビジネスパーソンにとって、リーダーシップと社会貢献の真の意味を再認識させてくれる作品ですので、ぜひ一度、ご覧になってみてください。
会話ができる大人とできない大人
映画「ファウンダー」でマイケル・キートンが好きになったので、ほぼジャケットがファウンダーな本作も鑑賞してみたくなりました。
遺族救済を目的とした補償基金プログラムは、テロの被害者の人生に値段をつけることで残された者に対する救済としている。その「値段のつけ方」は、金持ちも貧乏人も平等で一律に払われるべきだ…とすれば、金持ちに合わせることになり莫大なお金が動くことになる。それを避けるために“プログラム”と称して被害者が生きていたらと仮定した先の人生に値段をつけてその額を支払い救済する。
計算式を前面に押し出し淡々と説明し遺族に理解を求めようとする主人公ケン、自身も妻を亡くし遺族に寄り添いコミュニティを構築し、補償基金プログラムに意見をするチャールズ。
印象的だったのは、最初の補償基金プログラムの説明会の後、ケンとチャールズのやりとりで「私はこれからあなたを叩く」と宣言するところ。それに対しケンは「…そう。残念だ」と言う。
日本なら「これからあなたを叩く」の返しは、「え?」になって、陰気な感じになりそうです。意見を主張し合うことを前提としている、意見を交わすことが当たり前にある。相手が自分と違うことも当然であると常に思っているからこそ「そう、残念だ」と返せる。こういう平然とした会話が日本に足りない。
会話ができる大人は、主張を聞く。ケンとチャールズは、互いの主張を聞き入れたからこそ、良い方向へ導けたのだと気がする。訴訟になれば時間もお金もかかる、裁判中はずっと悲しい出来事を思い出さなければいけない。早期解決を求めることは、生きてる者を次に進めることにもなる。国側と国民側の代表で話し合い出た折衷案に納得した人らが95%いた。
話し合い・主張を聞き合うことの大切さがこの映画にはあるかなと思います。
志が高く挑んだ仕事なのに、遺族に嫌われまくって、嫌われても構わない...
志が高く挑んだ仕事なのに、遺族に嫌われまくって、嫌われても構わないと、それでも挑み続けてるのは素晴らしい事なのだが、それ自惚れず、やり方を変更するのは凄かった。
金持ち?の万年筆を分解してサインを拒むシーンと、
どう補償額が変わったのかが分からなかった。
最後、浮気されてた奥さんが、「相手のことを殺してやりたい」と言いながらも、その子供たちに補償金が降りるよう書類を渡したのは痺れた。
いかに敬意を示せるか、いかに寄り添えるか。
アメリカは弁護士がアンビュランスチェイサーと揶揄されるほどの訴訟大国。マクドナルドのコーヒーでやけどしたとして数億円の賠償金を勝ち取った事案や喫煙者によるタバコ会社への法外な賠償金が認められた事案等々。その賠償額の6割を弁護士が成功報酬として手にするもんだから、こういった企業への訴訟は後を絶たない。
9・11テロの被害者遺族から航空会社に訴訟を起こされると国の経済は大打撃を被るとして、補償金事業が立ち上げられる。これは航空会社を守るための訴訟封じの策でもあり、劇中の「汚れ仕事」という言葉が示すように被害者遺族への人道的支援を第一の目的としたものかは疑問がある。
ただ、国の経済的ダメージを避けつつ、被害者遺族への早急な支援を幅広く行えるということでは評価に値するものなのだろう。訴訟費用を工面できない貧困家庭や、長期間の訴訟による精神的負担などを考慮すると。
かつて民事賠償請求訴訟を多く手掛けてきた弁護士のケンは国を揺るがすテロを目の当たりにして、愛国心から難しい特別代理人の仕事を引き受ける。彼は彼なりの使命感から被害者遺族を救いたかった。
しかし、彼の補償金の算出方法が被害者遺族たちを傷つける。あくまでも民事訴訟においては損害賠償額は逸失利益をもとに算出されるので当然収入の違いで受け取れる賠償額には差が出てきてしまう。それを根拠にした計算方法を聞いて説明会は人々のやじで騒然となる。
学生相手の講義では得意げに命の値段を算出していたケン、しかし今回はそうはいかなかった。人々の悲しみ、犠牲となった家族への思いはけして計算では算出できないものなのだから。
何とか公正な数式で算出した補償額で人々を納得させようと苦戦するケン、しかし申請期限が近づくなか一向に基金への申請数は伸びない。
ケンは見誤っていた。被害者遺族が不満なのは金額に差がつけられてるからだろうと。だが、彼らはけして金額を多くもらいたいのではなかった。国民の一人として自分の家族の命に差をつけられるのが我慢ならなかったのだ。アメリカ国民として証券マンもウエイトレスも犠牲となったのは同じ尊い命なのだから。ケンは数字にこだわるあまりそんな個々の人たちの思いを理解し寄り添う姿勢を示せていなかった。
偶然にも面談することで深く関わることになる消防士の妻との交流や反対派リーダーのウルフとの対話の中で彼は自分の過ちに気づいてゆく。
計算式にこだわるのではなく、自分に与えられた裁量をもって人々の個別の意見を聞き柔軟な方法で補償額を算出する。個々の人々の境遇や思いに寄り添う姿勢こそが大切だと気付いたのだった。固定された計算式に人を当てはめるのではなく、人に当てはめて計算することを。
それに気づいたケンは被害者遺族の話に耳を傾け誠実に対応してゆく。政府の計算マシーンだった彼は個々の遺族たちの事情をくみ取っていった。
そうした彼の態度が、人々を納得させた。人々は国が我々個々人を見てくれてるのだと、敬意を表してくれたのだと。お金の額ではなく、国が遺族に寄り添ってくれたと判断したからこそ人々は基金に参加する。次々と申請は舞い込み補償事業を定めた法案は無事施行されることとなる。そしてその後申請期限以降の延長も認められ様々な不備も改善されてより広くの被害者遺族の救済につなげられることとなった。
始まりは訴訟封じのお国ファーストであった事業が当事者たちの努力により被害者遺族ファーストへと変わっていったのだった。
本作ではケンのパートナーであるカミールやスタッフたちが被害者遺族と面談を続けるうちに精神的に追い詰められてゆくさまが丁寧に描かれていた。実際、それぞれの被害者遺族の話はドキュメンタリータッチで真に迫っており、とても聞いててつらくなる話ばかりだった。恐らく話自体は被害者遺族から聞いた本当の話なのだろう。本作自体が被害者遺族に寄り添った作品としてよくできていたと思う。
また、冒頭で書いたような多額な賠償金目当ての訴訟が乱発されるアメリカ社会への批判を込めた作品とも思えた。
これだけ多くの被害者遺族に寄り添い、困難な事業を成功させたケンやカミールをはじめとするスタッフたちには敬意を表したい。
ケンは政府の予算マシーンから、遺族の悲しみに寄り添う人に変わった。
2001年の世界同時多発事故のワールドトレードセンターへの
航空機の突入。
それはビルに勤めていた人、出入りしていた人そして救助に当たった
消防士や警官など。
その他ペンタゴンへ突っ込んだ航空機の死者など、
7000人の賠償・・・と言う前代未聞の大プロジェクト。
【9・11補償基金プロジェクト】を丹念に記録した
ドラマ仕立ての映画です。
プロジェクトがスタートしたのは事故から僅か3日目のことでした。
政府から指名されたのは《政府の予算マシーン》を自認する
弁護士ケネス・ファインバーグ(マイケル・キートン)。
私の第一印象も《予算カッター》みたいな人・・・そう思いました。
事実ケン(ケネスの愛称)も事務的に事を進めて、早く遺族に賠償金を
渡す事で頭が一杯だったのですが、1人の遺族と話し合い彼の提言を
真摯に受け止めたことから、まったく違うアプローチに変わるのです。
遺族たちは哀しみを誰かに語り、苦しみを訴えたかったのです。
その事にケンは気づいたのです。
そのアドバイスをくれた人はチャールズ・ウルフさん。
妻のキャサリンがいつもより30分早く出勤したばかりに
事故に遭ったのです。
悔やんでも悔やみきれないのはチャールズさんも同じ。
その事をきっかけにファインバーグさんは、一人ひとりの遺族と面談。
延べ900回に及んだ面会。
ファインバーグさんの姿勢は遺族に寄り添ったものに変わったのです。
映画では賠償請求の最終締め切り日の2003年12月24日にあわせて、
あと何年何ヶ月と何日。
申し込み人数は15%。
あと何ヶ月と何日。
申込者はまだたった30%・・・などと、カウントダウンしていきます。
本当に事務担当の職員一人一人が真面目。
チャールズさんの会合を聴きに行きスパイと間違えられる程でした。
一番大きな決断。
それは年収による賠償金とは別に、遺族への精神的な苦しみに対する
補償金額を、予定していた5万ドルから10万ドルに倍増したのです。
より人間らしい誠意ある補償金事業でした。
(賠償金の平均額は一人2億4000万円ほどでした)
映画の中で印象的な二つのエピソード。
同性婚を夢見るカップルの1人が亡くなりました。
彼らの住むバージニア州は同性婚を認めていないのです。
ファインバーグさんは州議会に掛け合い同性婚を認める法律に変えるまで
尽力するのですが、死んだ彼の両親が頑なにパートナーを認めない。
そんな例もありました。
もう一つの例は、消防士の妻で8歳6歳4歳の男の子の母親カレン。
実は夫のニックにはもう一つの家庭があり、
幼い子供が2人残されたのです。
最後の最後まで賠償金を要らないと拒むカレン。
「相手の女が死ねばいい・・そう思っていた。子供の名前は?」
「ジェナとベル」女の子は3歳と1歳だった。
「念願の娘ね」
ニックは娘を欲しがっていたそうです。
亡くなった7000人の一人一人にドラマがあるのです。
ラストでケンの誠意は97%の被害者に伝わり事業は成功するのです。
ケンを演じたマイケル・キートン。
いつものようにカッと目を見開いてオーラを発することもなく、
地味で外連味のない弁護士ケンが悩みつつ一歩一歩地道に努力する姿を
表現して素晴らしかったです。
ケンに成り切っていました。
この映画の姿勢を誰よりも知り演じていました。
人の命
大惨事で人命が失われた時、国や会社が遺族にできることとは‥‥?
初め国の方針通り、計算方式で一人一人の給料にあった補償金を出すつもりだったケン•ファインバーグ弁護士。
最初から皆平等、一律という意見もある中。
同性愛カップル、消防士の兄と弟、を始め様々な被害者から実態を聞き到底ファインバーグ弁護士の計算方式では解決しきれないと痛感するスタッフたち。
また反対に役員待遇の人へ上限引き上げを持ちかけるリー。
補償基金分配プロジェクトである故、湯水の如く出すこともできない。
また図らずも、同性愛カップル、州によって認められない、ややこしいアメリカ🇺🇸、また亡くなった人の両親から認めない、と言われるもう片方の人。
消防士の亡くなった弟の方、あろうことか、
別家族の存在がわかり、弁護士は隠そうとするが。弟の妻は夫に亡くなられ、裏切られダブルショック。夫の兄は知っていて庇う。だけど、この奥さん偉い❗️夫の子供だからと言い聞かせたんだろな。
被害者支援のチャールズと何度か話し合い被害者の気持ちを聞く中で、ファインバーグ弁護士は自分の間違いに気づく。
一人一人と話し、それぞれの事情を聞き考える中で、必ずしも一律に計算などできるものではない、と。
このただただ被害者並びに遺族の為、そして国の為にと無報酬で考え奔走するファインバーグ弁護士の変容を見ることはできる。
しかし、最初の計算方式を取り入れているわけで、どのように人々に分配したのかは描かれていない。
ただ7000人という人数を見れば、ファインバーグ弁護士相当優秀であり大変な苦悩を乗り越え偉業を成し遂げられた功労者と言えるだろう。
『沈まぬ太陽』(特にTV版)でも、被害者遺族への賠償金申請について何年も担当者が足を運び対応する苦労が描かれていた。本作の同性愛カップルの事例のように夫を亡くした妻の為である筈が、夫の両親が口を挟んで来てややこしくなって妻が精神的に追い込まれる様子も描かれている。
また.現在の日本では遺族が被害者が亡くなった際の真実を知ろうと裁判を起こそうとすれば被害者の生涯賃金を算出していく内容でしかできないらしい。聴覚障害を持つ10歳の女の子だったが、親としては障害有りで減額される事に再度ショックを受けてお金欲しさでなく一人の人間として見て欲しいと願っても誤解されかねない現状に愕然とする様子がニュースで映し出されていた。
そして3.11の大川小学校裁判に於いても、県•教育委員会•学校と闘って補償金を勝ち得たが、親にとっては、子供が帰って来てさえくれればいいのである。
2024/8/6たまたま鑑賞。
遺族の話で、夫を亡くした方、夫はエレベーターが満員だとわかると自身は諦めて他の人に譲り次を待つ、と言った。次は来たのか、妻に電話してユーモアも言うが、呼吸できなくなった、と電話を切る。
二度と電話もかかって来ないし、‥。
なぜこんな人の良い方が犠牲になるのか⁉️
犠牲になった乗務員の姉、体調の悪い同僚とフライトを代わってのこと、と。親切にした方がなぜ⁉️と
また改めて思ってしまった。
解なし問題との向き合い方
9・11同時多発テロの事件性は広く知られているが,その後,遺族に対してどのような対応がとられたのかはあまり知られていない。実際は補償基金を設立し,遺族に対して保証金が支払われたということである。だが,原理的に一人一人の「命」に値段をつけることはできない。便宜的に生涯賃金を概算することはできるが,人間の尊厳をそこへ繰り込むことは困難だからだ。ケネス・ファインバーグ(マイケル・キートン)はその「唯一解のない問い」に取り組んだ実在の弁護士である。補償を計算式で合理的に処理していこうとするファインバーグはヒューマニズム観点から批判を受け,遺族の声に耳を傾け,双方は少しずつ歩み寄っていく。ファインバーグは「大切なのは公平さでなく前へ進むことだ」とし,遺族にプログラムへの参加を求める。白と黒,0と100で物事をすべて割り切っていくことはできない。しかし,さまざまな境遇の遺族と対話し,かけがえのない背景を知っていくなかでファインバーグは自らの合理性を手放していく。「死」を数字でなく,個別的なものであるととらえること。ファインバーグがそのことに気づくことで,遺族のプログラム参加率は90パーセントを超えた。真実はここになかったかもしれないが,本作がテーマにしているのは「命に値段をつけられるか?」という深遠な問いであり,この物語それ自体がひとつの解を提示していることに価値がある。さまざまなファクターが絡み合った複雑な問題にベストな解答はない。そこには無数のベターがあるだけだ。そしてそれらはいずれも最後に「人間」という壁にぶちあたる。「人間」は数学的解法が通用しないひとつの「問い」である。それを理解したファインバーグはこの後もいくつかの災害補償プログラムに関わっている。
不条理な出来事の納め方
命の「価値」とは?
911で亡くなった方々の補償を担う(国の)特別管理人になる弁護士とそのチームの物語。
とても重いテーマをかかげ人の命の価値をどう弾き出すのか?その金額で納得を得られるのか?
その中で彼が選択する道(基準と倫理観)の先に何があるのだろうか。そして何を守れるのだろうか。
それぞれが抱くまた抱えるものを通し、その「価値」を考えさせられ、彼の決断に心が揺さぶられた。
起承転結がはっきりしていてテーマがくっきりと分かり易い
いつもの映画館①で
日曜日だけどリピーター割引券というので1,000円
駐車代も半額にしてくれて総計1,400円とは嬉しい
またリピーター割引券をもらってしまった 使用期限は1週間
ラーメン屋の餃子無料券に近い状態
ループから抜け出せないかもしれない
この間観た対峙と本作がNHKの平日朝のTV番組で紹介されていた
オラとしてはこっちが好みだ 2時間安心して観られた
起承転結がはっきりしていてテーマがくっきりと分かり易い
政治家とか弁護士とか遺族とか
それぞれが置かれた立場で自分なりに最善の行動をとる
金とか出世とか名声とか矜持とか名誉とか目的は様々だ
動いているうちに変化もする
実話を基にした話というが
ある事実の解釈は人それぞれだろうし
5%の側からの全く別のストーリーも可能だと思うが
オラとしてはこういう着地が肌に合うなぁと
よくぞここまでいい話にまとめてくれたと
最近好きなのは万事が白黒はっきりできるわけではなく
折り合いをつけてズルズル人生を続けていくという考え方
いちいち決着をつけなくてもいいじゃないかと
なんとなくそういうニュアンスも感じた
対峙でクタクタに疲れたのとは対照的に癒された
登場人物がそれぞれの個性を発揮して力を合わせるとか
ギリギリでひっくり返って事務所が忙しくなって
てんやわんやになるところとか予定調和で懐かしくて嬉しい
一方LGBTQの課題の積み残しは正直に伝えている
大統領からの電話のシーンとか
大統領と飲みに行こう みたいな台詞も
皮肉が利いていて粋だった
9.11アメリカ同時多発テロ事件でワールド・トレード・センターに飛...
9.11アメリカ同時多発テロ事件でワールド・トレード・センターに飛行機が突撃した。その時に亡くなった人々の補償額をどうするか、という話。
主人公の弁護士ケン・ファインバーグは事故被害者の遺族たちへの補償交渉を政府から任せられると、無報酬を条件に引き受けた。遺族たちから訴訟されたくない政府はケンに80%の契約ノルマを与えた。
亡くなった方々には、高収入なエリート、低賃金の皿洗い、救助に駆けつけていた消防士など、収入は様々だ。
遺族の中には人の命に差があるのかと訴え、同じ金額を皆に支払うことを要求するものがいた。
映画の中で語られる事故のエピソードには胸が痛い。例えば、妻を先にエレベーターに乗せたが、夫が次のエレベーターに乗れなかった、とか、3人の子供を残された母など。※この母の夫は実は他に二人の子供がいることが、わかってしまう。妻は何も知らないようだ。
ケンの部下は遺族の話を聞いて、補償を見直すようなことをケンに伝えるが、ケンは例外は作ってはならないと厳しかった。
契約率が伸び悩んだため、ケンは徐々に遺族たちの話に耳を傾けるようになっていく。
そして最後には90%以上の契約率となり、ケンはノルマを達成した。
なぜ契約率が上がっていったのか、についてよく分からなかった。結局、期限があるので遺族が折れたようにも見えた。
同性カップルについては保証されなかった。LGBTを意識しているようにも見えた。
もっと数学の話になるのかと思っていたが、そうではなくて期待外れであった。それでも見て損はない映画だと思ったので、星4とする。
ちょっとテーマとずれてる気も
アメリカ同時多発テロ
2001年9月11日
アメリカ上空でハイジャックされた
複数の民間機がNYのWTCビルや
国防総省「ペンタゴン」を標的に
体当たりを敢行
これまでアメリカが受けることの
なかった本土攻撃をテロという形で
目の当たりにした米国は
テロとの戦いとの覚悟を求められ
今に至るまで世界はこの事件以前と
以後に分けられるほどの
影響を受けていると言って過言でない
今作はそんな911において
ハイジャックされた民間機が起こした
事で起こる航空会社への訴訟に対し
施行された被害者遺族救済プログラム
においてどうやって分配するかという
最も困難な役割を買って出た弁護士
ケネス・R・ファインバーグ弁護士を
主人公にした実話ベースの映画
感想としては
いまだ世界をテロの恐怖に晒す
きっかけとなったテーマの重みに
対してあまりに描写が不足
主人公のケネスがなぜこんな難しい
仕事を引き受けたのかの
根拠が弱く映ってしまい
ただ流動的にどうにかなった
ようにしか見えませんでした
何より「命に値段をつける」
というテーマにあんまり
沿ってなかったような・・
同時多発テロ発生直後
7000人にも上る犠牲者の遺族は
アメリカのお国柄もあり
ハイジャックされた航空会社を
訴えるであろう事は予測され
一家の稼ぎ頭を失い経済的に
苦しくなる事は予想され
また航空会社にとっても
先の見えない訴訟地獄より
決まった額を払いだした方が
やりやすいですから
ロビイストがもう動いており
米政府は救済基金を立案
企業や公的機関相手の
やり手の弁護士だったケネスは
惨状を目の当たりにした事で
生じた「使命感」によって
犠牲者へ基金からの分配を
決定する「特別管理人」
という最も難しい役割を
無償で買って出てしまいます
ケネスは民主党寄り
時のブッシュ政権は共和党
ですから失敗しても痛まず
ケネスは即座に任命されます
要求された数字は
「最低80%の申請の同意」
期限はおよそ2年半
ケネスはまず集まった
犠牲者遺族を前に
公平性を第一に救済額は一定で
特例を受け入れられない
(その上積み立て年金があると
そのぶん引かれるなど
納得のいかないもの)
旨をあまりにそっけなく
説明してしまうと当然大炎上
すると犠牲者家族の中にいた
チャールズ・ウルフなる男性が
その場をまとめ一旦は収まり
ケネスは助かったので
謝意を示しに行くとチャールズは
救済プログラムのおかしな点を
ネットに拡散し改善を要求する
運動を展開している第一人者
だったのです
つまり要求を受け入れられ
なければ申請より訴訟を選ぶ
旗手となるわけですから
ケネスにとって複雑な存在です
で事務所に戻ってスタッフが
遺族の面談から情報を
整理していくと
ケネスの思っていたよりも
はるかにおり入った事情の
家族が満載でした
例を挙げると
・WTC上層階で働く株屋
・救出で犠牲になった消防士
・出身州で未認可の同性パートナー
・子供と残された妻ががんの治療中
などなど・・
とても一定額の支給で納得させられる
ものではなく大学で賠償となれば
命に値段をつけなければいけない
と教えていたケネスはまさに
そこに直面した時に何も当事者の
事を知らない自分に直面します
また時間の都合で初めて面談に
応対した消防士の遺族の妻は
夫を失ったショックから
立ち直れずに周りは訴えろ
申請しろばかり言ってきて
もう何もしたくない
(申請とかどうでもいい)
という訴えをも聞いてしまい
損得ばかりでものを考えていた
ケネスはこれも衝撃を受けるのでした
ともかく申請者の率はこうでは
全く上がっていきません
そしてその消防士の妻は
亡くなった夫に実は他に
子供がいることも知って
しまうのです
その子供たちも支給を受ける
権利を持つことになります
時は過ぎていき
いっこうに上がらない率に対し
期限ぎりぎりになれば
申請してくるさと楽観的な
物言いをしつつ
犠牲者の中でも富裕層側に
基金総額の引き上げをケネスは
要求されます
しかし法改正によって
議会に差し戻されれば
また支給が延びてしまうし
最悪廃案にもなりかねない
と予測しそれは出来ないので
苦悩しあろうことか
遺族たちに申請を
踏みとどまらせている
チャールズに悩みを
打ち明けると改正に至らずとも
遺族の事情を汲める方法が
あるだろうと忠告を受けます
(このへんのやりとりがなんとも
抽象的で中身がない)
結局遺族の事情を
広く聞くようにし
子供が他にいた例の
消防士の妻にも自ら尋ね
申請を迫ることにします
それでも80%に届かず
だめかと思って
富裕層の基金引き上げ
要求書にサイン・・しかけますが
可能性を信じていた若いころを
思い出しケネスは書類を突っぱね
事務所に戻ります
するとチャールズがケネスの
方針転換に対し信頼を示した
事で申請者が一気に訪れ
95%という数字を最終的に
残すことになりました
なんというか
映画だけ見てると
結局ケネスがナメてたんじゃん
としか見えないので
本当に本人に取材したのか?
と思ってしまうとこあります
(協力は得られなかったとか
どっかの記事で見た)
命の値段がどうこう
をもっと理数的に出してくる
シーンでもあるのかと思ったら
200万ドル!とかいきなり
言うだけだったり
ただ「折り入った個別の事情」
でしかなかったわけで
そこがズレてた印象
〇ンビ〇バボーでナレーション
つけて15分くらいでまとめたほうが
もっと出来よくなったかも
知れないと思うレベルの
史実ものだったかな
ただ冒頭の
ケネスは音楽聞いてて
気が付かなかったものの
列車の中で異常事態に周りが
ざわめいていくシーン
あそこだけはとびぬけて
良かったと思う
あそこだけで☆1個あげる
身動きの取れぬ誠実な人
Worth
実話に沿ったストーリーのため突飛な解決法は無い。慎重な描き方にならざるを得ないが、何事もそうだが全体へのプレゼンだけではなく個別化した対応が最後に救いになるのだ。そのことが最終的に集団としての動きも生み出していく。
主人公率いる事務所は無償で嫌われ役を引き受けながらも最後まで仕事を行う、悲しみの立場の思いと汲むしかないこと、戦時中の国としての機能の維持、欠落していく人々の行き先、当時に起こったであろう様々な現実が想起される。
マイケルキートンがいい!
2001年の同時多発テロの補償金の交渉を政府から
まかされた男の実話。計算高い面と意見を聞くことにより、皆の味方をする人間ドラマ。マイケルキートンが
頭を薄くしていい味だしてました。
逆にスタンリーが毛がありましたね。
【"テロに斃れた方々には補償金と共に敬意も必要。人間の命に値段の差を付ける事は道義的に許されるのか。"と言う重いテーマを扱いつつ、当時の補償基金プログラムに関わった弁護士達に敬意を感じた作品である。】
- 一人一人の命の値段は道義的に許されるのか?と思いながら鑑賞した作品である。-
◆感想
・アメリカ政府が、9.11後に即座に被害者と遺族を救済する為に設立した補償基金プログラム。だが、それは遺族から多数の訴訟を阻止する為でもあった。
- 保険会社の倒産など、経済破綻を回避する為であるが・・-
・弁護士のケン・ファインバーグは特別管理人に指名され、短期で合意に持ち込むように、政府から指示される。
・ファインバーグの計算式- 主に、犠牲者の給与がベースになっている。-の過ちを指摘する妻をテロで失くした聡明な男、ウルフ(スタンリー・トゥッチ)が指摘した事。
それは、テロの犠牲者達の過去の生き方を見ずに、机上で計算式を叩く事は過ちであるという至極、真っ当な主張であった。
ー ウルフの考えに賛同し、多くの遺族は合意を拒む。だが、ウルフはファインバーグと敵対しているのではなく、政府の施策は否定しているが、ファインバーグを否定しているわけではない。そして、ワインバーグは初めて、遺族と向かい会う覚悟を決めるのである。-
・中々、遺族達の補償金の合意が取れない中、ファインバーグ達弁護士団は遺族一人一人と面着で会い、机上では分からなかった遺族の言葉を時間をかけて聞いて行く。そんな彼の変化を見たウルフは、自らのホームページで遺族たちに合意を呼び掛けるのである。
- "人間"が見えていなかったファインバーグの変化をマイケル・キートンが見事に演じている。-
・それにしても、補償基金プログラムに関わった当時のファインバーグ氏を始めとした弁護士たちの働きには敬意を覚えた。
あんなに精神的にキツイ仕事は、中々無いであろう。
<今作品は"人間の命に値段の差を付ける事は道義的に許されるのか・・。"と言う重いテーマを扱いつつ、テロに斃れた人たちの尊厳、払われるべき敬意を描いた作品である。>
単調過ぎた。
予告で見て
めちゃくちゃ面白そうなテーマだなと思ったのに
何故……
ものすごく淡々と進む。
その割には
ケンが被害者遺族へ寄り添い出すのが急だったり
うーん
興味深かった話なのに残念。
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