「ディアスポラ。そして光。」そして光ありき redirさんの映画レビュー(感想・評価)
ディアスポラ。そして光。
予備知識なく,なんかすごい映画っぽいと直感で映画館へ。
全部の字幕なし、所々に昔の映画みたいにフランス語で二行ほどの説明が。
それでもこのセネガル舞台の、緑豊かなアフリカの村の暮らしぶり、システム、よくわかる。
暮らしは森,川、生き物,植物全て有機的に活用するエコシステム、高度に制度化された,といっても現代的な歪んだ高度さではなく、紛争の解決,自由に生きる権利と助け合う仕組み、がシステムとして有効で,人間社会もエコシステム。
こんな村の生活があることを知らない無知の自分、遠慮なく彼ら村人のものである森の樹木を切り倒し商品として街に運ぶ村外の人車ヘリコプター。と最初思いながら見ていたが、こんな村はなくてこんな生活もないのかもしれない、とまた無知だが樹木伐採に加担する側として生きている自分。
この村では我々が通常な社会で普通と考えている様な性差はなく皆同じ装いをし、むしろ男が洗濯をしたりしているし女は弓矢を持って勇ましく暮らしておりおそらく世代格差もそんなになくて役割分担が個々人の役割としてある、女性が集団合議で物事の,紛争の解決を考え男性は子どもの口から伝えられる解決策を飲むか飲まないが合議できそうだが実質的には従うしかない。人は人を所有しないのが良いことの様で所有関係的な夫婦関係は破綻するし恋愛ゲーム(女が男を追うことも)はそれとして子どもはコミュニティの中で誰の子として育てるか決めたり。エコシステム完璧で,グルジア(ジョージア) 出身パリで活動したイオセリアーニ監督がこの作品を作ったときはSDGS もへったくれもなかったが、森林伐採、地域住民の生活文化の破壊,自然破壊、村が燃え木が切られ二酸化炭素が大量に発生し、彼等は元々誰一人取り残さないエコシステムで文化的品位のある暮らしをしていたのに,やがてディアスポラとなり、人々が取り残され差別され格差がつけられる現代のクソ社会に取り込まれていくが、なにせ品位のある方達なのでそれでもなんとなく賢くやっている様なオチが。
落ちていく夕日を皆で体を寄せ合い見る,祈りの時間。
クビを狩られた男,敵かと思えば村人で呪術と薬草で治す。新しい生命と引き換えに同じ名を引き継がれる老女は森に消える。
今のことなのかとおもうような寓話とは思えないリアルな物語の数々
そしてこれは多くの,国を失い国を追われた,美しいジョージアを失ったイオセリアーニ監督の様に、今もアフリカでウクライナで中東で世界中で国と居場所,家を失い追い立てられた気品に溢れる人たちの物語であり、銭金のため人のものを泥棒する(北)側の下劣な私たちの物語である。
大切なものは,破壊され失われてしまった。ほとんどの大切なものは,不可逆的に破壊され損なわれている。
それでも光ありき。飄々と生きていく人々、ディアスポラの民であるイオセリアーニ監督ならではのユーモア、愛、絶望より希望。