神が描くは曲線でのレビュー・感想・評価
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どんでん返し……なのか?
中盤までは「よくありそうなミステリーなのかなぁ」と退屈に思う時もあったけど。
終盤の畳み掛けと思いきや……
もう「観て!」と言うしかないですね。
そっちも? こっちも? え? あっち?
となること請け合い笑
ラストシーンの見方によって・・・
どんでん返しの監督オリオル・パウロの作品。
精神科病院に探偵が病気を偽って入院する物語。
ホントに精神を病んでいるのではと思わせたり
院長含めて何かに騙されているのではと思わせる。
まあよくあるパターンと言わせればそうかもしれない。
ラストシーンの見方によって何が真実なのかと悩ませる。
色々考えさせられるので疲れるかも。
2時間半という上映時間もちょっと長いかな。
不思議の精神(科)病院のアリス="信頼できない語り手"
どんでん返し伏線回収系大好きな人御用達(?)オリオル・パウロ脚本監督作品。症状はパラノイアと虚言癖。彼女は殺害を企てた"合法的(な)誘拐"の患者か?それとも捜査のために自らフリをして入院した探偵か?はたまた…?! 扉の中では別のルールがある、今までのあなたを忘れて。時系列を解体し、キャラを裏切り、最後の最後までサプライズを仕込む。映画は、読者が想像をふくらませる小説と違って、作り手が特定の視点を選び取らなければいけない。それはディスアドバンテージになり得るものだが、時として利点にもなるということを、本作での観客の先入観から巧みにミスリードを誘う手法や大胆な編集は証明している。きっと見ている人の多くが、途中途中時折挿し込まれるシーンを作中の"ある"ところだと思うだろうし、"無口な大男、実はいいヤツ(おまけに助っ人キャラ)"理論というクリシェも効果的に用いている。
ここで言う"曲線"とは精神"科"病院に入院している精神疾患など患っている人々(= 神の不作的ニュアンス)のことを指しているわけだが、他にも自分の中で色々な意味に取れた。小人症な人が二人は出てきていて、そこも監督の意図しているところなのだろうなと思ったし、あとはやはり圧倒的に被害者になることが多い女性。だから主人公が声を上げてなお疑われたときに最初の方に味方してくれる病院側のキャラに女性2人がいたし、彼女たちがそんな世の中をどうにか渡り歩いていくには嘘の一つや二つ、そうでもしないと生きていけないのだという生きる厳しさみたいなものも垣間見えたかも。障害、病気、そして性差別など蔑まれる対象となってきた人々。そして、もちろん映画としての非常に入り組んだ複雑な作りも然り。
「患者は常に答えを用意します。嘘であれ必ず答えます。発言に統合性を欠くこともあります。しかしすぐに説明を返します。以前の話は嘘で、今回の話こそ本当だと。彼女は愚直な人間や経験不足の精神科医を簡単に惑わせます」
信じていたものがある日突然壊れていく。すると途端に全く異なる現実が見えてくる。そのアッと驚くような快感や映画的カタルシスを人々は求めて、このような作品を好んで見るのであろう。例えば嘘は一つつくからバレる?つくなら大きな嘘を。果たして真実は何処にあるのか。長い本編尺にも意味がある複雑に入り組んだドラマとサスペンス、ミステリー。自殺の謎に迫る潜入捜査や、腐敗した権力(施設・組織)的側面などなにかと刑務所モノっぽい要素はありながら、後半から最後にかけては圧巻。安い宣伝みたいになるけど、"ラスト数秒の衝撃"。あなた方はどう判断します?審理されたのは私じゃない。
勝手に関連作品『シャッターアイランド』『カッコーの巣の上で』
まともか、そうでないか
ゆれたりふるえたりした線で~
ていねていねていねに描くと~
きめていたよ~
──
タイトルの“曲線”とは正常ではない者をさしており、主人公アリスはアリスインワンダーランドからもってきた──とのこと。(By外国語Wiki情報)
すなわち、おかしな者たちの禍中に放り込まれたアリスという体裁で物語はすすむ──のだが・・・。
監督Oriol PauloはロストボディやThe Invisible Guestなどの名手で、毎回キルトのように丁寧&エレガントな描写と“どんでん返し”が得意。ロケーション&撮影もバシッとキメてくるゴヤ賞常連。
話は時計じかけのオレンジやカッコーの巣の上でを思わせる。
くるった者を閉じ込めるのが目的の施設にくるっているという前提で収監されたばあい、正常者であることを証明するのは絶望的に難しい。
精神病の専門家でも、彼/彼女がくるっているのか、くるっていないのか──を判断することができないから。
よってくるっていないのにひどい目に遭う──女優フランシスみたいな展開をする映画がいくつかある。
が、これは更に一回転して、観衆もだまされる。
理由は主人公を演じるバルバラレニー。マドリッド生まれ。アルゼンチンとアイルランドの血をひくゴージャスな黄金比相。その気品ある面持ちに、くるってる気配はまったくない。つまり観衆をあざむく映画的テクニックも巧いが、美人は得でっせという話でもあったw。
逆に言うと、こんだけふぁびゅらすな淑女が探偵ってのはおかしいだろ──という疑問を持つことがリテラシーってことにもなる。
ブロンドの根元の黒髪が映画の進行とともにじわじわ伸びていくのはヒントとして置かれたニセモノ値だったのかもしれない。
が、社会階層上位をしめす驕奢なファーを羽織って出てきた主人公アリスが、排尿用バケツ一個もたされて独房へ入ってしまうところに本作のダイナミズムがある。
映画はスペインの小説家Torcuato Luca de Tenaが1979年に書いた同名小説にもとづいており、かれはその執筆にあたり、じっさいに精神病院に18日間入院し患者と生活をともにしたそうだ。その真摯な取材が生きサスペンスにもリアリティが内在した。
なお冒頭は言うまでもなく新宝島の歌詞だが、なんの関係もない笑。ただネットフリックスに神が描くは曲線でというタイトルを見つけたとき無意識に口ずさんだのでなんとなく書き出しにしてみた笑。
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