せかいのおきくのレビュー・感想・評価
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『おきく』と言えば番町皿屋敷ですね。落語にも有りますぜ。兄貴♥
『救命艇』と言うヒッチコックの映画を見た時、排泄の事をどうするのか?と考えた。それをテーマにした話のようだが、現代風に人間関係を捉えてだいぶ誤りがある。着眼点が良くて現実感はあるが、人間関係や社会事情だけで、生活感が逆にファンタジーになってしまっている。大変に残念な作品だと思う。
我が亡父の弟が『肥溜め』の上で遊んで、破れて落ちた経験がある。笑い話では済まない話だと彼は主張していたが、去年亡くなるまで笑いの種だった。
肥をまく行為は昭和40年代にも亀有辺りの常磐線沿線では普通にあったと記憶する。回虫と赤痢がまだ怖がられていましたからね。
しかし、インフラみたいな職業。どこまで差別され、大事にされていなかったか予想の範疇である。現代に置き換えて考えれば、廃棄物を回収する業者さんの立場。さて、現在はそう言った職業に対する差別は存在しないのだろうが?知る限りに於いては、賃金も社会的立場も決して高いとは言えない。
この映画を見て、そこまで解釈すべきだと感じた。もっとも、インフラで働く方々は廃棄物処理業者ばかりではないから、彼らだけが尊い立場だとも思わないが。
モノクロで描く異色の江戸のトイレ事情
なんとも変わった映画でした。
人間の糞尿を堆肥として使用したのはいつ頃までだろう?
1955年(昭和30年)代はじめ位まで使われてたのでは?
ないだろうか?もっと後までだろうか?
宮沢賢治が化学肥料がいかに良いものかを「銀河鉄道の父」で
語っていたが、
肥料として使われなくなったのは衛生面からだと思う。
その昔、人間にも寄生虫がお腹にいて【虫下し】なんて薬が
あった気がする。
汲み取り式トイレなんかも札幌で冬季オリンピックが開催された
昭和47年(1972年)にはまだ汲み取り式パキュームカーが
戸別訪問していたはずだ。
水洗トイレが普及したのは昭和30年代からだと言う。
昭和になって下水道及び浄化槽が急速に進んだからだ。
洋式の水洗トイレは昭和34年に日本住宅公団がはじめて採用した。
この映画は3R(リデュース、リユース、リサイクル)映画だそうで、
セットも古材、衣装は仕立て直し、撮影後は全てリサイクルとして
保管されたという。
阪本順治監督の30本目の本作は初めて脚本を書き監督している。
どういうキッカケで江戸の江戸時代の汲み取り業者
《糞尿のリサイクル》をテーマに
映画を撮ろうとしたのかは不明だが、珍品・珍作である。
非常に目の付け所がユニーク‼️
懐かしいような、思いだしたくないような、題材である。
序章・・・江戸のうんこは何処へ
第一章・・・無敵のおきく
第二章・・・せかいのおきく
第三章・・・むねんのおきく
(波乱の章・・・父親が仇討ちにあい、おきくはのどを切られて
声を失う・・・けれど仇討ちのシーン及び、
倒れて苦しむ父親・源兵衛(佐藤浩市)と、
喉を押さえてうめくおきく(黒木華)の姿を描写する。
第四章で・・・ばかとばか
第五章・・・ばかなおきく
(この章ではおきくが中次(筧一郎)に恋情を募らせる様子が描かれる)
第六章・・・そして船は行く
第七章・・・せかいのおきく
(この章は鳥の鳴き声が効果音として多用。
(ひばり、カラス、トンビなどの鳴き声と、
中次に握り飯を届けようと走り、荷車に激しくぶつかるおきくの
ガシャーンという音など、効果音とで描かれる。
終章・・・おきくのせかい
(中次とおきくが桜咲く公園を散策して、
(青春だなぁ・・・とつぶやく・・・長閑である)
☆★☆親子共演。
佐藤浩市と息子の筧一郎は阪本順治作品で2度目。
一作目は「一度も撃ってません」
これは楽しかった。
ジャズと紫煙とウイスキーと謎のハードボイルド作家。
殺し屋兼作家の石橋蓮司(今作にももちろん出演している)
佐藤浩市の役柄は覚えていないが、筧一郎は空気の読めない編集者
・・・だったような。
本作で筧一郎は主演の黒木華に続き二番目にクレジットされている。
三番目にクレジットされる池松壮亮の達者で生き生きした演技に比べると
演技力の力不足から見劣りしている。
佐藤浩市とは、同じ土俵で比べるのは失礼。
この映画の主役は糞尿。
糞尿のリアルさは食欲を無くす程‼️
モノクロ画面が美しく江戸の風情が珍しくも好奇心を刺激する。
素晴らしいけれど、やはり惜しいのだ。
「せかいのおきく」
この題名が意味するのは何なのだろう?
汲み取り業を仕事とする中次にも差別も偏見もない「おきく」の
《心の広さ》だろうか?
核となるストーリーが弱い。
声を失ったおきくの中次への思慕。
それだけではアクセントが足りない。
「一度も撃ってません」の妻夫木聡みたいな隠し玉が
どうしても欲しいのだ。
(私的お願いとしては、主役の男優を村上虹郎か北村匠海、だったら、
雲行きもガラリと変わり、魅力が増したと思う。
(が、本人たちが出演を断ったがなぁ・・・)
地味で華のない筧が目立ち過ぎず、良かったのだろうか?
阪本順治監督の意図はどこに?
(一生忘れられない強烈な映画になりました)
モノクロ
モノクロの映画で江戸時代。
何よりも殺戮シーンが少ないのが良い。
人々の生活には嫌がられ、煙たがれる仕事が必ずある。誰かが、やらなければ世の中は回らない。
おきくの表情と言葉遣いの表現は凜として良かった。矢亮の歌も格別。中次のひたむきな姿勢も尚更に善し。
下肥がまさか段ボールでとは圧巻。あと、考順役の真木さんが舞台挨拶で上手の3名を知らないと言っていた。それも新鮮である。
時折魅せたカラーシーンはインパクトがあったな。上手いよね!
人と人のぬくもりが伝わってくる映画でした。
営み
食べて出して恋をして。
突き詰めると「生きていく」ってこういう事なのかと思える。とてもメッセージ性の強い作品だった。
主人公の2人は人糞を生活の糧にしている。抵抗感の強い職種ではあるが、それを担う人が居ないと社会は成り立たない。何億と稼いでる人も、巨大な権力を有してる人も、絶世の美女も空前絶後のイケメンも、彼らがいなければ生活もままならないのだ。
そう考えれば蔑む理由も、卑下する理由もないのだが、そうはいかない事情を彼らからの視点は物語る。
劇場から出て、すれ違う人達に親近感を覚える。着飾ったり踏ん反り返ったりしてはいても、根本的には変わらないのだろうな、と。
勝手に階層を作ってるのは滑稽にも思う。
おきくさんは言葉を失う。
読み書きもままならず、手話もない時代では意思の疎通をする術がない。万人が文字を読めるわけではないし、むしろ市井の人々は読めない人の方が多い。
重大なハンデを背負ってしまう。
半年程引きこもったおきくさんは、若干痩せたようにも見えたし、それでも生きていけるだけの糧は他人が与えてくれていたのだろう。
家賃を払えない店子を抱える大家も、収入以外の必要が大家さんにもあったのだろうと思う。相互扶助で成り立つ社会の原理を説かれてもいるようだった。
おきくさんは恋もする。
好きな人の名前を書いて照れ臭さに悶絶するおきくさんは、とてもとてもいじらしかった。
恋が成就し、彼の足音に聞き耳をたてる様は、塞いでいたおきくさんとは雲泥の差で、生きる事を楽しんでいるようにも見え、恋愛とはこんなにも人に活力を与えるものなのかと改めて思う。
おきくさんに役割があるように、作中の登場人物全てに役割があった。
クソみたいな世の中は、今も昔も大差はないが、野原に寝っ転がって惰眠を貪る2人をちょっと羨ましく思う。
生きていく事はそんなに複雑な事ではないと、複雑にしているのは寧ろ我欲に起因する事の方が多いのだろうと思う。
作中に散りばめられた台詞の数々は、噛み締めると深みが増すものも多く、全編にわたり糞が出てくるわけなのだけど、かなり高尚な文学作品でもあった。
阪本順治監督の感性の豊かさを物語る。
人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。
こんな標語を残した偉人は誰だったろうか?
そんな原理を現代に問いかけた作品にも思えた。
⭐︎−0.5は必然とは言え糞のせいである。
…俺は監督ほど人間が出来ていないのである。
申し訳ない。
幕末の世。武家育ちでありながら、いまは浪々の身となった父・源兵衛(...
幕末の世。武家育ちでありながら、いまは浪々の身となった父・源兵衛(佐藤浩市)と、木挽町の貧乏長屋で暮らす娘おきく(黒木華)。
ある雨の日、寺での読み書き師範の帰りに、おわい屋の矢亮(池松壮亮)と紙くず屋の中次(寛一郎)と知り合う。
相棒のいなくなった矢亮は、あまり紙くず屋商売がうまくいっていない中次を相棒にと誘い、ふたりは肥たごを担ぎ合う仲間となり、武家廻りは矢亮、民家・長屋廻りは中次の分担となる。
ある日、雪隠で気張る源兵衛から「せかい」という言葉を教えてもらった中次。
それから程なくして、源兵衛は意見の異なる武家連中に斬殺され、おきくも喉を駆っ切られ声を失ってしまう・・・
といった内容で、序章から終章まで、いくつかのエピローグにわけられ、モノクロで描かれながら、エピソードのおしまいだけカラーとなる凝った趣向。
おわい屋というのは、江戸の武家や町家から糞便を買い取り、江戸郊外の農家に売る商いのことで、とにかく、臭い汚いと周囲からは嫌がられています。
当時は、汲み取り式だったので、おわい屋が来ないと糞便が溢れてしまう。
特に、雨の日などは、土中にしみ込んだ水のせいで、糞便桶が溢れてしまう。
その様子が前半のエピソードで描かれていて、非常に興味深いです。
なお、木挽町といえは、歌舞伎座の裏あたり。大店の多い日本橋の近くも、貧乏長屋があったんですね。
で、最終的には、声を失ったおきくと中次の淡い恋がほんのりと描かれるのですが、このエピソードは胸が熱くなります。
が、最終的には、ちょっと腰が弱いかなぁ、相撲でいえば「粘り腰」に欠ける感じ。
肝心の「せかい」が、あさっての方向に行っちゃっている感じがして、落語でいえば「ヘン」オチな感じで、妙に座りが悪いのが難点。
ここいらあたりは、阪本順治監督作品の特徴といえば特徴なんだけれどね。
とはいえ、悪くない出来。
ただし、食後に観るのは控えた方がよろしいでしょう。
なにせ、カラーでアレが映るシーンがありますから。
まみれる
「放課後アングラーライフ」を見てからエヴァの舞台を見に行くまでの間にちょうど時間が良かったので気になっていたこれを鑑賞。池松壮亮出まくりね。
「まみれるという言葉、ほかにはあまり使わないなあ」とか考えるほどに、まみれる映画。白黒画面にかなり助けられた。チラシをこうの史代が書いているが、まさに「この世界の片隅に」を思わせる、起承転結もない短編の連続が心地よい。佐藤浩市と寛一郎の共演シーンも深みがあって良かった。
ただねえ。また余計なことを書いてしまうのだが、白黒で薄められてはいるが、衣服にはかなりの汚れや匂いがついているはずで、映画の中でも複数の場面で肥溜めや肥桶、仲買人の二人が臭いことはたくさん描かれているわけで、たとえおきく側に好意があろうと、あんなに普通に寄っていき服や顔に触れたりするのは不自然に感じた私だ。
まあまあだった
モノクロ映像の時代劇で、糞尿を汲んで運んで商売をする若者を描くチャレンジングな内容だ。しかし、江戸時代は差別がまかり通る階級社会で、彼らが蔑まれる描写はあるのだけど、長屋で暮らしていて、それほどひどくない。別に史実を描いているとうたっているわけではないから、気にするのが間違っているのかもしれないけど、本当はちがうのではないかと疑問が生じる。『カムイ伝』で読んだ被差別者はそれこそ人間扱いされていなくて、こんなものではなかった。そんなことに、現代的な価値基準を感じる。
〝おきくさんには役割りがあってね〟
冒頭、雨宿りのシーンの雰囲気からじわりと大好きだ。
巧みなセリフまわしに安心して笑わせてもらっていると現れる衝撃カラー。
時々それに襲われながらも、独特なモノクロの世界に没入していく。
味わうは、あの時代の空気感。
それは、う○○のリアル感を超え…。
いくつかは記憶をたぐりよせ、あとは先祖のDNAを目覚めさせる刺激?で、現代となっては、ほとんど異国の旅的でもある描写に心掴まれていくのだ。
…………
草をかきわけ原っぱを割るでこぼこ一本道。
つぎはぎに大事さがみえる着物。
畝の上で柄杓を返す働く手。
肥溜めを覆う茅葺きひさしの斜め具合。
元武家の気高さが残る親子の物腰。
廁で閃く運命の第六感。
最後の瞬間まで貫く親心。
櫂と舟が編む静かな波紋。
位牌も転ぶときめきよう。
誰かのために握る炊きたての飯。
声がなくても字が書けなくても渡したい想い。
しずかな雪の細道で伝わる温度。
兄弟のように慕える巡り合い。
見放さない人々のつながり。
いつか眩しく振り返る時間。
…………
そこには、自分が置かれた立場を前を向いてすすむ人たちの姿が確かに息づいていた。
それをじっと眺めていると、今を精一杯生きる力の頼もしさがひしひしと押し寄せ、やがて愛おしさのようなものに変わり熱く込み上げてくる。
コミカルに始まる物語は調を変えていく。
どちらかといえば悲しいこと、情けないこと、辛いこと、苦しいことがたくさん起きる。
そこに脈打つように矢亮が放つ大切な存在感。
この飄々として大胆で絶妙に優しい男の器用な言動がカラリと明るく澄み渡る。
それがたいへん心地よく話の軸を支えながらいてくれるからだ。
さりげなくいつも思い遣ってくれる誰かを、私のように恋しく思い出してしまった人もいるのではないだろうか。
そして、レビューのタイトルに絶対使いたいと思ったのは〝説法は苦手で団子が好きだという僧侶・孝順が、傷心のおきくを訪ねたときの短い言葉だ。
そのどっしりと胸に沈む意味は、長い説法以上に忘れ得ぬ効果をみせてきた。
そして、生きるということをみつめる一作になるかもしれない予感とともに幕がおりた。
おすすめしたい作品です。
修正済み
生き抜く人々
江戸末期、閉塞感を感じつつ笑うことで生き抜く2人の男たちと、長屋で知り合う女性の物語。
下の処理のことを仕事とする男たち、その時々の喜怒哀楽を描き、争うことじゃなく笑うことで自身の置かれた環境に争うことと2人の淡い恋物語を描く。そこで生き抜く人々の姿がどこか愛おしくも感じた。
この時代だからこその2人の想いを時間を掛けて描いてて好感を持てた。
ただ章に分けて描く理由が観終わっても分からなかった。
あと食事前後にはあまりオススメしない作品でもある。
美しい文字
意外なことに、映画館が満席だった。地味な作品だから人気ないかと思ってた。ちょっとうれしい誤算。
モノクロの映像が美しい。日本にまだこんな風景が残っていたなんて。空も川も雨も美しい。おきくの書く文字も美しい。タイトルロゴの文字も美しい。
トイレがあふれたら困るのに、それを汲みとってくれる人への、人々の態度。武家屋敷の門番なんて、むかつくわ。お前のクソが高いわけじゃないだろ。
あと数年したら、世の中ひっくり返り、おきくと中次の身分の差なんて関係なくなる。若者には未来がある。矢亮だって、がんばれば講談師になれる。3人の行く末に幸多かれと願う。
黒木華のくるくると変わる表情、ジタバタ、障子に耳をすませる姿、みんなかわいい。寛一郎の目、お父さんとそっくり。池松壮亮の筋肉にドキっとした。肉体労働者のリアルがあった。
ほんの150年前の暮らしは、こんな感じだったのだろう。庶民の生活を飾らずに描いた、野の花のような作品だった。
オェ~ カラーはやめて~
木挽町といったら銀座のど真ん中じゃありませんか。そこから水路で葛西まで糞尿を運び集め、江戸川を遡り、亀有村まで運ぶ。人糞を引き取るのにお金をもらうのではなく、逆に払う。そして、農家の庄屋に買い取ってもらう。労力を考えると全然合わない商売ですが、江戸時代の立派なSDGsと言えなくもないかと。
カラーでなくてよかった。
ちょっと、カラーになった場面。とたんにリアル過ぎて、幻臭に襲われました。くみ取り便所の頃のタンク車(バキュームカー)の臭いを思い出しました。ホースの先端のフタにはだいたい軟球のボールを使ってましたね。
肥溜めに落ちた(落とされた)ことが二回あります。
おぇー。
汚穢屋の二人組(矢亮と中次)と長屋住まいの武士の父娘(松村とおきく)。お役御免になった父はまっすぐ過ぎる性格が災いし、辞めたあとも危険分子とみなされ、同僚の武士により殺害される。父を案じた娘があとを追ったため、喉を切られ一命を取り留めたものの喋れなくなる。もしかして、娘の命を取ることに躊躇した同僚たちが喋れなくしただけかなとも思いました。しかし、頸動脈まで切られていれば即死は免れない傷。声帯だけを切るのはかなり高等な技。それに、おきくさんは喋れなくでも、書道の師範なので、字が書けますからね。
武士の娘役の黒木華ちゃんお目当てでしたが、池松壮亮と寛一郎もお目当て。阪本監督作品冬薔薇に出演していた僧侶役の眞木蔵人もよかった。
そして、石橋蓮司の主演作品の一度も撃ってません以来の佐藤浩市と寛一郎の親子共演。しかも長屋の厠(共同便所)で佐藤浩市がしゃがんでうんち💩中の会話が面白かったです。
華ちゃんが半紙に「ちゅうじ」と書いて身悶えるシーン。
ここ笑うところでしょ。
華ちゃんの和服姿のおしり、よかったです。
おきくさんのいわゆる菊のお花がアップになるシーンはなかったです。
それにしても、武家のお嬢様がおわい屋稼業の青年に惚れるでしょうかね。もちろん、池松壮亮よりは寛一郎てしょうけど。おわい屋稼業の若造が江戸の長屋住まいというのもね。
しかし、さすがに映像は超一流で、どしゃ降りの雨の音などもよかったです。カンヌ狙い?
せかいでいちばんきみがすき
江戸末期。これまでの価値観が大きく変わろうとしていた時代。でも変わらない人々の暮らしぶり、青春を描きました。
舞台は江戸。矢亮(やすけ)は厠の糞尿を買い取って亀有村(葛飾区。江戸には含まれていなかった)の農家に売りに行く下肥買い(しもごえがい)。中次は紙くず拾いを辞めて矢亮を手伝う事に。おきくは武家の出ながら父親の失業で長屋暮らしになり、寺子屋で字を教えていたが、ある事件で声を失う。この3人のたくましく生きていく姿が、時にユーモアを交えて清々しく映ります。
黒木華さん演じるおきくが可愛いです。凛とした後ろ姿、恋しい人を気遣って味噌入りおにぎりを握る姿、おにぎりに土が付いて渡せなくなり、自分で食べてしまうところ。寒い中、しもやけの裸足に下駄で、恋しい人を待つ姿。
本作は、世界中のおきくへの応援歌のような作品でもあります。
長屋の人々も生き生きとしていますが、池松壮亮さんが特に素晴らしかったです。
汲み取りの仕事なので、白黒だとまるで本物のような再現度の高い糞便がたびたび登場しますが、意味のないゲロより意味があるうんこの方が私は耐えられます。でも音は臨場感がありすぎですかね。
本作、私はかなり気に入りましたが、惜しい点もあります。
・糞便を扱うシーンが多すぎること。本物ならとても無理ですからかえって作り物っぽい。
・手を洗わないなど、不衛生過ぎて、いつ伝染病が発生するかと冷や冷やしましたが、実際はもう少し気を付けたのではないでしょうか。
・長屋暮らしにすっかり馴染んだタイミングで父親が殺された訳が分かりません。上司の恨みを買ったのならもっと前にやられそうです。危険思想の持ち主と判断されたのなら、塾で教えている場面があっても良かったです。
・父親と声を失った苦しみの描写が足りない気もします。
とはいえ、観終わって、とても良い映画だと思いました。
ジェスチャーゲーム
開始数秒でモノクロであることに感謝…したのに、ワンカットだけ色を付ける暴挙。
目を背けるなということでしょうか。
汚穢や仕事のシーンが多く、音だけでもなかなかに「クる」ものがありました。
大筋はすべて公式サイトに書かれてあり、メイン3人の交流とささやかな恋が描かれる。
声を失うおきくの悲惨さは薄く、その後のかわいらしさの印象が強い。
自身は武家の誇りを持ちながら、周囲に差別や蔑みを持たない“おきくのせかい”。
上品な所作から初心な表情、コミカルな動きなど黒木華が素晴らしい。
糞尿ジョークで明るさを保つ矢亮も、真摯な中次も魅力的だった。
しかし、その2人の絡みばかり多く3人での交流が薄かったことや、淡々とし過ぎて映画として地味なのが難点。
中次が読み書きを覚えるまで、おきくはジェスチャーで会話するしかないのだなぁ。
汲み取り業者の仕組みは『落第忍者 乱太郎』で知っていたが、劇中でも言われてるように彼らがいなければみな糞尿にまみれる。
本来もっと実入りがよくてもよいと思うのだ。
インフラの整った現代と、嫌がられる仕事に就いている方への感謝を。
サバイバルジャンル
他のレビューでも再三書かれている通り、【阿鼻叫喚】の映像をモノクロフィルターでかけ、そこに【青春】を上掛けした作品に仕上がっている そう書くと評価が低いように採点しているように見えてしまうが決してそう捉えていない
有機肥料は、熟成が必須であり、ググると71℃迄発酵するらしい その際に所謂毒性が抑えられて臭いも抑えられる 但し、そんな時間を待っていられない程の大量の"汚穢"が運ばれ、その熟成時間が保たれなくなる時、破滅的な循環が人間を襲う 勿論、毒性が強ければこの循環は失敗であり、幕末という時代変換の中でその悪循環を止められない悪しき性を如実の物語っている点で、貴重な作劇になっている
どうして、おきくの父親は斬られ、あまつさえおきくも巻き添えになったのか? その詳細は未だ考察にはアップされていないからその謎を知る術はないが、多分これも古き慣習から脱却できない人間の業を表現したプロットなのだろう
二人の青年がその身分故、それでも逞しく生き、そして淡いながらも夢的な将来というには程遠い漠然とした未来を浮かべながら、それでもほんの少しだけ抵抗を試みる件は、感動させられる 現在に於いても実際はその殆どは現実に昇華出来ず、それこそ長屋の住人止まりで人生を終える 手に職を持つお爺さんのみが別世界へ旅経つ件も興味深い やはり"器用"ならば需要を得られるのは古今だろう
講談師になれるか、字を覚えておきくの片割れとなるのか、その未来は誰にも分らないし、そうならなくても"せかい"は廻る そう、孫悟空の様にお釈迦様の掌でクルクル回るのと同じ 所詮人間は死んで、また新しい人間が生まれるだけ・・・
モロクロユーモア
本当に黒木華は着物、時代劇似合う!
これが本田翼だと、こうにはならない
本田翼ファンの方に怒られる笑
江戸時代
人の糞が肥料になる
それを仕事にしている方たちと
庶民の方々が出てくる
大部屋俳優さん達の脇役も素晴らしい
佐藤浩一と寛一郎の親子共演シーンが良いですね
黒木華のおきくと寛一郎の中次の恋愛物語、微笑ましい
ひかれたおにぎり食べちゃう🍙
ちゅうじと書いて照れて畳の上でバタバタしちゃう愛らしいおきくを見事に演じてます。
おきくが、ふせっている時に、長屋の方々が心配してくれる様は、今の時代ありえない光景だと、素晴らしいなぁと思って観ていました☺️
矢亮の池松壮亮君
糞まみれになり、糞を手で掻き集めて移す作業が、みんなが嫌なことを仕事をする一生懸命さに、中次も心打たれて一緒に仕事をし始めたのかと。
大変な仕事して、手縫いぐいで自分の尻を拭いた後、洗ってすぐまた首に巻いたのが凄い笑
笑いありのこのせかいが、美しい。モロクロだからカラーより物事がストレートにくる。みんな素敵だった。
青春の香り
私達が味わった事のない青春の香りがしました。
本当に映像だけでも匂いが届いてきて何とも言えない気持ちにもなりました。ほんとIMAXに匂いの効果があればそんな感じだろうと思うぐらい見た後に匂いが残る映画でした。
人間食べてだして、また食べてだけのループを繰り返しているのにいつの間にか順位決まっていたりする事にたいする怒りなのかなと思ったりしましたが、そんな映画ではなくラブandポップな映画でした。
よくよくがんがえたら食べて出してそれが肥料になりまたその出来た物を食べるこのループって人間もいつか土に帰るのと一緒だなと思ったり。
青春なんて人それぞれだし、忠次と矢亮の2人の掛け合いなんてもろ青春だし、キクさんのあのちゅうじって書くシーンなんてもろ青春だし白黒だし大きな事件も起きないですが、青春なんてこんなもんだし、ほんとに映画やドラマやポカリスエットのcmの様な青春はほんと限られた人だけだから、凄く共感感出来る出来ました。
恋をしただけで世界が代わり行動も変わる感じも凄くグッときました。もちろんあの2人が上手く行ったかは分かりませんが。それでもグッとくる物がありました。
色々難しく考えちゃいそうな感じな映画ですか単純に青春映画と観てみてもいいのではないのかと思ったりします。すいません阪本監督に明確なメッセージがあったらすいません。私はセンスがないのでその辺は求めないでください。
みんなが知ってる青春の淡い匂いや酸っぱい匂いはしない匂いの青春映画ですがとても良かったです。ある意味酸っぱい匂いはしますが。
帰りお腹空いて何食べようかと歩いていたげCoCo壱が目に入りましたが、それはないなと家路につきました。
【江戸末期。循環型社会を支えた汚穢屋達と、貧しくも情を持ち逞しく生きる民の姿を描いた作品。”父さん、早く出してよ!””スマン、最近通じが悪くてな。”By佐藤浩市&寛一郎親子。ここ、笑うとこだぜ!】
ー 昨年「ウンチク/うんこが地球を救う」というドキュメンタリー映画を観たが、とても面白かった。ー
◆感想
・モノクロームで描かれた貧乏長屋に住む貧しくも人情豊かな民の姿が、なんか良い。
・汚穢屋コンビの”ちゅうじ”と”やすけ”の掛け合い漫才のような、やりとりや”香しいかほり”が漂って来るようなシーンの数々。
ー 途中まで、汚穢を救うシーンが多いのでモノクロだと思っていた。だが、ポイントではカラーになる。(例えば、おきくのピンクの頬が大アップで映し出されるシーン。)-
・長雨で貧乏長屋の肥溜めが氾濫するシーン。
ー あれは、嫌だなあ・・。おきく(黒木華)の”あれは私のではありません!”という台詞も可笑しい。
序でに言えば、汚穢を頭からぶっ掛けられるのだけは勘弁して欲しい。だが、“やすけ”はそんなことをされても、笑い飛ばすのである。逞しいなあ。-
・おきくの父(佐藤浩市)が、厠での”最後の”排便を”ちゅうじ”の脇で済ませるシーン。
ー 好きな女には、”大好きだ!と言って抱きしめればよい。”
うーん、お父さん。厠で言う台詞でしょうか?
だが、このシーンが後半に生きてくるのである。
詳細は描かれないが、おきくの父は勘定方でありながら不正を告発し、藩を追われたようである。そして、彼は刀を手に出掛ける。慌てて後を追うおきく。
父は切られ、おきくも喉笛を切られ声が出せなくなってしまうのである。-
・そんな中、長屋の皆が心配してもおきくは臥せったまま。だが、”ちゅうじ”が夜にやってきて紙を恥ずかしそうにおきくに渡す姿。(勿論、厠の紙ではない・・。ホントスイマセン。)
ー おきくは紙に”ちゅうじ”と書いて、恥ずかし気に笑いながら仰向けに手足をバタバタさせる姿。凄く可愛い。惚れたな!-
・そして、おきくは痩せていく”ちゅうじ”の身を案じ、父にも作らなかった味噌入りのおむすびを作るのだが・・。
ー そして、おきくは起きた顛末を”ちゅうじ”に身振り手振りで伝える。そんなおきくを”ちゅうじ”は自分の匂いを気にしながらも、強く抱きしめるのである。ー
<今作は、随所で語られる”人間は貴賤に関わらず食ったら出す。”という当たり前のことを前提に、当時余り知られていなかった”せかい”という概念を掲げながら、貧しくも逞しく生きる庶民の姿や恋を描いた作品なのである。
素敵な風合を醸し出している作品でもある。>
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