「モノクロで描く異色の江戸のトイレ事情」せかいのおきく 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
モノクロで描く異色の江戸のトイレ事情
なんとも変わった映画でした。
人間の糞尿を堆肥として使用したのはいつ頃までだろう?
1955年(昭和30年)代はじめ位まで使われてたのでは?
ないだろうか?もっと後までだろうか?
宮沢賢治が化学肥料がいかに良いものかを「銀河鉄道の父」で
語っていたが、
肥料として使われなくなったのは衛生面からだと思う。
その昔、人間にも寄生虫がお腹にいて【虫下し】なんて薬が
あった気がする。
汲み取り式トイレなんかも札幌で冬季オリンピックが開催された
昭和47年(1972年)にはまだ汲み取り式パキュームカーが
戸別訪問していたはずだ。
水洗トイレが普及したのは昭和30年代からだと言う。
昭和になって下水道及び浄化槽が急速に進んだからだ。
洋式の水洗トイレは昭和34年に日本住宅公団がはじめて採用した。
この映画は3R(リデュース、リユース、リサイクル)映画だそうで、
セットも古材、衣装は仕立て直し、撮影後は全てリサイクルとして
保管されたという。
阪本順治監督の30本目の本作は初めて脚本を書き監督している。
どういうキッカケで江戸の江戸時代の汲み取り業者
《糞尿のリサイクル》をテーマに
映画を撮ろうとしたのかは不明だが、珍品・珍作である。
非常に目の付け所がユニーク‼️
懐かしいような、思いだしたくないような、題材である。
序章・・・江戸のうんこは何処へ
第一章・・・無敵のおきく
第二章・・・せかいのおきく
第三章・・・むねんのおきく
(波乱の章・・・父親が仇討ちにあい、おきくはのどを切られて
声を失う・・・けれど仇討ちのシーン及び、
倒れて苦しむ父親・源兵衛(佐藤浩市)と、
喉を押さえてうめくおきく(黒木華)の姿を描写する。
第四章で・・・ばかとばか
第五章・・・ばかなおきく
(この章ではおきくが中次(筧一郎)に恋情を募らせる様子が描かれる)
第六章・・・そして船は行く
第七章・・・せかいのおきく
(この章は鳥の鳴き声が効果音として多用。
(ひばり、カラス、トンビなどの鳴き声と、
中次に握り飯を届けようと走り、荷車に激しくぶつかるおきくの
ガシャーンという音など、効果音とで描かれる。
終章・・・おきくのせかい
(中次とおきくが桜咲く公園を散策して、
(青春だなぁ・・・とつぶやく・・・長閑である)
☆★☆親子共演。
佐藤浩市と息子の筧一郎は阪本順治作品で2度目。
一作目は「一度も撃ってません」
これは楽しかった。
ジャズと紫煙とウイスキーと謎のハードボイルド作家。
殺し屋兼作家の石橋蓮司(今作にももちろん出演している)
佐藤浩市の役柄は覚えていないが、筧一郎は空気の読めない編集者
・・・だったような。
本作で筧一郎は主演の黒木華に続き二番目にクレジットされている。
三番目にクレジットされる池松壮亮の達者で生き生きした演技に比べると
演技力の力不足から見劣りしている。
佐藤浩市とは、同じ土俵で比べるのは失礼。
この映画の主役は糞尿。
糞尿のリアルさは食欲を無くす程‼️
モノクロ画面が美しく江戸の風情が珍しくも好奇心を刺激する。
素晴らしいけれど、やはり惜しいのだ。
「せかいのおきく」
この題名が意味するのは何なのだろう?
汲み取り業を仕事とする中次にも差別も偏見もない「おきく」の
《心の広さ》だろうか?
核となるストーリーが弱い。
声を失ったおきくの中次への思慕。
それだけではアクセントが足りない。
「一度も撃ってません」の妻夫木聡みたいな隠し玉が
どうしても欲しいのだ。
(私的お願いとしては、主役の男優を村上虹郎か北村匠海、だったら、
雲行きもガラリと変わり、魅力が増したと思う。
(が、本人たちが出演を断ったがなぁ・・・)
地味で華のない筧が目立ち過ぎず、良かったのだろうか?
阪本順治監督の意図はどこに?
(一生忘れられない強烈な映画になりました)
琥珀糖さんの的確な分析と指摘に、うんうんと頷きながら読ませてもらいました(もちろんダジャレではありません💦)
村上虹郎さんはgoodです。でも池松さんとキャラ被りな感じだから、寛一郎さんで良かったかも。
タイトルは分かりにくいですよね。世界規模の視点で見れば、身分の差など大したことではないという意味もあるんでしょうね。