「幕末の世。武家育ちでありながら、いまは浪々の身となった父・源兵衛(...」せかいのおきく りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
幕末の世。武家育ちでありながら、いまは浪々の身となった父・源兵衛(...
幕末の世。武家育ちでありながら、いまは浪々の身となった父・源兵衛(佐藤浩市)と、木挽町の貧乏長屋で暮らす娘おきく(黒木華)。
ある雨の日、寺での読み書き師範の帰りに、おわい屋の矢亮(池松壮亮)と紙くず屋の中次(寛一郎)と知り合う。
相棒のいなくなった矢亮は、あまり紙くず屋商売がうまくいっていない中次を相棒にと誘い、ふたりは肥たごを担ぎ合う仲間となり、武家廻りは矢亮、民家・長屋廻りは中次の分担となる。
ある日、雪隠で気張る源兵衛から「せかい」という言葉を教えてもらった中次。
それから程なくして、源兵衛は意見の異なる武家連中に斬殺され、おきくも喉を駆っ切られ声を失ってしまう・・・
といった内容で、序章から終章まで、いくつかのエピローグにわけられ、モノクロで描かれながら、エピソードのおしまいだけカラーとなる凝った趣向。
おわい屋というのは、江戸の武家や町家から糞便を買い取り、江戸郊外の農家に売る商いのことで、とにかく、臭い汚いと周囲からは嫌がられています。
当時は、汲み取り式だったので、おわい屋が来ないと糞便が溢れてしまう。
特に、雨の日などは、土中にしみ込んだ水のせいで、糞便桶が溢れてしまう。
その様子が前半のエピソードで描かれていて、非常に興味深いです。
なお、木挽町といえは、歌舞伎座の裏あたり。大店の多い日本橋の近くも、貧乏長屋があったんですね。
で、最終的には、声を失ったおきくと中次の淡い恋がほんのりと描かれるのですが、このエピソードは胸が熱くなります。
が、最終的には、ちょっと腰が弱いかなぁ、相撲でいえば「粘り腰」に欠ける感じ。
肝心の「せかい」が、あさっての方向に行っちゃっている感じがして、落語でいえば「ヘン」オチな感じで、妙に座りが悪いのが難点。
ここいらあたりは、阪本順治監督作品の特徴といえば特徴なんだけれどね。
とはいえ、悪くない出来。
ただし、食後に観るのは控えた方がよろしいでしょう。
なにせ、カラーでアレが映るシーンがありますから。