劇場公開日 2023年4月28日

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「珍しい白黒映画、でも言葉はごく現代調のアンバランス」せかいのおきく 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0珍しい白黒映画、でも言葉はごく現代調のアンバランス

2023年5月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「ウーン、コの映画をどう評したらいいんだろう?ここ笑うとこだぞっ」ってな感じの映画でした。観ていない方には何が何やら分からないと思いますが、観た私にとっても不思議な感じの映画でした。
最近には珍しい白黒映画(ごく一部のみカラーでしたが)であり、きっと白黒だからこそ表現できることが観られるんだろうという興味から観に行った訳ですが、始まった直後にその理由が分かりました。主人公の中次(寛一郎)と矢亮(池松壮亮)はおわい屋(人家の糞尿をくみ取り、農家まで運ぶ職業)であり、ウンコさんのシーンが多数登場するために白黒にしたんだと、少なくとも一義的理由はそこにあるんだと開始直後に了解させられました。そうじゃないと、90分間のかなりの部分を占めるウンコさんのシーンで、途中退場してしまう観客が続出する可能性がありますからね。

時代設定としては、江戸時代末期の安政年間から文久年間にかけてのお話でした。井伊直弼が反対派を弾圧した安政の大獄、その井伊直弼が暗殺された桜田門外の変、老中安藤信正が襲われた坂下門外の変など、激動の幕末期の真っただ中なのですが、本作にそうした激動の波はあまり押し寄せて来ていません。ただ現代人的には歴史を知っているので、そういう時代背景のフィルターを通して観ており、そうした激動の時代が物語にも影響して来る展開になることを予想しながら観ていた訳ですが、結果そうなっておらず、製作者は敢えて市井の人々を描く映画に拘ったようです。

では何を言いたい映画なんだろうというと、ひとつは今注目の(?)循環型社会ということ。前述の通り主人公はおわい屋であり、江戸の市中、庶民の住む長屋や武家屋敷などから出る糞尿を汲み取り、当時は江戸の府内ではなかった亀有辺りの農家まで運ぶことで生計を立てています。肥料となる糞尿を入手する農家からお金を貰うのは当然としても、糞尿処理をして貰っている江戸の住人が、おわい屋からお金を貰っていたのには驚きました。糞尿処理がなされなければ街中糞尿まみれになるというのに、これをお金を貰って処理してもらうというシステムは、現代感覚からは全く思いも及ばないこと。ただ現代の糞尿は下水道経由で処理されて川や海に流されるだけですが、当時は肥料として使われており、立派な商品だったこともまた事実。こういう構造が結果的に循環型社会を構築していたことを考えると、中々に興味深い話ではありました。循環型社会を是とするなら、それを実現するヒントが歴史に隠されているのではないかと思ったりもしたところです。

肝心のストーリーですが、おきく(黒木華)と中次の恋物語でもありました。おきくは物語中盤で喉を切られて声を失ってしまいますが、それでも懸命に生き、恋をしています。ただそもそもの話、おきくが中次に恋するきっかけの部分がイマイチ明示されておらず、また中次の兄貴分たる矢亮との対比で、おきくが何ゆえに中次を選んだのかなどもはっきりと描かれていませんでした。そのために今ひとつ感情移入が出来ぬまま、物語は終わってしまいました。まあウンコさんの印象が強烈で、そちらに目(鼻?)が行ってしまったこともあるのかも知れませんが、もう少しおきくの心情を掘り下げて貰いたかったと感じました。

また、白黒時代劇の割に、セリフ回しが完全に現代調になっていたのも、大いに疑問でした。冒頭の「ここ笑うとこだぞっ」というセリフも、矢亮の口癖なのですが、完全に現代のお笑い系の口調。別に全てを江戸言葉にする必要はないし、そんなことをすればむしろ理解を妨げることにもなるでしょうが、敢えて現代調のスラングをぶち込まれても、違和感しかないように思われました。勿論時代設定だけ江戸時代の現代劇もたくさんありますけど、折角白黒作品にしたんだから、もう少し言葉遣いも白黒トーンで行って欲しかったところです。

以上、最近には珍しい白黒映画ということで観に行きましたが、ウンコさんが大活躍する映画の割には消化不良の面があったので、評価は★3とします。

鶏