「手のひらを太陽に♪」きみの色 sinnrinn kouennさんの映画レビュー(感想・評価)
手のひらを太陽に♪
まず、映画終了10数分前から感じた、「きみの色」ロス感について。
なぜかな?他者への悪口、悪意から組み立てられるありがちな世界観がないところかな?
映画の人間関係の底が、悪意なき穏やかな所にあるという確証が、映画の世界にとどまりたい、終わってほしくないという、率直な気持ちにつながったのかな?
ふつう、映画ってこれでもか?ってくらいいろんな出来事が起こり、結局一度みただけでは消化できず最後には「やっと終った」が、率直な感想になることが多いのに。
ライブもよかった!観客として視聴しているとともに、
不思議なことに、あたかも自分がバンドのメンバーの一員として観客に視聴していただいているような感覚。
もっと何曲も、、、
トツ子はなぜ、聖バレンタイン祭に、そのメンバーとして参加したバンド しろねこ堂 の
お披露目ライブに親を呼ばなかったのかな?
メンバーのきみや、ルイ は、(育ての親的な存在の)おばや、母親を招待したのに。
その対比として、トツ子はなぜ?という疑問が。
逸れますが、私は発〇~です。結婚し、子供がいます。その後、発〇~と判明しました。
診断名は二つあります。うち、多動性~は、一般的に行動の多動を指しますが、思考の多動もあるのでは?と、思います。(ここが、「神の隠れる場所」を、著すことができた胆と睨んでいます)
トツ子は、親との連絡は必要最小限です。バス酔い確定のいろは坂修学旅行を回避するため、体調不良と偽り一人寮に残り、生徒が誰もいない寮に きみ を招きバレて親に連絡しせざるを得なくなり。ここだけです。
逸れますが、私は極力親に連絡したくありません。ここ10年来、実家の心穏やかではない出来事が原因です。実家のことを思い浮かべると、決まって頭が重くなります。
→あの若さで トツ子も?と、気になります。
以上の文面で、私が言いたいことを、なんとなくつかんでいただけましたでしょうか?
、、、トツ子も?って思います。
そもそも人が色で見える、ということは裏返せば、他人に「青、緑」(トツ子のセリフ)、赤など虹色プラスアルファ位、大雑把な差異しか感じることができない、ということでは?
→水彩絵の具で、鮮やかな赤、青、緑など鮮やかな原色を数回混ぜれば、とたんに灰色になります。
ひょっとしてトツ子は、私と同じように他者の複雑な人間関係から生じる複雑な差異を(まるで色を複数回混ぜるととたんに一様に灰色になってしまうように)言葉で表現できないのでは?それは、同時に自身にも降りかかります。私事ですが、自身に人格が薄いと感じています。
音楽も、然り。私は洋楽のエモーショナルなSoulが好きです。
なぜならほぼ歌詞の意味は理解できませんが、歌声、音階そのものにあふれる気持ちが伝わってくるからです。逆に日本語で、こと細かい心情を表現しました的な歌詞は、上記「他者の複雑な人間関係から生じる複雑な差異は、原色を複雑に混ぜるととたんに一様に灰色になってしまうように」その豊かな音色(彩色)とイコールで結ばれる、見合う適切な表現とは感じることができません。
最後に。映画を見た後、「週末批評」様の論説にも触れました。
、、、トツ子の顔は、長崎原爆後の浦上天主堂の被爆マリアのようにも感じられます。
また、山田尚子監督は、京アニ出身とのこと。
大変大雑把なくくりとなりますが、
身近に起こった理不尽な出来事(京アニ事件)を、長崎原爆に重ねることで、
二ーバーの祈り
「変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与え下さい」
を、引き立てているのかと。
監督自身の心の平穏のために。私を含む、映画を見た方々の心の平穏のために。
少なくとも、みおわってから、私はいつになく穏やかな気持ちが続いています。