いつかの君にもわかることのレビュー・感想・評価
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重いテーマの筈なのだが
人それぞれ背負って生まれてくる運命は違うので
軽々しく人の人生を語れません。
実話に着想を得たこの物語の主人公の悲しみや苦しみは
どれほどのものかは自分は想像できないし、わかった気にもならないけど。
主人公がとてもとても苦しんでいることは理解できる。
多くを語らず、余計な描写がない表現がそれを助けてくれる。
作品を観る者の解釈をより広く深いものにしてくれているように思う。
重いテーマの筈なのに何故か
観終わってホッと安堵しているのが不思議な感じです。
たまたまの偶然にこんな素晴らしい作品に出会えて感謝します。
子育てしていた頃を懐かしく思い出させてくれたことにも感謝します。
マイケル君、かわいい。
多くを描かず、多くを伝える。
主人公のジョンは仕事の窓拭きをしながら、見つめる。
色んな人の生活や人生の欠片を。
(それはもうジョンには手に入らない)
33歳で死を宣告されたらジョンのように、
たった4歳のマイケルの里親を探せるだろうか?
マイケルはいつか大きくなった日に
父親と里親探しをした日々を少しは記憶に残すだろうか?
説明も最小限。
会話も最小限。
たった95分の中に父親の息子への思いが、ありったけ詰まっている。
マイケルが愛おしい。
(こんな愛おしい生きものを残して逝きたくない!!)
“おうちがいい”
“ママはどこ?”
“ようし“って何?
“死ぬとどうなるの?“
マイケルが小さな胸を痛める事柄。
答えるのがとても難しい。
大人になったって、“死の意味“なんか分からない。
マイケルにジョンが遺せるのは、新しい家族だけ。
自分の眼で選んだ最良で最上の里親。
やはり、あの人でしたね。
その人には“愛“が一番感じられたから・・・。
マグカップは誰が
冒頭から全編にわたって、繰り返し窓が映される。
これは窓拭き清掃員であるジョンの視点であり、“一般的で幸せな家庭”との断絶を表しているようにも見える。
しかし、彼らの日常には得難い『愛』があった。
ジョンは優しいだけでなく諭す厳しさもあり、常にマイケルを第一に考えている。
(玩具やパジャマを放り投げられて微笑むことができる親がどれだけいるか)
また、マイケルも幼いながら賢く、父を気遣うことだってできる。
ジョンの余命宣告さえなければどこよりも幸せな家庭であるだけに、なお哀しい。
台詞で語らず、過度な演出をせず、事件も起きない。
だが、ほんの僅かな表情から確かに伝わる。
拒んでいた『思い出BOX』をつくることにしたジョンの変化が。
徐々に事情を察して父の死を彼なりに受け止めたマイケルの変遷が。
最終的にジョンが選んだのは、財力でも経験でもなく、やはり『愛』。
何よりも、自分に代わってそれを注いでくれる相手に託したのは、素晴らしい判断だと思う。
『No.1 DAD』のマグカップは、母の願いか、父の決意か、それとも…
ジョンの病名含め余白も多いが、説明不足ではなく逆に深みが増す塩梅も見事。
事情に明るくない自分には、残念ながらソーシャルワーカーが“思いつく限り破った”『規則』が分からないのが残念。
カフェでの会話も印象的だったので、もっと彼女との関わりも見てみたかった。
【”思い出ボックス”今作は、一人の若き余命僅かな窓拭き清掃人の男が、幼き息子の為に懸命に彼を幸せにしてくれるであろう”家族”を探す、父としての善性溢れる姿を描いた作品である。】
ー 今作では、幼き息子マイケルを一人で育てるジョン(ジェームズ・ノートン)の病名は明らかにはされない。
だが、今作を観ているとジョンが衰弱していく様が幾つかのシーンで描かれる。ー
■窓拭き清掃員として働く33歳のジョンは若くして不治の病を患い、残された余命はあとわずか。
シングルファーザーとして幼きマイケルを育ててきた彼は、養子縁組の手続きを行い、息子の“新しい親”を探し始める。
理想の家族を求め、何組も面会をするがマイケルは中々理想と思える家族には会えない。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・ジョンの腕や首には刺青が有る。そして、彼が言うように4歳までは父親と暮らしていたが、その後は施設や里親の下で暮らしていた事が観る側に伝えられる。
ー ジョンがマイケルを自分のようにしたくない、という想いが伝わって来るのである。ー
・ジョンはマイケルを連れ、様々な里親候補と出会う。
1.裕福な若夫婦
2.何人かの養子を引き取って育てている夫婦
3.若い時に妊娠し、中絶したが故に子供が出来なくなった独り身の女性(夫はいたが自分の子でないと嫌だと言って別れている。)
4.赤ちゃんが来ると思っていたセレブなダブルインカム夫婦。(奥さんは子供を産む意思はない。)
ー 様々な里親候補と出会い、ジョンの迷いは深くなる。誰が、マイケルを幸せにしてくれるのか・・。-
・ジョンは窓拭きの際や何気ない時に、顔を顰め痛みに耐えている。
ー 身体の内部の病による痛み。そしてマイケルと永遠に別れなけばいけない心の痛み。ー
■切ないシーンが続くが、堪えながら観賞。
・公園で死んだ甲虫を突くマイケル。それを切なげに見つめるジョン。
・マイケルはストレートにジョンに問う。”ようしってなに?””いやだ!”
・ジョンの34歳の誕生日に作った型が崩れたケーキに、34本の赤い蝋燭を立てていくマイケルの姿。そして、35本目はジョンの指に握られている・・。
・ジョンが”思い出ボックス”に入れたモノ。
それは”君が免許を取った日に・・”と書かれたマイケルが成長する過程で読んで貰う多くの赤い手紙や、ジョン達を置いて居なくなった露西亜人の母親の写真と手袋。
マイケルの好きなトラック。そしてジョンの窓拭きモップ・・。
<そして、ジョンがマイケルを連れて行った新しい家族。それは、子供が出来なくなった独り身の女性だった。
マイケルが呼び鈴を押し、出て来た女性はマイケルの顔を見て優しき笑顔を浮かべ言う。
”又、会えて嬉しいわ。マイケル。”
ベストな選択であると思う。
ジョンのマイケルを想う気持ちが伝わって来るシーンであり、マイケルも納得しているのだろうと思うシーンでもある。
そしてラスト、マイケルがつぶらな瞳でジョンを見上げる所で物語は終わるのである。
今作は、一人の若き余命僅かな男が、幼き息子の為に懸命に彼を幸せにしてくれるであろう”家族”を探す父としての善性溢れる姿を描いた作品である。>
■今作は、映画館で鑑賞する筈が物理的に厳しかった作品である。
が、矢張り足を運ぶべきであった・・。
切なくも温かい
希望
二度と帰ってこない"かけがいのない今"という時間
自分の短い余命を知ったシングルファーザーが、4歳の幼い息子を委ねられる人、家庭を見つけるために奔走する話。養子を希望する家庭にもいろいろある。未熟者のジョンから見ても心配になるような問題点が多々あるのだ。だから自分の息子を託して大丈夫?となる。マイケルのことを真剣に考えれば考えるほど決められなくなる。
シングルファーザーのジョン自身、恵まれない生い立ちで、里親のもとで育ったのだ。そのジョンが出した結論は?
息子を愛し、将来を案じるジョンの思いは痛いほどわかる。その思いは必ずマイケルにも届くに違いない。父と過ごした時を"かけがいのない時間"として懐かしく思い出すだろう。
悲劇的な状況をことさら強調し涙を誘うような映画ではない。家族とは何か、そして家庭とは何なのかを考えさせてくれる映画である。
パパの親心、切なすぎる
小さい我が子を一人遺して逝くのは辛い。
せめて良い養い親に託したいという親心が切なすぎる。
幼いマイケルにも大変な事情があるのがわかるようで、いい子にして里親候補の家を回る。これも切ない。
養子ではなく里親なのは、マイケルが「ようしはいやだ」と言ったからだろうが、パパもきっとそう。養子だとパパと親子関係はなくなるが、里親ならパパはずっと今のパパだ。
里親候補は、ゆくゆくは養子にしたい夫婦も含めて、全員が今ひとつ。
自己満足やペット扱いではコドモの幸せなんて二の次だろうし、経済的な心配が出そうなのも無理、里親への補助金目当てっぽいのは以ての外。そうすると彼女になるのか。
子供が欲しくて他人の子供でもいいから育てたい一心で離婚までして、里親の資格も取った女性が一番しっくり来たということでしょう。パパ自身が「普通の家庭」を知らないから、現在の自分たちのようなシングルの親ということで、生活が想像可能で判断しやすかったのかも。
ジョンがときどき会いに行く老婦人は彼の里親のひとりなんだろうか。
ジョンが愛情深く思慮もあり、マイケルにしつけができているのは、彼女のお陰かも。
貧しい父子家庭、その上パパは不治の病で余命幾ばくもない、暗く救いようもない話のようだが、周囲が良い距離感で関わってくれて行政の救いの手もあるので悲惨さはない。
関わる人々のジョンへの距離が絶妙で、この距離感はイギリス人的なのかも、と思いました。
悲劇性を盛り上げるような演出もなく、淡々と話が進んでいくが、それが逆に心に染みて随所で泣きそうになりました。
未来の我が子の、節目節目に渡せるように、手紙を書く。
その時を想像しながら。思いを込めて。
大きな束になる。
もうね、号泣するかと思った。
For Michael
4才の一人息子マイケル( ダニエル・ラモント )と暮らす余命僅かとなったシングルファーザーをジェームズ・ノートンが演じる。
映画「 赤い闇 スターリンの冷たい大地で 」の熱演に魅せられたが、この作品でも優しさの中に悲しみをたたえたジェームズ・ノートンの眼差しに引き込まれた。
マイケルに宛てた封書の束に紐を掛けるシーンと、ラストシーンが切ない。
映画館での鑑賞
ようしはいやだ
死を理解しようとしたり,思いやりが芽生えたりして劇中マイケルは少しずつ成長していく。その成長を大切にしたいから,子供をペットやコレクション扱いする人たちでも,ピキパキの意識高い系でもなく,父は彼女を選んだのだと思う。マイケルと一緒に,もがき苦しみながらも成長してくれることを期待して。
演出がいい。幼児に不自然な長台詞や無理なベタ演技を強いる事なく、いかにも「いそう」な男の子としてマイケルを描いている。TVドラマ的情動失禁もなく、闘病の描写も最小限。お陰で鑑賞者の想像力の入り込む余地が充分に確保されていて没頭してしまった。
似たテーマの仏映画「ポネット」もおすすめ(ちょっと古いけど)。
小さな子どもにとって、親は神様。
33歳のシングルファーザー、ジョンが、余命宣告を受けて、4歳のひとり息子、マイケルを託す里親を捜すストーリーということで、しっかり大判のタオルハンカチを持って行った。
けれど、思いのほか、涙は出なかった。
ジョンは、とてもマイケルを大切にしていると思う。
けれど、ジョンの場当たり的な生き方に翻弄されるマイケルへのやるせなさがそれを上回ってしまった。
「あれこれ俺に言うけど、親父こそ、ダサい生き方してんじゃん」と中学生くらいのマイケルには、言われそう。
小さい子どもにとって、親は、自分の生殺与奪権を持つ神様みたいな存在。
子どもは、自分が過ごす家庭環境が当たり前だと思い、親に愛されないと生きていけないという本能的な勘から、親を心の底から欲し、愛す。
子どもは、大好きな親のそばで、愛されて成長するのが一番。
そのことをちゃんと分かった上で、ジョンには親になって欲しかったな。
まあ、でも、余命宣告を受けてから、マイケルのために必死に今できることに取り組むジョンには、心が動いた。
マイケルのこれからの人生が幸多いことを心から願った。
父が追い求めた理想的な家庭とは
余命いくばくもないジョンは幼い息子マイケルのために里親探しに奔走する。だが、彼の求める里親はなかなか見つからない。
最初は直感的にわかると思っていた。最愛の息子を託せる家庭は見ればわかると。しかし、それがわからない。自身も里親のもとで、また施設で育ち、暖かい家庭を知らずに育った彼には真の理想的な家庭像が描けないのだ。
きっと彼がマイケルを託せるのは彼自身がこんな家庭で育ちたかったと思える家庭なのだろう。両親が揃った暖かい家庭で育ったなら自分はこんな人生をたどらなかったはず。息子には同じような人生を歩ませたくない。しかしそれはどんな家庭なのか。部屋中オモチャにまみれた家庭なのか、高い教育を受けられる裕福な家庭なのか。
そして最後の最後に彼が選んだ里親はかつて自分の産んだ子を手放した単身女性だった。自分の子を自分の手で育てられなかったことを悔やみ続け、離婚してでも養子をひきとり自分の愛を注いで育てたいという女性。
ジョンはその女性に片親で子を育ててきた自分と同じものを感じ取ったのかもしれない。
本作は親の子への思い。そして死生観についてもテーマになっている。
ジョンは自分の死を息子マイケルに伝えるべきか悩む。幼い息子に死を受け入れさせるにはあまりにも酷なためそれを告げずに息子の前から静かに去ろうとも考えた。しかし死期が近くなるにつれ彼自身に変化が起きる。以前は顧客の老婆から聞いた亡くなった夫の話を聞いても実感がわかなかったが、それを次第に理解できるようになる。
彼の中で死への受け止め方が変わったのだ。けして死は恐ろしいものではなく悲しいものではないということを。それを悟ったからこそ彼は息子に自分の死を伝えられたのだろう。
ここにパパはいないけど天気の日には暖かい太陽の日差しの中にいてお前を温めてあげる。雨の日には雨粒の一粒一粒にいてお前を濡らしてあげる。ブドウを食べるときにはその味の中にいてお前の舌を満たしてあげる。
日々生きてゆく中で常にお前の感じる中に父はいるのだと教える。生きている限りパパを感じられるのだと。
前半からはやくも涙をこらえるのに必死で、終盤あたりは嗚咽が漏れるのを抑えるのに必死だった。まさに声を上げずに号泣した。ここ十年で一番泣かされた作品だった。
静かな映画♫
結果は良い映画♫
静かで深い映画でした。
テーマは『折り合い』その過程を静かに描いた作品だと感じています。
東欧の歴史的背景や宗教観と宗教教育変遷。地理的な内容等、
演出と主人公の演技で表現されています。
その背景を持ちつつ、テーマは普遍的な内容を中心に置かれている。
そこがこの映画を僕が好きなポイントだと感じています。
ラスト10分まで僕自身は監督が核にしているテーマを掴みかねていましたが
ラスト10分で・・・『あーーーあーーーそっかーーー』って思いました。
それはどこの国でも・・・共通に感じる事ができる事かもしれないし、
そうじゃないかもしれないんですが。。。。
※あくまで個人の妄想です。
個人的に『あーーー』って思ったシーン①
『借りた絵本にマイケル(子供)と一緒になって、むしろ率先して落書きするシーン』
ここから、パターナリズムからの転換『君(マイケル)を信じるよ』という姿への変遷。
ここに至る過程を描きたかったんだなぁ~って勝手に受け取りました。
それは同時に『死』に対する『折り合い』であったと感じてもいます。
後、好きなシーン②
研修ソーシャルワーカーとのシーンで泣きながら、
『ウォッカ2杯ですべて解決』という台詞(うろ覚えです)
を葛藤を抱えながら伝えるシーン。
個人的に演出と主人公の演技が素晴らしいと感じました。
マイケルの存在と表情、演技が沁みます。
研修ソーシャルワーカーの女性に共感しました。
※この女性登場シーンはこの家のお嬢さん??って思いましたが(^^;
マイケルの瞳に吸い込まれた‼️❓
シンプルに刺さります
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