波紋のレビュー・感想・評価
全158件中、81~100件目を表示
筒井真理子さんが唯一無二になってきた
筒井真理子さん、可愛いね。フランスの女優さん達が何歳になっても可愛いと思って観てたんだけど、筒井真理子さんがそんな感じになってきた。
プールで泳いでるときに「別の若い女優が登場するのかな?」と思ったら筒井真理子さんだったの。
表情の演技が多かったんだけど、笑うところから睨むところまで、どれもいいの。
内容を追いかけるというより、筒井真理子さんを観てたな。
そして出てくる女優がすごいね。
新興宗教のシーンでキムラ緑子が教えてて、よく見ると江口のりこと平岩紙がいるし。
パート先で知り合うのは木野花で、近所の奥さんが安藤玉恵。
女優の名前を並べたら、大体どんな映画か分かるよね。
映画の内容は、公式Webサイトに監督コメントがあるから、それ読めば分かるの。
それ読んで分かるなら、映画観なくていいじゃないかという気もするけど、やっぱり作品観た方が伝わりそうなものはあるね。
でも観てるときは、そこまで伝わんないんだよね。なんでかというと僕が男性だから。
女性が観たら「わかる」と共感するシーンは多いと思う。
これは観てる側の問題意識の低さが原因の大半ではあるんだけど、物語の造りが「わかりますよね」「わかります」と、無意識にだと思うんだけど、共感に頼ってるところもあると思うの。この辺ってどうしたらいいんだろうね。
観終わってから色々考えるとして、観てるときは筒井真理子さん観ていればそれでいいというのもあるから、観るのがいいと思うよ。
筒井真理子 色っぽいね💕
自立して、自由に生きろ、主人公!
やばい、泣くつもりはなかった。
いい映画だった、予想以上に。
自立していてこそ、誰かを支えることができるし、搾取される側にならずにすむ。
幸せは自分でつかむ時代になってきていると実感。
だれでも、何かのきっかけでぷつっと崩れる瞬間があるのかもしれない。
そんな時に、家族に限らず、互いに支え合える人間関係があればいいなと思った。
宗教を信仰することを否定はしないけれど、盲目的に信じて、ガラス玉みたいな目になるのはイヤだな。
私は、神様や人間、人工物ではなく、山や森に一番癒される。
日本の自然は最高です!
定期的に山に出かけての心身浄化は、お布施もいらなくてリーズナブルです。
最後のフラメンコ踊るシーン、よかった。
息子には息子の人生がある、主人公にも主人公の人生がある。
執着を手放して、人生を楽しんで欲しいものです。
最後はきみ…
って、今、いいましたよねぇ〜?修さん。
こんな文句もあのシチュエーションで耳にしたら、依子でなくとも固まる。
いや、よくそんなことが言えたなぁと言いたい。
夫はあくまでも悪気なく、そのまんま〜な感じで。。。
だからこそ、その一言が2人の終わりを告げたも同然だったのでしょ??
足と頭、頭と足で寝るベッドも、
イビキの爆音で、まどろみも爽やかさもない朝も、気になったらなりっぱなしの食べ方も、家出夫の義父の介護と葬式をひとり担当することになっても…。
更年期の不調を騙し騙し…家庭でも職場でも、なにがあろうと毎日の自分の持ち場をこなしてきた依子。
ないものをあるように
あるものをないように
生きるって
波紋の中をすすむこと?
がんばれちゃうほど
強そうにみえるほど
心に蓋をするのが得意になって
たまには
無視したり遠ざけたりしてもいい波紋まで引き寄せて
休んでいいのに無理にすすもうとして
たいへん
何も気づかないまま逝った棺から転がる夫をみて笑う妻になっちゃった!
それでも話をきいてくれる人を求めてただけましなのかも…とも思う。
だけど、もう水晶も緑水もいらないみたいね。
あれだけ整えていた枯山水の箒目を蹴散らしながらの喪服フラメンコ💃🏻
紅い半衿と裾よけがビビットな依子の今を象徴するような過去の波紋への訣別にみえた。
あとは東京の依子さん、九州の拓哉とたまちゃんが(すっきりした依子といい距離感で)幸せに暮せますようにと祈ってます、私。
ブラックな笑いを散りばめながらも、深刻な波紋の存在が胸に押し寄せる作品でした。
謎の緑命会
緑命会とはどういう宗教なのか?家の中には水のペットボトルが並べられ、祈りの時にはその水をスプレーで吹きかけている。水を大切にしているようだが、庭は水を一切使わない枯山水になっている。枯山水というのは禅宗から来ているらしいが、信仰とは関係ないのか?いずれにせよ、依子にとって緑命会は、祈ることによって心を鎮め、勉強会で信者と交流することによって救われるものになっているので、文句のはさみようはない。緑命水は大量に購入させられるかもしれないけど、悪質な系譜の中にある宗教ではないのだろう。
依子の目が印象的だ。特に旦那を見る目はこれでもかとばかりに軽蔑した眼差しになっていて面白い。心は離れているのに夫婦でいることのつらさを感じる。あんな目でいつも見られていたらたまらない。筒井真理子という女優は見たことある程度で詳しく知らなかったが、演技の幅が広く、気品のある女性の役から悪女役まで演じ切る技量の高さが評価されているらしい。
障害者差別は露骨であった。依子が清掃員に息子のことを相談する際「五体満足に生んだのによりによって障害者を結婚相手に選ぶなんて」とか、聾唖者の結婚相手に直接「息子と別れてください」とか。
震災、介護、新興宗教、障害者など社会問題をいろいろ盛り込んでいたが、どれも中途半端な印象だった。個人的には新興宗教をもっと深堀してほしかった。
人類みな異常
似非宗教
誰しもが悲しみを背負っている。
「川っぺりムコリッタ」では人との絆が悲しみを癒してくれたが、今作の主人公は似非宗教でしか救われない。
似非宗教でも信じてなければ、やっちゃってただろうな。
似非宗教にしか救われないところが救われない。
主役の筒井真理子さんをはじめ、メジャー化したミニシアター系俳優さんたちの演技はさすがに素晴らしい。
見ていて飽きない。
柄本明の役は柄本明でなくてもよかったかな。もっと何かあると期待してしまう。
途中で入る音はフラメンコのだったんだ。納得。
ただ、最後のシーンは良かったけれどもっと違う形で終わってほしかった。それまでがあまりにもリアルだったから。
絶望を笑えってコピー、秀逸ですね。
こぢんまり
要介護の父を含む家族を捨てた夫が10年ぶり?に帰ってくるが、末期ガンだと言って居座る。その間に義父を看取り、当時高校生だった息子は大学を出て地方で働いている。主人公は今は怪しい宗教にハマって心の安寧を得ているが、その日常をかき乱されて…というストーリー。
A24映画なら絶対起きるカタストロフィーは、起きません。筒井真理子だけど。
我慢すること、規範に合わせることが生き方の主人公は予想外の事柄に苛立ち、宗教にすがってさらに「我慢・自己犠牲」の道に進もうとするが、パート先で知り合った清掃員に、好き勝手をそそのかされてそうしたら楽しくなってきて…
でも、身の破滅は起きません。
そもそも、稼ぎ頭が失踪しても、宗教に入れあげても、破産もしてない。貧乏にもなってない。(「星の子」はそのあたりどんどん宗教に吸い取られている様が暗示されて、キツイ)
宗教も、本山参りとかそういったイベントも大金を吸い上げられるシステムも(水以外)なさそうで、ユルいサークルみたい。
息子とは恋人のことでもめたけど、葬儀にはきちんと帰省してくるし、嫌みな隣人も嫌な客も「夫が癌なんです」で引き下がる程度の良識ある人間。なので主人公はそれ以上攻撃的にならずに済む。
自由を唆した清掃員も、あおってる途中で入院し彼女が心に傷を負ったただの自分勝手な人ではないと示唆され、主人公の良識で立ち直りかける。決して主人公が破綻するまで導かない。
…というわけで、全体的に小市民のイラッ・クスッが詰まった破綻のないストーリーです。せっかくヤバそうな俳優さん集めてるのに、寸止め感ハンパない。
A24的な、そういうの期待してる人にはちょっと物足りない
ラストシーン
高齢化社会が抱える問題点をえぐる
もっと厳しい設定が!
切磋琢磨より(オレ!)
荻上直子監督・脚本を手がけ、
震災、老人介護、新興宗教、障害者差別といった
現代社会が抱える問題に次々と翻弄される更年期主婦の姿を描いた人間ドラマ。
それは主婦だけではなく、
各世代が遭遇する社会問題であり、
独り身となった女性が回避できるのは信仰だっかも知れない。
しかぁし、
本当に解決できるのは恨みを晴らしたり、
信仰に没頭するのでもなく、
流れた水は、
水に流し、
波紋が出ない枯山水となるまで寛容し、
水を出さなくなったら、
本当の自由を(オレ!)
とっても嬉しい作品でした。
^^
須藤依子は「緑命会」という新興宗教を信仰し、祈りと勉強会に励みながら心穏やかな日々を過ごしていた。
そんなある日、
十数年前に失踪した夫・修が突然帰ってくる。
自分の父の介護を依子に押しつけたままいなくなった修は、がんになったので治療費を援助してほしいという。
さらに息子・拓哉は障害のある恋人を結婚相手として連れ帰り、
パート先では理不尽な客に罵倒されるなど、自分ではどうしようもない苦難が次々と依子に降りかかる。
湧きあがってくる黒い感情を、宗教にすがることで必死に押さえつけようとする依子だったが……。
^_^
本当に冒頭の「拍手」を聞き逃すな。
もっと修羅場があっても良かったのでは?
静かな水面のように平穏な生活を望んでいた主人公が、更年期障害に苦しみながら、夫や、息子や、パート先の客や、隣家の猫によってストレスを溜めていく様子は、観ているこっちも息苦しくなる。
主人公を救うことになるのが、それまで頼ってきた水にまつわる宗教や枯山水の庭ではなく、職場の清掃員のおばさんのアドバイスであるというのは面白い。
波風を立てることを恐れて我慢するのではなく、やりたいようにやるのが一番だというのは、その通りだと納得させられた。
当事者同士が、感情を露わにして言いたいことを言い合う様子を、水面上の波紋と重ね合わせるイメージ描写も、分かりやすくて効果的である。
ただ、夫に復讐するはずが、結局は高額な薬代を払ってやったり、聴覚障害を持つ年上の女性と息子との結婚の件も、本音と建前の折り合いをつけないまま、なんとなく丸く納めてしまったりで、どこか不完全燃焼な感じが残る。
夫が亡くなった後に、雨の中でフラメンコを踊る主人公の姿は、確かに解放感に溢れているのだが、その一方で、「夫を許したのではなかったのか?」とか「夫が死ぬことですべてが解決したのか?」といった疑問も残る。
何よりも、まったく伏線がないままでのいきなりのフラメンコには、唐突感を禁じ得なかった。
もっと爆発させて、平場で生きづらさを抱えて生活する等身大の女性たちに解放感をもたらし、新たな一歩を促す象徴的映像とすべきでした。
楽しい絶望、明るい虚無。矛盾しているが、そんなふうに呼ぶしかない。荻上直子監督の新作は、「かもめ食堂」などのこれまでの作品とは印象が違う。強烈なブラックユーモア。どす黒い恐怖。それらが混然一体となり、ひたひたと、静かに押し寄せてきます。グロテスクで奇怪なスリラーであり、コメディーでした。
物語は東日本大震災から始まります。水道水汚染の風評が立ち、ペットボトルの水を求めてスーパーに殺到する人々。寝たきりの義父をひとりで介護させられている依子(筒井真理子)は、ひそかに義父の食事に水道水を使います。
ひとり息子、拓哉(磯村勇斗)はいかにも頼りなさそう。造花を植えたような綺麗な庭を造り、水を撒いていた夫の修(光石研)は何も言わずに姿を消すのです。
あれから11年。かつて義父は死去し、夫失踪の家から舅の葬式を出し、依子はスーパーでレジのバイトを始めて、1人で穏やかに暮らしていました。
ある日、そこに突然、11年前に父親の介護を依子に押しつけたまま失踪した修が帰って来るのです。彼が見たのは、自分が花壇を作っていた庭が、石と砂の枯山水様式の庭に変わっていた姿です。また部屋の至る所に得体の知れぬ水が入った瓶が並んでいたのです。そしてリビングには立派な祭壇。
「親爺に線香を上げたい」と言うと「半年も前のことよ」と依子。「拓哉は?」「九州で就職したわ」。夫婦の会話は噛み合いません。
がんになって高額な治療費が必要な修が、「実は癌で」と切り出せば「え、ご飯食べる?」。それでも、昔と同じ味のらっきょうが食卓に出てくるのです。
しかし、遺産相続が目当ての夫の帰宅と知るや、ますます冷たくなる妻の態度。家庭という内側は、とっくに崩壊してしまっていたのでした。それでも外側の“家”には、執着しているふたりでした。
失踪の理由もろくに話さず無神経に振る舞う修に、依子は殺意を抱きます。さらに、遠方で就職して家を出た息子の拓哉(磯村勇斗)が、聴覚障害を持ち、六つも年上である恋人を結婚相手だと連れてきます。これには依子は差別感情を抑えられませんでした。加えて更年期障害にも悩まされます。追い打ちをかけられるようにパート先では癇癪持ちの客(柄本明)に期限が切れているから半額にしろ!と大声で怒鳴られることに。
いらつくと依子は、修が見た得体の知れぬ「特別な水」を飲み、頭にスプレーして落ち着こうとするのです。
夫が家を出てから依子が心のよりどころとしたのは宗教でした。彼女は“緑命会”という新興宗教にのめり込んでいたのです。そこで勧められるままに、特別な力があるという水のボトルを家中に置いていたのです。そして、毎朝、庭に波紋を描いて心を紛らわそうとしていたのです。
専業主婦の彼女は、更年期の不安定な心と汗ばむ体。倦怠期の人妻の押し殺した感情は波紋のように拡がり、理解不可能な女の沈黙に、男とすれば逃げ出したくなる怖さをかんじてしまいます。
依子とすれば、新興宗教にすがったあげく、過分の寄付もし、世間体を憚り、さりげなく振る舞うのが、精一杯でした。指導者からの夫を赦しましょうという言葉にも素直に従おうとするのです。さらには信者と共に集まって、珍妙な歌を歌い踊ります。張り付いたような笑顔で心の奥底にある悪意を隠そうとするのです。でもやがて追い詰められ、隠しきれなくなるのでした。その姿は実に滑稽ですが、同時に狂気をはらんで恐ろしかったです。
自分ではどうにも出来ない辛苦が降りかかる。依子は湧き起こる黒い感情を、宗教にすがり、必死に理性で押さえつけようとする。全てを押し殺した依子の感情が爆発する時、映画は絶望からエンタテインメントへと昇華するのです。
そんな生々しくゆがんだ日常が、水のイメージを連ねてスタイリッシュに描かれます。枯山水の庭、プール、コップの水、そして依子が幻視するシュルレアリスム絵画のような波紋の広がる湖…。音楽の代わりに時折、フラメンコのパルマ(手拍子)がパンパンと鳴り響きます。依子が庭に描く枯山水の美しい波紋は、何度も何度も乱されることに。
夫に義父と共に置き去りにされた依子を、被害者として描かないところがいいでしょう。時に意地悪く、そして実は自己中心的。夫や息子の婚約者ら周囲の人物と合わせ、一筋縄でいかない人間の心の内に分け入る手つきが鮮やかです。
一方で、放射能汚染。ひとりで担う「ワンオペ」介護と家族の確執。旧統一教会問題を思わせる新興宗教。カスタマーハラスメント。障害者差別。震災から様々な問題が波紋のように広がり、依子をほんろうします。それらは誰もが多少なりとも共有する現実の問題でもあるのです。でも詰め込みすぎて、いささか窮屈な感もしました。
ラストシーンで、依子は抑えていた感情を爆発させる。心が壊れてしまったのか、解放されたのか。青空なのに雨が降りしきる不思議な光景には、低予算映画のそれを連想し違和感を感じました。奇妙に晴れ晴れとした依子の表情によく似合ってはいましたが(^^ゞ
中途半端にも思えたのです。もっと、高らかに響かせよといいたいです。
依子にとって「以前の色とりどりの造花の庭」も、「黒白の様式美にとらわれた枯山水の庭」も、どちらも気取った生活に過ぎなかったのです。そのどちらも打ち捨てて、切り替えの場面で、聞こえてくるフラメンコの足拍子を踏みならし、人生の道をひとり進む決心をするのがこのシーンの真骨頂といえます。
ならばこそ、もっと平場で生きづらさを抱えて生活する等身大の女性たちに解放感をもたらし、新たな一歩を促す象徴的映像とすべきでした。それをこの女の特殊な事情に狭めてしまうのは、いかにも残念です。監督自身女であることが息苦しいと告白するのであれば、その絶望も自嘲も振り切って、激しく爆発する力に転換できなかったのでしょうか。そうすれば、「波紋」は、更に大きな渦となり、女たちへのエールとなったことでしょう。
最後に信仰を持つ立場から評価しても、もどかしい結果になってしまいました。荻上監督は前作の『川っぺりムコリッタ』では明かに強いあの世への関心を示しました。しかし、それは宗教の世界にどっぷりつかそうとするのでなく、まるでウィンドゥショッピングを楽しむかのように、店先からのぞき込むようなスタンスだったのです。
今回取り入れたなんか変な新興宗教団体の描き方も、そんなに批判的な視点ではなく、どことなく、外部からのぞき見ているかのような描写でした。そして本作の核心となっている「許せざる夫への赦し」という宗教的なテーマも、ただ怒りをフラメンコダンスで解消するだけでは不十分です。なぜイエスさまは汝の敵を愛せよの告げたのか。なぜお釈迦さま慈悲を説かれたのか。「自他は一体」であるという魂の本質まで突き詰めてこそ、赦し合うことが腑に落ちてくるのです。
荻上監督がそんな人生の真理の門を叩こうとしているスタンスは理解できます。ムコリッタを越え、刹那を越えて、次はどんな監督なりに悟った境地を見せてくれるのか楽しみにしています。
全158件中、81~100件目を表示