対峙のレビュー・感想・評価
全99件中、21~40件目を表示
究極の密室会話劇(プライム配信開始されたので必見すよ)
公開していた劇場が少ないのがとても勿体無い良質作品です!
内容があまりにも重過ぎて 鑑賞後にとりあえず椅子から立つのすら呆然としてしまい放心状態になるような内容で、簡単に結論の出ないテーマなので色々と考えさせられますよ。
子供の居る親ならマジで2、3日余韻で何も出来なくなるレベルだとおもいます!
会話のみで回想シーンや事件のシーンが全く無くて
ここまでやるのは凄いですね、普通ならそういうシーンありますから!
あと 導入部分で被害者と加害者と親がどっちかという説明が一切無いから 会話を聞きながら見てる人が探っていく作りも面白かったですね。
あとクライマックスは劇場全員泣いてました(悲悲悲)
対峙はクロースって作品にも近くて加害者と被害者の対話の話というのは同じでしたね。
以前感想書いていてパスワード忘れて使えなくなった お主ナトゥはご存じかの ほうに
詳しく書いてるので 暇な方は是非(ペコちゃん招き猫の写真は一緒)
緊迫感
重いです。とても深刻で重い映画。
ざっくりは予習していきましたが、不要でした。
事前に知らない方が良かったかもしれません。
アメリカでは、残念ながら珍しくない学校での銃乱射事件
6年の時を経て、どちらも息子を失った被害者と加害者の両親がテーブルを挟んでまさに「対峙」する映画
どんな会話になるのかとこちらも固唾を飲み、時に涙しながら見ました。
初めは、理性的にはじまり、魂の叫びがぶつかり合うような緊迫の約2時間
演者の演技力なくしては、成り立たない作品です。
なんとなく、他人事のような加害者の父
精一杯いろいろなことを言っていても、距離があるような・・・
初めと終わりの教会職員のちょっととぼけた感じに少し癒されました。
なんとなく「また?」と遠い国のニュースとして見ていたものが
加害者、被害者一人一人に同じような背景とストーリーがあり、残された家族の苦悩があることを改めて感じた作品でした。
「赦し」の意味 もしかすると「赦す」ことによって、前に進める、解放されるのは被害者の方かもしれない。
後から、被害者の父を演じていたのが、ハリーポッターのルシウスマルフォイを演じた役者さんとあとで知り、役者さんってすごいなあ・・・と個人的に感動しました。
題材は重く、鑑賞後も投げかけられた問いについて考えさせられる一作
米国のある高校で起きた銃乱射事件の被害者遺族と、事件直後に自殺した犯人の男子学生の両親が対面し、事件について互いの思いを語り合う様子を描いた作品です。
題材が題材だけに、楽しい気分で劇場を後にするという鑑賞感はまず期待できず、気分が沈んでいる時の鑑賞は一考を要します。
ほとんどの場面は同じ教会の一室、登場人物もほぼ二組の夫婦に限られているにも関わらず、終始緊迫感の漂う彼らの表情、そして言葉一つひとつの重さに、画面から目を逸らすことが難しいほど。
本作が投げかける問いは、「乱射事件を起こすような人間は”異常”なのか?」、「その異常性を事前に察知可能なのか、その察知と対処の責任を、近親者は負うべきなのか」など、鑑賞後も繰り返し問い直したくなるものばかりです。
「私たちは何かを間違えた。しかしいつ、どう間違えたのかがどうしても分からない」という加害者側夫婦の言葉は非常に考えさせられるものがあります。ドキュメンタリーと見紛うような作りですが、ちょっとした仕草が後の描写に活かされたりと、作劇的な工夫も盛り込まれていて、劇映画としての作り込みも実感することができます。
結末については、犯人像のより別の側面を浮かび上がらせた、という見方と、本筋の明確さをやや損なったという見方など、いくつか見解が分かれそうです。どのような結末となり、それをどのように解釈可能か、是非ともご自身の目で確かめて欲しいところです。
対話による探り合いや究明という普遍のドラマをミニマムに作った傑作
ほぼ時間いっぱい、高校で起きた銃乱射事件の犠牲者の両親と加害者の両親との対面が描かれる。事件の概要も4人の対話が進むうちに徐々に観客に知らされるという構成。
犠牲者の両親側は極力感情を抑え、同じ「子を持つ親」という立場から、何故子が凶行に走ったのか、その兆候に気付けたのではないか、と相手の見解を聞こうとするが、加害者の両親側は、捜査時に話せることは全て明かし終えているという姿勢をとったり、世間からのバッシングの果てに淡々とした態度をとったり、はたまた「子を持つ親」として子を失った被害者遺族の痛みに過剰に寄り添おうとする。
その両者の空回りとすれ違いが冒頭から強い緊張を生み、物語を牽引していた。
凄惨な事件と対話を「誰が悪い」「何が悪い」という論調に持って行くことなく、子の成長においてどこにでもある場面を想像させることで、観客にも事件とその成り立ちを「他人事」にさせない構成が見事だった。
全員が得たいものを得られた時間になったとは言えないかも知れないが、彼らにとって、事件から前に進むためにプラスの時間になったことが救いだった。
点数はつけられません
作品の良し悪しの問題ではなく、
内容的に点数をつけ難い作品でした。
また、ほぼ全編ワンシチュエーションかつ
2組の中年夫婦の対話劇のため集中力が必要不可欠です。
.
.
通常、親というものは精一杯の愛情を子どもに注ぐし、
なにかしら異変を感じれば、原因を追究し
最善の措置をとるべく、動くものだと思っています。
(そうじゃない毒親もいますが…)
.
しかし
何がきっかけで凶悪犯罪に手を染めることに
なってしまったのか、本当に親はその小さな異変に
果たして気が付けるものなのでしょうか。
子どもたちのサインは見逃さないという
絶対的な自信はどこから来るのでしょう。
親を思う子どもほど、気づかれまいとするのではないかと…
未成年の犯罪には親が原因であることのように
言われがちだけれども、それってどうなのかな。と
本作を観て、ふと思った次第です。
.
.
また、これは宗教的な思考もあるかもしれませんが
自分が被害者側の親であれば
とても「赦す」ことはできないだろうと思いました。
当然、加害者家族もですが担任や学校、世の中全てを
呪ってしまいそうです。
ラスト、あの被害者の母親はとても苦しそうに
でも前に進むために大きな決断をし「赦す」と言いました。
正直、自分には何年経過しようと言えない言葉のように思います。
ただ、その分、自分も救われないのかもしれません。
.
.
やはり第三者としての立場でしか観ていないため
安易に加害者側・被害者側、
どちらの意見も理解できるとは言えません。
『対峙』鑑賞。傑作! 対話により開放されていく心と、少しだけ前に進...
『対峙』鑑賞。傑作! 対話により開放されていく心と、少しだけ前に進み始めた時間。つい忘れがちだか、向こう側に歴史と愛情があって。とてもとても濃厚な2時間だった。
「手紙」も良かった
沢尻エリカがピュアだったからじゃない、映画の内容が感動したからだ、えこの映画?観たい、加害者になっても被害者になっても傷つく、身体以外に心まで傷つくのは人間だけだと思う、何故かって?植物や昆虫には心がないでしょ?WWWW………(動物とかワンチャンあるかも…)
時に息苦しさを感じながら圧巻の演技を堪能
アメリカの高校で実際に起きた銃乱射事件の被害者の両親と加害者の両親が、6年後に集まり対話する映画。
観終わった後、しばらく包然と座っていました。
私も同じ母親として、どちらの母親の気持ちもわかるんですよ。
それだけにつらくてつらくて。
ゲイルが「息子を近くに感じたいから、あなた達を赦します。ヘイデンのことも、赦します」と涙ながらに言葉を絞り出すシーンは涙腺崩壊。
憎しみは何も生まないんですね。
この2人は、6年間苦しみ倒して、このためにこの日ここに来たんだ。
でも一方で、加害者の両親も、この6年間どれほどの非難と誹謗中傷に晒されてきたか。
何を言っても、聞いてもらえない事もあったろう。
思春期の悩み?コミュ障の末路?子育ての失敗?
我が子がまさか人殺しになるなんて。
「いっそのこと、息子は生まれてこなければよかったのかもしれない」と、父親。
こんな事、そう口にできない。
どちらも、我が子を愛していた気持ちは同じ。
それだけに、やるせない。
でも、LIFE GOES ON.
生きていかなくてはならない。
ラストに流れる讃美歌のタイミングが・・・
ここで歌声が、その歌詞が、心に沁みる沁みる。
それにしても、4人の演技の素晴らしいこと!
BGMもなく、9割のシーンが部屋の中の会話劇。
誤魔化しのきかない丸裸の作品です。
ブラボー!
緊張感が持続するスリリングな会話劇
ある事件によって息子を失った被害者の両親と、その事件を引き起こした加害者の両親の対峙をスリリングなダイアローグで綴った作品。全編ほぼ4人による密室会話劇となっており、終始ヒリつくような緊張感が持続する作品である。
普通であれば裁判に訴え出るのが筋だろうが、被害者の両親はそれだけでは気が済まなかったのだろう。法の裁きではなく、直接会って加害者側の口から事件の背景や謝罪の言葉を聞きたかったのだと思う。裁定人の計らいで教会の1室を用意された彼らは、そこで初めて対面することになる。
なるべく事前情報なしで観た方が良いと思うので敢えて伏せるが、そこには裁判だけでは単純に割り切ることのできない被害者側の憎しみ、やり場のない怒りが相当強く残っていたことが分かる。彼らの心中を察すると不憫極まりなかった。
映画は二組の両親のやり取りをフラットに描いていくが、中盤に差し掛かるあたりから徐々に夫々が貯め込んだ本音が露わになり激しい口論に転じていく。
被害者側には息子の理不尽な死への怒りと悲しみがある。一方、加害者側にも彼らにしか分からない苦悩があったことが分かってくる。夫々の悲しみ、悔恨、苦悩が約100分間、熱量高く表現されていて最後まで画面に引き込まれた。
監督、脚本はアメリカ人俳優フラン・クランツ。フィルモグラフィーを見ると、M・ナイト・シャマランの「ヴィレッジ」やホラー愛に溢れた「キャビン」といった作品に出演したということだが、申し訳ないがまったく印象に残っていない。そんな彼が初めて撮った作品が本作ということだ。中々どうして、初監督作とは思えぬほど、しっかりとした作品になっている。
全編会話劇というスタイルのため、映画と言うよりも舞台劇に近い作りになっており、演出的な面白みには欠ける作品かもしれない。しかし、演者の細かい所作を漏れなくキャッチしつつ、丁寧に緩急をつけたところは見事で一瞬も退屈する暇はなかった。
また、意味深に映し出される有刺鉄線に結ばれたリボンのカットは、本作で最も創意に満ちたキラーショットと言えよう。様々な想像を喚起させるという意味で非常に興味深く読み解ける。
更に、映画は4人を迎え入れる教会の職員の視座から始まるのだが、これがシリアスな物語に適度なユーモアをもたらしている。観客が映画に入り込みやすくするための第三者的視点という役割も持たされており、このあたりの工夫は実に上手いと思った。
ただ、映画の締めくくり方は教義的な感じがして、個人的には少し安易さを覚えた。そもそも対話の舞台を教会の1室に選定した時点で、これは最初から狙ったことなのだろう。いかにもアメリカ映画らしい。
尚、本作を観て故・小林政弘監督の「愛の予感」という作品を思い出した。「愛の予感」も、事件の加害者と被害者の親が対峙するという物語で、セリフを排した静謐で実験精神あふれる作品だった。セリフの応酬で畳みかける本作とは真逆で、感情を心の奥にしまい込む日本人の気質がよく表れており、両作品を見比べてみると色々と興味深いものが見えてくるかもしれない。
これから先も生きるため
高校生乱射事件、4人の家族が小さな教会の一室で被害者の両親と加害者の両親の対話劇は凄かった。
事件の回想も無く4人が話し始めるのだが何方の両親なのかは分からない。
互いの子供の様子を語り合いはこれから生きて行くための対峙だったのでしょう。
互いの息子について話そうと話しが進むのだが話しがヒートアップ、ギリギリの凌ぎ合いが続く、音楽も無く時には語る人だけの音声となり緊迫した雰囲気が居た堪れない。
銃社会の米国社会の現実を当事者のみで語り合う考えさせられる映画でした。
何方の両親は予想も出来ない事件の真相親の目から語る姿に涙が出て来てしまいました。
日本ならこうはいかない
2023年劇場鑑賞61本目。
無差別銃乱射事件の自殺した犯人の親と殺された親がセラピーのため対話するという話。さすがに完全に対等な立場で話すというわけにはなりませんが、加害者側の方も結構思ったことをどんどん話していくのがアメリカ的だと思いました。日本だと親が責任取って死んで詫びろみたいな風潮もあるくらいなので(自分は全くそう思いませんが)日本で同じシチュエーションにしたら片方が謝り続けて映画にならないんでしょうね。
これは凄い傑作
役者、シナリオ、カメラワーク、演出、企画どれをとってもピカイチ。地味な話ではあるがどんどん引き込まれる話に涙が止まらない。
赦し、赦される構図が素晴らしく、キリスト教会での話も、ラストの賛美歌も素晴らしい演出。
この映画をできるだけ多くの人に観てもらいたい。そうすればその中が少しでも良い方向に行くと思える映画。
深刻で、濃密で、圧倒的な会話劇
俳優のフラン・クランツが脚本を兼務した初監督作品…とのこと。
ちょっと、驚きの作品である。
とにかく、会話。
2組の夫婦による会話が延々と繰り広げられる。
加害者の両親と被害者の両親が「対峙」する物語であることを事前に知っていても、事件の内容や当事者の状況などは4人の会話を追っていかないと見えてこない。
説明的な台詞は一切なく、最初はどちらが加害者側かすら判らない。
一方から子供との思い出を話してくれと言われ、「なぜ?」と相手側が尋ね返すと、その妻が「ウチの子を殺したからよ!」と語気を荒げて言う。
静かに始まったこの映画で、最初に緊張が走る場面だ。
序盤、2組の夫婦と夫婦の間で、あるいはそれぞれの夫と妻の間で、牽制しあうような会話が展開し、それだけでは意味を理解できない。
そして、前述の会話の後、親たちの悲痛な体験が徐々に明かされていく。
狭い部屋の中で、基本的に4人はテーブルを挟んで対峙しているが、被害者側の夫がテーブルを回り込んで加害者側夫婦の後ろで水を飲んだり、その妻が部屋の端に寄せてある椅子に移動したりする小さな動きを計算されたカメラワークで捉え、4人の演者の表情を丁寧に構図を変えながら映し出す。会話劇を緊迫したサスペンスに仕立て上げる演出が上手い。
このリアルな脚本には何か下敷きがあったのだろうか…
この会話の内容も会談の成り行きも、簡単には思いつきそうにない。
当然、被害者側が「攻め」で加害者側が「受け」の体勢だ。
最初は妻を制しながら冷静に慎重に会話を進めていた被害者側の夫だが、糾弾するためにこの会談の場を持った訳ではなかったのに、相手の煮え切らなさに激昂してしまう。
それは、そうだろう。加害者本人ではないとはいえ、その両親なのだ。なぜ、事件に発展する前に手を打てなかったのか、糾弾せざるを得ないはずだ。
加害者側の夫には、少し不誠実な態度に見えるときがある。
それも、そうかもしれない。開き直った訳ではないが、相手に何を言っても言い訳にすらならないことが解っている。問われたことに淡々と事実を応えるしかないのだ。ただ、彼ら夫婦も我が子を愛していたことは伝えずには終われない。それが、被害者遺族を逆撫ですることになったとしても…。
「なぜ、息子は死ななければならなかったのか」
実際の事件や事故でも、被害者遺族がしばしば訴えかける言葉だ。
「真相を明らかにしたい」
「二度と同じ不幸を起こさせないために」
この迫真の会話劇にズルズルと引き込まれていきながら、終わりが全く想像できないでいた。
最後にこの2組の夫婦はどうやって別れるのだろうか…。
被害者側が「赦す」しか、終わらせる方法はないだろう。
そして、とうとう驚くべき終局を迎える。
この物語を作るにあたり、どうやって赦すのかが重要点だったはずだ。
そして、被害者の母親が出した結論は、誰にでも出せるものではないように思う。
神を信仰する者だからか、あるいは長い期間悲しみぬいたからなのか、仮に同じ経験をした人がいたとしても同じ結論に達するとは思えない。
この被害者の父母夫妻は、はじめからこの結論を目指してこの会談に挑んだのだろう。その目的がなければ、あのテーブルにはつけないだろうから。
だが、この夫婦は用意した結論にたどり着いたように見えて、我々には釈然としないモヤモヤが残る。
この映画は、そんな観客のモヤモヤに最後の最後に強烈なカウンターを浴びせ、カタルシスをもたらす。
彼らが顔を会わせた最初に、加害者の母親が被害者の母親に鉢植えを贈る。これが最後にキーアイテムになるのも見事だ。
赦すことは難しい。
だが、人の親なら、あの加害者の母親を責めることができるだろうか。
絶望と憎しみの先に微かな光が見えた気がした
高校銃乱射事件の被害者の両親と加害者の両親による密室での対話劇。
何れも命がある限り救われることはない。
その苦しみから逃れられることはない。
「許す」という言葉を発することで何かが変わるのか、前に進めるのか、それさえも定かではない。
観る我々はただただ彼らと苦しみを共有することとなる。
期待通り!
そんな対峙が実際にあったのかどうか知りませんが、あったとしたらこんな感じ?と具体的にイメージできていたわけではないのですが、ぎこちなくもああそうか、人は人を責めるよりも赦せることができればその方が幸せ、人は相手から何かを引き出すよりも自分のことを聴いてほしいものなのだということが改めて確認できたような気がする。
前座みたいに場所を貸す人・対峙のコーディネーターの人が段取りを打ち合わせしていたけど、そういう善意の人の何気ない準備ってやっぱり大事。
設定は映画というより演劇空間。集中して入っていけました。
キャスティング、リアリティーすごい!
I forgive you
劇場の空気がずっとピーンと張り詰めていた。
疲れた……。
けど、事件の全ぼうを知った今、もう一度観てみたい。
ピンクテープ……はなんなの?
テープによって、(目に見えない)空気の動きが可視化されるように、悲しみや憎しみの感情や心も、「言葉」というテープによってその激しさが伝わってくる、ということか…
最後近くのゲイル(被害者の母親)の一気の発言に息をのんだ。『今の生き方を続けられない。このままではあの子を失う…』思わず背筋が伸びた。
被害者家族と加害者家族のキリスト教的な関係性
2021年。フラン・クランツ監督。男子高校生による殺人事件の被害者家族と加害者家族が救いを求めて対話する様子を描いた作品。教会の一室を借りて、第三者を交えず、お互いの思いぶつけあう。
ほぼ会話だけで成り立てっている動きの少ない映画なので、論理展開が勝負。当事者の家族としてお互いに傷ついた、お互いに子どもを愛してる、というところに設置するしかないのだが、明確に被害者家族の方に寄り添っていて、加害者家族および加害者本人を「赦す」という母親の発言が、その後のすっきりした表情とともに、山場となるようなつくりになっている。
まあそうだろうだなと思いつつも、加害者家族はすっきりしていはいけないかのようなつくりに違和感が残る。加害者家族は赦されなければいけないのだろうか。または、この会合をきっかけにすっきりしていはいけないのだろうか。
教会という場所。ラストの讃美歌。神から与える一方的な「赦し」を被害者家族が加害者家族にあ耐える映画だった。キリスト教圏では自然に受け止められるのだろうか。
亡くした子供を思って生きることの重さ
すごい映画だった。銃の乱射事件の加害者の親と被害者の親が一つの部屋で話すのだ。
そもそも対立する間柄の2組の夫婦が、ぎこちなく話を始める。気を遣いながら、理性を総動員させながら。少しずつ本音が出始め、そして心の叫びに変わっていった。
被害者の母が、今なら言えると切り出した言葉、赦す という言葉はものすごくエネルギーを持って発せられた。そうしなければ、子供と共に生きられないと。この思いに至るために彼らは会ったのだと感じられた。
子育てをした親なら誰でも思ったことのある、今ならわかる、あの時こうしてれば、という気持ち。正解のない子育てを一生懸命やっていたのだ。
最後に加害者の母親が語る物語に母親はみんな涙するのではと思った。
なんだか微妙にピントが外れている教会の職員
ファーストデイにいつもの映画館で
たまたま休暇だった平日の朝のNHKの国際ニュース番組で
Worth 命の値段 と併せて紹介されていて興味をそそられた
あまり感情移入はできなかったが こどもを持つ親としては
一度は考える題材だ
基本2組の両親が1つの部屋で語り合う台詞劇なので
意味を汲み取ることにパワーを要する
観終わった後は疲れてぐったりしてしまった
本音を語って共有することで高次元の合意に至れる
みたいなメッセージを感じた一方で
やっぱり理屈を探ったり探られまいと防衛したりする
前者は概ね女性で後者は男性の傾向では
会場の準備をしたりするなんだか微妙にピントが外れている教会の職員
役に立っているんだかいないんだか…
一見邪魔のように見えるがちゃんと潤滑油になっている
こういう存在が社会には必要な気がして好感を持った
本作を観た当日に埼玉の中学校に高校生が刃物を持って侵入する事件があった
遠い国の話ではないのだろう
提案者は何者?その意図と勝算は?
鑑賞前から大まかな内容は知って予想はしていたのだけど、予想を上回るド直球の超真面目映画でした。
しかしこれが日本の場合成立するのかなぁ~。いや、日本の場合というより現実的に成立するのかどうか、想像しようとしても頭の中で全くシミュレーション出来ません。
あくまでも、個々の性格的要素が大きく影響するので、本作の様なエンディングの確率は何万分の1の様な気もするのだが、それでもあの教会の施設の一室の様な場を日本に置き換えようとしてもイメージが湧かず、ひょっとしたらああいう場で奇跡は置き得るのかも知れないという気にも少しなりました。
全99件中、21~40件目を表示