怪物のレビュー・感想・評価
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今年観た映画の中で一番
今年観た映画の中で一番面白かった。大人は勿論、子役の2人の演技が上手い。特に依里役の男の子の演技は素晴らしいと思った。自分は最後は死んでしまったのだと解釈した。
かいぶつ、だれだ。
怪物とは、我のことなり。
人はそれぞれに先入観や思考や想像や信じてしまうこと考えてしまうことの癖があり、それゆえに誰もが誰がに対する加害者や害悪になってしまう。お前は怪物だ、という私こそが怪物。
結婚して普通の家庭を、
とか、
男ならできるだろ
とか、
プロポーズは夜景の綺麗なところでするものでは
とか、
母子家庭だから、
とか、
生徒の親=モンスター
とか、
なんでも良いのだ、人の心に浮かび人の口から出たことは、なんらかの形で悪意を持ち誰かを傷つける、
それぞれの視点視野から見えたもの。だから嘘ではないかもしれない。その角度からの事実が次々と明らかにされる。
自分が嘘をついたとわかればそれは嘘。
堀先生も、湊くんも。依里くんも。嘘がなさそうな子ども2人も気遣い、空気読み、保身してしまうのだ。
存在感を薄めよう、としてより一層際立つ田中裕子の存在感に全てかすんでしまうところがあるが、
誰にでも手にはいらないようなものは幸せじゃない
一部の人にしか手に入らないものは幸せとは言えない
と年老いた田中裕子校長は小学生の湊くんにいい、ホルンやトロンボーンに、そんな時は
フーッと、フーッとするのだ とおしえる。
子どもたらちは台風のビッグバンを経て怪物ではなく人間としての自分を生きるだろう。生きようとして挫折するだろう。
森の中の秘密基地とか、火遊びとか、遊び方は昭和なところがあり、今の子どもにはなかなかできないこと、子どもっぽい遊びがができて羨ましいと思うけど、親だから気を使うという気持ちは今どきな感じの会話で、それはまた真実の子どもの気持ち。
押し付けがましいところが全くないのがよい。
万引き家族とはまるで逆。なにも押し付けてこない。淡々と凝り固まりがちな視座を動かし我にかえり、という作業。
諏訪湖もまた、海のようにとてつもない大きさに見えたり箱庭の、子どもらの秘密基地のなかの池のように見えたり。そんなところもよかった。
最後の映画音楽作品なのか坂本龍一の音楽も、押してこないところがよい。しずかに自らの怪物性を顧みる。誰もが手に入れるような幸せじゃないとだめなんだ、幸せじゃないんだ。
誰もが優しくあったからこその悲劇
視点が変わる度に、さっきまでこういうことだろう、こういう人物だろうと思ってたものがガラリと変わる。
立場や視点で起きてる事実はひとつでも受け取るイメージがあまりにも違うのに驚かされる。
さらには誰もができるだけ大切な人を傷つけまいとついた嘘が、巡って1番のダメージを与えることになる悲しさだ。
ずっと、なぜ?と抱く問いの答えが徐々に明かされていくに従い、なぜからどうしてに変わっていく。
完璧な組み立て。
あまりにも悲しく切ない。
走らないはずの線路、窓が上部になってたということは、車両が嵐で崩れた土砂で横転したということなのだろう。
つまりラストはそういうことだよね…。
怪物というのは、己が理解出来ないものを外部が勝手にそう呼ぶ言葉。自分からそうは言わない。怪物を生み出すのは周りの人間なのかもしれない。
追記として。田中裕子演じる校長が、湊くんに「誰でも手に入れられるものを幸せと~」のセリフ。
すぐには自分の中で理解ができず引っかかっていたのですが、時間を置いたら納得が出来ました。
私が独身だったころに母がいきなり「あんた達(私を含めた友人数人)でAちゃんは幸せね。公務員と結婚して子供もいて」と言いました。当時私は、独身でも私けっこう楽しく過ごしてるんだがそこは無視?え?娘に私は不幸だわって思って暮らして欲しいのか?となんとも嫌な気持ちになったものでした。
作中のあのセリフを思うにこういうことなのですね。いわゆる「みんな」「平均的に」そうしてる、というものをほとんどの人は幸せと呼び、当てはまらない人々の気持ちや考えなどは見ようとしない。
改めてすごい脚本だと唸りました。
お前らはそれでいいのかもしれないが
タイトルからホラー映画かなと思ったのに…(笑)
いわゆるBLモノ。ポリコレ意識か。
ただそれをズバリ言うのではなく、ぼかした表現にしている。
他の事件も明確に答えを出さず、全体を通してフワッとした感じ。
「逆転のトライアングル」に似た投げっぱなしジャーマン。
解釈を客に投げるようワザとやってるんだろう、監督の思うつぼか(笑)
視点を変えて同じ日々を3回繰り返してはいるが、時系列が微妙に繋がっていないような気がした。
時系列を合わせて再編集しても面白いかと。
大人たちの最後が気になるトコロ。
子役2人の演技はすごい。
胸が締め付けられる。
胸が締め付けられるとはこういうのかと、
なんか初めて感じた。自分が歳をとったせいもあるのだろうが、
何か凄いのを見たという感想。
面白いとか、凄いとかってのとは違う。
どのジャンルかもよくわからない。途中、スタンドバイミー的な感じもしてしまったが、そういうのでもない。
邦画ならでは感じるような。
怪物は誰だったのか。中村獅童演じる親か、クラスのいじめっ子たちなのか。
汚れのない子たちが汚されて、怪物に変えられる。
心締め付けられた。
辻褄合わせっていうか、回収って言葉にしたくないが、映画の作りも内容も思っていたのと違いすぎて、終わりまで惹きつけられました。
間違いなく良品でした。
他の映画と迷ったが、これ見て良かった。
怪物だーれ だったんだ?
予告から何度も見せられていた、印象操作のような必死な母親と重大案件なのにヘラヘラしている笑顔の怖い教師と取り巻く覇気のない教員たち。
冒頭のこの描き方で母親目線の怒りを持たせたかったのはとてもよくわかったのだが、私はどんどん母親に腹が立っていきました。
いいから少しは黙って話を聴けよお前。
相手のペースを待て。急かしてかき乱すな。
あー、ダメだこの母親には感情移入できないや。
そこから目線を変えて罪を着せられ追い込まれていく教師に。
教師パートのラストシーンは一瞬ドキッとしました。
最後は、友達への複雑な想いと学校生活における自分の安全や勇気や母親からの無言の重圧などの色んなことの折り合いがつけられない男の子がついた小さな嘘が「怪物」のようになっていく話として、これまで見ていた2つの目線の「事実」が改めて紐解かれる。
人は大抵の場合、自分の立ち位置からしか物事を見られないが、こうやって映画として目線を変えられても全てを把握など出来ないし、受け手によって解釈が変わる。
起きた事実は1つでも、物事はときに怪物のようになり、台風のようにもなり、太陽のようにもなる。
静かにそう締めくくられるラストシーンが、どうか映画の中のリアルであって欲しいと希望を抱きつつ、静かなエンドロールを迎えるのでした。
結局、怪物などいなくて、みんな必死に生きる1人の人間であるものの、誰の中にも怪物がいて、物事はそうなる可能性をいつもはらんでいる、という風に私は個人的に解釈しました。
素晴らしい作品だと思います。
技術は高いが危うい作品
破綻のない構成、視点人物を変えていくのも効果を上げており、映画の技術として世界の超一流であることは間違いありません。
また安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子、それぞれの演技も堪能しました。
しかし、です。
すでにそうした批判は起きていると思いますが、作中人物がタブーを内面化し、「言えない」状態を相対化せずに作品が終わることは、それがタブーであることの難点を問うことに本当になるのか?という疑問は残りました。
むしろ「それはタブーである」という観念を強化しまうのでは?
しかも、その点は世界の潮流からみてもかなり遅れていますね。
下手をすると、「ミッドナイトスワン」のような時代錯誤で差別の強化を手を貸す作品にも堕しかねません。
日本映画がもう一歩も二歩も進まなくてはいけない点です。
テーマは面白いけど長い
怪物というタイトルに惹かれた事と、前評判が高かった事で鑑賞。
途中、瑛太の視点から見た物語になったとこからが見どころだと思うんですが、そこに行くまでがまず長い。
そして、子役2人の関係性が徐々に明らかになっていくんですが、そこからがまた長い。今の尺の半分で十分じゃないかという感じ。
セリフ回しが拙いというか、違和感ある所が諸所目立った。脚本の問題なんですかね‥
怪物、というタイトルも、モンスターペアレントっていう視点、子どもの行動によって、瑛太演じる教師が暴力教師として解雇されてしまう、ってとこからなのかなって思えたけど、物語の本筋はLGBT的な子役2人の関係性って気もするので、タイトル的にどうなのかって感じました。
意味深な火災のシーンも、決定的な描写が無いので、誰が犯人なのかわからず(おそらく子役の1人なんでしょうけど)、縦読みのメッセージが隠されてた作文も、何が書かれていたのかはハッキリとは明らかにならず‥
カット割りも見たいとこを見せてくれない感じで、見てる人の想像に委ねようって事なんでしょうけど、なんか見ててストレスの溜まる映画でした。
題材に逃げてる
少年同士の愛を描いている為、その部分をラストに持ってくることもあり、一見美しくも見えるが、
実社会における校長や教師のあり方の描き方が酷すぎる。そしてあれだけの騒ぎをしている生徒達への勘違いをする教師、また生徒達、もおかしいし、
極め付けは、あのアンケート用紙、あんなものを生徒全員に書かせたら、逆に教師に訴えられると思う。
完全に題材に逃げた作品だと思った。
誰かにとって誰かは『怪物』
圧倒され、圧縮された。この感想が実に当てはまる傑作でした。
3部構成からなる物語は視点が変わるだけで物語としてはどこにでもありそうな問題を描いています。
ただ、この視点が変わるがとても重要なファクターであり、この視点によって僕たち観客はそれぞれの登場人物に同情し、寄り添う。ああでもないこうでもないと予測を立てながら物語を吟味する。怪物探しの果てに気付いたのは全員が全員の最善を尽くしたということ。しかしそれがそれぞれの最善ではあっても誰かにとってはそうではなく、知らず知らずの内に誰かを傷つけ誰かにとっての怪物になっていく。3章はとても美しく、切なく、怪物を探していた自分自身の気持ちが圧縮されるような独特な感情になりました。二人の子どもたちはもっと圧倒され、圧縮されていたのでしょう。普通という常識が作り出した怪物が彼らを抑圧したのかなぁ。2つの楽器から鳴る怪物の鳴き声は抑圧された悲鳴にも高らかに生を謳う叫びにも聴こえました。天国なのか現実なのかはそれぞれの解釈によるのでしょうが、せめて2人の行先に幸せが多くあらんことを。今年イチの傑作です。
モンスターと保利先生の受難
早織(安藤サクラ)は5年生の息子の湊(黒川想矢)が担任の保利(永山瑛太)にいじめられていると思い学校にかけ合うも、学校は形ばかりの謝罪をするだけで全く誠意を感じられず、イラつく早織。保利は湊が依里(ヨリ。柊木陽太)をいじめていると言う。保利は退職させられるが、湊の様子はおかしいまま、嵐の夜、家からいなくなってしまう……
親、学校、子供の視点によって見え方が全く違ってしまうという話です。
問題提起をして、解決はされないというパターンの映画ですが、最後の子供視点でのシーンがあまりに美しくて、幾つもの問題点が薄れてしまった気がします。
母親の怒りは当然で、モンスターペアレントとは思いませんが、校長に対して「あなたが事故で孫を無くしたのは今の私の気持ちと全く同じ」と言ったのは無神経と思いました(無神経さは、アイスを食べながら火事見物する場面でも)
その校長(田中裕子)は一番モンスターだと思います。「学校を守る」って、公立の小学校で、何をどう守ろうとしているのか。無気力で、ただ生きながらえているだけの人に見えました。途中で2度ほど聞こえた管楽器の不協和音が、実は校長と湊が吹いていたと分かりますが、それで校長の印象は変わりません。言いたいことをぐっと飲みこんで、代わりにラッパを吹くって、おしんのアドバイスなら良いかもしれませんが、言わなきゃいけない事まで飲み込むというのは、校長のすべき事では無いと思います。
依里は女の子みたいで父親(中村獅童)に疎まれ虐待され、学校でも男子にいじめられているのに、周りは気付けませんでした。湊は自分の気持ちの整理が出来ず、母親にも言い出せず、ずっと不安定になっています。
保利先生は、湊の乱暴を止めようとしてうっかり鼻血が出る怪我をさせた事を報告しなかった為に後々暴力教師扱いされることになりますが、子供たちは噓ばかり付き、恋人は見放します。
他の教師は協力する気がありません。
カンヌで脚本賞を獲った作品ではありますが、所々リアリティが無いのが気になりました。
早織「オリーブオイルを切らしたからコンビニに行ってくる」オリーブオイルは高いからスーパーで買うし、サラダ油を使えばいいんです。
「湊が普通に家庭を持つまでお母さん頑張る」大学を出るまでではなくて?
保利先生「男らしくないな」「男らしく握手して仲直り」彼は男らしさにこだわる人に見えないし、最近学校でそういう言い方はしないでしょう。
湊はなぜ髪が長かったのか。なぜ突然髪を切ったのか。
依里がいつも中性的な服装なのもおかしいです。わざとらしさを感じました。
本作を観て、最近私の中で評価が変わった「風と木の詩」を思い出しました。ストーリーは全く違います。父親の性的虐待を受け続けてある意味(魔性の)怪物のようになってしまったジルベールの心情はほぼ描かれず、セルジュの視点を通して、美しくロマンチックな物語に昇華してしまっています。セルジュには夢があったけれど、ジルベールには未来が描けませんでした。
本作の少年たちが不幸だったかはわかりませんが、苦難に立ち向かって生き抜く機会は失われました。早織はなぜ息子が出て行ったのか分からないまま一生の苦しみを、保利先生は汚名を着せられたまま(校長は話す気が無いので)さらに後悔を、背負わされるんです。
怪物探し
一人の人間は自分の見たもの、聞いたもの、感じたものからしか考えられない。
序盤、母親の火災を見ての「頑張れー」のセリフに不謹慎な感じを受け、その息子の情緒不安定さといじめの痕跡に学校と教師を疑う。校長、担任、他の誠意のない対応に不信感をいだく。
誰もがおかしいと誰が悪いんだとさんざん疑ってかかって疑心暗鬼にさせてから、きれいなものを見せるのはやめてくれ。
子供達を追い詰めた周囲と同じものを自分の中に見せないほしい。
物事の一面しかみないで疑って、誰が悪いんだ、おかしいんだと怪物探しをしている自分が怪物だった。
映画が終わって帰る人達で笑っている若い人はいましたが、年齢いってる人はなんともいえない顔をしてました。
怪物だーれだ
公開前から絶対見ようと思っていた作品。
是枝裕和監督×坂元裕二脚本。
気にならないわけがない。
「怪物だーれだ」という予告のインパクトから、まんまと怪物探しに来てしまった。
そして、サスペンスかホラーものだという思い込み。
映画の冒頭から、怪物と思われるキャラが続々と登場。
日常から、仕事で学校で、何かあると人々は犯人探しをしてしまう。
誰がなにをして、どう言って、誰が悪いのか。
事件や噂話にしても、自分が聞いて自分が見て、自分が感じた事が、真実とは限らない。
ただの日常会話も、人がどう捉えるかわからない。
そして人は簡単に嘘をつく。
なんでみなとくんが急に走ってる車から飛び降りたんだろうって思ったけど、その直前の安藤サクラの普通の母親の気持ちが原因と思うと切ない。
家族や先生からでるフレーズ
男なら、普通の結婚、普通の家庭、、、
普通ってなに?
幸せってなに?
どっちにも解釈できるラストは、
よくある【見た人の想像におまかせしまーす】系ではなく、【見たことだけが真実ではない、結局はなにもわからない】って意味かなと思いましたが、坂本龍一がレクイエムを作ったということは、そういうことか、、とも思いますけどね。
子役ふたりがとにかく素晴らしかった。
安藤サクラは、母親なら誰しもこうしてしまうだろうなという共感と危なさ。でも子を思うからこそ。
瑛太の2面的な演技はさすが。
最後までみたら、最初のあの態度もわかる。
クソに見える中村獅童も、シングルファザーとして悩み葛藤してあんなことになってるのかもと思うと悲しいですね。
怪物の鳴き声に聞こえる不気味な音の正体も、誰に言えない叫びだと思うと辛いですね。
田中裕子が漏らすセリフが真実だったりしますね。
感情の死んでると思ってた校長が1番全てを分かっていたかもしれない。
そして、カンヌが盛大なネタバレですね。
あえて怪物関連のニュース見ないようにしてたので、観る前に知らなくてよかったです。
感情が迷子になる
正しい見方をした感想と、抱いてしまった不適切な感情とで上映後1分くらいフリーズしたあと何故か笑ってしまったよ…
自分が泣いているのか、笑っているのか、悲しんでいるのか、はたまた喜んでいるのかもよくわからなくなった…なんやこれ……
「男らしく」「こうしないとモテない」「片親だから」「普通の家庭」っていうステレオタイプの見方考え方って世の中に溢れていて何の気無しに発言したとしても、それがじわじわ誰かを追い詰めていくことって少なくないよなあ、と。
本人は悪気なく発していてもそれがどんどん蓄積されていって、本人の中では人格否定されたことになってしまうんですよね…
保利先生はシングルマザーに関してはちゃんと彼女の前で「うちもそうだけど」って答えていて、やっぱり悪い人じゃないのに流石にあんまりだよ。。。
ちょっと彼氏としてはアレだなってのと、彼女に言われたからって突然飴食べるか?ってのはあるけど、それにしても全てを失いすぎじゃないですか?
保利先生に救いはないんですか!?
ここから先は私の寝言だと思って欲しいんですけど、ショタBLとしてもあまりにも天才すぎました。。。
感情に名前をつけたらいいのかわからない、名前をつけても言えない、どうしたらいいのかわからない、でも側にいて欲しいだなんてちょっとそれは流石に尊すぎませんか。
映画館で苦しみと喜びをミックスしたキモ顔面披露してしまったよ…映画館が暗くてよかった。
そして依里の「僕もそういうことあるよ」の「そういうこと」が「どういうこと」なのか、行間深読みおばさんは気になって夜しか眠れません。
「治った!」からの「嘘」で飛び出してくるシーンは今後道徳の教科書に載ってしまうかもしれませんね(載らない)
ラストシーンはふたりが死んだか生きてるかは大して重要ではなくて、ふたりが生まれ変わることなくそのままのふたりでこれから先も一緒にいられることが大事なのだと思います。
その先が地獄みたいな現実でも死後の世界でも。
ほんと、いろんな見方をしながらいろんな人に感情移入して何回も観たい。
それぞれの視点でこの世界を味わいたい。
反面、辛くてもう二度と観たくないとも思える。
そんな作品。
まあまあだった
瑛太が気の毒で、一人だけ全部背負わされて、仕事を辞めたり新聞で報道されたりしている。一方で子どもたちからは好かれていて、謝罪会見の時に父兄が誰も擁護しない。子どもで特に女の子はおしゃべりな子がいるだろうから、親にそんな先生じゃないよと言っている子がいないのが変だ。
また、安藤サクラに謝る時に飴を舐めるが、そんな人ではないので変だ。ミスリードするために人格をゆがめるような描写をしているのではないだろうか。
怪物は、息子を虐待している中村獅童と、その子をいじめている同級生ではないだろうか。彼らがなんの報いも受けないのが嫌だ。
タイトルなし(ネタバレ)
予告のみの情報で映画を観ましたが、自分の思っていたテイストとは少し異なった。(ミステリー系のものだと思っていた)
しかし是枝監督ということを考えると、納得のストーリー。
皆さんのおっしゃる通り置かれてる立場・視点によって、誰でも怪物になりうるのだと観て感じられる映画。
LGBTの要素というか、恋愛に近い感情がストーリー的に必要だったのかなと思った。
(個人的な意見だが、友情だけで完結させた方が良かった気がする・・・)
是枝監督の狙いとは異なると思うが、この映画を通して育児の大変さを最も感じた映画だった。
子供といえど、他人であり、感情や考えをもつ立派な人間であり、今何が起きていて、何を考えているのかなんて100%分かるわけがない。
映画のようにシングルマザーで子どもを立派に育てることは難しいことだと痛いくらいに感じる。
だからこそ、不安ながらも誰にも相談できず子どものために戦う親の姿は周りから見ると怪物にも見えるうるのかもしれない・・・
内容的にはいいが、テレビ放送を待ってからの視聴でもいいかも!
スッキリしないけど納得はする
それぞれの視点から見る事で真実はどこに。
ただ全てが映像からの解釈なので答えはわからない。
モヤモヤながらも、まったく飽きさせないのはスゴイと思える。演技力もさることながら、坂本龍一を感じながらの贅沢な一本。
是枝監督が使う子役は演技が上手いから、逆に怖い…
学校の闇が全く解消されない、そしてこれも現実。
生まれ変わりの話題で個人的にはドラマを思い出し「クスっ」としました。
大きな変化
はストーリー上は無いのに、一つの体罰騒動だけなのに、最後まで引き込まれます。大きく言うと3人の視点からの一つの出来事を追って行きますが、それぞれのストーリーにそれぞれの事情や思いが交錯します。怪物は‥、人が人と接する時に起こる大きな感情の事でしょうね。
タイトルなし
三者視点で物語が違って見える話
こういうのって視点が変わることで、人間の隠された陰湿さとか実はこんな思惑、真実が…とかの展開になりがちだけど、明かされてくほどに誰も悪い人も怪物もいなかった…
母から見た教師はすごくやばい奴にしか見えないけど、不器用な善良教師で
教師から見た生徒は問題児にしか見えないけど、本当はクラスメイトからのいじめをかばう友達同士で
子供視点で本当のことがわかる
自分から見える世界はどれだけ狭く、偏り、見ようとしたものしか見えない、見ようとしても見れないことで溢れてるんだろうか
三者とも同じ時系列なのにまるで別世界だった
そして誰もが誰かを想っていた
なんで髪切ったんだろ?ってことがわかった時、みなとが嘘をついた理由がわかった時なんとも言えない気持ちになった
親に豚の脳みそって言われる理由が頭が悪いことではなく同性愛者だからということに震えた
親視点では殺伐としてた世界は、二人の視点からだととてもキラキラしていた
まぶしくて不自由でくるしくて愛しかった
みなとが最後に「生まれ変わりなんてないよ」って言ったことがよかったな…
親達が必死で捜してる中、子供達二人は二人だけの世界を陽の光のなか走っていて希望に満ちていた
永遠に続いていきそうなくらい美しかったし、二人だけのピュアラブストーリーだった
…えっこれもしかして二人死んでるってことないよね?
二人が二人なりに生きていくこと、二人の絆を再確認した、もしくは親の呪縛から逃れた描写かと思ったんだけど、ワンチャン二人が逃れるにはこの世界からいなくなる…とかじゃないよね?信じてる…
でもそれすらもわからないんだよ、いっそ
自分の見たい世界しか見ないし、見れないし、わからないんだもの私達は
だから無理解が生まれて、分かり合えなくて、人の数だけ踏みこめないその人だけの世界があって、なのに私達は知らない人間の事件を、だれかの噂話を、さも自分は真実を知ってるかのように何もかもわかってるかのように語る
私達は何もわかってないこと、誰かの全てを知りえないことを、そしてそれを忘れて全て見えてる気になってることを優しく突きつけられる映画だった
なんて美しいんでしょう
予告見ただけで事前情報入れずに鑑賞して正解。1回目見て、その次の回で2回目も見てしまった。
前半は社会派サスペンスなのかなと思いきや後半は純粋な愛(愛と表現するのも違う気がするが)
母親視点50分、保利先生視点25分、湊視点50分でした(時計見た)
母親から見た保利は態度最悪、面談中に鼻噛むわ飴舐めるわ、シングルマザーがどうこう言うわ。後に保利は何も悪くないと分かるが、何故こんな態度悪くしてたんだ?と消化不良だったが2回目見て理解。駅で恋人からシングルマザーだと過保護になるとか飴口に入れられて「そんな深く考えなくていいんじゃない?」と言われます。それをそのまま実行したのだと。
それにしても保利って変な人ですよね。自分が体罰教師と書かれた週刊誌見てニヤニヤしてるんですよ。付箋貼って。これはきっと誤植を見つけたんでしょう。恋人にも「誤植見つけて出版社に電話入れる」って言われてたし。でもこれが伏線となって、依里の作文のトリックに気づくんですよね。
湊は最初は自分の気持ちを認めなくなかったんだろうね。だから依里に触られた髪を切ったり、クラスメイトに「好きなの?」って揶揄われたとき依里を攻撃したり。苦しかったんだろうな。
でも私は、母親に「普通に結婚してくれたらいい」って言われて車を飛び出したときに「あ、そうかな?」って思いました。もう本当これ言われるの嫌ですよね。分かる人にはもうここで分かっちゃうというか。
そして湊の隣の席の女の子は多分私と同類。BL本みたいなの読んでるし、先生に「麦田と音楽室行け」って言われた時「星川くんも音楽係です」って二人で行かせようとするし、悪ガキたちが依里の雑巾投げて遊んでる時に、湊にパスするし。「お前なんとかしてやれよ」って目してたし。でも謎なのは何で保利先生に「麦田くんが猫で遊んでた」って言ったの?あの証言になんの意味がある?そのせいで保利先生に湊が猫殺す子だと誤解されちゃったし。
それにしても依里くん、身体と声は幼い子供なのに、思考が達観しすぎてて何とも言えない魅力があるなぁ。ナマケモノのことを「攻撃されても力を抜いて感じないようにする」って言って「それは星川依里くんですか?」って湊が言ったシーン良かったなぁ。いじめられてもニコニコ笑ってるのが彼なりの自衛だったんでしょう。あと、もう一つ良かったのが「花の名前知らない男はモテないってお母さんに言われた」って言われたシーンですね。その後に「暗いところ怖がる男はモテないよ」って言ってトンネルに湊を誘うんですよ!ここ、なんかすごかった…そりゃあ湊は依里くんにモテたいからトンネル入りますよね。人生何周目ですか。
そして秘密基地で湊が依里にぶつかって怪我させちゃうシーンですよ。その後に廃電車の中で手当てしてる最中に転校を告げられます。その時の湊の「やだ!」って感情の露呈でもう涙。その後に抱き合って依里が「みなと」って下の名前で囁くんですよ。え、これどういうこと???そしてその後に突然湊が「はぁ?そういうんじゃないから」みたいに怒って依里が「大丈夫。僕もそうなることあるから」って…。"そうなる"って何ですか!??考えすぎだったら申し訳ないんだけど身体的な変化があったのかなって。それを認めたくない感じもあったし…
そして許せないのは依里の父親とクラスの悪ガキたちですよね。この二人にも罰当たってほしい。台風のシーンで依里の父親がすっ転んでる場面はありましたがそれだけでは足りないですよ!最初の場面で見ていたテレビも伏線というか暗喩というか。まずは「ドッキリ」と「お肌もちもち〜」のオネエタレントね。クラスの悪ガキたちは「これドッキリだから」と正当化して依里をいじめます。更には女子の味方をする依里に「お前女子なの?お肌もちもち〜」って馬鹿にするんですよね。これ、実際のいじめでもこういうことあるんだろうな。メディアの悪影響ですよね本当に。
そして何故湊は保利先生を悪者に仕立て上げたのか。最初の火事を母親と二人で見てるシーンで豚の脳がどうこういって「それ誰に言われたの?」って母親が聞くんですけど、おそらくここで依里の名前を出したくなかったんでしょうね。とっさに「保利先生」と答えてそこから戻れなくなってしまったんだろうな。まぁ子供なんて自分を守るためにいくらでも嘘つきますもん。私も自分で汚した服を母親に「クラスメイトに汚された」って嘘ついてしまったこともあります。
校長先生はなんだったんでしょうね。湊とトロンボーンとホルンを吹くシーンはとてもいい先生に見えました。言えないことはこれに吹く、ってところで涙が出ました。その後のすっきりした湊くんを見てよかったねぇって。孫を轢いた件については回収されないままだったし謎。
モヤモヤしたままの箇所もありますがとても良い作品でした。一つだけ嫌だったのは保利先生の彼女のゴムがどうたらって直接的なワード。これがなければ親と観れるのになぁ。是枝作品ってちょいちょいこういうの入る気がする。
全314件中、221~240件目を表示