怪物のレビュー・感想・評価
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世界観が好ましい
眩しいし、キレイだし、儚い。
忘れていた感情が甦り、懐かしい。
2回目を配信で鑑賞。
やっぱり凄く良かった。坂本龍一の音楽も涙腺を刺激するし映像はキレイだしエモいし、忘れられない1作品になりました。
前半と後半のギャップ
いきなり例えで申し訳ないが。
球技で、前半と後半では別のチームになることがある。
この作品もそれと同じ。
前半と後半で同じシーンを廻すのに、印象がコペルニクス的回転。
カエサルは言った。
「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
まさにそれ。
多様化の時代を反映したテーマなのかな。
子どもを主人公にしていることでこの類の「エグさ」を薄めて。
なおかつ、年齢に関係なく(幼いときからでも)と。
校長を演じた田中裕子の無表情にまんまと、騙されました。
私は好きだけど
予告も見ず、なんの先入観もなく見に行ったからこういう作品かという驚きはあった。
色々な批判もあるだろうけど、私は好きだった。
男の子二人がまだ形容しがたい、それでも大切な感情を抱きしめて生きていく。
それを肯定も否定もせずにいたい
ただ二人が幸せでありますようにと願った
前半、ガッカリ→後半、謎が解かれていきゾクゾク
やっと観ました。
まず、正直に率直に忖度なしで感想を言わせて頂きます。
演技の下手な方が多い、脚本かなり良い、前半ダメで後半から面白い。
(演技に関しては、子役は良くて、大人が下手な方が目立った)
たしかに、何回も観たくなる。
面白いから何回も観たいって感じじゃなく、話の全容を理解する為に何回も観たくなる感じです。
PROレビュアーの方のレビューを読ませて頂きましたが、非常に参考になります。
演技の下手さ加減や、キャスティングに疑問を持ち、減点をして、この評価。
厳しめの3.5です。
僕は『ベイビー・ブローカー』の方が好きです。
保利先生と湊
うーん、この先生可哀想すぎると鑑賞直後は思った。
この先生の「罪」は少ないと思うし、それどころか、このストーリーに置いて、かなりまともな人だ。
先生があんなにも追い詰められたのは、湊が「先生に豚の脳と言われた」と母に嘘を告げてしまうからだが、なぜ湊は先生についてそんな破壊的な嘘を言ってしまったのだろうか?
それは湊と保利先生が、もうひとりの自分といえるほど相似的な人物としてあるからだと思い至った。
保利先生は、ある種の弱さを抱えている人物だ。
それは、付き合っている女性の、シングルマザーに対する偏見に満ちた価値観を無批判に受け入れたり、緊張する場面で状況も考えず、彼女のアドバイス通りに飴を舐めてしまったりする所に現れている。
自分に強く影響を与える人物が言う事を、自分の感情や経験よりも上位に置き鵜呑みにしてしまう弱さ。
その弱さは、過去に「誰にでも手に入るものが幸せ」という価値観を自分の感情を抑えて受け入れてしまったことから来るのではないだろうか?そして、それに沿って積み上げてきた自身の立ち位置は、何かの拍子にいとも簡単に崩れ去ってしまう危険なものであることも描かれていたと思う。
「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わないんだよ。誰にでも手に入るものを幸せって言うんだよ。」こう言う校長先生は、まさしく「怪物」と言っていいほどの恐ろしい人物だ。
息子を心配して学校を訪れた早織に、どこかの国会答弁もあわやといった木で鼻を括ったような対応をして、かえって問題を大きくしてしまうし、先生のいじめを確信した早織が弁護士まで雇うと、先生一人を悪者にして、学校というシステムを守る事を優先する。
システムを守る事に真摯であるが故に、何らかの犠牲を生んでも虚偽や隠蔽を厭わない。だが、そんなシステムの元では、「子供は死んでしまう」のだ。
湊と依里のパートは、ふたりが供にいることで生まれる美しさが説得力をもって描かれて、この映画の得難い魅力の多くを担っている。
湊はこの美しさが、「誰にも手に入れられる」ものとして世間一般で語られる時は、未だに歪められて表現されがちな事に対して苛立ち、自分を大事にしてくれている母ですら、それを理解してくれなさそうな様子に困惑している。
依里への気持ちを罪であるかに受け取ってしまいつつ、彼との関係を深める中でちぐはぐになってしまった行動が母の不審を生み、それが頂点に達したとき「先生に豚の脳と言われた」と嘘が口をついて出てしまうのである。
わかってくれそうな人に対するSOSなのか?弱さを抱える保利先生に子供ながら付け込んでしまったのか?依里を愛する事は罪ではないが、これは明らかに湊の罪である。この罪は償われる事があるのだろうか?
「本当の事はどうでもいい、忘れたい事はこうやって吹き飛ばしてしまえばいい」と校長先生は言う。言われた湊もほっとしたような顔をする。でも、子供を守っているようで殺してしまう、というのはこういうことではないか?
かくて湊と依里は、嵐に導かれるように、ふたりの道行に旅立ってしまうのである。
ストーリーの中の死が象徴的なものなら、ラスト、二人はぎりぎりのところで死を免れ、この後、依里と別れた湊は、自分の気持ちを隠したまま「誰にでも手に入るもの」を求める大人になり、あのきらきらした世界を抑圧した生を選ぶのかもしれない。だが、それがどれほどの損失であるかをこの映画は描く事に成功している。
校長先生の言葉だけが統べる世界なら、あの二人は死んだと私は思う。だが、依里の作文に折句で隠された二人の名前を見つけたことから、全てを悟った保利先生が、嵐の中を湊の家に駆けつけるのだ、「お前たちはそのままでいいんだ」と言うためだけに。この時点で保利先生は湊が行方不明になっていた事を知らなかった。どんなに罵倒されても仕方ないのに、駆けつけざるを得なかったのは、依里への気持ちを間違ったものとして抑圧し、弱さを抱えようとしている湊の姿に、かつての自分を見たからだと思う。ここで保利先生もLGBTQであったという解釈は浅薄だろう。
構成を「羅生門スタイル」として、かの名作と対比される本作だが、内容も共通点があると思う。『羅生門』のラスト、戦で荒れ果てた羅生門に捨てられた赤ん坊は、それぞれ自分に都合のいい主張をする、虚勢を張る男や貴族の男女ではなく、最も弱い一介の庶民の手に渡った。今また、子供たちが生きるためのよすがは、全てを失った男と、シングルマザーの手に委ねられた。なんら政治的な力を持たず、ともすれば権力者によっていがみ合うように仕向けられてしまう彼らが、子供たちを思って我を忘れて駆け寄せる先にこそ、あのきらきらしい世界がこの世に立ち現れる可能性があるのだと感じた。この映画を見て、これからの子供たちの生きる世界が、あのラストシーンのように輝かしい素晴らしいものである事を祈らない者がいるだろうか。
心が揺れました。
感想は~個人的には凄く良かったです☆彡
泣けたり、笑ったり・・・した映画では個人的には無かったですが♫
凄く心が揺れ動く、考えさせられる映画です。
静かな映画なんですが。凄く良かったです。
瑛太さんに田中裕子さん、安藤サクラさんは秀逸だし。
東京03のあの人や高畑さんも素晴らしい演技でした。
しかし・・・なんといっても。。。是枝さんの作品。。。
子役二人が・・・素晴らしくて。
尚且つ、制約が限りなくあるであろう中で、
見事な表現だったと感じました( ;∀;)
そして、最後に言わずもがなで・・・音楽は静かですが。。。素晴らしいです✨
ほんとに観に行ってよかったわ~✨
という事で~明日も仕事だぁ~♫早く寝ますzzz
子どもの世界を描く
是枝監督、子どもの世界を描くのがうま過ぎる。
子どもにもいろいろあるよな。
そしてそれは、大人から見たら謎だらけだ。
坂本龍一のhibariは2012年サガミオリジナルのCMの曲だ!と反応できた。
よく知らない理解できないものを怪物という
噂話と目にした出来事だけを信じ、さらに凝り固まった固定観念によって、人がより恐ろしい怪物に見えてしまう。
不穏なストーリーが進む中、子供たちが現実社会から離れて無邪気に遊ぶシーンは切なく美しい。
「立派な大人になって家庭をもつ」「男は男らしく」という何気ない言葉が人を追い詰めてしまうことがある。
生まれ変わらなくていい、君はそのままで生きていいんだよ。と言いたい。
解放感とアハ体験
これから見る人は何も前知識入れずに観に行ったほうが楽しめるかと思います。
多視点といえば客観的な事実はそのままで断片的な情報をつぎはぎで全体が見えてくるというような手法がよくありますが、記憶の中の映像のように、主観入りというか人ごとの見え方の違いをそのまま映像にしているので全体をみるには見る側の解釈が必要になってくるのが面白い手法だと思います。
不信感があると見えてないものが見えてしまうとか、
自分が熱中時代並みの教師像だったりとか
女子にモテるだけでちょっとしたイジメにあうとか
人の思考過程とかあるあるを通してうまい具合に人間を描けてるなあと思います。
直後は何も語れない映画
事前の情報無しに観に行きました。観た直後(エンドロール)では「この映画は何を伝えたかったのか?何を感じさせたかったのか?」理解が追い付きませんでした。感想を言葉に出来ませんでした。※それは決して退屈な作品と言う事ではありません。
またエンドロールではじめて「あの先生って瑛太だったの」とわかりました。どこかの実力派舞台役者かと思ってましたがそれ程、瑛太は怪演でした。いや、みんな役者は素晴らしかったです。やっぱり是枝監督は「素材を活かすのが上手いな」と思いました。
自分の感想を整理出来ないまま、ネットやユーチューブなど様々な考察を見聞きする中で、徐々に整理され、考察を聞いてく中で映画のラストシーンを思い出して涙してしまいました。感性が低い人には理解は難しい映画ではないでしょうか。
少年時代
大人は誰もが通過している時代の描写はさすがでしたね。
第一次反抗期が終わり、独自のアイデンティティを獲得しようと、混沌の中で出会うお互いに寄り添える友達。
集団社会との関わりに戸惑う気持ち=自分の正義の前で足掻く少年。
我々も社会の一員になり初めはあの場所にいたのかもしれんなと思い鑑賞しました。
忘れてしまった心を思い出すには老いてしまったようだけど。
子供たちが絡むいくつかの出来事、 誰の目線で観るかによって見え方が...
子供たちが絡むいくつかの出来事、
誰の目線で観るかによって見え方が全く異なる、保護者/教員/子供ら自身…
終わりまで見て、あとでもしばらく考え込んで、やっと合点がいく、緻密で深い映像でした。
納得感があった物語、最後の坂本龍一教授のピアノ、沁みました。彼の最後のサントラですね。
いつまでこんな事が続くのか。
こんな切ない話ってあるのか。
映画が始まってから中盤までとにかく気分が悪くなるシーンが続く。息子ラブな拗らせシングルマザー、組織対応を勘違いしている学校、切り抜き取材のマスコミ、どこを切り取っても「怪物」しか現れない状況にウンザリしていると、ストーリーは意外な展開に転がり始める。
大人の汚れた手で汚され始める少年たちの心を洗い流すような嵐。そして嵐の向こうに広がる眩しい景色。
ふたりの未来が光に満ちていたらいいけれど。
それぞれ目線良かったが…
是枝作品の中では自分は余り評価出来なかった。題材の怪物がいけないのかそこまでの踏み込みしてないし坂元脚本で期待しすぎたかな…子役は演技良かった。特に柊木陽太将来楽しみ。この監督は子役探し上手いな!
ほんとっ「怪物誰だ~」
鑑賞し終わっって『なかなか~』ってまず思いました。
まずファーストカットで集中して観ないと、思わせられました。
緊張感があり重みがある画でした。
是枝監督は本当にうまい監督なんだなと思いました。
幻の光の頃は「何かイマイチ」って思ってましたが。
今の是枝監督は感覚的なところと、理責めのところがうまくミックスアップしてる感じがしました。
万引き家族が未鑑賞なので観ないといけないなと思っています。
良い脚本を活かす構成力。
丁寧によく考えられていたと思います。
時系列どうりでない構成ですが上手く纏めているので、わかりやすく違和感なくスッとお話が入っってくるのは監督の技だと思いました。
前半のケレン味のある感じから、後半の自然な感じ。
誘導もうまく色々と観客に考えさせるうやりかた。やりすぎると鼻につくかもしれないので、丁度のいいところを押さえられている感じがしました。
そういう演出的な部分もさるところながら、監督の特性なのでしょうか、子役がとても良かった。どういう指示を出してるのだろうと思いました。
どの役者とても良かったのですが、一番目を引いたのは瑛太です。
ホントいい役者。彼のあのなんとも言えないアンニュイ演技。素晴らしいなと思いました。
後半残り1/4くらいから「どう終わらせるのかな~」と思って観てましたが、終わってみて「この終わらし方しかないよな~」と思いました。こういうのって「なんだ結局これか」と思ってしまうことが多いのですが、この映画はスッと納得できました。
今の時代には刺さる内容で、とても悲しいです。
こういう内容は映画の題材になりやすいので、
その目新しさは無いのですが子供でやってるところが『なかなか~』と思わされました。
時代と噛み合ってて『これだけの映画そりゃ賞取るよね』と思いました。
悲しい映画です。
少し経ってもう一回観てみたい気もします。
是枝監督の限界
カンヌ国際映画祭パルムドール受賞等など、輝かしい実績を誇り、今や日本を代表する映画監督といえる是枝裕和監督の最新作ですが、私自身は、これまでの是枝作品で満足感を得たものはありませんでした。どれもせいぜい半径500m圏内の出来事をこじんまりとまとめていて、映画館で観る映画としてのスケール感が圧倒的に乏しく、深い奥行きと広大な立体感がしないという感想を抱いてきています。
残念ながら、世評極めて高い本作も同様の印象を持ちました。
本作は3部構成で、1部は母役の安藤サクラ視点の一人称映像、2部は永山瑛太演じる教師・保利視点の一人称映像、そして3部は息子・湊視点で描かれます。視点が変わることによって事象の事実関係の捉え方が全く異なるという、70年前に製作された黒澤明監督の名作『羅生門』に相似するコンセプトであることは、多くの方も言われています。
但し私が思うに、是枝監督が描きたかったのは3部の子供目線での真実の世界で、寧ろ全ての子供に根差す、無邪気な猟奇的残虐性を抉り出して曝け出すのが狙いだったように思えます。私には、世間から殆ど注目されなかったフランス映画『小さな悪の華』(1970年)に通底するように感じました。
大人を客観視して醒めた眼で眺め、諦観し、蔑視する。そして人の生き方に対しては、冷ややかで乾ききったアナーキーで孤独な価値観を感じさせます。でも、本作は、その原点を辿ったり、顕わに曝け出そうとはしません。ただ淡々と映し出すのみです。
坂本龍一の美しく、物悲しい旋律は、専ら人物の心が激しく動揺する時に奏でられます。その静かな曲調とはアンビバレントな使われ方で、観客に、歪曲した人の心を無自覚的に感じさせる効果がありました。
諏訪湖の周りにある、閉鎖的で、空気が重く澱んだ小さなコミュニティーの出来事を通じて、湖水、水道、雨、諸々の”水“で覆われ、”水“が全てを流していく中で、子供の心の深層を描いていると思います。
多くの人が絶賛している校長役の田中裕子の無気力・無感動・無責任の演技は、視点が変わる3部各編を通して唯一、一貫して不変であり、子供と大人の対峙、葛藤を子供視点で描く際の、大人の象徴として捉えられ、彼女こそ本作の真の傍観者であり、語り部として位置付けられているのではないかと感じます。
ただ、125分の間、メリハリがなくダラダラと日常が描かれる展開で、あまりにもテンポが緩慢過ぎます。そもそもクライマックスがなく、シーンの中にアクションも、ラブロマンスも、謎解きも、どんでん返しも一切なく、無論美しい自然描写もありません。観衆をワクワクドキドキさせる、或いは笑わせる、泣かせるといった映画的な娯楽要素が全くない一方で、映像としては寄せアップがなく、やや引き気味のカットばかりなので観衆にとってはドキュメンタリーでも観ているような単調な映像を延々と観させられるという、かなり退屈で、それでいて難解な映画、というのが私の率直な印象です。
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