怪物のレビュー・感想・評価
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是枝監督作品
今まで、話題になっても観てこなかった是枝監督作品。
予告や軽いあらすじで敬遠してしまっていたが、何故だかこの「怪物」は観てみたい!っと思った。
脚本家の坂元 裕二氏が好きという訳でもない。是枝監督と同じく、坂元 裕二氏の作品もほぼ観たことがない。
カンヌに惹かれた訳でもなく…やはり、映画館で流れていた予告がよかったのだろう。「怪物」とは何なのか、誰なのか、その事実を知りたいと思わせる予告に惹かれて鑑賞。
序盤から引き込まれた。最近の流行りなのか、それぞれの視点で物事をみせてくれる。それぞれの視点、それぞれが心に思っている、持っているベースに事実が重なり、物語が進むにつれて、事実は事実でも受け手にとって何が真実であるかが変わることの何とも言えない切なさというか、もどかしさというのか…。観ていて辛くなり泣けてきてしまった。
正しい、正しくない。幸せ、幸せではない。幸せの形は人それぞれなのだと、事実と真実、事実はひとつで真実は複数あるということを痛感させられた作品でした。
坂本龍一氏の音楽と綺麗な映像。ラストをもう少し長く観せていてもらいたいと思いました。
「怪物」観てよかったです。他の是枝監督の作品を観てみようとまでは思わなかったですがw
前半は面白かったが。。
ただただ魅入ってしまうと思います
映画は1人で,入り込んで。
一面から見ることの危うさ
母親から見る視点
子供から見る視点
担任から見る視点
校長先生から見る視点
違う視点から見ると、登場人物がまったく別人に見えてきます。
私はつい、「誰が悪いのか」と決めつけて観てしまいがちでしたが
一面から見ることの危うさを感じました。
普段から何事も多面的に見ようとすることが大事ですね。
子供たちの、少年らしさは残しつつ
大人になりつつある段階の繊細さが
とてもよく表れていて良かったです。
この年はまだまだ子供と思ってしまいますが、
実際はよく大人を観察していて
気を使っているし、
大人の事情もちゃんと理解していて
自分をうまく適応させようと必死にもがいています。
なんだか私も自分の子供のころを思い出してしまいました。
ラストについては希望ですが
いい方に捉えたいです!
理解不能なもの=怪物
ありそうでない展開
想像を超えた映画
心?
レビューを読むな
すべてが愛おしい
是枝裕和って、どうしてこんなに男の子の描き方がうまいんだろう。途中からわけもなく泣けて泣けて仕方なかった。(ほんとは、わけもなくじゃない。遥か昔男の子だった自分を、少年だった頃の自分の心情を思い出したから。僕はノーマルなんだけど、男の子に不自然なくらいに妙に好かれたり、逆に気になる男の子がいたりってこともあったよ)
前半、教師達の描き方があまりにステレオタイプに思えて、何だかなと感じたのだが、別の目線で保利先生(永山瑛大)、校長先生(田中裕子)を描くことでこの部分も納得できた。保利先生(この人ってまだ男の子です)は中途半端な理解(つまり誤解)で星山くんと湊君に関わってしまった。その代償が大きすぎて気の毒すぎる。お母さん(安藤サクラ)の前で緊張のあまり、思わず飴をしゃぶってしまう、なんてあり得ないって思う人たくさんいるだろうけど、僕にはなんか分かる。この先生の少年性(未熟性)が。
緑溢れる映像は美しく、子供達は瑞々しく、昔少年で、男の子を育てたことのある僕には、いろいろなことが腑に落ちた。
そして、最後に(これとても大事です)、全編に渡って流れる坂本龍一の音楽が胸に染みた。
二面性X三視点
誰もがなりうる
もっと素直に生きたい。
複雑さに耐えて生きる。
米・英のレビューでは dense, intricate, deliberate, nuanced... と、この映画の優れた部分を正しく見抜いた評語が並ぶ。そう、これははっきりと言葉にすることのできない不気味なもの・不安なものを、その複雑なニュアンスを崩さないまま映像にすることに成功した作品。
LGBTQの気配は、その豊かなニュアンスの一部であるにすぎないし、それも作り手は慎重にていねいに扱っている。作り手がこれを「LGBTQの映画ではない」と言うのは当たりまえで、それを批判するのは的外れだと思うよ。
同時に脚本が随所に欠陥を含んでいることも、冷静に画面を見ることのできる観客は、はっきり見て取ることができるはず。つじつまの合わない伏線、思わせぶりだけど話を放り出して終わっているエンディング。脚本がそんなふうだから、海外のレビューも多くはこの映画を「傑作」と言い切ることに躊躇している。
だけどカメラと照明と美術は文句なく今の日本映画の最高水準だし、世界中見渡しても、このレベルで微妙なニュアンスをコントロールできる映画作家はまれ。
その画面の複雑さをささえる技術的達成をきちんと見て評価するべきなんだけど、日本の映画評は、それができないんだよね。朝日新聞に評論家が寄稿したレビューなんて「怪物とは私たちやあなた自身のことだ」…とかさ、ほんと勘弁してほしい。
すべてが素晴らしい、特別な力のある作品
「怪物だ〜れだ」これが全てを物語る。
何がすごいのか?脚本、監督、音楽、演技?全てだった。
最初、学校で起こった出来事と教師達の対応。観客は学校組織、教師が怪物だと感じるだろう。ところが視点が変わるとそれが揺らぐ。
様々な人の中にそれぞれの視点があり正義がある、それが他者から見れば「怪物」と映る。しかもそれだけではなく自分の中にも怪物がいることに気づく。子どもながら性的な恐れとして。
誤解をうむ前提で言えば、洗練された昭和的なストーリーであった是枝作品が洗練された令和的なストーリーにアップデートされたと感じた。
どうしたらこんな深い脚本が書けるのだろう。脚本家坂元裕二の凄さに脱帽。
床に書かれた「6」、1人は「6」と言い、1人は「9」と言う。両方とも事実。見る方向が違うだけと言う話を思い出した。
怪物は〝そこにいる〟のではなく、自分なのかもしれない
なるほど❗️
この脚本の着想は、〝モンスターペアレンツ〟という言葉からきたのですね、たぶん。
一口でモンスターと言っても、そう呼ばれる親が本当にタチの悪いクレーマーの場合もあれば、純粋に子ども思いだからこそ、心ない教師の側から見ればモンスターに見える場合もある。
湊の母にとって一番重要な論点は、事実はどうであったのか、湊がどう心と身体に傷を負ったのか、それらを明らかにしたうえで、どう恢復を図るのか。
そんな前提は、確認するまでもない。
相手が人間であれば。
そう思って乗り込んできた母からすれば、彼らはモンスターにしか見えない。
姿かたちは同じ人間でありながら、〝異界〟に住むモンスター。
特別ではなくても、どちらかと言えば、良心的に子供達と触れ合おうという意欲を持ち合わせた新人教師。
彼から見ればトンチンカンな理屈にもならない理屈で動く先輩教師たち。
実社会でも。
経済合理性の観点からは、明らかに無駄と分かっているのに、ある上席者の面子(メンツ)や形を残すためだけに実務上必要のない説明資料を作らされた、なんて経験はありませんか?
昭和や平成一桁くらいまでは、それも仕事の一部としてなんとなく認められてた部分もありますが、今、それを強要する上司がいれば、理解不能なモンスターでしかありません。イジメなどに比べれば大したことはないように思えますが、その手の理不尽さを耐え難い(常識の範囲でごく普通に合理的な)人にとっては地獄です。メンタルが原因で療養を余儀なくされている勤め人が後をたたない一因でもあります。
怪物だーれだ?
その人は時に手を上げますか?
親ですか?
上司ですか?
先生ですか?
なにが起きていても見て見ぬふりをしますか?
理屈に合わないことを強要しますか?
もしかして、それって、私のことですか?
誰もが誰かにとっての怪物になり得る。
ふたりの子どもたちや陽光燦く緑などがとても美しいだけに、余計に怖さを覚えます。
この映画、ヒューマンミステリーのような体裁なのに、実はヒューマンホラーなのではないでしょうか。
(追記)
湊くん?
この作品の登場人物のしれっとした怖さ(相手が陥る不幸について同情的な共感を持たない)、『母性』のような視点の違い。羅生門よりもかなり恣意的な捉え方。
着想は、モンスターペアレンツからではなく、湊かなえさんの小説かもしれないですね。
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力
怪物とは
① あやしいもの。正体のわからない不思議なもの。また、特に力の強い大きな化け物。
② 性質や行動が普通の人とは非常に違っていて、正体のつかめない人物。
さて、本作における怪物とはいったい誰だったのだろうか?
是枝作品に共通する特徴は、現代社会に対する観客への問題提起と、それにより物事の本質に近づこうとするアプローチ。
旧態依然の教育制度、潔癖過ぎる社会、SNS等の環境変化などの巨大な怪物。または、親、子供たち、先生、それぞれからお互いを見た時に現れる個別の怪物。
問われるのは、目の前の怪物は、果たして本当に怪物なのだろうか?そして、さらに重要な物事の本質を見落としてはいないだろうか?
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力を問われる作品でした。
最後に、坂本龍一さんの遺作になったであろう本作。映画界にも多大な影響を与えた坂本さんが亡くなられたことで、一つの時代の節目を感じました。
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