怪物のレビュー・感想・評価
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すべてが愛おしい
是枝裕和って、どうしてこんなに男の子の描き方がうまいんだろう。途中からわけもなく泣けて泣けて仕方なかった。(ほんとは、わけもなくじゃない。遥か昔男の子だった自分を、少年だった頃の自分の心情を思い出したから。僕はノーマルなんだけど、男の子に不自然なくらいに妙に好かれたり、逆に気になる男の子がいたりってこともあったよ)
前半、教師達の描き方があまりにステレオタイプに思えて、何だかなと感じたのだが、別の目線で保利先生(永山瑛大)、校長先生(田中裕子)を描くことでこの部分も納得できた。保利先生(この人ってまだ男の子です)は中途半端な理解(つまり誤解)で星山くんと湊君に関わってしまった。その代償が大きすぎて気の毒すぎる。お母さん(安藤サクラ)の前で緊張のあまり、思わず飴をしゃぶってしまう、なんてあり得ないって思う人たくさんいるだろうけど、僕にはなんか分かる。この先生の少年性(未熟性)が。
緑溢れる映像は美しく、子供達は瑞々しく、昔少年で、男の子を育てたことのある僕には、いろいろなことが腑に落ちた。
そして、最後に(これとても大事です)、全編に渡って流れる坂本龍一の音楽が胸に染みた。
二面性X三視点
怪物は誰でも心の中に潜んでいる。と、言うのはあまりにも感想としては安易であると言わざるをえない。怪物とは見る視点によって相手でありかつ自分である事が客観的に思い知らされる。と言っても誰もが自分が怪物であるとは1mmも思っていない。前半、中盤、後半と物語が進むに連れ事実が明らかになって行くが(モヤッとした部分は残るので)心は晴れない。二人の少年の未来が明るい事を祈るばかりである。
尚、安藤サクラ、田中裕子、永山瑛太の演技は流石であり、何より二人の少年が素晴らしかった。
誰もがなりうる
ほんとに誰なんでしょーな。
育った環境や価値観、立場や与えられた限られた情報、そのときのちょっとした行動一つでもきっと誰かが誰かにとっての怪物になりうるんだろう。
みなさん演技よかったですね。ベテラン俳優の皆さんはもちろん、主の2人の子供がまったく違和感ないうまさだったので非常に見やすかった。素晴らしい。
もっと素直に生きたい。
子供はみんな純粋。
大人になると、複雑な社会の中で色々な人や物や事柄など他者を怪物と思い込む。そして自分が怪物になりかける。
子供はみんな純粋。大人になる過程で怪物を垣間見る。
もっと単純に、もっと素直に生きたい。
もっと他者を信じよう。そう思えた映画。
最後、二人は、「生まれ変わっていない、元のままだ」と言っていた。
複雑さに耐えて生きる。
米・英のレビューでは dense, intricate, deliberate, nuanced... と、この映画の優れた部分を正しく見抜いた評語が並ぶ。そう、これははっきりと言葉にすることのできない不気味なもの・不安なものを、その複雑なニュアンスを崩さないまま映像にすることに成功した作品。
LGBTQの気配は、その豊かなニュアンスの一部であるにすぎないし、それも作り手は慎重にていねいに扱っている。作り手がこれを「LGBTQの映画ではない」と言うのは当たりまえで、それを批判するのは的外れだと思うよ。
同時に脚本が随所に欠陥を含んでいることも、冷静に画面を見ることのできる観客は、はっきり見て取ることができるはず。つじつまの合わない伏線、思わせぶりだけど話を放り出して終わっているエンディング。脚本がそんなふうだから、海外のレビューも多くはこの映画を「傑作」と言い切ることに躊躇している。
だけどカメラと照明と美術は文句なく今の日本映画の最高水準だし、世界中見渡しても、このレベルで微妙なニュアンスをコントロールできる映画作家はまれ。
その画面の複雑さをささえる技術的達成をきちんと見て評価するべきなんだけど、日本の映画評は、それができないんだよね。朝日新聞に評論家が寄稿したレビューなんて「怪物とは私たちやあなた自身のことだ」…とかさ、ほんと勘弁してほしい。
すべてが素晴らしい、特別な力のある作品
「怪物だ〜れだ」これが全てを物語る。
何がすごいのか?脚本、監督、音楽、演技?全てだった。
最初、学校で起こった出来事と教師達の対応。観客は学校組織、教師が怪物だと感じるだろう。ところが視点が変わるとそれが揺らぐ。
様々な人の中にそれぞれの視点があり正義がある、それが他者から見れば「怪物」と映る。しかもそれだけではなく自分の中にも怪物がいることに気づく。子どもながら性的な恐れとして。
誤解をうむ前提で言えば、洗練された昭和的なストーリーであった是枝作品が洗練された令和的なストーリーにアップデートされたと感じた。
どうしたらこんな深い脚本が書けるのだろう。脚本家坂元裕二の凄さに脱帽。
床に書かれた「6」、1人は「6」と言い、1人は「9」と言う。両方とも事実。見る方向が違うだけと言う話を思い出した。
怪物は〝そこにいる〟のではなく、自分なのかもしれない
なるほど❗️
この脚本の着想は、〝モンスターペアレンツ〟という言葉からきたのですね、たぶん。
一口でモンスターと言っても、そう呼ばれる親が本当にタチの悪いクレーマーの場合もあれば、純粋に子ども思いだからこそ、心ない教師の側から見ればモンスターに見える場合もある。
湊の母にとって一番重要な論点は、事実はどうであったのか、湊がどう心と身体に傷を負ったのか、それらを明らかにしたうえで、どう恢復を図るのか。
そんな前提は、確認するまでもない。
相手が人間であれば。
そう思って乗り込んできた母からすれば、彼らはモンスターにしか見えない。
姿かたちは同じ人間でありながら、〝異界〟に住むモンスター。
特別ではなくても、どちらかと言えば、良心的に子供達と触れ合おうという意欲を持ち合わせた新人教師。
彼から見ればトンチンカンな理屈にもならない理屈で動く先輩教師たち。
実社会でも。
経済合理性の観点からは、明らかに無駄と分かっているのに、ある上席者の面子(メンツ)や形を残すためだけに実務上必要のない説明資料を作らされた、なんて経験はありませんか?
昭和や平成一桁くらいまでは、それも仕事の一部としてなんとなく認められてた部分もありますが、今、それを強要する上司がいれば、理解不能なモンスターでしかありません。イジメなどに比べれば大したことはないように思えますが、その手の理不尽さを耐え難い(常識の範囲でごく普通に合理的な)人にとっては地獄です。メンタルが原因で療養を余儀なくされている勤め人が後をたたない一因でもあります。
怪物だーれだ?
その人は時に手を上げますか?
親ですか?
上司ですか?
先生ですか?
なにが起きていても見て見ぬふりをしますか?
理屈に合わないことを強要しますか?
もしかして、それって、私のことですか?
誰もが誰かにとっての怪物になり得る。
ふたりの子どもたちや陽光燦く緑などがとても美しいだけに、余計に怖さを覚えます。
この映画、ヒューマンミステリーのような体裁なのに、実はヒューマンホラーなのではないでしょうか。
(追記)
湊くん?
この作品の登場人物のしれっとした怖さ(相手が陥る不幸について同情的な共感を持たない)、『母性』のような視点の違い。羅生門よりもかなり恣意的な捉え方。
着想は、モンスターペアレンツからではなく、湊かなえさんの小説かもしれないですね。
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力
怪物とは
① あやしいもの。正体のわからない不思議なもの。また、特に力の強い大きな化け物。
② 性質や行動が普通の人とは非常に違っていて、正体のつかめない人物。
さて、本作における怪物とはいったい誰だったのだろうか?
是枝作品に共通する特徴は、現代社会に対する観客への問題提起と、それにより物事の本質に近づこうとするアプローチ。
旧態依然の教育制度、潔癖過ぎる社会、SNS等の環境変化などの巨大な怪物。または、親、子供たち、先生、それぞれからお互いを見た時に現れる個別の怪物。
問われるのは、目の前の怪物は、果たして本当に怪物なのだろうか?そして、さらに重要な物事の本質を見落としてはいないだろうか?
目に見える「常識」や「確からしさ」の脆弱さと、本質を見極める力を問われる作品でした。
最後に、坂本龍一さんの遺作になったであろう本作。映画界にも多大な影響を与えた坂本さんが亡くなられたことで、一つの時代の節目を感じました。
嘘に傷つく人々の闇が深い
カメラワークや編集は是枝作品ではあるが、坂本作品と言って過言ではない。
カンヌで脚本賞も納得。
クィア・パルム賞も獲得したということで、LGBTに振ったorそれが主題の作品なのかしら?と思って観に行ったのだが、鑑賞後にはそれは構成するごくごく一部の要素であって、主題ではなかったように思った。
いわゆる「ラショーモン・アプローチ」「羅生門メゾット」といわれる、同じ出来事を三者それぞれの視点で繰り返して描く三幕の構成で、それによって「何が、誰が怪物なのか?」ということをあぶりだしていく。
何を言ってもネタバレになっちゃうので、ほかには何も書けないのだが、実に「闇の深い」重たい作品であった。
たぶん海外の賞で高評価を得られると思うが、日本での興行成績的にはやや不安。
個人的にはものすごく興味深いものの、かすかな表情やセリフ、出来事から意味を感じ取り理解する、脳をフル回転して観る必要のある作品でもあるため、観て爽快感はなく、積極的かつ単純に「面白い」と言いにくい。
作文のシーンなど再確認したい気持ちはあるものの、観るとどっと疲れるのでリピートは難しい。
光
台風豪雨の中、初日に鑑賞。
台風豪雨の中でも初日に観たいという魅力が是枝作品にはある。
まず、安藤さくらの母親の身になってだんだんと不安が募ってくる。学校の先生たち、特に校長の態度に我慢がならなくなってくる。(よく角田さんつれてきたなぁ、まさに適役)
次に瑛太が演じるホリ先生、田中裕子の校長の視点から描かれると、謎解きのように面白くなってくる。(今の時代、教師にはなりたくないなぁ)
ミナトとヨリの子どもたちのパートに移り、そうだ、これは是枝作品だ、ミステリーではないんだ。
わかりやすい感動の結末が待っているわけではない。
坂本龍一さんのピアノの調べのように強く深く哀しみの中にも光が見えてくる。
(子どもたちはいい顔してたなぁ。)
是枝作品には台風豪雨の中でも観に行って良かったと思う光があった。
ぶっ壊れた家族の、絶望。
今年のカンヌ国際映画祭で脚本賞。クィア・パルム賞も受賞。まあ、そういう香りも漂うが、思春期前の性が未分化なお年頃の話である。奇しくも同様なテーマで『クローズ』という作品が7月の公開を待っているが、こちらもカンヌでカメラ・ドール賞を受賞している。
構造が『羅生門』(黒澤明監督)を連想させるとして、様々に語れるだろうが、そのあたりはプロの映画評論家に任せる。
「家族」であることをギリギリ耐えて維持してきたこれまでの是枝監督が「家族を諦めた。」のかもしれない。
先入観
小学5年生の息子の異変に気づき本人から話しを聞いて担任を糾弾するシングルマザーと糾弾される担任、そして息子の話。
断髪に水筒にと違和感を見せ始めたと思ったら、でかけたまま帰って来ず耳にケガをしているは走行中の車から飛び降りるはと奇行ラッシュの息子。
そして息子の話しを鵜呑みにし担任による不当な扱いと決めつける母親に、まともに調べもしなければ議論もせずとりあえず無機質に謝罪をする学校という不快な流れから始まって行くけれど、気付けば時間を巻き戻し実は…そしてまた実は…。
見えているものや印象と真実との乖離というところをみせていくのはわかるけれど、最初の実は…は概ね想定ないというかそりゃあそうだろうね。
子供を題材にしている作品ながら、なかなかショッキングな展開は意外だったし、そこからの実は…はきくらか意外性もあったけれど、こういう作品でもやっぱり性自認ネタ入れるんですね。
正直最近の何でもかんでもLGBTQネタは正直食傷気味。
言いたいことはわかるし、重くし過ぎない様にこういうつくり何だろうけれど、結局怪物は…。
この手の作品で飽きさせずに観せてくれたのは大したものだし、面白くはあったけれど、実はの部分にガツンと来る程のギャップがなかったし、悲しさややりきれなさもマイルドだし、何より決めつけることの恐ろしさはあまり感じなかったかな。
深いような。うっすいような。
ふっかい様な
うっすい様な。
どこにでもありそうな
誰にでもありそうな話な様な。
怪物とは何だったのだろうか。
子の為に必死な母親は
先生にとって怪物。
学校を守る為に嘘をつかせる
校長も怪物。
放火する怪物。
虐待する怪物。
校長の夫らしき人物との
面会シーンでの
お菓子泥棒?のくだりは
何だったのだろうか。
雰囲気や演出に
ドギマギさせられて
観てました。
それぞれの視点が終わったら
また最初の視点に個人的には
戻って欲しかった。
エンドロールの「ゆってぃ」が
目に付きました。
どこかに出てたのかな。
追伸、観終わってから日にちが
経つと何かジワジワきますよ。
自分と是枝監督とはどうも合わない。良かったのは「誰も知らない」だけ...
自分と是枝監督とはどうも合わない。良かったのは「誰も知らない」だけです。カンヌも日本も彼を過大評価しすぎているような気がする。まあこの作品をきっかけに実写映画にも客が入る様になれば良いのだが。
トロンボーンとホルンの音色は彼を救ったのか?
終わってみると色々と疑問が湧いて来て、答えが出るものも有り出ないものも有り。まあそういう風に作られている作品です。
トロンボーンの下りは特に色々な事を考えさせられました。
ともあれ観ている間はとにかく最初から最後まで面白く「最高の映画を観ている」という多幸感に包まれていました。
余白の有る映画が好きな人にはお勧めです。
子役2人の演技力が怪物
黒川想矢と柊木陽太のとんでもない演技力が、監督や脚本家の企みを破壊してしまっている。2人に気を取られるあまり、作品が問いかけようとしている命題が気にならなくなり、ラストに至っては、ホントにどうでもよくなった。
もう、2人の物語でよくない?
最初は、母親の視点で始まり、途中から幾人もの視点で、時系列を前後して物語が語られていく。進んでいくにつれて、解像度が上がっていき、真実の輪郭が見えてくる。
ようやくわかってきたところで、「ここから先は、見ているあなたが物語を完成させてください」と、突き放されてしまう。
人間が目にする情報だけでは、真実を捉えることはできない。それは、わかる。違った視点から起こった事象をトレースしていくと、別な真実が見えてくるが、それも一部でしかない。
シュレーディンガーの猫のように、見る行為で客体が決まる。そう考えた方がいいのかもしれない。
安藤さくらに田中裕子の演技力が過剰に発揮されるがあまり、ピースのハマり方が鮮やかすぎるあまり、嘘くさく感じてしまうきらいはある。
そんな気持ちを吹き飛ばしてしまうラストでございました。
怪物になれるくらいないとダメなのかも・・・
母子家庭、モンスターペアレント、家庭内DV、イジメ、教師の学校での立場、学校の隠蔽体質、高齢者の誤操作による運転事故など、日本が抱える様々な社会問題を描いているわけですが、母親、教師、子供たちのそれぞれの視点から物語を重複して展開する構成が素晴らしいと思います。坂本龍一さんの音楽も、登場人物それぞれの心情を表現していて印象的です。結局人間は自分自身を守るため、大切な人を守るため、嘘をつき通すため、自分に都合よく物事を運ぶため、いつでも怪物になれるという事でしょうか。ラスト、嵐が過ぎ去り、子供たちが駆ける場所は天国・・・?
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