怪物のレビュー・感想・評価
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怪物だーれだ?
怪物だーれだ?という予告編のフレーズが、おどろおどろしく不安な印象を与える作品。
学校で起こった子供の喧嘩をきっかけに、大人の間で大騒動になっていく。母親・先生の双方から描かれるストーリーは、一つの真実でも立場によって大きく見え方が変わってくる。
怪物だーれだ?というフレーズは、そんな映画中で実はほのぼの要素(最終的には切ない要素)なのだが、映画全体のストーリーを考えると、観客に突き付けられるフレーズだ。
怪物とは誰だったのだろう?子供を怪我させた(と思われた)教師?学校に乗り込んでくるモンスターペアレント?それに右往左往して悪手を指す学校組織?(殆ど落ち度が無いのに安易に先生に謝らせた学校の初期対応が完全に悪手だったと思うけれど) 自分の子供を豚の脳と表現してしまう父親は当然劣悪だけれど、この映画中では小者だ。
個人的な感想としては、一番の怪物は子供と感じている。虐めも嘘を吐くのも当然悪いこと。でも人生経験の少ない子供たちにとっては、ちょっとしたきっかけで犯してしまう犯罪行為なのではないか?
大人になると、そういった行為によって警察に拘束されたり、周囲の人や社会からの信用を失って、時には職を失い生きていけなくなることを知っているからこそ、多くの人が自制できており、正論で生きていけるだけなのでは?決して子供が邪悪で大人が善良な訳ではないが、大した悪意も覚悟も無く犯される犯罪行為にどう対処するのかというのは、社会としての永遠のテーマと思います。
やはり子供と接する時こそ、襟を正して大人が範を示して、様々な人生経験をさせていかなければいけませんね。
ラストは非常に切ない展開(と自分は解釈している)だけれど、母親と先生の間の誤解が解け、当事者である子供たちの間の真の関係性が明らかになる(であろう)ストーリーは、決してハッピーエンドではないが救いのあるストーリーだったと思う。
この映画は凄かった😵
いじめられッ子だった人は必ず泣きます!
安藤さくらの映画かな?途中から瑛太の話かな?テーマは藪の中かな?違う!いじめられッ子同士の友情とBL?の映画で、主役は子どもふたりで、ラスト10分は演技と映像と音楽にやられて、号泣しました!(当方60歳)。
坂本教授と相米監督が見たら何と言ったかなあ~なんて思いました。
ジョバンニとカンパネルラ
うがった見方
怪物だーれだ
話が進むにつれ、『怪物』が次々と移り変わって見える
それはそれぞれの立場や視点
そして噂、嘘などからも作り上げられてくる。
そして本当に気づくべき
虐待する親や真実を隠す教師、嘘をつく子供は
誰からもみつからない
さて、
ホシカワ君は
あのチャッカマンで放火をしたのだろうか
そう考えた時に
火災のビルの側で女の人と歩いていただけで
キャバクラに通っていると噂をされたホリ先生を
思い出す。
『うがった見方』
それについてホリ先生が語るシーンもあるところがまた面白い。
学校が大切だから本当は孫を轢いたのに
夫に代わってもらった校長先生
それは本当か??
この映画を観る中で
うがった見方で登場人物を見ずにいられた人はいるのだろうか
誰もが自分の観たいように
相手をみているのかもしれない。
虐待する父親はもしかしたら
自分自身も親から同じように育てられてきたのかも
これも、私が見たいように見たかたちです。
怪物というwordの使い方、予告も上手い!
まず、音楽
邪魔にならない主張の塩梅が素晴らしく、本当に美しかった!!!
そして、何にも増して、子どもたちの瞳が美しくて、
それだけで、なんだか泣けてきた…。
人は誰にとっても、捉える側の価値観で怪物になりえる、
母親の「私が話しているのは人間?」のセリフの通りで、
彼女からしたら、話の通じない先生たちは怪物で、
保利先生からしたら、生徒も先生たちも母親も怪物で、
理解できないものは、怪物というWordに当てはめてしまえるのかな。
そして、無垢なとは言い切れない大人になりかけの子ども…
湊は、周りと違う自分を見つけたとき、
また、お母さんの期待する人間に成れないかもな自分に気づいたとき、
自分の中に怪物がいるような気持ちになっちゃたのかなー。
汚れていない分、ウヨウヨと不安の怪物にどうしていいか判らなくなっちゃたのかなー。
依里くんは、あんなお父さんでも大好きなんだよね…
だから、戻ってきて欲しいがために、なまけものに徹していたのに、
急に怪物のごとく動き出しちゃった?
ここで、二人に好かれているが故に翻弄される保利先生、
良い人だったのに、かなりの被害者か?!
いちばん、振り回されているし… 苦笑
そして、田中裕子、結局、今回も一番、印象に残っている。
この校長先生が、自分の中の怪物も、周りの怪物も飼い慣らせている、
いちばんの怪物やも知れん。
また、予告編も上手い!
“怪物”というWordに観客の注意を向け想像を掻き立てる感じに作られてて、
これにもやられた!!
子ども時代の息苦しさを改めて感じた。
是枝監督作品は、普段忘れている心の下に沈んだ澱を、下からかき混ぜる。
観た後、いつも何とも言えない酸っぱい気持ちになる。
今回も、そんな映画だった。
私自身、男の子を2人育てたので、つい母親目線で観てしまった。
いやー、この状況、身が持たないよ。
先生方も学校も変だし、父親たちもダメだ。
湊たちが秘密基地を作りたい気持ちは分かる、でも、数々の奇行、危険行為は、ホンマに勘弁して欲しい。
今回一番感じたのは、「学校」という場、ホントに子どもの成育環境としてこのままでいいのかという点。
私自身、学校はしんどかった。
教師で尊敬できる人は10人に1人くらいだったし、クラスメイトで友達になりたい人はほとんどいなかった。
いじめに加担もしなかったけれど、特に助けもしなかった、学校の人間関係に無関心だった。
勉強を効率よくするために通っていたけど、「学校は刑務所のようだな。刑務所はここよりひどいだろうから、絶対に犯罪者にならないようにしよう」と思ったことを覚えている。
少子化対策の前に、今存在する子どもたちにきちんと向き合う必要があると思う。
坂本龍一さんの音楽は、クラシックのように魂に響きます。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
冷静に見れない
深い映画であった
死生感を小学生が考える世界こそ怪物なのかも
怪物は誰なのか探さなくていい。
人は様々な顔を持つ。
怪物だーれだ?
誰が怪物なのか、わからない。
全員が見る角度を変えると怪物に見えたり天使に見えたりする。
怪物は探さなくていい。
みんながみんな怪物の顔と人間の顔を持っているのだから。
2時間ドラマのサスペンスやミステリーとは対極だ。犯人探しをして最後に、こいつが犯人だった!と分かってスッキリする。
そういう作り物が嫌いだ。
だからなんなの?この人が犯人だから何?と一気に心は物語から遠ざかり、どうでも良くなってしまう。
だけどこの作品は違う。
頭を使って犯人を探すのでは無い。
心の方が物語に吸い寄せられ惹き込まれていくような感覚だ。
火事は全てを失うものでもあり、遠くから見ると美しくもある。
猫を葬るのは残酷にも見えるし、優しさも垣間見える。
こびりついた床の汚れをこそぎ落とすのは頭の下がる行為にも見えるし、自らの罪をこそぎ落とそうとしているようにも見えてくる。
少年二人が本当に素晴らしい。
片方ずつ靴を分け合って歩くシーンはたまらなかった。
2人だけの宇宙が存在する廃列車。
いつか逆再生する日は来るのかな。生まれ変わりはあるのかな?
坂元裕二の脚本は細かすぎていちいち他人に言いにくい事や言わなくていいこと、自分でもよく分かっていないけど、モヤモヤしていることを本当に上手く的確に代弁してくれるから好きだ。
言葉に出来ないことは吹奏楽の音に載せればいい。
声は出なくても怪物の悲しい鳴き声のように、いつか声に出せるまでいつまでもいつまでも響き続けるのだろう。
109のプレミアムシアターで贅沢に鑑賞した。
坂本龍一の美しいピアノの音を、坂本龍一が日本一音のいい映画館だと評した映画館で観る事ができたのも本当に素晴らしかった。
怪物とは?
現在、騒がれているLGBT、それを抱えた幼い子供。
病気だ、治す、という劇中の発言には、非常に心痛を覚えさせられました。
夕闇通り探検隊というゲーム中でも、発達障害の少女に同じ『治す』という表現が使われていて、その点を問題点化されていました。
正にそうした『普通』とは違う、という点がもたらす他人からの評価によって苦しめられる構図は同じものを感じましたね。
普通じゃないことを排他する、一般論という名の感性が産み出す、誰かを何処までも追い詰める善性の形をした型に嵌め込むそれが、本題の『怪物』なのだと、私は思いました。
結局、普通じゃない、とは、一般的ではないというマジョリティへのカテゴライズではないんだなと。
自分とは違う価値観である、という排他の思考なんだと言われたような、そんな映画でした。
だからこそのラストは、そこに至るまでにようやく気付いた先生と母は……誰も報われないなと、思わされました。
いやいやいやいや
子どもの嘘からだいぶ大人が人生台無しですし、保健室の先生、体操服に着替えてる時に虐待に気付いてくださいね?お風呂場で死にそうになってたのにあんな走れますか??え?結局BL?放火の犯人、何故バレない?
テーマは複雑でどこも問題だらけなんでしょうけど、ちょっとネタぶっ込みすぎ違いますのん?
最後収集つかなくなってるやーん!
賞レース的にはお好きそうな作品やね。
怪物は誰か
怪物観ました。
皆んな、いい、いい
言うもんだから期待高で映画館へ。
情報は出来る限り、入れないようにしていたので、タイトルと出演者、監督、坂本龍一ぐらいの情報で観に行きけました。
タイトルが強烈なので、初めは誰が、何が怪物なんだと、自分でもタイトルに先入観があるためか知らない間に怪物探しをしていました。
それぞれの視点で展開していくうちに、
怪物らしき物や人物がどんどん変わっていき、
混乱しましたが
基本は皆んないい人じゃん。皆んな一生懸命に生きてるよね。と思ってきました。
その内にLGBTの色合いが濃くなり
ラストシーンを見終わった頃には、
怪物探しをしている自分が、
実は怪物だったのでは、
と思ってしまった次第です。
是枝監督に怪物探しをしているあなたが、あなたの思考こそが怪物を生み出し、不幸の連鎖を引き起こすのだと、突きつけられてしまった感じでした。皆さんはどうでしたか?
私はエンディングの坂本龍一の曲が流れている中で、しばし呆然としてしまいました。
好きな映画ではないけど、映画を観たと言う実感が湧く映画でした。
出演人ですが
初めは安藤サクラさんの自然な演技に感心してましたが、永山瑛太さん、田中裕子さんは更によかった。
それに匹敵するぐらい子役の2人は素晴らしい。
kids are alright
心の中の怪物
人は誰でも内面に怪物を宿しているのだと思う。
他人の家の火事を見て興奮したり、他人のゴシップをあれこれ詮索して楽しんでみたり。
自覚はなくてもきっかけ次第で誰しもが相手にとって怪物的な存在になってしまう可能性があるのだ。
まずはシングルマザーで小学生の息子湊を育て上げてきた早織。
彼女は湊の言動に違和感を覚え、学校で苛められているのではないかと彼を問い詰める。
すると湊は担任の保利に暴力を振るわれた、「お前の脳は豚の脳だ」と暴言を吐かれたと衝撃の告白をする。
真相を確かめに学校に乗り込んだ早織だが、校長を初め学校の教師たちはまるで血の通っているとは思えない事務的な態度を取るばかりだ。
やがて現れた保利は誠意の欠片もなく、誤解を与えてしまったことだけをぼそぼそと謝罪をする。
誤解ではない、実際に暴力を振るったのかどうかを厳しく問い詰める早織だが、学校側はまったく真摯な対応を見せない。
その後も保利の湊に対する接し方は変わらず、早織は何度も学校に詰めかける。
そして湊の友達だという依里の証言で、ようやく学校側も保利が生徒に暴力を振るっていた事実を認める。
しかしそれだけで事態が収まるわけではなかった。
夜中に家を抜け出し山の中の廃トンネルに入ったり、自傷行為をしてしまう湊に早織はついつい感情的に接してしまう。
そしてある台風の夜に、湊は姿を消してしまう。
人はどうしても自分や自分の大切な人を傷つけられると、周りが見えなくなってしまいがちだ。
どこか自分を俯瞰する視点を持たないと、焦れば焦るほど事態は悪くなってしまう。
早織にとっては不誠実な教師たちが怪物に見えたかもしれないが、学校側も早織をモンスターペアレントだと認識していただろう。
そして物語は保利の視点へと変わる。
早織の目からは不誠実に見えた保利だが、不器用な彼は彼なりに児童と真摯に向き合おうとしていた。
ある日保利は教室で暴れる湊を抑えようとし、誤って怪我をさせてしまう。
彼の視点では確かに暴力を振るったと湊に誤解をさせてしまったようだ。
彼は早織に弁解しようとするが、学校側は事態がややこしくなるからと黙っているように彼を促す。
かと思えば最終的に学校を守るために彼にすべてを認めて謝罪するように迫る。
依里による日常的に保利が湊に暴力を振るっていたという証言は、彼にとってはまるで心当たりのないことだった。
やがて彼は辞職に追い込まれ、誤解を解こうと湊に迫るが、それがまた事態を悪化させてしまう。
保利にとっては学校側も自分に不利な証言をした児童たちも怪物に見えたことだろう。
大切な一人息子を助けたい早織と、誤解を解きたい保利の心情はとても共感出来る。
が、最後に描かれる湊と依里の心情は非常に個人的で共感するのは難しいと思った。
死んだ父親のようにはなれないとコンプレックスを抱く湊と、父親に虐待を受け、「お前の脳は豚の脳だ」と蔑まれ続けてきた依里。
お互いに強く惹かれ合うものがあるのだが、依里はクラスで苛めにあっており、湊は仲良くしているところを人に見られたくない。
だから人前では湊は依里に対して残酷な仕打ちをしてしまう。
他人から見れば湊が依里を苛めていると受け取られても仕方がない。
二人が誰にも気兼ねすることなく心を通わせることが出来るのは、廃トンネルを越えた先にある廃電車の中だけだ。
ここは二人にとって特別な場所となる。
鬱屈したものを抱えた二人は、いつしか保利を悪者に仕立て上げてしまう。
二人にとっては正統的な理由があったのかもしれないが、人生を狂わされてしまった保利があまりにも不憫である。
それでも保利が自分に落ち度があったのだと、湊を救おうと懸命に働きかける姿には心を動かされた。
この作品を見て、例えば残酷な事件を起こした犯人がいたとして、真相を知らない人々はその犯人を怪物のように捉えるだろうが、ひょっとするとその犯人は誰も理解者がいないまま追い詰められるところまで追い詰められてしまった犠牲者である可能性もあるのではないかと思った。
無自覚に、あるいは無神経にその犯人を追い詰めてしまった人々の中にも怪物は存在するのだろう。
「怪物だぁれだ」という呼び掛けが何度も繰り返されるが、真相を知るうちに真の怪物などいないのだとも、どこにでも怪物はいるのだとも感じた。
一番印象的だったのが、事務的で感情のこもらない、孫の事故死に関与しているのではないかと囁かれていた校長の伏見の「誰でも手に入れられるのが本当の幸福」だという言葉だ。
本当は幸福はすぐ近くにあるのに、人は人と比べたり、高望みをすることで幸福を手放してしまう。
そしていつしか心に怪物を宿すようになる。
とてもメッセージ性の強い作品で、是枝監督らしいリアルで自然な演出が今回も際立っていたが、やや脚本が技巧的すぎて、『誰も知らない』のようなストレートにずんと心に響くような感動は薄まってしまったようにも感じた。
全員のそれぞれの視点からみた時に分かる作品
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