「somewhere」怪物 かぜさんの映画レビュー(感想・評価)
somewhere
ウエストサイドストーリーの秀逸なナンバーのひとつにsomewhereがある。スピルバーグ版ではオリジナル版のアニタ役のリタ・モレノが唄うが、マリアとトニーがデュエットする前作のナンバーの方が、行き場のない愛する二人の切なさに涙せずいられない程、感動的だ。このナンバーは、実は男女になぞらえて、当時はひた隠しにしなければならなかった同性愛者の心情を表現したと言う逸話がまことしやかに語られていた。しかし、スピルバーグ版の新作のメイキングでスピルバーグはこの映画に携わった主要スタッフが同性愛者だったことを公言した。ウエストサイドストーリーが、半世紀経っても今なお色褪せないのは、人間そのもののアイデンティティーの問題と言う永遠のテーマを訴えているからだ。(映画の中でジェット団に入りたがるボーイッシュな女の子の存在は、今なら多くの人が理解出来る)
怪物のラスト、二人の少年が台風一過の清々しい晴天の中を閉鎖されていた線路を駆け抜けて行く。これはあくまで自分の解釈だが、やはりこの二人の少年はこの世にはいない。台風の日に自宅の浴室で自殺しようとした少年を助けて、二人が唯一呼吸の出来る森の中の廃車へと逃げ込む。映画では、二人の少年が死の覚悟をしながら亡くなったのか、そんな暇もなく死んでしまったのかは、観客に委ねれている。
この映画が多くの人に評価されたのは、「怪物だれーだ」と言う問いかけに、単純な回答を用意しなかったからだろう。人間は誰しもその中にモンスターの要素を内蔵していると言うことなのか、それとももっと究極を極めれば、そんな人は誰もいないと言う事なのか?後者を信じたい自分がいるが、昨今の世の中を見ると、前者なのかと疑ってしまう自分がいるのも否定出来ない。