「残酷だけど、ずっとずっと美しい」怪物 HKさんの映画レビュー(感想・評価)
残酷だけど、ずっとずっと美しい
怪物だーれだ。
映画に出てくる"怪物"は一体誰なのか?
観客はタイトルに引っ張られ、このような考察をしながら映画を観るだろう。
学校の汚れをガリガリと落としている校長か?保利先生か?母親か?もしくは子供たちか?そのような奇妙さが前半この映画に蔓延している。得体の知れない不気味さである。
そして母親の視点、教師の視点となるうちに物語の全貌が少しづつ明らかになる。
教室の真実は大人からは決して見えない。まさにブラックボックスだ。そして大人たちの"物語"によって子供たちは勝手に解釈されていく。
最後に子供たちの目線が描かれる。教室は残酷だ。まだ鎧のない子供への言葉は、ダイレクトに傷付ける。コミュニケーションとは、どうしても加害性をともなう。だからこそ子供たちは、その残酷さも美しさも両方を大人よりも痛いほど知っている。
大人の視点で描かれたトンネルは不気味だ。でも、子供たちからしたらあそこは唯一の逃げ場なのだ。
誰かを怪物に仕立てようとする観客を、私たちをこの映画はまるで批評する。
確かに終盤になるにつれて映画の物語性は少なくなる。そこにはただ社会に揉まれながらも、自分自身で行き場を見つけ出す子供の姿が描かれる。是枝監督らしく、子供たちに優しく繊細にレンズ向けている。よって物語の終盤、観客は子供たちと同じ目線で傷つきながら、それでも美しく共に過ごす。
中盤までは言葉で語りつつ最後はやはり映像で語る。絶妙な塩梅である。
最後はなんて美しいのだろうか。この映画は結局何も変わってないし、変わることなんて出来ないだろう。ただそれでも、最後の映像があるだけで観客は心の底から救われる。
本当に素晴らしい映画はテーマに沿って人が動いていない。必然的にそこに存るのだ。それをカメラでどうにかすくい取る。それを見た人がテーマを勝手に見出す。監督の発言もこのような意図があったのだろう。