「「怪物だーれだ」同士のみが共有できる密やかなジョーク」怪物 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
「怪物だーれだ」同士のみが共有できる密やかなジョーク
「怪物」って何だろう。
能面のような校長か、息子を盲信するシングルマザーか、子供を虐待する父親か、何の考えもなくいじめをする子供たちか。
事なかれ主義の学校と戦うシングルマザーが主人公の話かと思いきや、二転三転する。
実は、主人公は彼女の一人息子の湊のほうだった。
「羅生門」のよう、と聞いていたがちょっと違うかな、と思う。
羅生門は「ある事実」がそれぞれの視点で違う内容になり、真実は藪の中、という話と記憶しているが、本作は、関係者がそれぞれ、自分が見聞きした「事実の一部分」しか知らない。彼らは事実の欠片からそれぞれの解釈で事態を類推して「こういうこと」と思い込んでいただけ。だれも全容を知らないのだ。
全容はやがて、当事者の子供二人の立場から明かされ、ようやくすべてが繋がる。
観客と大人たちはここで初めて真実を知ることになるのだ。
そして、些細な描写の積み重ねから、LGBTの話だったか、と分かるようになる。
湊は変声期を迎えているようだ。
第二次性徴が始まる、この年ごろから他の人と違うセクュシュアリティを持つことを知りはじめるのだろう、それは自身の存在に関わる、一人では抱えきれないほどの悩みと思う。
親にも打ち明けられない。「想い人」依里はそれが故に「病気」として、矯正という名のもとに父親から虐待されている。なにより自分自身が「病気」と言われるほどの異常者なのだと感じる。これは地獄だ。
依里の方は心は女の子、という感じで、その傾向を隠さない。男子に虐められるが女子に味方されて仲間になって、そこそこうまく生きているたくましさがあるが、これは虐待されている子供が身につけた処世術から来ているかも。
湊の傾向とはまたちょっと違うようで、彼らの個性も一言でLGBTと言えない多様性があると思う。
湊と依里の心中が、セリフで説明ではなく行動や、短い言葉、仕草等で丁寧に描かれて、その深刻さが伝わってきて胸が苦しい。
「怪物」とは、湊が自分自身をそう感じ、恐れたのだと思う。
「怪物だ~れだ」お前と僕!
これは、「同士」のみが共有できる、密やかなジョークに聞こえる。
最近、「結末は観ている方の想像にお任せ」な映画がトレンドなんだろうか。
私は結末はきっちり描いてほしい。観客の想像にお任せ、は作り手の逃げのように感じてしまいます。
とにかく二人の子役が素晴らしい。
演技派の大人の俳優女優揃う中、彼らと互角かそれ以上に、主役にふさわしい堂々たる演技力で、映画を見せる。
是枝監督作品の子役の良さには定評があるが、作品はこのところ今ひとつだった。
今回脚本を坂元裕二に任せたのが良かったのでは、と思う。