ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ゴジラとは🦖
ゴジラ映画は子供の頃以外全くというほど観ていないので、どのように観るべきか⁉️
第二次世界大戦末期が背景とは驚き。
いろいろと伏線ありきの時代設定かと。
最新ゴジラは、水陸両用に驚いた。
水深千m以上に沈まされてもあの回復力。
肺などは、両生類に近いのか?やはり魚類か?
放射能も発するらしい、これは今までのと同じかな。
あの顔、昔観たのはもっとイケメン(じっと考えたらイケメンは♂、コイツはどちらか?ミミズのようか?)ぽい印象があったが、本作の顔ぶっつぶれて凶悪犯そのもの。性格もしぶとそうで、人間でも親しくなりたくないタイプ。
そして、強いんだぁ。デッカい💣を爆発させてもビクともしない。機銃掃射なんて蚊が止まった程にも感じていないのだろうな。
神木隆之介さんが逃げ延びた島の整備員皆殺し、高雄の乗組員も船🚢と共に。
銀座無茶苦茶、多数の死者続出。
ずーっと考えて観ていた。
コイツは何の為にこんなことしているんだ。
破壊と殺しが好きなんか⁉️
理由教えてくれるわけもなくまたひたすら破壊し踏んづけて殺している。
wowowで今ゴジラ特集しているが、
そのナレーションで、
🦖70年前から日本に度々やって来たゴジラ🦖
ってありましたが、
日本にゴジラ来ていましたっけ?
予算が少ない中の力作だそうで、なるほど、
壊されたビルの中紙みたいだし、戦闘機もオモチャぽいし、街中もしっかり作ってあるところとそうでないところが。
わりと船🚢はしっかりと作っているように見えたが、何せ素人なので。
肝心のゴジラは、怒った時だか背中の硬そうな背ビレみたいなのが青白く光りながら、カキーン、カキーンと飛び出してくる仕組み。
これはしっかり作っているのだろう。
やはり考えてしまう。
コイツは何が目的でここに来たんだ⁉️と。
海の底から来たのか?ならば、水圧なんて怖くない。
神木隆之介さんと浜辺美波ちゃんが、大人っぽく一緒に住んでてもオママゴトしているように見える可愛い二人。浜辺美波ちゃん正統派ぽく綺麗だから、昭和初めの青春ドラマのヒロインみたいな髪型服装しぐさ。神木隆之介さんも頭に包帯巻いて革ジャンぽいの着て石原裕次郎さん意識❓と思った。
吉岡秀隆さん博士っぽい演出かもだけど、もうちょっと散髪した方がいいと思った。
安藤サクラさん演技上手いと思っているが、本作実年齢よりも上の役柄のせいかくどい。
山田裕貴さん、初めわからなかった。役に応じてコロッと見た目も雰囲気テンションも変わる。
佐々木蔵之介さん自然な演技。
セリフで、
俺たちは生き残ってしまった、
だから今度こそ! ってみんなで死のうって❓
戦時中とおんなじだ。
まぁまぁおもしろかったけど、
海底で復活の兆しあり、で怖〜〜〜い😱
ゴジラの重さは感じとれる
前半部の人間ドラマが面白味に欠けて、ゴジラが上陸してくるまでにあやうく寝そうになる。神木君のしきりに声を張り上げる演技が、宮本から君へのようで暑苦しい。そんなに熱いキャラなら神風隊を逃げるかな?っていう疑問も湧いてくる。
海中バトルから上陸後のゴジラは行動自体は少ないものの一発一発が重く、風や熱線などの演出が迫力十分でこれだけでも充分お釣りがくる。ただラストの骨折した仲間が助っ人にくる、特攻すると見せかけ脱出、実は生きていたヒロインなど、ストーリーが読みやすいのでびっくりポイントがほしい。
総評として、人間ドラマのチープさを除けば満足できるのだが、それが長いのがこの映画最大のウィークポンイト。
タイミング良っ
神木君も結構な大人になりましたがやっぱり童顔なので必死で右往左往してると頑張れ!って気持ちになりますね。最後特攻で終わったら最悪だなと思って見ていたので生きててよかったです
話は何だか色々タイミング良すぎな気がしますが、テンポよく話が進むのでサクサク見れました
今回、お人間さん達がかなり頭脳プレイでゴジラを色々振り回しますが、
ゴジラも別に悪意があるわけではない大きめの野生動物なので水中に引きずり込まれて急浮上させられてるのは少しかわいそうな感じでした😪
ALWAYS 三丁目のゴジラ
冒頭のゴジラ顔見せ後のしばらくの人情劇が冗長で「あれ?ゴジラ観てるんだよな?」ってなった。
「主人公死なない補正」が効きすぎでメインキャラが誰も死なないのもちょっと興醒め
テレビだとそういう小さな所が気になってしまうので「細けぇ所はいいんだよ」の大迫力で押し切るにはゴジラはやっぱり大スクリーンで観るべきw
やっぱりなという残念さ
監督が監督な時点で期待もしてなかったが、
見たら見たで、でしょうねぇ……という程度。
ゴジラの顔のデザインは平成ゴジラ(VSモスラが近いかな)そのもので、過去のデザインをトレースしただけですか?今さらわざわざ単独作品作ったんじゃないんですか?少しはデザインという仕事してくださいよ、と思う。
また、主要キャストの配役も、う〜ん………という感じだし、とにかく邦画にありがちな、どんな状況に置かれてもメイク然としてリアリティのない汚れ方というか、街はどんなに壊れてもキャラクターはずいぶんお綺麗な顔してますよねぇという、邦画あるあるの汚れないキャラクター達に失笑。
ほんっと、リアリティとか云々の前に、少しは真面目にやって下さいよと思いますよねー。
ほんっと日本映画の悪いところですね。
シナリオももう山崎節全開で嫌いです。
なんでゴジラの監督したのか本当に謎。
やっぱりなという展開、シナリオ。
潔癖症の人が、大便を如何に綺麗に撮るかに徹底的に拘り抜いたような映画、という印象。
最後の「死んでませんでしたぁ〜」的な展開も本当に反吐が出ましたね。
私にはとことん合わない監督さんなんでしょうね。
う〜ん、映画の評価としては高校生の文化祭レベルだと思います。
自分の悩みが小さく感じられる
もともと特攻部隊で、自分のことを生きていてはいけない人間だと思いながらも、死ぬ勇気すらなく自己嫌悪に陥っているところに人間味を感じた。繰り返す不幸で、遂に日本を守るために死ぬ決心がついたが、結局脱出装置で生き延びたところにメッセージ性があるのだと思った。
IMAXで見たら大変だと思いました。
私はホラー映画だけは映画館で見ないと決めています。
理由は逃げ場がないからです。
家で見ている時は音量を下げる、停止するなど回避できるからです。
ホラーではないけどIMAXで見なくて良かった。
あんな大音響、大画面でゴジラと対峙したら、心臓止まる。
ゴジラは容赦ないので見逃してくれない。あっちを向いてるけど、絶対にこっちに気づく。
「来るぞ!来るぞ!こっち向くな!」と思っている時間。
お化け屋敷でいつお化けが出るかと怯えて歩く時の心境です。
そして、必ず気づかれる。
目が合う、あんな至近距離で!!
ロック・オンされたらもう絶対絶命!
配信で見たのでテレビの前で「ふわっ!?」とか「うっ!」とか声出しながら見てました。
テレビの小さな画面でもあんな大迫力。私はIMAXでなくて良かった。
(IMAXファンの方ごめんなさい。)
シン・ゴジラでは自衛隊の作戦が主でキビキビした隊員の行動や最先端兵器を駆使した映像がカッコ良い。華美を排した機能美がカッコ良かったのですが、作戦中は人としての感情も排した場面が多く、片桐はいりさんが職員のためにいろいろ配慮する場面などに、数少ない血の通った人としての温かさを感じたのが印象的でした。
今回は戦後の混乱の中、物資も少ない、あの時代の船や武器で戦うなんて無理!
頼りはあの時代の方達の辛抱強さ、根性、特攻精神。
戦争で何もかも無くなってゼロから、市井の人々のお互い様精神で助け合ってなんとか生きていたのにゴジラがさらに負荷をかけてきて「−1.0」なんですね。
戦後の復興半ばの街は放射線ビームで一瞬にして破壊されてしまった。
最後、典子が生きていて良かったー!と思ったのも束の間、首筋に立ち上る黒いものに戦慄して終わる。
最後まで緊張感が続き、疲れましたが面白かったです!
後でメイキングも見たらさらに面白く感じました。
遅まきながら感想
映画館でも見たが、アマプラで二回目鑑賞、やはり脚本に難あり、自分はシンゴジラの方が良かった。
敷島のキャラクターに感情移入ができなかった。
最後の典子のゴジラ細胞の下りも不要かな、考察勢は喜ぶとは思うが、
シンゴジラが楽しめなかった人は、楽しめるとは思う。
日本の戦争やゴジラに興味がなかった人には良い「入門編」だったかも。
山崎監督の作品は『永遠のゼロ』『アルキメデスの大戦』くらいしか見ていませんでしたが、どちらも自分には物足りなく、今回のゴジラにも大きな期待はしていませんでした。
しかし50年来のゴジラファンとしては大スクリーンでの上映を見逃すつもりもなく、封切りから1週間くらいのところで劇場に観にいきました。
CGはさすがです。シンゴジラみたいにお粗末な部分はもう感じられず、日本映画の進歩を素直に喜びたい。
でもやはり脚本が・・・
私が不満に感じたのは、大きくは以下の4点でした。
①敷島の特攻隊員としての葛藤や覚悟、未練などをもうちょっと彫り込んで描いてほしかった。
②ゴジラのキャラクターというか習性がまったく描かれていなかったため、そこには謎も困難もなく、唐突に「海神作戦」という「答え」が登場している違和感。
③海神作戦で深海から急浮上したゴジラのダメージがぜんぜん描けていない。あんなに良いCGをつくっていながらなぜ?
④敷島と橘の関係はもう「ひとひねり」「屈折」させても良かったのでは?
【①敷島の特攻隊員としての葛藤や覚悟、未練などについて】
尺が足りなかったからなのですが、敷島がなぜ大戸島でゴジラへの射撃を躊躇したのかが描かれていなかったこと(小説版にはあるとのことです)が、キャラクター造形の浅さの発端になったのではないかと考えています。
そこがなかったために、自分だけが生き残っていることに対する葛藤がうまく描けず、あの夜の大げさな演技という結果になったのでは?と感じています。
そしてあれだけ「家族の再構築」を描くのに手間をかけたのなら、ゴジラの口に特攻する瞬間ももっと有効に使えたのではないでしょうか。
実在の特攻隊員がどのような遺書を残したかを吟味し、最期の瞬間にどのような態度でどのような言葉を発していたかを想像するならば、あのシーンはもっとさまざまな心情を詰め込んで伝えることができたと思います。
【②ゴジラのキャラクターというか習性がまったく描かれていないことについて】
これは歴代ゴジラ作品の中でもワーストの方に数えられるのでは?
今回のゴジラは「眼が活きている」ゴジラなので、視線が感じられて目力もあるのですが、それが何のためにあるのかまったくわかりませんでした。
ゴジラが何に反応し何をしたいのかが表せる眼の表情があるのに、表現する対象がありません。
その点でシンゴジラはどこを見ているかわからない「死んだ目」をしているので意図がまったく読めないわけですが、その破壊力だけはすさまじいので、逆に「まさに破壊するためだけの謎の存在」というキャラクターがはっきりと打ち出せています。
また進化のような変態を取り入れたことで、意図はわからなくとも「生物である」ことは印象づけられますし「しかも生物の頂点らしい」という謎を含んだキャラクターとして描くことに成功していると思いますが、このマイゴジはどうでしょうか?
生物らしい習性とか、習性が暴走しているような「行動の背景」がまったく感じられず、私にはストーリーの都合で戦艦を破壊したり小船を追いかけたりビルを破壊したりさせているようにしか思えませんでした。
ですから物語の中に「謎」も「困難」も感じられず、それを乗り越える人間も描けていないのではないかと思います。
ガメラは「人間の味方」「子どもが好き」などのキャラクターが固まっていますが、ゴジラはキャラが固まっていません。
そこを作品ごとに独自の味付けをしていくところがゴジラ作品群の魅力のひとつだと思うのですが、このマイゴジはその点があまりにもお粗末だったのでは、と私は感じています。
【③海神作戦で深海から急浮上したゴジラのダメージが描けていないことについて】
まあこれは表現の説得力の問題ですから些末なことかもしれませんが・・・。
「深海1500mから急浮上したダメージ」というのはおそらく「潜水病」のことだと思いますが、そこは明言していませんでしたね。
高い水圧によって血液中に溶け込んだ大量の気体が、急激な減圧によって血液内でふたたび大量の気体に戻ることで起こる障害として、もっとダイナミックに描けばよかったと思います。
たとえば野田が海神作戦の説明をする段階で、ラムネの瓶を出して振ってみせ、栓を抜いて泡が溢れ出ることで「急浮上したダメージ」を「体液が沸騰するような状態」などと説明させておけば、実際にゴジラが急浮上したときに身体のあちこちがひび割れて、そこから泡立った体液が吹き出すようなシーンでゴジラの深刻なダメージは表現できると思うのですが・・・なぜ肝心な部分をぼかしてしまうのだろうと不思議でした。
まあ実際の生物としては、ミナミゾウアザラシは水深2100m、セイウチは水深1500mまで潜って急浮上してもダメージはないそうなんですが、エンターテイメントとしてはもっとダメージを表現するべきだったんじゃないかと思います。
【④敷島と橘の関係は「もうひとひねり」「屈折」していても良かったのでは?】
橘は敷島に仲間を見殺しにされた恨みがあるんですから、事前に脱出装置の説明を親切にしている場合じゃないでしょ?って思いましたし、そのシーンを説明ふうに後から挿入するっていうのもなぁ・・・と。
橘は作戦の成功と敷島への復讐を同時に晴らす方法として「特攻による爆破は成功させて、それ以外の敷島がやろうとすることは邪魔する」というスタンスの方が屈折してて良かったのではと思いました。
たとえば橘は、シートの脱出装置のレバーは作動できないようにこっそり細工をして、代わりに爆弾の安全装置のレバーに脱出装置の機構を接続するような細工をするわけです。
そうすると、敷島が助かろうとして脱出装置のレバーを引いても助からないわけですし、敷島が本気で自爆しようと安全装置のレバーを引くと、同時に射出されて助かってしまうわけですよね。どちらに転んでも敷島の思いどおりにはならない。
「典子ー!」とか叫んで本気で死ぬつもりだった敷島が、呆然とした表情でパラシュートで降下し、その手には爆弾の安全装置のレバーが握られていた・・・なんて方がエンターテイメントとしては面白くないですか?
そして敷島の生還を耳にした橘が「(大戸島で死んだ仲間たちの)遺族全員に土下座するまで、お前は死んじゃぁならねぇんだよ」とか吐き捨てるほうが、橘の複雑な思いが伝わって良かったんじゃないかなと思いました。
この④については劇場で観劇中、リアルタイムで考えていました。
こんな感じで観劇後は「歴代ゴジラ映画ではまちがいなくトップの(映像的)出来栄え」という感想と「観ても何も心に残らない作品」という感想が自分の中に同居していました。
そのような思いをかかえているところに次々とアカデミーの吉報が押し寄せてきて、なんとなくレビューを書かないままに時間が経っていたのですが・・・
自分の中でこの評価の「ズレ」がある程度咀嚼できてきたので、今回レビューを書いてみました。
結局、ゴジラに対する思い入れが強い人や、日本の戦争に対して思い入れが強い人にとっては極めて「掘り込みの浅い作品」として感じられており、一方でゴジラや日本の戦争に強い思い入れのなかった人にとっては「なるほどなと思った」「バランスのよい作品」「新しい視点のゴジラ」などという好感の持てる作品に見えたんじゃないかな、と解釈している現在です。
ゴジラが実在した国産戦闘機と戦った!!
面白かった。好きなゴジラ映画のうちに入る作品でした。
先に「ん?」となった点を3点上げておく。
①登場人物への感情移入が難しかった。
山崎貴の描く昭和初期〜中期の日本はファンタジーの世界である。
見た目は昔の日本なのだが中身の人間性に現実感が無い。本当にこんな人居るかな?、と思ってしまい共感するのが難しかった。人間が清く正しく生きれる範囲が広すぎるという感じ。
終戦直後の日本で赤子を預かれる器量、言い換えればそんな余裕が本当にあるのか。
自分が生き残ることで精一杯な時に本当に子供を引き受けられるのか。
自分が同じ立場だったら出来ないと思う。そこに清すぎて逆に人間性の欠如を感じてしまった。
おそらくアニメならこの人間性でも良かったかもしれない。実写のリアリズムでは浮いてしまった。
②敷島が覚悟を持てた過程
冒頭、敷島はゼロ戦からゴジラに機銃を撃てなかった。なのに戦艦高雄との共戦時に敷島は機銃を撃てた。その理由が欲しかった。また、なぜ中盤、浜辺美波との衝突で敷島は生きようと思えたのか。そこが少し強引だったかなと思う。
③やっぱり浜辺美波、アレなら死んでるよね…
浜辺美波が生きていたことに対して冷めてしまった自分が居た。彼女が生きていたことで主人公達は死ぬことはない特別なグループなんだって思ってしまった。死だけは誰にでも平等に降りかかる。だからこそ、最後、神木隆之介は生きようとしたと思えたのでは無いか。
ただし映画はそもそもファンタジーの世界である。そこまで夢を捨てる必要性があるのか、という思いもよくわかる。
と、ここまでは引っかかった点。
ここから先はベタ褒めする。
とにかく神木隆之介が素晴らしい。
この役を説得力を持って成立させた彼の演技力がこの作品を名作にしたと思う。
神木隆之介演じる敷島が何かと言うと国や社会からの暴力、殴る蹴るといった直接的ではない同調圧力や責任に乗せて死を迫ってくる暴力に抗った男である。(あの時代にそれが出来たのかという疑問もあるが…)
彼はそれに抗った為に亡くなった人の無念と自分が生きる責任に向き合うことになる。
そして彼に降りかかった生活圏の破壊、知人や家族との死別、死といった第二次世界大戦そのものの象徴が今回のゴジラである。
このゴジラ=戦争と主人公が対峙して立ち向かっていく(文字通り物理的にも立ち向かう)
本当に震電出てきた時、メッチャ、テンション上がったよね…
で、震電に乗って飛び立つ神木くん、カッコ良すぎたよね…
思えば今までオキシジェンデストロイヤーだとか、メカゴジラだとか、スーパーXだとかたくさん対ゴジラ兵器出てきたけど実在する国産戦闘機vsゴジラですよ。初めてじゃないかな?素晴らしい。
そして、この震電に搭載したモノこそが戦争を生き残った人間への回答になっているのも上手いなーって思った。ラストのゴジラと震電の散り際も綺麗だった。
あとゴジラ怖かったー。
なんであんなに怖いかって、近い!
とにかく怖い近さ。アングルの選定もうまかった。
高雄戦の時、木造船の後ろから迫るゴジラというカットがなんかサンダ対ガイラのサンダが漁船襲うところ思い出した。
とにかくカットも良かったなー。
あとはやっぱりシンゴジラへのリスペクトとアンチテーゼを感じた。
シンゴジラは庵野さんの人間感が反映されており、人は組織の中に居なければ存在できない。社会の中で役目が与えられるからこそ存在できるのが庵野さんの人間観である。
シンゴジラの主人公・矢口は政治家としての責任、役目をやり遂げる為にゴジラと戦った。だから彼の私生活や内面の感情が描かれない。もっとキツく言うと無い。
ゴジラを迎え撃つ組織も社会という役目のトップ、政府だった。
だがゴジラ-1.0は違う。主人公・敷島は社会から与えられた責任から逃げ続けた男である。
そして彼には社会での役目、家庭での役目、内面の気持ち、全て描かれる。
ゴジラを迎え撃つのも民間組織だった。
(なんなら国会議事堂をゴジラの熱線で吹っ飛ばしてる)
タイトルにしてもそう。
本作の舞台設定が1945年から1947年なので第1作ゴジラ公開時の1954年より前。なので-1.0なのかなと、思う反面、前作「シンゴジラ」というタイトルは「第1作ゴジラの上に積み上げてきたゴジラは前作までで終わり。ここから先のゴジラはシンゴジラの上に積み重なりますよ」、という非常にエゴなタイトルにも感じる。
そこで本作「ゴジラ-1.0」は「あ、じゃあ積み上げません。減らします」という意思かなとも思った。
ただ、シンゴジラの影響下には間違いなくある作品でシンゴジラ以前のゴジラはキャラクターとしてのゴジラだった。
シンゴジラ、ゴジラ-1.0のゴジラは何かの象徴になっている。
シンゴジラのゴジラは東北関東大震災や原子力発電所の事故、ゴジラ-1.0は第二次世界大戦の象徴である。
キャラクターとしてのゴジラはレジェンダリーに任せて東宝のゴジラはより文学的なゴジラになってきた。
そしてそれは正しい。なぜならゴジラ第1作がそもそも象徴としてゴジラを描いていたのだから。
あと、冒頭でジュラシックパークやって中盤でジョーズやって、ラスト、スターウォーズやったらそりゃスピルバーグ喜ぶよね(苦笑)
控えめに言って最高
ちなみに俺もアマプラです。興味持ったときには上映がすでに終わってたので。
代わりに円盤を買いました。名言シールで名言と言えるのは「海神作戦を開始する」と「生きろ」だけだと思う。
あと、アマプラをスマホで見てるとお休みモード機能を使ってお手軽にモノクロ映像に出来るのが地味に便利。
正直なところ、アンチレビューの的はずれ加減が結構鼻につきますね。言いたいことは結構あるけど、まあ放っておきましょう。ただ、せめて話の内容理解してから書こうよと私は言いたい。
ドンパチ系洋画が専門だったのでゴジラをまともに観たのって実は初めてなんですが、-1.0すげー良いですね。終戦直後の日本人の会話にしてはクラス、メッセージ、ダメージ、ペアを組むなど外来語が多すぎる気はしますが。
ゴジラと海水の間に気泡で幕を作り、浮力を失わせることで深海まで一気に沈没させ圧殺しようとする発想は、実に斬新だと思いました。まあ実際に泡で浮力を失わせるには泡の量が全然足りないらしいし、海面下1500mで展開するほど高圧の浮袋は水面に到達する前に破裂してしまうでしょうけど、でも本作はそこらへんをもっともらしく見せるのが非常に巧かったです。勢いで押し切ってるだけと言えばそうかもしれないけどさ、芸術とは最も美しい嘘のことであるbyドビュッシー。
ただ、46サンチ砲弾に関しては加工しとくべきだったんじゃないかなあ。砲弾は運動エネルギーと爆圧でゴジラの周囲の水を吹き飛ばして空洞を作り、そこにゴジラを落とし込んで完全に水没させるというフロンガスボンベによる発泡の前段階として使用されるのですが、砲弾をワッドカッター弾の様に尖端を切断したりさらにそこを凹型に加工してソフトポイント状にすることでより効率よく運動エネルギーを放出できると思うんですよね。
あと短くていいから、発射ガスに指向性を持たせるための砲身が欲しい。ゴルゴ13とかルパン三世の映画、あとジョジョで薬莢についた弾丸を銃に装填せずに直接撃発ってのをやってましたが、銃に装填せずに撃発した銃弾は一メートル飛ぶかどうかも怪しいです。銃弾や砲弾は銃身や砲身によって圧力が上がり指向性が与えられるからこそ十分な運動エネルギーを帯びるので。上記の三作品でやってたやり方で銃弾が十分な殺傷能力を持つなら、銃なんて要らないですからね。
そして戦闘シーンのテーマ曲の入りがめっちゃかっこいい。
その一方でゴジラがシンクロナイズドスイミングみたいに立ち泳ぎしながら海上で直立してる光景は、想像するだけで【萌ゑ】。
それと特攻というのは褒められた作戦ではないですが、本作の主人公・敷島の子供の未来のために刺し違えてでもゴジラを斃すという覚悟は悲壮であると同時にとても心を揺さぶるものでした。これぞ本物の兵(つわもの)。
まあ別にね、演技の巧い下手ってのは勝手に脳内補正しとけばいいんですよ。
演技過剰で諄くなるのとどっちがましかって話で。
ただ、銀座にゴジラが出現したシーンで戦車隊が出てきたのは正直萎えました。たぶん歴代の防衛隊へのオマージュだと思うんですけど、武装解除はどこ行った。
熱線の衝撃波でビルが次々崩壊してるのに、典子ちゃんが敷島を陰に放り込んだビルは無事で遮蔽物の役割を果たしてるのがご都合主義だというのは、まあ同意かな。間によっぽど威力を殺げる様な掩蔽物があったんでしょうね。
典子ちゃんが生きてたことがご都合主義だとは、個人的には思いません。首の痣は運に恵まれて生き延びたわけではないことを明示してるので。次回作があったらのび太の宇宙戦争のしずかちゃんの様に巨大化した典子ちゃんが暴れ回るんでしょうね。もしくはゴジラ対ノリラとか。
ただの薄っぺらい人情ドラマ
眠くてしゃーなかった
あのボロ船に追いつけないような速度と、高雄の20.3cm砲が有効なゴジラなんて駆逐艦の魚雷でいいだろ
なんならアメリカが1隻でも戦艦貸してくれればそれで片付くレベル
最初にゴジラの存在を教えてれば長門が生き残ってたかもしれないし、それならもっと楽だったね41cm連装砲で瞬殺できる
というか高雄は3万メートル近い射程があるのに、なんであんな至近距離まで近づいてるんですかね…
ラストの特効だけど無意味だろ
海神ダメージありきとはいえ、震電に搭載できるような1kg爆弾でとどめさせるなら
浮上地点に機雷を巻くなり、浮上したところを魚雷や砲撃で容易にとどめを刺せたはず
脱出機構があるとはいえ無理に特攻する必要はない
まああの程度の強さのゴジラなら何回よみがえっても、次からはミサイル1発打てば死ぬだろうし楽でいいね
日本エンタメの歴史がうかがえる
なんと生誕70年!日本でここまでゴジラが愛されるのは、戦後の日本人の魂がゴジラと共に歩いてきたからではないでしょうか。核の象徴で作られたゴジラ。戦争で生き残った当時の制作スタッフのトラウマは、戦後生まれの私のDNAにもそして本作の制作スタッフにも深く刻まれていると感じました。
特効隊で死ぬよりも生きる方法を模索した本作のラスト。反戦を感じました。戦争で死ぬことを美しく描く作品が出てきて久しいですが、私は大嫌いです。やはり、人は戦争で死んではいけないし生きなくてはいけないのです。初代制作スタッフも現在の制作スタッフもその思いは一緒なんですよね。
私はゴジラは《シンゴジラ》しか鑑賞したことがないですし怪獣作品も全く観ませんが、本作に感じたシンパシーはこういうところだと思います。
残念なもったいないゴジラ作品
映画館で一度、プライムビデオで再度(最後の浜辺美波の首あたりを見落としていて確認の為)見ました。
いきなりのゴジラ(ジュラシック・パーク寄りの)に興奮し、大きくなったゴジラが銀座を破壊しまくり、サプライズで震電が登場し活躍する。アカデミー賞を取ったCGは納得いくし、ストーリー的にも面白くなっていたと思います。
しかし、違和感のあるシーンが多く、そこに引っ張らて没入感を得られませんでした。
まず、浜辺美波の登場時にべらんめぇ口調のやさぐれた女だったのにすぐ、清楚な女性になり変わっていたのでキャラクター設定にブレを感じましたし、葬式までやったのに生きていたのって、どこまで飛ばされていたのか?って思いました。
いちばん違和感だったのが海でゴジラが暴れる1500メートルもある深い海なのに海面からすっくと仁王立ちするのが不思議でならなかった。ゴジラは立ち泳ぎが凄くうまいんだなと考えるしかなく、少し笑えました。
大半のセリフも説明的で名優たちもクサイ演技に感じ、子役だけが演技が自然すぎて浮いていました。
主人公については「永遠の0」の要素が強かったので「永遠の0」をベースに脚本書いたような気がします。
基本的に山崎監督の映画は好きで「永遠の0」や「アルキメデスの大戦」は大変面白かった。山崎監督はゴジラ映画には他の人の意見を沢山聞き入れることを余儀なくされてこうなってしまったのかもしれないなぁと感じました。
ゴジラマイナスワンパート2に期待したいと思います。
ゴジラの意味がないゴジラ
山崎監督といえばオールウェイズ三丁目の夕日や永遠の0でお馴染みの名監督。
過剰な説明セリフとミュージカル調の幻想的演技演出を武器としノイズなきノスタルジーとしての昭和を描いてきた監督だ。
そんな監督の手掛けるゴジラは昭和ロマンの極北といえる作品だろう。
マイゴジの登場人物はオールウェイズばりにクリーニングされ漂白剤の香りさえ漂う。
そんなカリカチュアされた役者の大根演技は本作の昭和ロマンを力強く支える。ただし神木隆之介のやたら大声で脈絡なく発狂するだけの棒演技だけは個人的にはきつかった。
さて序盤で主人公を罵倒するおばさんも、話せばいい人で白米を無償でわけてくれる。一事が万事で、この映画に部外者は存在せず、補正された思い出の中だけにあるファンタジーとしての古きよき共同体が描かれる。
こうした本作の描写は共同体が解体し殺伐とした現代日本の社会的矛盾、利己的個人主義の蔓延といった現実からの逃避に過ぎないのではないか?
じじつ本作の舞台は、いわば幻想としての昭和であって現実のそれとは関係がない。そのため時代考証的な現実性を度外視したイメージだけが描かれる。
たとえば戦後にも関わらずGHQが出てこない。またそればかりかゴジラの正体や経緯なども有耶無耶となる。
繰り返しになるがノイズとなる部外者が一人もいないなど本作における現実性の排除は枚挙に暇がない。
なにより個人的に納得しかねるのは、あらゆるノイジーな現実を排した空想としての箱庭的舞台で、主人公たちのトラウマ克服の玩具を演じるだけのゴジラだ。
登場人物がいかにもなデフォルメされたキャラクターを型通りに演じるかのごとく、ゴジラまでもがいかにもなゴジラを忠実に演じ、主人公のトラウマの象徴としての役割に徹しきる。
ゴジラのどこかカメラを意識したキレのあるモーション、モデルあがりの役者がカメラの前でポーズをとるような動き。感情的な表情さえもつ人間的な面構え。
ここではゴジラさえもが主人公の仲間であり外部たりえない。
あまつさえ熱戦を放てば雲があがり黒い雨がふる。もはやゴジラは置き換え可能な記号表現でしかなくその実在性を喪失しているのだ。
だから本作のゴジラはたとえばキングコングに置き換えても成立する。つまりゴジラであることの必然性もない。
個人的には主人公のトラウマとして原爆や敗戦の記号を精密に演じ、カメラ映えを意識するイケメンゴジラの臭すぎる舞台演技には苦笑するしかなかった。マイゴジのゴジラの演技は本作における佐々木蔵之介のくっさい芝居に近い。
噂では本作を見て多くの人がゴジ泣きしたという。
またアカデミー賞を獲得し確固たる国際的地位を築いたようだ。
僕には映画を観る目がないのだろう。
噂によるとこの映画をYouTubeなどで派手に批評すると脅迫されるといった事件も起きているとか。
さて本作では敗戦の反省からその全体主義を改め、海神作戦では自由意志による参加が求められた。
もし本作の批評、批判的感想に対して言論弾圧的な態度や空気、権威に従えという言説をなすのであれば、それこそ本作で批判の対象とされた戦中の全体主義、権威主義の礼賛に他ならないだろう。
もっともこうした現象こそ本作がもつ部外者なき閉じた箱庭幻想の効果なのかもしれないが。
オールウェイズ三丁目の夕日から山崎監督の本質は何一つ変わっていないように思う。
ところで個人的には銀座の黒い雨のシーンの神木隆之介の演技があまりに嘘臭く感じ見ていて本当に困惑した。
「ベタ」で「王道」ではなく「寒く」て「稚拙」
山崎監督ということで期待はしていなかったが、前評判が過大評価だったことを確信するとともに、時間を浪費したことを後悔した。
年々消費者のレベルが下がってきている印象はあったが、互いを批判せず何でも誉める風潮が、ここまで全体のレベルを落としてしまったのかとがっかりさせられた。
■まず、映画としてあまりに起伏が無く退屈で、頭のつかみ、中盤の展開、終盤に向けての盛り上げ方や仕掛け、締め方が単純に出来ておらず非常にバランスが悪い。そのくせ、どうでもいいカットはダラダラと長い。半分くらいまでで、飽きて寝てしまう人もいるんじゃないだろうか。
映画全体のプロポーションを見たトータルプロデュースが全く出来ていないだけならばまだいつもの凡作で済んだが、俳優陣の見るに堪えない演技(全員とは言わないが)、幼稚なセリフ回し、中学生が考えたような稚拙な演出が延々と続き、最後まで見るのが苦痛に感じてしまう。
■CGのクオリティは高く、日本映画でもこれくらいのCGは出来ると示せた点。その点で0.5点としている。しかしながら、これはCGの質感のみに留まる。
ゴジラの演技(動き含め)や扱い方を含め、この映画が「ゴジラ」をダシに使っただけの「三丁目の夕日」であることは見ていて明白であり、このようなゴジラの使われ方はゴジラファンにとっては憤慨ものだろう。
全体を通して薄っぺらな物語の筋書き通りに都合よく動き、誰もが予想できる場面で義務のように咆哮し、代用の「敵」として雑に散っていった、哀れな「物語の傀儡」でしかなかったゴジラに、このCGの質感はむしろ過ぎた代物だったと言わざるを得ない。
ゴジラ自身の生き物としての意思、予測不能な生命体としての不気味さ、手の届かない邪神としての畏怖、全てが足りない。恐らく監督はそんなことを考えてすらいないだろう。
よくシンゴジラと並べて語られるが、この点だけでも、同じスタート地点にすら立てていないというのが正直な印象であり、俳優の演技の次に残念な点だった。
■総評
監督は「シン・ゴジラ」である程度出来上がった「ゴジラ」コンテンツという土壌を利用しても、自分の領域を出ることはかなわず、劣化シンゴジラ三丁目の夕日に留まった。
物語や映画に対する考え方や思慮の深度が「そう」なのだ。恐らくこの先も進化することはないだろう。少なくとも、これを評価してしまっている土壌があるのだから。
これ以上新作を見たいとは思わないし、当然続編など撮らないで欲しいと願う。
監督ではなく、視覚効果のみで参加してはどうだろうか。
ゴジラは許してくれない
とても面白かった。主人公が絶望を感じるストーリーの中で明るい登場人物達が希望へ導いていて良かった。お隣さん?も本当はとてもいい人だったのに最初は嫌味を言ってくるシーンがあったり人格を変えてしまうほど戦争の被害は悲惨だったことを物語っていた。戦後精神的に苦しみ続ける主人公を慰めるのりこのシーン、俺の戦争はまだ終わっていないのシーン、主人公が無事脱出して涙を流す橘のシーンなど自然と涙が出る映画らしいシーンも良かった。
ラストシーンでは、のりこに会えて嬉しいはずのあきこが喜ばず、なぜだろう?と感じた。その後のりこの首筋がおかしかった事からのりこはのりこではなくなってしまっているのではと思った。のりこが生きていればいいのに…と思い望み通り生きている展開だったが、ハッピーエンドのように見えてその後を考えさせられるところが面白い。最後ゴジラが復活するシーンもあり、戦争を起こした人間をゴジラは許してくれないことがよく分かった。
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