ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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映画館で観ると良さそう
自宅で鑑賞したので、少し迫力に欠けていたが、映画館で観たら良いのだろうなと思った。
逆にその映像の素晴らしさを取っ払って見てみると、話は期待したほどではなかった。
でも特攻の話になると涙が出てくるのが日本人なので、最後はそれなりに感動した。
ゴジラの戦いが好きな人には物足りないのではないかと思うし、日本アカデミー賞総なめするほどのストーリーかと言われると疑問符が浮かぶ。
残念なもったいないゴジラ作品
映画館で一度、プライムビデオで再度(最後の浜辺美波の首あたりを見落としていて確認の為)見ました。
いきなりのゴジラ(ジュラシック・パーク寄りの)に興奮し、大きくなったゴジラが銀座を破壊しまくり、サプライズで震電が登場し活躍する。アカデミー賞を取ったCGは納得いくし、ストーリー的にも面白くなっていたと思います。
しかし、違和感のあるシーンが多く、そこに引っ張らて没入感を得られませんでした。
まず、浜辺美波の登場時にべらんめぇ口調のやさぐれた女だったのにすぐ、清楚な女性になり変わっていたのでキャラクター設定にブレを感じましたし、葬式までやったのに生きていたのって、どこまで飛ばされていたのか?って思いました。
いちばん違和感だったのが海でゴジラが暴れる1500メートルもある深い海なのに海面からすっくと仁王立ちするのが不思議でならなかった。ゴジラは立ち泳ぎが凄くうまいんだなと考えるしかなく、少し笑えました。
大半のセリフも説明的で名優たちもクサイ演技に感じ、子役だけが演技が自然すぎて浮いていました。
主人公については「永遠の0」の要素が強かったので「永遠の0」をベースに脚本書いたような気がします。
基本的に山崎監督の映画は好きで「永遠の0」や「アルキメデスの大戦」は大変面白かった。山崎監督はゴジラ映画には他の人の意見を沢山聞き入れることを余儀なくされてこうなってしまったのかもしれないなぁと感じました。
ゴジラマイナスワンパート2に期待したいと思います。
ゴジラはいいけど人物がビミョー
ゴジラがメインの映画とはいえ、人物が出る以上、
感情表現など、もっとしっかりつくってほしかったし、
俳優さんも、もう少し演技がんばってほしかった
主人公もヒロインも隣のおばちゃんも、最初の好感度が低すぎなので、
せめてヒロインは好感度高めに入ってくれれば、もう少し感動できたのに…
ゴジラバトルがカッコよかっただけに、残念…
『ゴジラ-1.0』は『ゴジラ(作品史上)1位』だった!
VFX頼みの駄作と正直バカにしてました!
すみません!!
ゴジラ作品はそこそこで、1/3程度しか観てない自分にとってはゴジラ史上ダントツNo.1作品となった!
なぜ敢えて戦後すぐの日本を選んだのか不思議だったが、作品を観ると絶妙なタイミングなのに感心した!
当時の日本人の心の傷と死生観や戦力を上手く活かしてて流石!!
倒す方法も良く思い付いたなと感心感心!!
ゴジラのいつもの曲も絶妙なタイミングだったし、巡洋艦との対決も良かったし、口からの放射線の放出方法もカッコ良かった!!
なによりゴジラ色と人間ドラマ色のバランスが良かった!
因みに今回のゴジラの見た目は顔が小さく日本版とアメリカ版のハーフの様だった!笑
アカデミーおめでとうゴジラぃます!!
戦闘シーンは良かった
ゴジラ-Oneに続編は不要
いつの時代もお金さえ有れば生活に苦労しない。けれど幸福はお金では決して買えないもの…。私は今回ゴジラ-Oneを観てそれを再確認出来て嬉しかった。昭和初期の終戦直後の時代設定が観る人をグイグイ引き込んでいく過程が素晴らしい。連続ドラマは日本特有のジャンルとして既に我々のお茶の間に確立されているけれど、山崎貴監督はそれを近年進歩著しい日本のVFXシーンへと移植し人間主役の新しいタイプの怪獣映画が爆誕。
それがオスカー受賞級の化学変化を起こした。どんなドラマも映画も人間から離れてはリアリティーが薄まるけれど、山崎貴監督はゴジラ映画の一連の流れの弱点を見逃さなかった。何もない時代だからこそ人の精神性が引き立つ。この映画は東宝の社運を賭けた作品として北米で新会社まで設立して挑んだ力作だったらしいのですがこれ程の成功をもたらした事に私は拍手を惜しまない。
これは皆の気持ちを代弁している訳ではないけれど、私から少しだけ話させて下さい。SWアコライトが沈没必至の今、山崎貴監督の次回作は是非ともスターウォーズで観たいと願うのは私だけでしょうか。
ゴジラ-Oneでモンスターバースに問題提起出来たのならば、次は神話的で勧善懲悪なだけのスターウォーズの世界観を「人間主役」に引き戻し問題提起する番だと私は感じます。もしそうなると考えるとドキドキしませんか?
初代SWはルーカス・スピルバーグが「隠し砦の三悪人」をモチーフにして宇宙活劇として具現化…。
ならば山崎貴監督がそれを「用心棒」~「椿三十郎」~「七人の侍」をモチーフにしてやる事を想像してみて下さい。
続編制作を願う気持ちは理解出来ますが…ファンが真に願っているのは1話で完成された完璧なこのゴジラ映画の傑作の続編制作なんていう、誠にアイデアの枯渇しそうな場所に迷い込む事なのでしょうか?
私はこの先山崎貴監督が胸を張り堂々とハリウッドの赤絨毯の真ん中を歩く姿がイメージ出来るんです。
だから監督が1度「スターウォーズが撮りたい」とおっしゃったらしいのですが、その気持ちを詳しく知りたいです。
私はゴジラ-Oneのスタッフや似た環境で肩の力を抜いて気楽にやれば、次作は必ず成功すると思います。
また映画館で私を泣かせて下さい。本物の映画がもっと観たいと願っている世界中のファンと共に私も応援しています。
可もなく不可もなく
ゴジラの意味がないゴジラ
山崎監督といえばオールウェイズ三丁目の夕日や永遠の0でお馴染みの名監督。
過剰な説明セリフとミュージカル調の幻想的演技演出を武器としノイズなきノスタルジーとしての昭和を描いてきた監督だ。
そんな監督の手掛けるゴジラは昭和ロマンの極北といえる作品だろう。
マイゴジの登場人物はオールウェイズばりにクリーニングされ漂白剤の香りさえ漂う。
そんなカリカチュアされた役者の大根演技は本作の昭和ロマンを力強く支える。ただし神木隆之介のやたら大声で脈絡なく発狂するだけの棒演技だけは個人的にはきつかった。
さて序盤で主人公を罵倒するおばさんも、話せばいい人で白米を無償でわけてくれる。一事が万事で、この映画に部外者は存在せず、補正された思い出の中だけにあるファンタジーとしての古きよき共同体が描かれる。
こうした本作の描写は共同体が解体し殺伐とした現代日本の社会的矛盾、利己的個人主義の蔓延といった現実からの逃避に過ぎないのではないか?
じじつ本作の舞台は、いわば幻想としての昭和であって現実のそれとは関係がない。そのため時代考証的な現実性を度外視したイメージだけが描かれる。
たとえば戦後にも関わらずGHQが出てこない。またそればかりかゴジラの正体や経緯なども有耶無耶となる。
繰り返しになるがノイズとなる部外者が一人もいないなど本作における現実性の排除は枚挙に暇がない。
なにより個人的に納得しかねるのは、あらゆるノイジーな現実を排した空想としての箱庭的舞台で、主人公たちのトラウマ克服の玩具を演じるだけのゴジラだ。
登場人物がいかにもなデフォルメされたキャラクターを型通りに演じるかのごとく、ゴジラまでもがいかにもなゴジラを忠実に演じ、主人公のトラウマの象徴としての役割に徹しきる。
ゴジラのどこかカメラを意識したキレのあるモーション、モデルあがりの役者がカメラの前でポーズをとるような動き。感情的な表情さえもつ人間的な面構え。
ここではゴジラさえもが主人公の仲間であり外部たりえない。
あまつさえ熱戦を放てば雲があがり黒い雨がふる。もはやゴジラは置き換え可能な記号表現でしかなくその実在性を喪失しているのだ。
だから本作のゴジラはたとえばキングコングに置き換えても成立する。つまりゴジラであることの必然性もない。
個人的には主人公のトラウマとして原爆や敗戦の記号を精密に演じ、カメラ映えを意識するイケメンゴジラの臭すぎる舞台演技には苦笑するしかなかった。マイゴジのゴジラの演技は本作における佐々木蔵之介のくっさい芝居に近い。
噂では本作を見て多くの人がゴジ泣きしたという。
またアカデミー賞を獲得し確固たる国際的地位を築いたようだ。
僕には映画を観る目がないのだろう。
噂によるとこの映画をYouTubeなどで派手に批評すると脅迫されるといった事件も起きているとか。
さて本作では敗戦の反省からその全体主義を改め、海神作戦では自由意志による参加が求められた。
もし本作の批評、批判的感想に対して言論弾圧的な態度や空気、権威に従えという言説をなすのであれば、それこそ本作で批判の対象とされた戦中の全体主義、権威主義の礼賛に他ならないだろう。
もっともこうした現象こそ本作がもつ部外者なき閉じた箱庭幻想の効果なのかもしれないが。
オールウェイズ三丁目の夕日から山崎監督の本質は何一つ変わっていないように思う。
ところで個人的には銀座の黒い雨のシーンの神木隆之介の演技があまりに嘘臭く感じ見ていて本当に困惑した。
美術とVFXの連携が素晴らしかった!
IAD(ダレス空港)からの帰国便(ANA)で視聴
噂に違わず、素晴らしい映画だった。
第一に、この映画は直接、あの「3丁目の夕日シリーズ(三浦友和が扮した開業医の先生が一番、好き)」につながっている。
繋げているのは戦争の影。この映画では、戦災を受けた直後から都心にバラックが立ち、それが日に日に改修されてゆくところが、美術陣(日本アカデミー賞の最優秀美術賞を取っている)により、見事に再現されていた。
IADに到着した時、たまたま空港に近いスティーブン・F.・ウドゥバー-ヘイジー・センター(スミソニアン国立航空宇宙博物館・別館)に、時差を調整するため寄ったのだが、驚いた!あの「震電」胴体前部が、展示されていた。米軍が、終戦時接収した機体そのものと思われた。この建物には「震電」のみならず「晴嵐」「紫電改」など、先の大戦時の日本軍兵器の最先端部分が展示されていたばかりでなく、原爆を投下した「エノラゲイ」やスペース・シャトルの実物、超音速コンコルドなどが所狭し(展示場自体は広い)と展示されていて、米国の驚くべき底力をまざまざと思い知らされた。
それにしても、米軍は「震電」の先進性を認めていたことになる。
この映画では、「震電」のモックアップ(実物大模型)とVFXが連続していて、凄まじいまでの破壊力を見出している。
やっと観れた映画だったけれど、山崎さん、やったね。おめでとう!
人形劇のような人間ドラマが嫌らしくなくゴジラの東京破壊を引き立てている点がイイ
ゴジラ映画シリーズは、第1作は名作だが、それ以外は安っぽい特殊撮影と、下手くそな子役を持ち上げたりするものが多く、まともな鑑賞に値するものとしては「シン・ゴジラ」くらいしかなかったのではないか?(ろくに他のを見ていないので保留付きの評価ですw)
そして本作となるのだが、まず特撮面は素晴らしい。子役もあまり出て来ない――ので、従来のシリーズもののマイナスは回避している。
では映画としての出来はどうかということになるが、面食らったのが第二次大戦末期から終戦後という時代設定である。そして、普通なら敗戦後の瓦礫の中で荒み切った社会風潮と貧困生活にもかかわらず、奇妙なことに「○○です」「○○します」と、ですますコトバで会話する丁寧で、人形劇かと思うような登場人物たちには、もっとビックリさせられた。
そして、その作り物めいたキャラクターが、いかにも作り物めいた愛情や使命感、贖罪意識のままに作り物めいたドラマを繰り広げる東京を、ゴジラは破壊しまくり、口から核分裂による火炎砲を発射して、キノコ雲と思しき煙の柱が立ち上がる。それが、不思議なことになかなか小気味よいのであるw
恐らく背景の人間ドラマの部分がリアルで濃厚だったりしたら、むしろ押しつけがましく、嫌な感覚を与えたのではないか? それがスカスカで人形劇っぽいから嫌らしくなく、観客は、主役であるゴジラの襲来と東京の核攻撃を十分堪能できる。そういう仕組みではないか。計算で意図的にやっているとしたら、スゴイと思う。
本気でそんなに良いと思います?
ごめんなさい。他の方の絶賛レビュー見てからAmazonprimeで見ました。まぁ、迫力については、言われるように映画館の方が良かったんじゃないかなぁと思います。
よく出来たCGです。
でも、ゴジラ全体のバランス感はアメリカゴジラより納得感があった。でも背びれの造形が派手すぎ。
さて、ここからですが
根本的に日本の映画の俳優さんたちは、なんであそこまでしか顔の表情を大袈裟に演じるんですか?そんな顔します?普通、、っていうとこばっかり。山田裕貴の演技の下手っぷりも見てらんない。
こういうパニックものとか派手な演技ものは特に顔の表情が大袈裟過ぎてほんっと私にとってはきついなぁ。
それに、ゴジラ映画にしてはヒューマンドラマへの方向性が強過ぎて、ゴジラは二の次の設定ってのも、、
ゴジラの背びれも、光線出す前になんやニョキニョキと伸びて、まるでドラゴンボールのスーパーサイヤ人。
シンシリーズ(ゴジラ、仮面ライダー)も、昔からのファンの私にとっては、もう見てられない。
こんな大袈裟な顔の表情しないといけない流れはどの監督から始まったんだろう、、海外の映画では見られない日本独特のものだなぁ。
だから、日本のアクション系っておもろない。
レジェゴジほど緩くはなく、シンゴジほど堅くはないゴジラ
一言で言えば、それなりに気楽に観られる日本版ゴジラです。
レジェゴジはまさにアメリカン!といった感じで豪快ですが、そこまで派手なアクションがあるわけではありません(レジェゴジみたいにジャンプはしませんw)。しかしかといって、シンゴジみたいに設定がガチガチというわけではありません(専門用語だらけという事はありませんwww)。
この映画の設定にはいくつか穴というかツッコミどころも見受けられますが、それを差し引いてもストーリーの簡単さ、単純に画の迫力、そして出演俳優の演技力により、幅広い層に受け入れられる、万人受けできるゴジラ映画となったと思います。比べると、シンゴジはリアリティーを追求しすぎて大仰なアクションを求めた人には受けが悪く、レジェゴジは逆にアクションを追求しすぎてゴジラという怪獣がただのモンスターに成り下がっているようにも見受けられます(どちらも好きですがw)
個人的に気になった点は、シンゴジの時点でVFXは行き着くところまで来たと考えていたため、目が曇ったかもしれませんが、この映画のVFXがそこまでリアルだとは感じませんでした。戦後すぐの風景のため見慣れていないせいもあるかもしれませんが、何より私自身、最近老眼と乱視が入ってきたので、そのせいかもしれません(笑)
その他、ゴジラ自体で気になったところで、陸地を歩いているところの動きがぎこちないというか、ロボットみたいに一歩前に出ては止まり、また一歩前に出ては止まりのような動きだったので、その点が不自然に感じました。今回はモーションキャプチャを採用しなかったみたいなので、その点はゴジラに命を吹き込むためにも、次の作品は役者の演技を取り入れて欲しいと思います。
最後に、シンゴジにも言える事ですが、「核の被害者としてのゴジラ」という側面が薄れてきている事に寂しさを感じます。現代では核の脅威が現実的でなくなってきているのかもしれませんが、この点を完全に演出できたゴジラ映画は初代のみなので、次回作では是非ストーリーに組み込んでみて欲しいものです。
いろいろ書きましたが、とりあえず現時点でまだ放映している劇場もあるみたいなので、、まだ未視聴の方は配信やDVDなどではなく、劇場で観てみる事をおすすめします。
最高の映画でした
公開初日に観ました。前評判通り、とても良かったです。そのため後日、再度観に行きました。
良かった点は、いろいろあります。
まず今回のゴジラ-1・0は反戦をテーマにしていて、それが、とても伝わってきました。役者さん方一人一人の演技も素晴らしかったです。中でも安藤サクラさんが大変、良い味を出していたと思います。田中美央さんの演技も迫真でした。
各役者さん方の演技が光ったのもあり、戦争を知らない世代の人たちに、この映画で伝え切れなかった部分を知ろう。知りたい。知らなければいけない。そういう気持ちにさせる効果が充分すぎるきぐらいにあったと思います。
それ以外では私は戦艦が好きなので、高雄や雪風などの戦艦がゴジラに挑むシーンが良かったです。
また、戦時中には使われずに終わった戦闘機、震電(しんでん)が活躍したのも感動しました。震電は零戦等と違ってプロペラが機体の後ろにあります。最高速度400ノット(約740km/h)以上の高速戦闘機の計画で、1945年(昭和20年)6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行を行いましたが終戦を迎えたため出番がありませんでした。
この映画を観て震電のプラモデルを買い、作り、日比谷ミッドタウン前のゴジラとコラボさせたりしました。
また、この映画を観て良かったと思ったことが、もう一つ。最初に言いましたように、この映画の舞台は終戦直後の日本の東京です。大変、厳しい時代でしたが、助け合い、支え合い、良い国にしよう。良い時代にしよう。という活気がありました。
今の時代は自分のことしか考えない人が多く、そんな今に比べたら、心の豊かさは終戦直後の、この時代の人たちの方が、はるかに勝っていると思いました。
今を生きる私たちも助け合い、支え合い、良い国。良い時代を作っていく。これが使命だと、つくづく思いました。監督・各スタッフ方。方役者さん方。心より感謝いたしております。敬礼!!
入りきれない部分もありつつ
最近のゴジラ映画は大人向けなのか?
昭和世代、子供時代に観たゴジラ映画「三大怪獣 地球最大の決戦」
を思い出す。宇宙から来た怪獣キングギドラが地球を破壊する悪としてゴジラとラドン、そしてモスラの幼虫が正義として力を合わせて戦うと言う内容で小学生だった
自分は映画館のスクリーン一杯に
動き回る怪獣達に興奮していた。
怪獣映画は子供用に制作されてたように感じるが昨今はCG等映像化や監督の思考からか、面白くないと個人的には感じる。
単純明快な内容で面白い怪獣映画を作って欲しい、本来は怪獣映画は難しい理屈等いらないので悪い怪獣が退治されると言う事で良いのでは?と感じる。
監督の感性とか、いらない!
怪獣映画は未来永劫に子供の映画として制作をして欲しいと思う。
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