ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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なんとなくゴジラ
あっちではなく、
そっち、
そっちではなく、
こっち。
それぞれのポイントで、
主人公が、
あるいは他の登場人物が、
それを選択した動機、行動を、
葛藤、感情と共に丁寧に描く。
本作はそこが弱い。
なんとなく特攻を、、、
なんとなく技術兵が、、、
なんとなく主人公を突き飛ばす、、、その他。
アムロやルーク、
碇シンジの時代は、
なんとなくでも乗っかれた。
いや、
一般人の代表のような、
ひ弱な主人公が、
戦闘を避ける意志は、
明確に表現、
巻き込まれていく感情を、
細かく描写していたような気がする。
アニメ、洋画、
比較対象にならないようだが、
主人公の行動のロジック、
パッションに乗れる乗れないは、
基本形は変わらない。
ここを正確に書く、
イメージで書き飛ばさないライターは、
日本では残念ながら絶滅危惧種だ。
その主な原因は、
書けない人を起用する、
書ける書けないの判断基準を持っていないPが多過ぎる事だ。
確かに、
昭和、平成は、
なんとなく一部の人の都合で進んでしまった。
なんとなく失われた30年、
いや70年への問題提起と、
弱い理由を解釈する事はできなくはない。
ビジネス的成功を義務付けられているゴジラ映画。
あらゆる手段を使って、
興行的プラスを狙っているだろう。
あえてマイナスを主題にした意味。
マイナスからの出発、
生きる意味を問う、
なんのために?
未来の為に。
そこだけは、
なんとなくではなさそうな、
覚悟と勇気と、
時代への咆哮に➕4.0。
【ゴジラ足】
怪獣大戦争マーチ、聞きたかった。
ゴジラ-2.0 〜典子覚醒〜
ほとんどの人がスルーしている
典子の首筋のアザの意味深なアップですが
このゴジラ-1.0が世界的な大ヒットをしたら
アフターサービスで後編が1本作れる伏線だと思います。
こちらの方が感動的な人間ドラマになる予感がします。
今回のゴジラは細胞レベルで急速な再生をするので
あの作戦では完全な駆除にはなっていないのは最後のシーンでわかります。
では、どうやって完全な駆除もしくは長期間の隔離をするかになるでしょう。
そこで、ゴジラの影響で不死身?になった典子が覚醒して解決するのではないでしょうか?
今年はマーベルズなど女性が戦う作品が上映される流れなので
悪くはない作品になると思います。
個人的にはマーベルズ路線ではない感動ドラマにして欲しいです。
最恐のゴジラとなんだか冷めた人たち
特攻にまつわる葛藤は永遠の0、吉岡秀隆さん、佐々木蔵之介さんのキャラ付けは三丁目の夕日という感じで山崎さんの過去作品ぽいなーと思わせる内容でした。
個人的に永遠の0が好きでないので、まさか最後に特攻しないよなとハラハラしましたが流石に回避してくれて少しホッとしました。
東京を破壊し尽くす怖いゴジラという感じで良いのですが、お話としてはモヤモヤするなとかんじます。ざっくりいうと熱さが足りないです。
ゴジラを倒すために民間人が立ち上がる!熱い話じゃないですか。でも、決起の場で彼らが語るのは誰かが貧乏くじを引かなきゃ..とか生き残れない前提の戦時下よりはましだな..とかちょっと後ろ向きすぎませんか。
特攻するかしないか葛藤した末に特攻しない!生きて抗う!という神木くんの話も熱いはずなのに生きる道を選ぶ理由が橘さんが許してくれたから..にしか見えず残念。貪欲に、端から見たら恥知らずだとしてもアキコと生きる道を選ぶ。その意思が橘の心を打ちゴジラを打ち砕く!こっちでしょどう考えても!
圧倒的ゴジラを設定することには成功していましたが、それを打ち倒すほどの情熱が神木くんたちに設定できていない。
傑作と呼ぶには少し足りない-1の作品と感じます。
シネマサンシャイン 衣山
キャストの演技には言いたいあるけど、まぁ良いとして。
ストーリーは見ていると推測できるのですが
しっかり、涙が出てしまいました。
CGは凄いです。
日本の作品がハリウッドで作成されて失敗するのが嫌でした。
ゴジラには頑張ってほしい。
題名は「-1.0」でなく、「0.0」でしょう。
次回作に期待。
人間性がない人間を描いたもの
まず前提として「ゴジラ映画」を観に来たんですよね。
それでなんだか高評価が多いが、ゴジラの出番が少なく、だらだらの人間ドラマを見せられる。その人間ドラマも嘘くさい。
いやいや、もう一度考え直そうよ。映画評論家や考察Youtuberでもない限り、普通の人は年に2~3本、映画を見るくらいですよね。それで公開前から話題になっていて楽しみにしていた映画が「ゴジラのシーンは良かったよ。多少、人間ドラマで「あれ?」という部分があったけど。」じゃ、駄作に過ぎない。
シン・ゴジラのテンポの速さで初見の時にあっという間と思ったが、「えっ、そんなことする?」なんて思いは出て来なかった。物語を通して出来事にきちんと理由があることをクドくなく示して、観客を上手く誘導してきてるでしょ。山崎監督は観客置き去りに思う部分がありすぎ。総じてドラマが面白くない。VFXの素晴らしさを見せつけられただけ。
庵野監督といえば、エヴァでは観客それぞれに好きなキャラクターがいるように、シン・ゴジラでも助演キャラに人気が出ている。尾頭ヒロミさん、みんな好きだよねw それは人間の書き方が上手いからでしょ。キャラは庵野監督の投身でしょという人もいるが、それでもキャラが十分に魅力的。エヴァの戦闘シーンだけを褒めて、「シンジの描き方が足りなかったなぁ。」という感想はあまり見ないでしょ。それは庵野監督がアニメ作品の製作に精通しているからだと思います。他のアニメもそう。ガンダムを戦闘シーンだけ見るためにシリーズを通して視聴する人、いないですよね。きちんと視聴者のほうを向いている。そうしないと打ち切られますからね。
山崎監督、脚本つくり、無理です。艇長がよかった、学者がよかった、小僧がよかったとなる? 典子も浜辺美波さんが素敵なだけでしょ。そもそも敷島に感情移入すらできない。アニメ作品ではことごとく失敗し、独断過ぎて「ユア・ストーリー事件」なんて言われているくらいだから。
自分の戦争が終わっていない。そういう主人公の敷島は不幸に遭った典子の復讐に立ち上がることもない。典子を母と思うようになった昭子がその母をうしなった悲しみからの泣き声を聞いているのに、昭子を抱きしめるのでもなく、大戸島で見殺しにした整備兵たちの呪いにしか聞こえない。えぇぇ? 小さい子が泣いてるんだよ。
縁があって知り合った「学者」が立案し、指揮を執る「海神作戦」があるのに私怨に駆られ別行動を取る。そこで得た「震電」は典子の復讐のためではない。自分の戦争を終わらせるため。それは昭子がやっと得た「両親」をまた奪う行為。隣人の澄子に育児の責任を押し付けている。それは「震電」に取り付けられた装置が解決するものではない。昭子に「遺書」とも取れる手紙を託していくか?
反対されてでも澄子に事情を話してから出征すべきでしょ。
それでいてラストで昭子とともに典子の元に訪れる敷島は自分だけが典子に抱き着いて昭子はほったらかし。自分が求める時にだけ典子と昭子を受け入れていない。
銀座の大通りで、ゴジラの進行方向にしか逃げない群衆や敷島、典子。海上ではゴジラの追跡に蛇行をせず、前進するのみの船。全てロボットのよう。
作戦を説明する「学者」は「浩さんに最後まで聞いてほしいんだ。」と言うが、そこには集まった帰還兵たちも多くいるのに。そこは「みんな、この作戦に不安を感じていると思うが、みんなには最後まで作戦を聞いてほしいんだ。」でしょ。
その帰還兵たちのなかにはその場を去る者もいるが、残った者が「作戦実行」に鼓舞するシーンも嘘くさい。「反戦」がテーマだったんじゃないの? 立ち去った者の考えも間違ってないじゃん。それが「生きて、抗え」が「ゴジラに抗え」となり、むしろ「戦うことの賛美」となっている。そういえば永遠の0もそんな逆転を感じたよね。
前述にはなるが、主人公は「学者」が作戦準備を進めなければいけないなかで、自分のための戦闘機を欲する。機雷の爆発で負傷したゴジラには内部の攻撃に弱いという自分の意見に基づくもの。速度が早い飛行機なら船舶よりも効率的にゴジラを誘導出来る。もう「学者」の作戦なんて無いも同じ。だったらゴジラ来襲でさっさと発進すれば?発進にまたドラマを挟む暇があったら緊急発進の演出のほうが緊迫感がある。
それが通じるなら、ゴジラ来襲のたびに飛行機でゴジラを沖合に誘導すればいいんじゃない? ゴジラ、仕留める必要、ないじゃん。
隣人である澄子が帰還兵の敷島を兵隊さんが「しっかりしていたら、娘は...」と呪ってさえいたのに、すっかり親切なお隣さんになる。その心変わりも説明しない。
佐々木蔵之介の大げさなセリフ、吉岡君にしか見えない「学者」、戦争に固執する「小僧」どれも人間が描かれない。遺恨を残しているはずの整備士の橘があの装置を取り付けるに至った心境の変化も語られない。そういうお涙ちょうだいが視聴者に受けるから。
くだらないことだが、海底が1,500メートルもある海原で、ゴジラが戦闘機で攻撃できるように立ち上がっている。そこまでゴジラが立ち立ち上がるのに、ゴジラは海中でアヒル泳ぎでもしているのか? 居酒屋で作戦の話なんてするか?
人間がただのシナリオのためのアイコンとなっていて、人間性が感じられないなかで、ゴジラすら行動原理がない。何故、日本を攻撃するのか、ビキニ環礁での核実験は米国によるものではないのか。
自己すらを破壊してしまう熱線をゴジラが放つ意味が分からない。戦車程度の攻撃なら踏みつぶせばいいのに。だからこそ熱線を放ったゴジラの口元の崩壊が「単なる面白い演出」でしかない。そう、全ては「演出」のためだけに全ての登場人物が動いているのだ。だからこそ違和感を感じる。そんなことをするか。それは敷島に届いた電報を勝手に読む澄子の行動にすら違和感を感じさせるものだ。
ラストには、やっと訪れた敷島の心の平和。典子との涙の再会。そこに典子の首元への余計な演出が加わる。「典子」が「敷島に訪れた平和の象徴」から「人類を滅ぼしかねない邪悪な存在の再来」を示唆する演出で使い捨てられる。「そうすれば伏線ぽくて面白いから」そう、登場人物が「演出」のために使い捨てられていくのだ。
庵野監督の「シン・ゴジラ」でも映画内では人物の深掘りはされないが、視聴者が初見で気が付かないほどのセリフで少しづつ人物像が描かれる。「エヴァンゲリオン」で大衆を描けていないと言われた庵野監督だが、小さなシーンやセリフなどで押しつけがましく感じさせずに「ゴジラに対する国民の衝動」を感じさせるものになった。それが主人公たちの行動原理を強めていくのだ。
それなのに「ゴジラ -1.0」はドラマの全てが「山崎監督が、永遠の0にも通ずるかっこいい特攻シーンを描くための準備」になっている。
初めて観た際に「再びゴジラが観られた喜び」「決してハリウッドに引けを取らないVFX」で高揚感を感じたのは事実。「面白い」とも思った。だが、だんだんとこうも思った。「山崎監督ってゴジラを愛しているのか?」何度も見返してきた「シン・ゴジラ」にはその際にメッキが剥がれていくような感覚はなかった。だが、「ゴジラ -1.0」では二回目を見る前に「山崎演出を見せられるのはなぁ」という思いすら感じている。そこまでして「ゴジラ」を退治する必要あるの? 日本がゴジラを倒す必要すら感じない。追い返して、再び来ないようにすればいい。戦勝国が退治してくれるだろうさ。
庵野監督の2度のゴジラ来襲も彼が描きたかったからだし、「ゴジラ愛」だし、「冷えてないんだ。」は視聴者も納得させる設定で名台詞。上演時間の半分をかけて初めて自衛隊が攻撃するのも設定を大事にするがあまりに視聴者に納得(説得)するシーンが必要だし、彼自身が「信じ込める嘘」を描くための自分への規律でしょ。「庵野に任せたら会議ばかりの映画になった」そういう批判をする東宝責任者もいたでしょ。その批判を受けても「これは必要なシーンなんだ。」という庵野の信念を貫いたこだわりでしょ。山崎監督は何でもあり。一度目でなんでゴジラは海に帰ったの?
敷島にやっと訪れた平和の象徴である典子の首筋にG細胞を描いて、観客を感動から絶望に突き落とす必要ある? もう監督の「こういうの、面白いでしょ。」には付き合いきれない。
鑑賞後に既にメッキが剥がれつつある作品で、円盤まで買わなくても無料配信を待てばよいものです。
「敷島って震電が手に入らなかったら、また自分に嘘をついてゴジラから逃げてたんじゃないの?特攻の時と同じで。」
こういうのが見たかった
ゴジラ怖い。
大戸島に突然現れたときに震え上がるほど怖かったので、敷島がすくんで機銃を撃てなかったのが実感として分かって同情した。
世界各地に「ゴジラ」というイキモノは生息しているが、核実験で放射能を帯び、異形に化した個体がいたと解釈しました。
異形となったゴジラも破壊ぶりが半端ないし、ゴジラの撮影が至近距離だったり、下から腹を見上げるところだったり、今まで見たことない撮り方で、怖さと迫力が増した。
今まで見たゴジラ映画では最高。こういうのが見たかった。
なんで時代設定を戦後すぐにしたんだろうかと思っていたが、当時の状況をうまく使っており逆にこの時代であることの必然性を感じた。
子供を失って気力をなくしていた主婦が、他人の幼子を育てることでいきいきと力量を発揮し始めるところ、旧海軍の生き残りが「誰かがやらなくてはいけないなら」といきいきと元の職能を活かしはじめるところ、人は能力を発揮できる場面をもつことで生きる張り合いが生まれる、という描写に胸熱。呆然とした時期を過ぎ、力を注げるところを見つけて頑張る。戦後の元気な日本の原点を見たようでした。
もとから地球にいる怪物「ゴジラ」が核実験で放射能を帯びた異形となり太平洋を進んでくるが、すでに米ソの対立が始まっておりお互い相手を刺激したくないので米軍は何もできない、自衛隊も発足前、民間の力でゴジラ退治するしかない、と言ったところで出てきたのが廃棄待ちしていた戦艦、駆逐艦、戦闘機、そして帰還兵、という戦いの勘が残っている人材もいる。何もない日本で知恵を絞って出したゴジラ討伐作戦で機材を提供するのは、明らかに軍事工場を民生品製造に転用した、製造業者。幻の「震電」までが満を持しての登場。
戦後すぐでなければこれだけのものが集められたか。
そして直前でメンバーを外された水島がどんなふうに参加してくるのかと思えば、助太刀いたす、って民間の船を集結して「ダンケルク」かい!
水島はチャーチルばりに演説したのかどうかわからないけど、たくさんの小型船が水を切って駆けつけるさまは感動的。(短時間でどうやって船に牽引索つけたのかという疑問はありますが)また、震電にアレがつけられたのも予想通りながら、うれしい。
ストーリーは想像通りだが、オキシジェン・デストロイヤーのように唐突に必殺武器が出てくるようなことなく、たくさんの物事が詰め込まれているが、理にかなった形で生じており、脚本が相当練られているのが分かる。大雑把な怪獣映画ではなく、どこに出しても恥ずかしくない立派なエンタメ映画になっていると思う。
想像通りだけど、典子が生きていて、敷島の戦争がようやく終わるハッピーエンドがとても良い。
(釣られた電車の車両から落ちそうになるサスペンスは、流行りなのだろか? 「ミッション・インポッシブル」と「PATHAAN」でも見ました。)
やっつけたゴジラに対してその場の全員が敬礼するところは、日本人特有のものでしょう。敗者の健闘への敬意であるとともに、偉大なる自然が産んだ存在に対する畏怖の念もこめてのものと思う。
この描写を入れることで、ジャパニーズ・ムービーらしくなる。
世界に出す際はインパクトが出ると思う。
しかし。
東京には黒い雨が降って敷島はじめ多くの人がそれを浴びた。
相模湾でゴジラと対峙した船の面々も、熱風とともに熱線をもろに浴びている。
典子の首には黒い痣。
銀座にはグラウンド・ゼロの大きな穴が開いている
次なる災が予想され、実は完全なハッピーエンドでないところも含めて、スゴイエンタメ作品と思う。
良質なエンタメ作品でゴジラ映画の集大成
コレもゴジラ、アレもゴジラ
今回のゴジラ、長い歴史で初めて一般の方にオススメ出来るやつが出来上がりましたという感じでした。
ゴジラは長い歴史の中で様々な名作迷作傑作駄作と、ひとつのコンテンツとしては異例なほど多くのアウトプットを出してきた作品ですが、一般向け作品が(ようやく)補完された印象です。
おそらく単体映画としてかなり評価されるとは思いますが、この評価に胡坐をかくことなく、今まで通り制作サイドが頭を悩ましながら試行錯誤を続け、苦労の末に生み出した作品シリーズである事を望みます。
そう、熱狂的ファンでなくとも新作のたびに毎回ドキドキ(ワクワクではない)しながらガッカリと稀に感動を繰り返すビックリ箱のような、そんな映画が自分の人生と共に在らんことを!なんちゃって(笑)
歴代ゴジラで1番?
三丁目が破壊され、永遠の0で反撃する、山崎映画の到達点
神木・浜辺コンビ目当てで観ましたが、予想以上に絶望させられ、予想以上に応援でき、ラストに涙ぐむ映画でした。出し惜しみせず、割りと冒頭にゴジラ登場。まだ小型だけど、食べるつもりもなく、人を殺戮する暴れっぷり。観客としては20mm弾が無意味だと分かっていても、打てなかった敷島(神木隆之介)の絶望に同情。大砲は多少効いても、戦艦すら玩具の如く壊され絶望。都心で暴れた末、放たれた熱戦に絶望。典子が爆風で吹き飛ばされ、ドン底の絶望へ。べーやん(浜辺美波)ここで死んじゃうの...? 野田(吉岡秀隆)の海神(わだつみ)作戦は不確実性が高い気もするのが、やれる事はやる心意気を応援。『幻』の戦闘機・震電を蘇らせる監督の趣味も嫌いじゃない。『永遠の0』の宮部久蔵が蘇ったような活躍に手に汗握った。敷島の脱出も、典子の生存も、予定調和ではあるが、良かったと思える程感情移入させてもらえた。
ミステリで最後に必ず犯人が明かされるように、ゴジラ映画である以上、大まかな展開は予想できてしまう。ヒロインが無惨に吹き飛ばされる姿には動揺したが、やはり最後は大団円。予定調和を完全には脱していなくても、たっぷり絶望させてもらえた、well-made な disaster film に拍手。a町並みや戦艦・戦闘機のVFXも秀逸で、山崎貴監督の1つの到達点に感じた。
拍手です 神木隆之介
スクエニは新たな道を見出した!?
良かった
楽しめた
日本のゴジラはシン・ゴジラと本作しか観ていません。
(もしかしたら幼少の時に何かしらの日本ゴジラ作品を観ているかもですが記憶にないので割愛)
ハリウッド版はマグロ好きなやつも含め一通り観ています。
ゴジラそのものに特別な思い入れはなく、またゴジラへの原理主義的な思考や想いはないです。それを持つほどゴジラ作品を観ていません。
これを前提にしていることご容赦ください・・・。
・良かった点
多くの方が挙げていますがVFXやCGは素晴らしかったです。
もちろんハリウッドに比較したらまだまだですが日本映画の中では断トツのクオリティです。
日本映画業界の映像技術は1993年(つまり30年前・・・!)公開のジュラシック・パークにさえまだ追いついていないという認識だったのですが、この私の中の認識を改めました。
そのジュラシック・パークやT2などの映像技術革新と共に映画ファンになったこともあり、ついに日本映画でもこのクオリティの映像が作れるようになったのか・・・と変な感慨と共にエンドロールを眺めていたところその中にスクウェア・エニックスの名前が。
帰宅後、ネットで調べてもそれらしい情報は出てこないのであくまで憶測に過ぎないのですが、スクエニがゲーム業界で蓄積してきた映像技術の部分で協力したのではないかと。
例えば巨大なものをより巨大に見せるテクニック、モーションキャプチャー、水・爆発などのエフェクトなどなど。こういったところでファイナルファンタジーという超有名ファンタジー作品をゲーム業界で作り上げてきたスクエニは多くの知見を蓄積していると想像。
本作の監督さんは過去にもスクエニと協力して映画を作り興行・評価共に散々な結果になっていたものの今作では面目躍如といったところでは。
またジュラシック・パークの話になってしまうが、それ以前の技術はストップモーションが一般でその世界の第一人者であったフィル・ティペットは、ジュラシック・パークの製作時にフルCGのテストフィルムを観て「これで我々は絶滅だ。」と漏らしたとか。
しかしそれでスピルバーグやフィル・ティペットはストップモーションの技術を綺麗さっぱり捨て去ったというわけではなくフルCGにおける恐竜の動き方などにこれまで蓄積してきたストップモーションのナレッジを最大限活かしたという話。
その結果、同年ストップモーションの最先端技術で作られたティム・バートンのナイトメアー・ビフォア・クリスマスを抑えジュラシック・パークがアカデミー賞で視覚効果賞の受賞に至った。
新しいものへのチャレンジ、温故知新、技術の枠を超えた協力、こういったものが伺えるエピソードです。
今作ではスクウェア・エニックスというゲーム業界での映像技術の先駆者が、映像技術で後塵を拝している日本映画業界に協力。と想像。笑
スクウェア・エニックス(正確にはスクウェア)は映画製作で過去に史上稀にみる大失敗もしていてこれさえも良いナレッジにして活かした。と想像。笑
想像通りであるなら、日本においても業界や技術ジェネレーションの枠を超えた協業・協力がこのような良い形で結果に繋がっていることが何より嬉しい。
もう少し具体的なところを。
トレーラーにも含まれているのでネタバレにはならないと思うが戦艦が空を舞ってビルに衝突するシーンには良い意味で( ゚д゚)であった。
あり得ないものがあり得ない事になっている状況に映画内登場人物たちと一緒に( ゚д゚)ポカーンであった。
こちらもトレーラーにわずかに含まれているが巨大なゴジラが泳いで船を追ってくるシーンは「どうあがいても敵わない、範馬勇次郎だって敵わない(いや敵うのか!?)、とてつもない巨大な生物に追いかけられる恐怖」を恐らく怪獣映画の中で最も感じることができた。
たかが映像、されど映像。
ストーリー、演技、音楽と同じように映像も映画を構成する大切なパーツ。
今作はゴジラをより迫力あり、より現実味あり、そしてより外連味たっぷりに描くことに映像技術的に成功していて、なのでこれまでの日本の怪獣映画を大きく超えた作品になっています。
・より良いものを期待したくなった点
市井の人々が一致団結しあるシチュエーション・状況を達成する際のカタルシス。
ここをもう少し期待したかったです。
ここの描き方は庵野秀明監督にやはり軍配が上がります・・・!
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序のヤシマ作戦、シン・ゴジラのヤシオリ作戦。
その作戦に携わる末端から上まで細かなオペレーション・作業・進行の細々を丁寧にスピーディーにかつ端的に見せ、この作戦に携わる人々のすべてに重要性や価値の大小はなく一人でも欠けたら一人でも手を抜いたらその作戦の成功はあり得ない、つまりは終わりが待っている。
だからこそそのシーンの緊張感は高まりそしてその作戦の成功でカタルシスが大爆発する。
今作でも類似の作戦が登場します。
脳裏でヤシマ作戦の音楽が流れてましたからね笑
あー、庵野秀明監督だったらこうやって盛り上げていただろうなぁ!と脳内補完しながら観ていましたからね笑
でもそれをやってしまったら庵野秀明監督の作品になってしまうのでしょうね。
きっとこれは望みすぎだし期待値の方向が適切ではないのかもしれません。
それでも今作で市井の人々が一致団結しあるシチュエーション・状況を達成する際のカタルシスがより効果的に描かれていたら大傑作になっていたのでは・・・という思いを持たずにいられません。
総合して怪獣映画・パニック映画として十分に楽しめた作品でした。
怪獣映画ではなく人間ドラマでした
第一作から全部のゴジラ映画を観ている、昭和生まれの感想です。
タイトルは「ゴジラ」ですが、人間が主役のドラマでした。戦闘機特攻から逃げて戦後を迎えた主人公、自分の中で戦争が終わっていない人々。アメリカには負けたが、今度は負けたくない、自分に区切りをつけたいという思い。第二次大戦直後を舞台にした人間ドラマで、大きな困難が「ゴジラ」という形で現れ、それに立ち向かう。なので、いわゆる怪獣映画ではないですね。ゴジラは引き立て役です。
主役の神木隆之介さんはCMでのふざけた姿ばかり見ていたため、こんな真剣な演技をするとは思っておらず、とても印象に残りました。
また、ゴジラが銀座を壊す場面で橋爪功さんが出ていたような気がするのですが、エンドロールに名前が出ていたのかどうか、見逃してしまいました。群衆のひとりでしたが、ご本人だとは思うのですが、もったいない使い方じゃないでしょうか。
突如として現れるゴジラ、立ち向かって行く人間(自衛隊含む)。しかし、ゴジラはゴジラの都合で自由にやってきて暴れる。結局、倒す事は出来ずに去って行くゴジラ。
人間ドラマが描かれるとしても、ゴジラの預かり知らぬ、あまり関わらないところで人間達が勝手にやっているもので、ゴジラと人間の二軸でストーリーが展開して行く。これまでのゴジラ映画はそんなイメージでした。このマイナスワンは、従来よりも人間が主軸で、ゴジラは添え物だったように思います。
また、時代背景的に仕方ないですが、こんなに自衛隊が出ないゴジラ映画は初めてのような気がします。怪獣映画と自衛隊はセットだと刷り込まれていたので、何か物足りない感じがしました。いつもの、自衛隊が出撃するテーマ曲も無かったですし。
ただ、ゴジラと対決する方々は元軍人でしたから、自衛隊とは遠い繋がりはあるのだとは思います。
それから、ゴジラがなぜ東京を目指すのか、その根源的な疑問にはまたしても回答無しでした。日本人は誰でも知っている象徴的な場所としての東京、銀座なのでしょうが、もっと明確な理由づけがあっても良いのではないでしょうか。
ゴジラの描かれ方も、無敵の怪獣ではなくて、放射線で異常発達した巨大生物になってました。それゆえ、深海の水圧を利用した撃退方法が発案・実行されたのだと思います。芹沢博士のオキシゲン・デストロイヤーのような科学兵器や、自衛隊の火力ではなく、自然の力を利用するのは三原山の火口に落としたのと合わせてもたった2回です。
無敵のゴジラが主役の従来の東宝シリーズ、政治的なディティールを描いたシン・ゴジラ、アメコミなハリウッドもの、そのどれにも属さない人間ドラマが主軸のマイナスワン。
どれも面白いですが、何度も見たいのは従来の東宝シリーズです。商業的に難しいのかもしれませんが、2000年前後の恐いゴジラが戻ってきてくれるのを期待してます。自衛隊の装備としては、釈由美子さん搭乗のメカゴジラ、陸自のスーパーXなどが活躍した時が面白かったですね。そういう視点で見ているため、マイナスワンは少し物足りなく感じるのだと思います。
と、ここまで書いてきて気がつきました。マイナスワンは、映画ゴジラを原作とした別作品なのでしょう。小説を原作として作られた映画に、原作ファンが違和感を感じるのと同じなのかもしれません。そう考えると諸々の不整合はどうでも良く、本作だけの世界観で楽しめます。
最後のシーンで、ゴジラ細胞が海中で動き出していました。これは2作目があるということですよね。まさか、なんとなく匂わせただけで、次の展開は考えてないとかそんな適当なことでは無いですよね。次回作の展開が読めないので、楽しみに待っています。伏線を張ったのですから、回収もしっかりお願いしますね。
大迫力のゴジラ
第二次世界大戦後の日本は、戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い、ゼロになっていた。そんな日本に追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現し、復興中の日本を破壊し、マイナスとした。戦争を生き延びた人たちは、残った船や戦闘機を修理し、ゴジラに対抗していく、という話。
ゴジラが迫力あった。今までのゴジラでも怖さはトップレベルだと感じた。
生き残った元特攻のパイロット敷島役の神木隆之介のトラウマを引きずった演技、孤児を引き取り一緒に育てる事になった典子役の浜辺美波の可憐さと意志の強さも良かった。
後ろにプロペラのある戦闘機を日本軍が作ってた、震電、を観れたのも良かった。
その他では、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラが良かった。
なかなかの迫力だったし、恋愛要素もあり、面白かった。
次に繋がりそうなラストはちょっと不気味。
ちょっと卑怯かつ、珍しく真面目なレビュー。本当にシビれました!
今回ちょっと卑怯なレビューの書き方になるんですよね。
公開初日に観に行く予定だったのですが、都合で三日遅れの鑑賞になってしまいました。
「一体、どーゆー作品なのかな?」と純粋な期待と興味がありまして。
皆さまの評価を先に伺いに行きました。それを踏まえてのレビューになります。
概ね高評価だったので、これは安心して観に行けるかなと、ひとまずは安堵しました。
とは言え、プラス1500円のIMAXで観るべきなのかは迷いました。
なので、まずはDolby Atmosでの鑑賞を選びました。
お客さんの入りは上々で、珍しく劇場のシート半分が埋まっていました。
結論。
「もう一回IMAXで観たい!てか、観に行くべき!」でした!シビれました!見事に胸に刺さりました!
間違いなく今年一番の秀作でした!
意地悪にVFXパートのアラを探しながら観ていたのですが、本当にリアルに違和感なく目に入って胸に刺さってきたんですよね。
正しく、効果的な特撮の使い方だと思いました。
初っ端の、主人公・敷島が駆るゼロ戦の帰投シーンから、特殊撮影への期待がるみる膨らみました。
白組いつもながらすげぇ!
観に行く前は、戦後間もなく解体された軍の兵員、兵器をどう扱って、どう立ち向かうのかな?とか、米軍がどう絡んでくるのかな?とか。トンチンカンなことを考えていました。
コテンパンにやられた軍が機能するはずもないのは自明の理。
ならば、大変悔しいのですが、米軍の介入は?となりまして。
そして、米軍が協力できない旨の設定も、何となくなく飲み込めました。
そこで民間のパンピー有志を募って戦うことを決めたくだりは、かの名作『インデペンデンスディ』以来に見た胸熱設定でしたので、非常に燃えたし、シビれたんですよね。
率いるは、純く…じゃなくて我らが吉岡秀隆演ずる・野田だったわけですよ。
吉岡さん、ファンなんですよ。佐々木蔵之介さんも。
豪華キャストの演技を見るだけでも、十分に価値のある作品だと思いました。
勿論、主役の神木龍之介のキャスティングはドンピシャだと思いました。死んでしまうことを純粋に怖いと思い、生に執着して死に損なった過去。そこからの死(ゴジラ)と向き合った苦悩を見事に演じきっていらっしゃると思いました。
浜辺美波は、まだあどけなさの残るヒロインとしてビジュアルが映えていると感じました。萌え~♪
安藤サクラも、一見意地悪そうなのに、人の好いおばさん役を好演でした。ちなみに安藤さん、今年だけで何本目?と思い、いつもながらwiki先生にぷち師事しました。
すると6月初っ端の『怪物』から約半年間、本作までの5作品連続でご出演じゃないですか。要するに1ヵ月ごとに1本の新作にご出演。レプリカントがいらしゃるのかな?と思うほど八面六臂の大活躍。『BAD LANDS』では主演を務められたのですよね。全てが未見です。←破蛇をつつきましたよっと。
(全く存じ上げなかったのですが、お父様があの奥田英二で、旦那様が柄本佑だったのですね。義父は柄本明だし。びっくりだ!)
ほんのワンカットのために橋爪功を起用でしたし。(ネット調べもしてみたのですが、合っていますよね?)勿体なっ!作戦に絡んでくる旧軍部の頭固いお偉いさんor老獪な財閥の長あたりのキャスティングでもよかったんじゃね?←また出ましたー…いつもの悪い癖の自分的if設定が(笑)
『シン・ゴジラ』での矢口のヤシオリ作戦の時以上に、野田のワダツミ作戦開始の演説がこれまたシビれたんですね。
あれを見るためにも、もう一度劇場に足を運ぶ価値があると思うほどの名シーンでした。
演説系(笑)シーンの中でも白眉と言っていいと思うほど感動しました。
茶…もとい!吉岡さん、しょぼくれた見た目と相反してかっちょよかったんですよ。
どーしても茶川さんを重ねてしまうのですが(笑)
作戦が絶対に失敗するとわかってても、見ごたえ十分の決戦シーンだったです。
その作戦自体が、今までのゴジラ作品の中でも、ひときわリアリティある考証だったので、そこにもシビれました。
あと、何にシビれたかというと、あまり詳しくないジャンルなので、語ると簡単に落ちると思うのですが、最後の切り札が“震電”だったところに「ヒャッホー!╰(*´︶`*)╯」しました。
先の大戦での不運な未完の名機だったわけですよね。ド素人ながらも、それくらいは知ってるもん!
それを民間側の最終兵器として見せ場を盛り上げてくれたのは、大変よかったです。震電飛び交うVFXやっぱり凄かったし。
いずれも特殊な物を何一つ使っていなかったんですよね。現状ある物使って、あとは知恵と勇気だけが武器ってかっちょいいじゃないですか。燃える展開じゃないですか。
実は最後の最後で敷島が脱出したくだりは、なんとなく読めていたんですよね。
橘が整備中の震電のシート後方に赤い“横文字”のマーキングがあったんですよ。
あれ、きっと米軍からパクったか、模倣した脱出装備に違いないと思ったんですよ。横文字だったし。
珍しく細かいところまで見ていたです。はい。
「戦時中、戦闘機に脱出装置すら装備させなかった」云々の語りがあったじゃないですか。
そのことへのアンチテーゼ&ハッピーエンドへの布石だと思って。
本作のゴジラ、明らかに人間を目標にして襲ってきてたんですよね。殺る気満々だったじゃないですか。
あれは本当に怖かったです。
ゴジラの描写で斬新だったのは、尻尾から背中にかけて、うにょん!うにょん!と青く光る鰭が生えてくるシーン。あれ、とても綺麗でしたし「一体何が起るねんな!」と、怖かったです。傷ついた部分の再生シーンも、とても不気味でした。
そして音楽の使われ方が非常に秀逸だと感じました。ゴジラのテーマが、とてもドンピシャと効果的に使われていたと思って。ゴジラの登場と相まって、絶望感に満ちて本当に怖かったです。
メインテーマとして、エンドロールで使う資格は十分以上にあった作品でした。
そうそう、本作はわけわからんテーマソングは無かったんですよ。
あれ、殆どの作品でそう思うけれど。いらんのよね。邪魔。
作品の世界観に全くそぐわない時は、マジ勘弁って思いますもん。余韻台無しですわ。
エンドロールと言えば、本作、監督名が画面中央でストップしたんですよね。
アレって、どうしようもない“駄作あるある”じゃないですか(笑)
本作は違いましたね。山崎監督、本当に素晴らしく凄かったです。心の中で思い切り“サイレントオベーション”しましたからね。スタンディングはちょっと恥ずかしかったの。ごめんなさい。
本作を語る上でどうしても触れなければならないのは『シン・ゴジラ』との比較なんですよね。
庵野さんには大変申し訳ないのですが、本作を観た後でのシンは、“ヲタク”向けゴジラと思えるようになりました。
あくまでも、コアなマニアに向けて発信されたみたいな。
どうも広く一般に受け入れられないように思えてきて。観た当時は大変素晴らしい名作だと思ったのですが。←貶めてるわけじゃないですよ!
対して本作です。こちらはヒューマンドラマパートが、幾層にも丁寧に描かれていたので、ゴジラ抜きにしても、見ごたえがありました。
別にゴジラが主役じゃなくてもいいんじゃね?と乱暴に断じていいほどに。その分、間口が広いと思い。
大人が観ても子供に観せても楽しめる、そんな作品に思えました。
敷島と典子・明子、さらには、近所のおばさんの関係の距離感が絶妙だったんですよね。『三丁目の夕日、時々ゴジラ』みたいな。
お互いに全く赤の他人の四人を軸に織りなされた愛情ドラマとして、かなり泣かせに来ていましたから。そこへ蔵之介さん、吉岡さん、山田さんたちが食卓を囲むシーンなんて、本当に胸ほっこりしました。「えっ?これってゴジラ映画ですよね?」ってオツムの中で再確認しましたもん。
そういう意味では、本作、ハッピーエンドでいいんですよね?
最後のカットでゴジラの復活を匂わせるような描写がありましたけれど、あれって「次作は後進にバトン渡しますよ」って解釈でいいんですよね?
とりあえず本作はハッピーエンドで完結してるって認識でいいんですよね?うん。
ただね、「ちょっとなぁ…」と思ったことも少々あって。
もう一方の主役のゴジラの造形問題。これ、他のレビュワーさんもご指摘のように、最後まで違和感が拭えなかったです。
腕長すぎじゃね?胸板の筋肉も厚すぎじゃね?ササミの喰い過ぎじゃね?
あとね、せっかくの浜辺美波が演ずる典子が一旦途中退場しちゃうじゃないですか。もう少しお話に花を添えてあげてもよかったように思いました。白状すると、美波さんをもっと見たかったんです。
(///ω///)
まぁ、あそこは敷島が死を賭してでも、国の危機、そして典子から託された明子を救いたいと思うようになったプロットとして、重要な位置づけだったんだろうけれど。
ちなみに、珍しく映画観る前に購入したパンフレットが1100円。やや高価でしたが、それに見合う価値が十分にあって、大変読み応えがありました。
そして、グッズ売り場がマジ大変なことになっていたんですよね。定番のポストカードやクリアフォルダから始まって、Tシャツ、パーカーまで50種類以上ほどもあります。その上過去作品の書籍まで置かれていたので、マジお腹いっぱい。グッズ眺めているだけでも楽しかったです。マニアさん、財布の事情が破綻しそう。
私が欲しいと思ったのは1980円のメガネケースでした。財布の事情で買えなかったのですが。続けてIMAXでの鑑賞をソッコーで決めたもので。
初ゴジラ!
映画館での迫力
山崎貴監督を称えたいね
まずは、山崎貴監督を称えたいね、よく庵野秀明氏の「シン・ゴジラ」の大ヒットの後を作り上げたね。
絶対に比較されるだろうし、しかし、山崎貴監督は庵野秀明氏とは全く違う「ゴジラ」を作り上げたのだから本当にあっぱれだね。私はゴジラファンではありませんが、今回の「ゴジラ-1.0」だけは、ワクワクしながら鑑賞させていただきました。
毎度言うように「ウルトラマン」や「仮面ライダー」みたいなヒーローモノでは、正義と悪がしっかり分かれていて、その中で、迫力のある戦いのシーンがあるので、面白く見えるけど、「ゴジラ」って、地球にとって正義なのか悪なのかも分からなし、今回のように、人間VSゴジラになると喜怒哀楽が伝えにくいように感じるだけどね。
山崎貴監督版「ゴジラ」はある意味基本の「ゴジラ」に忠実に、一番最初の「ゴジラ」のリブートと考えていいと思うね。
ここから新しいシリーズの「ゴジラ」の始まりを予感させる内容だった。
前半はいまひとつの展開だったけど、後半は徐々に盛り上がってきて見ていて面白かった。
もう少しゴジラVS人間の戦いにあるジレンマが表現できればもっと良かったかな・・・
それと強いて言うのなら、キャスティングが弱いかな・・・もう少し昭和のあの頃をもっと忠実に表現出来る俳優さんだった方が良かったかな・・・・
ま、山崎貴監督が、庵野秀明氏を意識せず、山崎貴監督流に作り上げた本作品であった事が非常に見ていてよかったよ。
山崎貴監督はこの後どうするんだろう・・・この後の「ゴジラ」も当然撮るんでしょ・・・・
オタクのためでない怪獣映画ですね
史上最悪、最凶、最恐のゴジラだった
時代も設定もストーリーも違うんだけど、'54の「ゴジラ」へのオマージュも、そして時代的にはこのあと連綿と続くゴジラ作品の世界観も否定していないよ、と感じさせてくれる内容だったなぁ
そして、「生きて、抗え」ってキャッチコピーがよく似合っていた
終戦直後の物語なので、高層ビルもなければ、最新科学兵器もないし、まだまだ原風景みたいな感じなので絵作りとしてはそんなに派手ではないんだけれどそれだけにゴジラの怖さが際立っていたよな
あのギミックも緊張感が増す効果があったし
「シン・ゴジラ」もよかったけれど、あちらはなんていうんだろ、どこかしら「マニアック」な匂いを全編に感じさせるシミュレーション的作品だったけど、こちらは、戦争を題材にしたヒューマニズムを感じさせる作品だった
「怪獣映画でしょ?」っていう思い込みのある人ほどぜひ観てほしい、って感じ
クライマックスではあちらこちらからすすり泣く声が聞こえていたことも印象的だった
そうそう、たぶんね「’54ゴジラ」はもちろん、「永遠の0」が好きだった人も気にいるかもしれない、
そんな作品でした
これ余談ですがつい最近朝ドラで「天真爛漫」だったあの二人、この作品では本当に真逆だったの
役者さんってすごいですね
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