ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ゴジラシリーズの最高傑作
これまでゴジラシリーズはいくつか見てきましたが、本作はその中でも最高傑作と呼ぶに相応しい出来だったと思います👏🏻
2時間の上映時間を余すことなく完璧な脚本で最後まで描き切ったのは日本映画の進化を感じました。海外映画と比較しても遜色ないどころか海外ファンも本作に満足することは間違いないんじゃないかと思います。
退屈でありきたりな邦画
色々な作品が思い浮かびます。
ゴジラというより
人間ドラマが主であり、ゴジラはそれを描くための題材。
逃げてきた特攻隊員の悲壮な胸の内、引き上げてきた元兵隊たちが背負うものなどの描き方が浅く残念。
シン・ゴジラは官僚機構への揶揄といったメッセージがあったが、そういうものは感じない。
一方、CGの表現は、もはや何をされても驚かなくなっており、人間ドラマにもゴジラにも軸足を感じなかった。
他のレビューにもあるように、男性4人の配役か、演技のあり方が違ったら、また異なったと思うが。
人それぞれの楽しみ方があると思うけど、自分としては、物足りなかった。
観客の年齢層が明らかに高かったのは、ゴジラの歴史を感じた。
また観ます!
山崎貴監督版ゴジラ
タイトルなし(ネタバレ)
太平洋戦争末期、南海の孤島・大戸島に一機の特攻機が不時着する。
操縦士は敷島浩一(神木隆之介)。
機体の故障というが、整備士たちによる故障は発見できず、整備隊長の橘(青木崇高)は、敷島の戦闘忌避を見抜いていた。
その夜、大戸島を巨大生物が来襲。
島民たちが「ゴジラ」と呼ぶ荒ぶる神・祟り神、異形の古代生物であった。
特攻機の20ミリ機銃で討て、と声をあげる橘の願いも虚しく、敷島は躊躇、隊は全滅してしまう。
そして、終戦、帰還した敷島を待っていたであろう両親は空襲により死亡、ただ生きるだけの毎日の敷島は偶然、乳飲み子を抱えた典子(浜辺美波)と出逢う。
乳飲み子は典子の子でなく、両親は空襲で死亡、その彼らから託されたという。
典子の両親も空襲で死亡しており、敷島と典子、それから産着に縫われた昭子と名付けられた乳飲み子との奇妙な同居生活が始まる。
そして、終戦から2年。
銀座の街もかつての様相を呈してきた頃、「ゴジラ」が襲来する。
ビキニ諸島沖での核実験により巨大化、再生能力を強化させて。
その「荒ぶる神」「祟り神」の姿は、禍々しいものだった・・・
というのが映画前半までの物語。
途中、木造機雷掃海艇での特殊業務に就く羽目になった敷島は海上でゴジラと遭遇、そのときの船長・秋津(佐々木蔵之介)、小僧と呼ばれる助手・水島(山田裕貴)、学者・野田(吉岡秀隆)との出逢いがあり、後半の展開に影響してきます。
さて、2016年『シン・ゴジラ』以来の国産ゴジラ映画というプレッシャーのなか、監督・脚本・VFXの山崎貴は、怪獣vs.国家(組織)から、怪獣vs.個人へと物語をシフトさせ、「シン」とは異なる側面を見せていきます。
よって描かれるのは、敷島という個人の物語であり、ドラマ。
この「敵vs.個人」の構図は、70~80年代あたりまでは主流であり、『宇宙戦艦ヤマト』(というか『さらば宇宙戦艦ヤマト』か)で若者の心に突き刺さったもので、同時代の山崎監督の胸にも突き刺さったものと思われる(というか『ヤマト』の実写版を撮っているしね)。
また、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジに通じるところもあり、若い観客にも十分アピールするだろう(というか、している?)。
映像的・物語的に初作『ゴジラ』を意識したエピソードも盛り込み(銀座の街の破壊シーンの酷似や海中でゴジラを仕留めるという作戦など)、オールドファンもニヤニヤさせることに成功している。
で、個人的に最も興味深かったのは、冒頭のゴジラ大戸島襲撃のエピソードで、そのときのゴジラの姿は「荒ぶる神」「祟り神」に相違なく、諸星大二郎の描くマンガ『稗田礼二郎フィールドノート』シリーズ(通称「妖怪ハンター」シリーズ)の一編を想起しました。
また、「荒ぶる神」「祟り神」ということで、ゴジラの生態や起源などの考察を劇中で省略しているあたりも好感が持てました。
映像的には、再現マニア的な山崎監督らしく、戦後の風景、復興した銀座の街並み、迫りくるゴジラの物理的状況など、かなりの細部まで作り込まれているのではないかしら。
なお、ゴジラが再生するかも・・・というエンディングは余計な気もするが、活かすのであれば、次回は『ゴジラ対ヘドラ』のリメイク、ゴジラ細胞が70年の時を経て再生するとともに、海中プラスティックに作用してヘドラ(今回は再生プラスティックの集合体)と戦う、みたいな、ちょっと気楽に見える社会派エンタメを期待したいです。
期待満足度80%
ゴジラ−1.0とこれからのゴジラ映画
おもんない!!
ゴジラを見にきたのに日常パートが長すぎる!!
のりこが死んだかも、という時に感情移入させるため?
だとしても長すぎた。すごく眠たかった。
ゴジラの暴れるシーン少なすぎる。
最後にのりこが生きていた、っていうのも最悪。
死んでたかも?みたいな描写の後にやっぱり生きていました、って出てくるのはご都合主義者の悪いところです。
安藤サクラ、いじわるばあさんかと思いきや、普通にいい人だった。
初ゴジラでした
ゴジラファン必見の作品
私はゴジラ映画というものを知ったのは小学校1年生の時でした。現在67歳ですからほぼゴジラ映画については鑑賞しております。
内容についてはすでにたくさんのレビューで掲載されておりますので省略いたしますが、私自身のゴジラ映画を見ての体験で恥ずかしいのですが、今から60年前は映画館は、入れ替え制度はなくて何回でも映画が見れる。家から5分の場所に映画館があったなど、小学生で一人で映画館に通った記憶がありました。ゴジラ映画で題名は忘れましたが、その日は3回も観てしまい、映画館に親から電話がかかってきてたいへん叱られた思い出があります。
そのくらい楽しい時間だったのでしょう。
それから60有余年が過ぎて、多くのゴジラ映画を観て、ある時は感動し、ある時はがっかりし、それでも何度も新しい作品のゴジラ映画を観ていました。
今回の映画を観ての感想ですが、なぜか涙が止まりませんでした。
自身の体験(結婚、子供の成長、孫の誕生、大きな病気で生死をさまよい復活)が映画の中の言葉だったり、映像だったり、とにかく響いたのでした。
今回は映画の感動をもう一度体験したくて
初めて入替制度で同じ日にもう一度映画を観ました。
それでもまだこの映画を観たいという気持ちがあふれています。
私にとってのゴジラ映画はモーツァルトやベートーヴェンやブラームスを演奏する時の畏敬の念と同じくらいの作品であり比較対象にならない世界で唯一の映画といえます。
この映画をつくっていただいたすべての関係者に感謝いたします。
「日本の勇者のやり直し」。ゴジラにかこつけた「なろう」的な敗残兵の復活再戦物語
1カ月ぶりくらいの映画鑑賞。
なんか言いづらいんだけど、
ぶっちゃけ『シン・ゴジラ』より全然面白かったわ(笑)。
ゴジラ自体は、ここぞというところ以外は言うほど出てこないのだが、
ドラマ・パートがそこそこ充実しているので、観ていて飽きがこない。
僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』や、ドラ泣き必至といわれた『STAND BY ME ドラえもん』で、まるで泣けなかった人間なので、どうせ『ゴジラー1.0』も肌に合わないんだろうな、などと勝手に思いつつ観に行ったのだが、終盤はそれなりにうるっときたし、相応に最終決戦前の一連の展開にも感情移入することができた。
これなら、ふつうに人気が出るのもよくわかるや、と素直に思った次第。
まあ、山崎貴監督としては、本作は一応ゴジラ映画といいつつ、
思い切り『永遠の0』の「続編」的な位置づけなんだろうね。
死に損なった特攻兵。国を守れなかった海軍兵。
彼らのやり残した「戦争」の〈代替物〉を背負って、
ゴジラは海からやって来る。
ここでのゴジラは、単なる怪獣でもなければ、単なる災害や公害のメタファーでもない。
自分たちが結局は敗れたせいで(主人公にとっては敵前逃亡したせいで)本土進攻を許し、結果何百万という一般人を死なせることになった、「勝てなかった米軍」の亡霊なのだ。
ここで倒せれば、やり直せる。
ここで勝てれば、誇りを取り戻せる。
自分たちに全く咎のない形で、いきなり降りかかってきたゴジラという新たなる巨大な脅威。それは厄災でありながらも、敗残兵たちにとっては、実のところ「心の救世主」のような機能をも有している。
先の大戦は、ある意味、自業自得の敗戦でもあった。
しかし、ゴジラは違う。
アメリカさんの水爆実験で巨大化し怪物化した恐竜が、いきなり日本の首都を攻めてきて、罪なき民を鏖殺しようとしてくるのだ。
とてもわかりやすい敵。
ゴジラに立ち向かう過酷な試練。それは「チャンス」でもある。
次こそはやってやる。次こそは勝ってみせる。
作戦に成功すれば、負け犬として抱えていたわだかまりを、なんとなくすっきり解消することができそうな、あつらえたかのような「戯画化された復讐戦」。
それが今回の「ゴジラ」の正体だ。
要するに、この物語の本質は、「ゴジラ」に偽装された「なろう」に近いものだ。
『Reゼロ』や『悪役令嬢…』や『無職転生』と同様、「一度は弱さゆえに上手く果たせなかった使命」を「新たな意志と守るべき仲間の存在」によってパワーアップした結果、試行錯誤のすえ「もう一度やり直してみせる」までの過程を、カタルシスをもって描いた物語。
だからこそ、この物語は、観る者の心をたやすく感動させるわけだ。
僕は、この物語のそういう「都合の良さ」を決して否定しないし、バカにしない。
われわれ日本人は、先の大戦に負けて、プライドをズタズタにされた。
単に負けて、殺されて、占領軍に教唆される立場に貶められたからではない。
本土を守れなかったから。家族を守れなかったから。
頼りにしてくれた銃後の民の期待にこたえられなかったから。
その思いは、別に醜くもなければ、おかしくもない、いたってふつうの悔しさであり、一生心を責めさいなむ重荷に違いないし、その苦しみを軽減し「すっきり」させてくれるフィクションの枠組を特撮に求めるのもまた、別に間違っていない。
正直言うとこの映画、左派的なスタンスの人から見たらかなり「いらつく」内容なのではないかとも思う。こんなのが大ヒットしていることに、内心忸怩たるものがある「良識人」も結構隠れていそうな(実際、山崎貴は左派の毛嫌いする百田尚樹の善き解釈者でもある)。
ただ、思想云々はさておくとしても、そもそも戦後の特撮というのは、巨大な敵が日本を侵略しようと迫り来ては、善意の国家防衛隊と善意のヒーローがそれに立ち向かって、最終的には撃退するというお話を繰り返し繰り返しやってきたに過ぎないわけで、結局は、子供だましの着ぐるみの世界で、何度も何度も「アメリカに負けた悔しさを擬似的にはらしてきた」というのが「特撮の本質」でもあるのだ。
『レインボーマン』などは、まさにそういった思想性が極端な形であふれかえっていたぶん、地上波放送できなくなったりといった軋轢がいろいろ生じたのだと思うが、ウルトラマンにせよゴジラにせよ戦隊ものにせよ、多かれ少なかれ、特撮にはそういう側面がつきまとう。
「負けた戦争のやり直し」。
「敗戦国の憂さ晴らし」。
こういった特撮の持つとある側面を、敢えて真正面から「直視」して、誰にでもわかる形で表すために、山崎監督は、戦後すぐの時代背景を舞台立てに「ゴジラ」を作って見せたのかもしれない(監督本人は、一番日本の国防力が脆弱だった時代を舞台にとることで、民間人が自らの力で立ち向かうしかない状況を作ろうとしたと述べているが、本作で一番真摯に描かれているのは「生き残ってしまった兵隊」の抱える苦悩に他ならない)。
そう考えると、本作が「戦争映画」の延長として製作され、なおかつ「なろう」的、「仮想戦記」的、敗者復活的なご都合主義を兼ね備えているのは、むしろ特撮の本質と真正面から向き合った結果だとも言えるのではないか。
― ― ―
山崎監督と庵野監督の共通点を一つ挙げるとすると、
それは、浜辺美波ちゃんが好きで好きでしょうがないところだろう(笑)。
『シン・仮面ライダー』も、前半はほとんど浜辺ちゃんのコスプレイメージビデオみたいなつくりになっていたが、本作での山崎監督も、浜辺ちゃんへののめり込みようはなかなかにすさまじい。
NHK朝ドラの『らんまん』で、浜辺ちゃんが、異様に和装や古い洋装の似合う「昭和に映える」女優であることは改めて確認されたが、今回の浜辺ちゃんは野生児のようなボロから、割烹着姿、さらには原節子のような事務員姿まで、「昭和初期女優」のコスプレをいろいろさせられたうえ、乱暴な言葉づかいから上品な口調まで披露、その様々な魅力を全開で引き出してもらっている。
浜辺美波は東宝シンデレラの出身だから、東映の仮面ライダーのヒロインをやるよりは、東宝のゴジラのヒロインをやるほうがよほど筋が通っているし、なんならこの役は「宿命」とか「使命」のようなものだ。とはいえ、浜辺ちゃんが受けてくれて山崎監督は大喜びだったろう。
もう、浜辺ちゃんがとにかく可愛くて可愛くて、やれることは全部やらせたい感じ。
ズタボロの汚い浜辺ちゃんも、お母さん姿の浜辺ちゃんも、おぼこい新妻然とした浜辺ちゃんも、凛としたビジネスウーマン姿の浜辺ちゃんも、爆風で吹っ飛んでく『フォーガットン』のジュリアン・ムーアみたいな浜辺ちゃんも。
しかも途中、強烈な設定がぶっこまれて、こちらもぶっ飛んだ。
え? なに? 神木くんとは同棲してるのに
赤の他人のまま、身体は清い関係のままなんですって??
なんだよそれ??
僕たちの美波ちゃんは、お母さんだけど経産婦じゃない、
人妻っぽいけど、実は処女なんだよ、みたいな???
マジ、クッソキモいこと考えるな!!山崎貴。
マジ、クッソキモい!!
マジ、クッソキモいけど……、おれ、よーくわかるよ(笑)。
おれにはわかる、監督、あんたのその気持ちが! 祈りが!
女性から見たらきっとドン引きだろうが、個人的にはまさに神設定。
しっかし、よくこんな童貞の夢みたいなアホ設定押し通したなあ、……さすがだぜ、山崎貴。
歪んだ浜辺美波愛の所産(浜辺美波を穢したくない)を、神木君サイドに責任をなすりつけて(生きることに忌避感があってお嫁にもらってあげられない)正当化してみせるその手腕は、ほんとうに只者ではないとひたすら感服した次第。
ちなみに、一回目の「拒絶」シーンと対を成す、あの「頭挟みこみ」シーンのあと、たぶん事を成したんだよね、あの二人は? 違うのかな?
― ― ―
特撮映画、アクション映画としては、
まずは「本体をなかなか見せない」「出しても短時間しか出さない」という、「ゴジラ」の本道にひたすら則った作りを貫いていて、感心した。
と同時に、まずは「海」で見せて、「陸」で見せて、最後は「海」&「空」で見せるという形で、戦争映画の「三軍」を満遍なく配しているのも巧い。
最初は「島」で『ジュラシック・パーク』のパロディ、
お次は「海」で『ジョーズ』のパロディ、
メインは「銀座」で『旧ゴジラ』のリメイク、
終盤は「海&空」で『永遠の0』のやり直し、
と、既存の作品の王道的要素を巧みに盛り込んで、だれが見ても楽しめるパニック&バトル・ムーヴィーに仕上げているのも、山崎貴らしい職人芸だと思う。
とくに海でのシーンは、「熟練の船長に助手の若者、行動派の学者に銃の巧い主人公」という取り合わせといい、背びれを見せて迫って来るゴジラといい、鳥瞰ショットで船の下を横切るゴジラといい、口に機雷を噛ませる展開といい(元ネタではガスボンベ)、ほぼ『ジョーズ』そのまんまで、楽しく観させてもらった。
ゴジラのバトル要素では、「尻尾を使ったバック・スピン・アタック」が多用されていたのが印象的。その破壊力がまた抜群で、たしかにゴジラがあの体型で攻撃してくるなら、これしかないよなと思わせるリアリティがあった。
あと、ゴジラが熱線を吐くまでに、シャキーン、シャキーンと、放射能で輝きを増した背びれが飛び出してくる巨大合体ロボ的なギミックも、期待を高める手順としてはよくできていた。吐かれる熱線が、まさに原爆&水爆のアナロジーであることは明白で、ここでも「戦勝国アメリカの影」としてのゴジラ像という所期の設定が強調されていたように思う。
終盤の対ゴジラ作戦は、鳥瞰で船団の位置を示し、作戦の概要や各船の役割がヴィジブルで伝わってくるよう考えられていて、その手際のよい情報整理は、さすが『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』を撮った人だけのことはあると感心。
相模湾という「間近な深海」の使い方もなるほどと思わされるし、一見してオキシジェン・デストロイヤーへのオマージュだとわかる最終兵器の構造も、ジャンルファンに対するくすぐりがしっかりきいている。
特撮も、アメリカのビッグ・バジェットのSFXからすればお粗末かもしれないが、日本の予算規模で考えれば、とてもよく頑張っているのでは。少なくとも、観ていて「ちゃちい」気分にはならなかったし、長年VFX職人としてあらゆるジャンルの映画を引き受けてきた山崎貴の本領は、十分発揮されていたような。
― ― ―
とにかく、神木くんの演技は抜群だった。
すばらしいの一言。
彼の真に迫った演技のおかげで、ある意味「都合のよい」物語が、観客にそう思われることなく、すっと受け入れられていたとも言える。
似たような時代設定で、似たような貧乏暮らしを描いているのに、『らんまん』とはまるで異なる空気を作って来てて、さすがだなあ、と。
浜辺美波も、『シン・仮面ライダー』と較べればずいぶんと自然な演技をしていたと思う。
吉岡秀隆は、普段通りのキャラだが、だからこそ安心感があった。
佐々木蔵之介は、一番芝居がかった台詞をあてがわれていて(「恐れ入り谷の鬼子母神」とかw)若干「痛い」演技をやらされていたが、ともするとダークサイドに落ちがちな話を、うまく明るさのなかに引き上げる役割はきっちり果たしていた。
青木崇高に関しては、めちゃくちゃいい役をもらってて、ホント愛されてるなあと。
ちなみに、青木崇高がらみのネタも、浜辺美波がらみのネタも、100人観てて気づかない客は5人くらいのものだと思うが、「オチが予測できる」のもまた「安心感」の一種であって、決して悪いことではないだろう。
おそらくは大半の客が「こうなるだろう」と予測している辺りで、きちんと話をまとめて終われる能力もまた、一流のエンタメ作家の必須要件である。
あと、銀座のシーンで一瞬、橋爪功が映ったのはびっくりした。
他にも探せば隠しキャラが点在しているかも。
これもまた、今の時代のSNS対策の「撒き餌」ってやつですね、わかります。
つまらない
マイナスと言うダウングレード
シリーズが最骨頂やMAX 値を極めると
隣接してスケールダウンで濃厚な演出を温故他心するミクロ現象がある。
例えばガンダム等の18mサイズも肥大を競うスパロパの流れからミクロ化を狙ったものであり道具としての搭乗ロボは武器の名称を叫ばない、異次元な破壊力は持たない、弾切れ、燃料切れ、不良品、プロト型等およそスーパーでない魅力が満載の擬似ミリタリー展開で、かってのスーバーロボットを凌駕する温故知新である。
ウルトラマンで言えば
初期の飛行速度がマッハ5~7で有ったのに対しタロウ世代ではマッハ20と新進気鋭ぶりのMAX 値を弾き出すが、その後のレオはマッハ7の初期値を守備して温故知新を図るマクロ振り。
東宝怪獣ならバラゴンやゴロザウルスは身長がミニ尺で巨大感に意表を尽かしてある。
もっとも怪獣総進撃で
ゴジラと同じ場所に並んでしまってるが。。
つまりはマイナス1.0の作劇法は
シリーズのセオリーではある。
ところか、それゆえに不備が見つかる。
マイナス1.0はダウングレードゆえに
ゴジラのスーパー表現は抑えられていたか?
いや身長50mにミニ化した割に大した破壊力を発揮してた。
怪獣映画はスペクタクルではあるが
ダウングレードが抱えるジレンマであろう。
メーサー戦車やスーパーXも登場しない
VS シリーズ以前の世界観なら
背ビレの青い発光もニョッキニョキ出てくる描写も魅力的だがマイナス1.0なら安易に採用すべきでは無かったのでは?疑問だ。
あまりゴジラを強く描くと、
あの当時の非力な人間たちが勝て無いよ。分かるよね?
マイナス1.0なのだから
そんなに強いゴジラは矛盾とジレンマで破綻してしまう。
加えて腕がハッキリ人間の体型に近く生物感に乏しかったり
更に非力な作戦を気力で補うリスクは殉死であり、芹沢も小林も犠牲になった過去が有るのに
主人公夫婦は生存?その甘さが白ける。
いや本編に関しては陳腐な朝ドラ以下の
イマジナリラインも不明な淡々劇。
こんなのに90点ランクする人も好き好きだけど、この監督は大丈夫なのか。
最初からやり直せと言いたいが
こんなゴジラで評判が良いなんて
結構ハードル低いのかね?
色々言いましたが反面教師としては収穫有りました。
VFXの出来も悪くはないんだけど
前述通りの気になる点の数々。
これは課題かも知れず
諦めの見切りかも知れず。
シリーズはそうやつて追い求めて行くのでしょうね。
吉岡秀隆が倍賞千恵子に見えてしまった映画
洋画ファンの自分としては期待値ゼロで鑑賞に臨んだのだが思いのほか悪くはなく、それなりに楽しむ事ができた。自分が思い描くゴジラ映画は「シンゴジラ」よりもこっちだよなと思えるほどすんなり素直に楽しめた。
ただ確実にCGのクオリティに関しては邦画ならではの低いレベルを想定しておかないとなと覚悟していたのだが、意外にも違和感のないレベルに達しており、ビジュアル面ではなかなかいいものを観たなぁという印象。
複数の怪獣を出さずにゴジラ1匹のみで存在感を出したのもよかったが、口からのビーム発射までの背びれの変形ぶりはカッコいいし、ビームのとてつもない破壊力にも圧倒され、銀座の街並みを容赦なくぶっ壊していく様もいいパフォーマンスだなぁとゴジラの暴れっぷりには満足できるものがあった。それに加え絶妙なタイミングでお馴染みのテーマ曲が流れるあたりも盛り上げ方もうまいなぁと思った。
ドラマシーンに関してはこちらもほぼ期待していなかったが、もろもろ予想できてしまった展開はあったものの思ってたよりも退屈はしなかった。
主要キャラが誰1人として死ななかった部分に関しては若干のモヤモヤはあるものの、気になったのはラストの浜辺美波の首筋の模様は何を意味していたのか、続編への布石か、いろいろ想像させるのもいい感じだった。
全体としては久しく観ていなかった邦画がこれだけレベルアップしていたのは以外だなと思った。
これなら正々堂々とハリウッド版と肩を並べられると思うし、これはある種ハリウッド版に対してのアンサー作品というか本場の日本製ならこうやるぜ!というのを個人的にはとても感じた作品だった。
続編を作られるのかは不明だが、この感じで作ってくれるならまた劇場に観に行こうかなと思う気になった。
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