ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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秀逸な映画に仕上がっている
私は現在65歳。小学生のころリアルタイムでゴジラの新作を毎回見に行っていた。1970年前後。
あの頃は子供受け志向が強く少しコミカルになっていた。
その後、いくつかのゴジラ作品が発表されたが、心の中で違う、これも違うと思い続けていた。
ハリウッド版ゴジラが発表された時も見たがゴジラの面影はなくこれも違うと思っていた。
今回ゴジラ-1.0は極めて初代ゴジラを彷彿として見ていて涙が出てきた。
うれしかった。よくぞここまで作ってくれたかといううれしさ。
庵野のシンゴジラは手のひらが上向きで、動物の本能としてあり得なく見る価値もなかった。理屈っぽく能書きばかりで入り込めなかった。
ゴジラ-1.0はすべてにこれまでのゴジラを研究され、オマージュされていて、作るのに大変な努力をしているとわかる。
私は洋画8割、邦画2割の嗜好だがこのゴジラは素晴らしい。
恐ろしい映画でした…
ゴジラは米国そのものに見えました。また、広島県出身の私には典子が爆風に飛ばされる姿は、小学生の時から何度も8/6に習ったピカドンのシーン。その後の黒い雨も伴って言葉を失いました。
典子と浩一の最後のシーンで、典子がゴジラを倒した浩一に、「あなたの戦争は終わりましたか」と問いかけましたが、それは日本人に先の戦争が本当に終わったのかと問いかけているように聞こえました。そして最後のシーンで、「ゴジラ」はまだ蠢いていると…
ウクライナ、中東と米国が関与する紛争最中、また極東での緊張が高まる中でこの映画を日本のみならず米国と英国で公開することに恐ろしさを感じました。
今のところ、一般的には好評とのことですが、黄禍論を今も持っていそうな英米の高級情報担当者らが、どのように解釈するか…考え過ぎでしょうか…
ゴジラ映画の王道
ストーリーとしては、ゴジラ映画の王道を行く。
木造船の場面が一番怖かった。
ジョーズや白鯨の様に、木造船で立ち向かって欲しかった。その方が恐怖感max。
それにしても、神木くんと美波ちゃんは絵になる。
先が読めても、感情移入できます。
主演の二人からの広がりとゴジラの迫力
朝ドラ『らんまん』の主演二人が本作でも共演しているということ以外には、あまり関心がなかったけれど、安藤サクラ氏、吉岡秀隆氏、佐々木蔵之介氏、山田裕貴氏が出演しているだけでも、期待感が広がった。ゴジラはやはり圧倒的な破壊力を発揮するのだけれど、人を食うわけではないようである。海中を泳ぐゴジラは、『コング vs ゴジラ』でもそうだった気がする。『シン・ゴジラ』は、ゴジラ自体の迫力場面が少なく、会議場面が多かった印象が強い。熱光線は、巨大戦艦をあっという間に破壊するのだけれど、機雷除去のための小舟や主役を破滅させることはなく、ぎりぎりの緊張感は演出していた。機雷除去の苦労に関しては、呉の大和ミュージアムの側にあるてつのくじら館の展示で学んだことがある。全般的に命を大切にしろというメッセージが強調されるとともに、小舟が巨艦の救援に駆けつける場面には、『ダンケルク』で、英独戦争での多数の漁船が駆けつけた場面を思い出した。戦闘機震電は、大刀洗平和記念館での展示では、本作での利用のことを秘密にしていたらしく、本作公開後に知ることになったが、空中戦の場面は意外に迫力がある。アメリカ占領下にもかかわらず、アメリカが介入しないという設定も興味深い。
生きる
このゴジラは人間目線から見ることが多くて絶望感を恐さを感じた。
あんなのが目の前に迫ってきたら逃げることもできずに無理だろって生きることを諦めるかも知れない。
逃げて生き延びたところであの戦後の時代に前を向いて歩くことができるだろうかと思考も停止するかも知れない。
終戦後、復興のときに突如として現れた未知の生物。一瞬にして不条理に奪われた命、変わり果てた街並み。
戦火を生き抜いたのになぜこんな目に合わないといけないのか。。。
ただただ怒りがこみ上げる。
でも、こんな絶望的な状況でも人は立ち上がる。目下に迫った未知の脅威を知っても立ち向かう。勝てる見込なんてゼロでも一縷の望みにかけて、命を懸けて立ち向かう。なんでこんな貧乏くじを。。。そんな思いを抱えつつ大切な人たちを守るために、戦争を生き延びてしまったから、犠牲になった命のために奮起する。
劇中で「生きて帰って来ることを誇りとしよう。」というセリフがあった。今自分たちができることを全うする。
生きるために戦うことを諦めなかった人たちの話だと思った。
戦争を経験していない私たちが生きてる今は、たくさんの生きたかった人たちの上にあることを忘れてはいけないし、命懸けで守ってくれたこの国を未来に繋いでいく責任があること、大変なこともあって本当に生きることをやめたい時もあるけど、命がある限り生き抜かないとと思った。
これぞゴジラの原点
浜辺美波がゴジラなみに不死身すぎる! ゴジラ映画ってほかの巨大生物と戦うか、シン・ゴジラみたいに闊歩するだけだったのが、本作は人を襲う、町を壊す、船を投げ飛ばす、ひたすら悪いゴジラなのが最高です。地球防衛軍どころか自衛隊さえない状態でどうやってゴジラを倒すのか、なるほどあれなら行けそうと参考になります(なんの?)脱出装置のミスディレクション(実は赤いレバーだと思ったら違っててあのまま玉砕か)も良かったです。「パシフィック・リム」を見たとき日本の技術ではリアルな怪獣映画は無理だよなと思いましたが、いつもまにかここまでの水準になってたのが感激でした。山崎監督ありがとう!
子ども向けの怪獣映画ぢゃない。60代以上の方には絶対にモノクロ版を推奨!!
怪獣映画なのに観客にお子さんが一人もいませんでした。庵野作も同様でしたが、あれはお子さんでも観れるレベル。本作はちょっとキツイかも。お子さん連れでは楽しめないかな。私はオッサン一人がベストでした。東宝の考えるゴジラ像、かなり変わっちゃったのかな。本作は海外でも受けているとのことですが、ゴジラフリークのアダルト相手でしょ?ここは商売。マーケティングが成功したのか?失敗なのか?データですぐにわかるでしょう。
ところでオッサン一人の本作。昭和30年代生まれのジイは、モノクロ版を観ればよかったと後悔しています。戦後すぐのことはわかりませんが、小さい頃は戦争で障害を負った方(片輪と言われていました)が怖くて堪りませんでした。誰もが貧しく道は未舗装でダイハツミゼットが走っていたことを覚えています。空の大怪獣ラドンをモノクロ映写で観ました。恐怖で両手で目を覆っていました。お若い方はどのように解釈するかわかりませんが、往年を知る方にモノクロ版はノスタルジーを味わえると思います。
本作は怪獣映画ではなく戦争映画でもなくヒューマンドラマですよね?ストーリーは期待を裏切ることなく予定調和なので、NHK朝ドラを2時間枠にまとめたといったものですかね。神木さん、青木さん、安藤さん、浜辺さん、佐々木さん、吉岡さん、山田さん、一コマ登場の名優含めて演技達者です。幼児役の可愛いお嬢さんも親御さんが頑張ったことが目に浮かびます。ジイはホントに心を奪われました。映画興行は1日の上映回数を考えて(将来放送局にセールスすることも含めて)ナンボですから仕方ありませんが、ゴジラが主役じゃないなら、登場人物の人生劇場を描くことにもう少し時間を割けたらベターであったかなと感じています。
ゴジラは悪。しかも頭も悪い。人類の敵。そこはシン・ゴジラと同じ。昔のような可愛げはまったくない。銀座四丁目、数寄屋橋辺り(だけ?)をボコボコにします。戦禍を免れた名勝も一瞬で灰となり3万人も殺傷します。戦後の東京を攻撃する理由がさっぱりわからんけど悪の権化。造形はカッコイイ!欠点を上げると、まず島上陸時の登場シーンがマヌケ。ジュラシックパークみたい。次に、出現する予兆があまりにもチープ。苦笑するレベル。最後に、海中のラストカットは不快。要らない。
40年ほど前になりますが、山崎監督入社前の白組さんとお仕事をご一緒させていただきました。青山事務所時代から活き活きとした印象を持っていましたが、このような作品に係るとは思いませんでした。素晴らしいエフェクト、ありがとうございます!
3回目です!!
本日、マイナスカラー見に行きました。カラーで二回見ましたが、モノクロも本当にいいです。3回目なのに、最後まで集中して見られましたし、涙も出ました。
もしかしたら、ゴジラ映画の中で最高傑作化も!!
公開時期が悪かったか…
まず本作品自体は単体として見れば悪くない作品だと思います
只、今季の同時期の公開作品に意欲作が多かった為、相対的に評価が下がってしまいました
1:復員兵の「戦争は終わっていない・戦後は続いている」といった心象に力点を置いた作品かと思いますが、かなり主人公の一人目線に寄った表現が気になりました
序盤の説明臭い導入部分からひたすら敷島浩一にフォーカスをあてた演出が続くのですが主人公以外の人物の「戦後観」についてはほぼ表現されずに終わります
相棒である大石典子の戦後は「両親は生きながら焼かれそれでも、生きろと言いました」で終わりですか?
橘宗作の戦後は「特攻再志願の願い」だけでこれほど煽られて罵られても「自分の判断が間違っていたと飲み込んでまで、「生きろ」」とまで言わしめる程、変われますか?
映像作品である以上この辺りは伏線挿入とその回収までをわずかにでも描いてほしかったとと思います
「観客がそれぞれの考えで補完・想像してもらいえれば」というのものとは違う浅さや妥協が薄ら影って集中出来ませんでした
典子が吊られた列車から落下しなくても、爆風で吹き飛ばされなくてもゴジラの最恐さは表現出来たはずです、それを他の表現に割くなり作品自体の長さを伸ばすなりは出来たのではと感じます
(正直な感想としては限られた時間枠に収めざるを得ない為に「ゴジラ」と「心理描写」の狭間で調整に苦労された結果だとは感じます)
2:「怪獣映画」ではなく「ヒューマンドラマ映画」である
上述のとおり本作は主人公の心理描写の演出に力点を置いている為、「ゴジラの活躍とその演出」を期待している方々は異なった視点で鑑賞する必要があり本作の脚本と意図を感じにくくなる・距離を感じるといった感想になるのではないかと思います
また本作の主題・脚本であれば登場するのは「人知の敵わぬであろう未知の絶対的な存在」であればよいのであって「ゴジラ」である必要性はほぼ無いといってよいかと思います(エンディングで新たなゴジラの幼体となる生命体が生まれそうな伏線は有りましたが)
結果として、ゴジラ作品である以上年齢制限は設定したくないという狭間での葛藤が見て取れました
バッドエンド流行りの昨今、ハッピーエンドは見終えて幸いですがエンドロール途中で席を立つ方々が多かったのが印象に残った次第です
生きる力を与える
世界的に有名になったゴジラ。
そのゴジラをどう扱うのか?そして第二次世界大戦後の日本を舞台に描くゴジラとは?ワクワク感を持って観に行った。
敗戦のどん底からもがき苦しみながら生きようとする人々と、戦争により心に深い傷をおった主人公。
そんな状況でも徐々に復行に向かう東京に上陸するゴジラ。その圧倒的な力により破壊される街並みを描き、それでも抗うことを諦めない人たちの想いが心に響く。
主人公たちの自己犠牲を厭わない姿とそれでも生きようとする人間の力も感じさせる。
そのドキドキ感と最後の切り返しは素晴らしかった。
ゴジラ立ち泳ぎ得意?
めちゃくちゃよかった。大迫力の映像と、戦争と決別した者たちがゴジラに立ち向かっていくストーリー。
冒頭かなりヌルッとゴジラが登場するのだがもう少し不気味にもったいないぶって登場してくれよと思った。もったいつけた演出の後に登場のテーマ?と合わせてゴジラが現れるのが個人的にめっちゃ好きだから。その後海でゴジラと再度遭遇するシーンでも流れなかったな。ゴジラが人間を咥えては放り投げを繰り返してて、あー人を食ったりはしないんだと思った。なんか進撃の巨人で巨人が人間食うのは生きるための栄養補給じゃないってことをなぜか思い出した。
だけど後で銀座の街に現れたときにゴジラのテーマが流れてグッときた。復興してきた銀座の街が理不尽に蹂躙されるシーンであのテーマが流れる方が、絶望感マシマシで効果的だった。ゴジラが銀座の街を破壊するシーンは圧巻の大迫力だった。ちなみにあの音楽と共にゴジラの「カォォオオン」っていう甲高い鳴き声を聴くのが好きなんだけど、今作は聞けず寂しかった笑
特攻から逃げたことと、大戸島でゴジラを撃てなかったことで敷島の後ろめたさが積み重なって、後半命を捨てにいく伏線かなと思ったがそのとおりになったな。。
神木隆之介の顔、肌、歯がキレイすぎて、ボロ屋の生活の中で神木隆之介の顔面というアイテムだけ浮いていたwこれは仕方ないのかな?この辺もメイクで効果つけられないのだろうか?
ゴジラの熱線の凄まじい威力でキノコ雲ができたり、黒い雨が降ったり、艇長が政府の箝口令をこの国のお家芸と皮肉ったり、『聞けワダツミの声』よろしく作戦名が「ワダツミ作戦」だったり、先の戦争を想起させる要素が随所にあった。しかし、後々作戦立案段階で、下の者が元上官に意見したり、元上官が元部下?にありがとうと言ったり、極めつけが学者さんの演説と震電の脱出装置で、『戦争で死に損なった者たちの戦いだけど、過去の軍部のやり方は踏襲しない。命を無下にはしない』ってところがくっきり強調されていたと思う。
山田裕貴演じる小僧が船に乗せてもらえず、ヤケになって特攻するんじゃね?と予想したが、援軍を引き連れての登場だったので、『意地は通すけど無茶はしない』というナイスで激熱な展開だったと思う。小僧を取り巻く状況に関しては、俺も戦争行って手柄を立てたかったとか、逆に俺はお前らと違って実際に戦争行ったんだ、みたいな実戦経験マウント合戦が当時本当にあったのかもなぁと想像させる奇妙なリアリティがあった。
ゴジラって海で浮力で浮いてるんですかね?鯨みたいな感じ?立ち泳ぎですかねw?急激な水圧の変化が肝だから800mくらいで一度止まった時点で効果半減で引き上げる意味あんまなくね?と思ってしまった。鯨と同じ肺呼吸だったらずっと沈めとけば窒息で死ぬよね?沈めるときは周りの海水を押し退けて浮力を下げることが肝だと思ったんだど、あの映像だとジェットの噴射で無理やり沈めたみたいだったな。いずれにせよ結構科学的な方法でゴジラに立ち向かっていて嬉しい展開だった。冒頭から深海魚がゴジラに押し上げられて?水圧の急変化で死んでしまって打ち上げられるって描写が伏線になってたのか。あの現象は実際の釣りでもあるし面白い着眼だなと思った。
典子が生きてましたって展開必要だったかな?時系列的に不自然なような。。ゴジラが銀座を襲ってから撃退まで10日前後?くらいでその間にろくに捜索もせずに葬式挙げたってこと?というか熱線の衝撃くるとき自分も敷島を押すのと同時に一緒物陰に飛び込めたよね?などなど思ってしまった。
この国の-1.0にむけて
1954年の驚動に戻るまで70年かかったということだろうか。
今回の作品は、つい先日まで放送されていたNHKの朝の連ドラのことを考えると、万太郎と寿恵子の物語のようにも思えてしまう。それはそれでいいと思う。確かに二人の情愛はあの作品とこの作品では異なっているのだから、あの作品を下地にこの作品を見るのも悪くはない。なにせ、あんなに万ちゃんに尽くした寿恵ちゃんの命が奪われてしまった・・・と思っていたら、最後に笑顔を見せてくれたのだから(しかし、これがこの作品では大切な鍵になるのだが)。また、あのドラマを観ていた者は、あき子になった園ちゃんを感じていたかもしれない。それはそれでいいだろう。
さて、この映画である。
前回の「エバ的駄作」とは決定的に違うものがある。それが何か2時間余りずっと考えていた。作りは至ってシンプルだ。ストーリーも単純。登場人物もあまりにもわかりやすい。
しかし、じつはそのわかりやすさにこそ、簡単には理解し得ないものが隠されているのだろう。
おそらく、おそらくなのだが、あのエヴァ・ゴジラと決定的に異なるのは、「ゴジラ」に存在する私たちの「負債」を物語に徹底的に織り込んだということではないのか。
前回の「ゴジラ」。自分は次のように書いていた。
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可能であれば、60年かかってもかの問題を超克できないでいるこの国に、あえてセンセーショナルなタブーをぶつけて欲しかった。希望なき身も蓋もない最後から、何が見えてくるのか問うて欲しかった。でなければ、エヴァファンが喜ぶだけの、薄い映画にしかならないだろう。
1954年のゴジラを、今ここで問う意味を、3.11とフクシマの後にきちんと問いただして欲しかったと思うのは自分だけなのだろうか。
*映画終了後、自分の目の前で「すっごーく面白かったねぇ〜〜」と躊躇いもなく彼氏に笑顔を振りまいていた女の子。この時点で、この映画は、失敗作だと確信した。これは人の心の悪と罪に、届いていないのだと。ゴジラは我々自身であることが描かれていないのだと。
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今回の結末は明るいようでいてじつは重たいものがある。いまだ不分明な将来に託すあり方が最後に待ち受けるのだが、実はそれが笑顔の中にしかない。その笑顔によって生きることを徹底して描き込み、それによってかえってその辛さを滲み出そうとしているかのように思える。
約束された生から一転、約束されてはいなかった死へと落ちる。一般にはこのように生と死を捉えたいと、人は願うだろう。しかし、この物語は、誰もが約束されてはいない生をいかにして生き抜くのか、むしろ約束されている死をどのように迎えようとしているのかに焦点を当てている。
典子の無事を人は安堵する。いささか予定調和的で、陳腐なまでの結末は、だが、このようなありきたりの流れにこそ、徹底して生き抜くことを主題化しようとした意図があったのではないのか。周りから嘲られ生と死のはざまに苦悶する霧島もそうだろう。その霧島に生きることへの光を見出させる橘もまたそうだろう。典子とて、自らの意思とは無関係に一人の生を引き受けなければならなかった。
だから、私たちは至るところで生を根扱ぎとするものに出会う。
それにどのように向かいあわなければならないのか。
その「根扱ぎ」がゴジラという表象を通して立ち現れてくる。
しかし、この国は、1954年以降、その表象を捨ててしまった。ゴジラを通して表象されていたものをも捨ててしまったのだ。だから、ここにも「負債」がある。1954年が始まりだとすれば、その後は絶えず負債を増やし続けたということか。
かつて『永遠のゼロ』という無意味な数字で生と死を美化する反吐が出るほどの小説・映画があった。それもまた負債の一つだろう。
(このバブル世代の監督は、この自らの負債を消しにかかったのだろうか?それとも、なおそれを自らの負債として返済することをあえて拒んだのだろうか?聞いてみたい[2024.5.14追記])
1954年のゴジラは、10年の戦後の復興と繁栄があまりにも表面的なものだということを思い知らせるものだった。そして、その時代は「核」から逃れることはできないということを私たちに突きつけた。私たちの成長は、死の延長線上にあるということがリアリティを持って物語の中で語られていたのだった。ゴジラはその表象であったのだ。
しかし、私たちは見事に忘れた。ゴジラを忘れ、私たちを忘れた。
私たちは、「東宝チャンピオンまつり」にうつつを抜かした。いまだに続いている「VSシリーズ」はそれに目を向けようともしなかった。私たちは、恣意的にゴジラを飼い慣らし「ゴジラの映画」にしたのだった。
今、70年を経て問わなければならないだろう。
「ゴジラ」とはそのような存在だったのだろうか。私たちは、ゴジラを了解可能なものとして手元におきたかったのだろうか。
違う。最初の作品のセンセーショナルな印象は、私たちの理解を超えた、いわば不条理な絶対的な存在でしかなかったはずだ。しかし、それでいながら絶対的に外在化できない存在でもあったはずだ。
1954年以降、私たちはゴジラを整理し了解可能なゴジラをひたすらに求めたのだった。あまりにも整理しすぎたその姿に初回の破壊力も衝撃も、もはや探すことはできない。それは現代的な技術で対峙するものを透明化しようとするテクニカルな姿でしかない。
あの駄作、「モダン」を追求した結果、安っぽい別作品のコピーになってしまった。それに対して、今回は極めて「クラシック」な問いの中で「ゴジラ」の意味内容を投げかけている。残念ながら前作は、エヴァ的な審級でしかそれを判断し得なかったところに最大の「不幸」があった。
負うたものはここで返済されるのか。
70年の負債は、70年前に立ち戻ることによって帳消しにはされない。
もしそうしなければ、負債をそのまま引き受け、「ゴジラの映画」ととして生き続けることを望むのだろうか。
ゴジラを外在化などできない。
ゴジラは私たちそのものである。
私たちの罪であり悪、
私たちの希望であり良心、
徹底して受容しつつ抗う存在、
私たちの生と死の表象そのものなのだ。
ゴジラを「ゴジラの」映画から解放する。
「ゴジラ-1.0」
この物語は1954年よりも以前のものではあった。
しかし、と同時に、この物語は1954年に立ち戻らせるものであった。
1954年のゴジラを再表象するということ、それがこの作品の使命ではなかったか。
「-1.0」という数字の意味は、この国の戦後の在り方を再考させるものでもある。
ゴジラは何の象徴か?
まずは、さすが山崎貴監督!違和感ない特撮技術、CGでゴジラの絶対的な強さ、怖さを十分に感じました。「ジョーズ」のような?
ストーリーは、戦争での無力感、それぞれの戦争体験を昇華して、生きる尊さ、希望を伝えたかった?と理解しました。が、それにしても、進駐軍の存在や戦後当時の日本の置かれていた状況、時勢を無視してて、ご都合主義が否めない。ストーリーには没入出来ませんでした。
いつもながら、何を演じても存在感ある吉岡くん、安藤サクラさんが目を引いたくらいか。あと、主人公の神木くんが操った後退翼の戦闘機はカッコ良かった。
さて、本作でのゴジラは何の象徴なのか?神の怒り?人間の愚かさへの警鐘?ただただ70周年の愛すべきキャラクターへの憧憬、ノスタルジー?
個人的には、「東宝チャンピオンまつり」でシリーズ化した当時の愛らしい、正義のヒーロー化したゴジラが懐かしいなぁ。
続編の匂わせがありましたが、やめときましょう!
ポップコーン食べてる場合じゃない
知り合いから「ゴジマイこそ映画館で観るべき」「トラウマを抱えてる人に観てほしい(トラウマを乗り越える話だから)」と言われて、ゲ謎のあとに観てきました。
私の中でゴジラは「ゴジラvsモスラ」しかなかったので、ポップコーン片手に観てました。
しかし、ゴジラが出てきた瞬間にポップコーンを置いて真剣に観いっていました。
CGとわかりつつも圧倒的なゴジラの存在に、思わず絶望しました。
最終的には人間が勝つ、こういう展開になるとわかっているはずなのに、始終ハラハラして何度も泣いて帰りたいと思いました。
演出、演技、音楽、脚本、どれも申し分なかったです。
ラストがちょっと、うーん、でしたがそれ以外はすべてよかったです。
白黒もよさそうなので、観に行きたいです。
迫力満点の映像で、特攻精神や自己犠牲と断固として決別した様なストーリーも素晴らしい
山崎貴 脚本監督による2023年製作(125分/G)の日本映画
配給:東宝、劇場公開日:2023年11月3日
ゴジラが銀座の街を破壊する映像に少しつくりもの感はあったものの、全体的に物凄く迫力のあるゴジラで、これなら海外に出しても恥ずかしくない映像であり、とても嬉しかった。
ゴジラの背びれが光りながら一段と高くなり、エネルギーを充分に充満したその後に一気に強力な放射熱戦を吐くという新たなゴジラの造形に、リアリティと共にど迫力を感じ、拍手!地上を歩く際の重量感も良かったが、それ以上に高速で海を泳ぎ、巡洋艦を破壊しつくゴジラの海上での凶暴性表現も素晴らしいと思った。
庶民の命を粗末にし、重要な情報を隠微する日本政府的精神の糾弾しそれお民間の力で克服することを意図している様に思われる脚本も、とても良かった。特攻隊で逃げて生き延びた元飛行士の主人公神木隆之介が、他人の赤ちゃんを託されて育てている浜辺美波と戦争で破壊された故郷で出会い、家族を形成し愛を育んでいくという物語も、とても良く寝られた設定で、ひたすら感心。
ゴジラを前に何も出来ず仲間を死なせてしまった過去にずっと苦悩していた神木隆之介。そんな彼が、意を決して「震電」(B-29爆撃機を迎撃するための戦闘機で、時速740km目指して開発中であったらしいが実戦に間に合わず)に乗り込みゴジラに戦いを挑んでいく姿は、カッコ良く見惚れてしまった。いつも見るたびに感心させられる彼の演技だが、今回も新たな神木隆之介を見せつけてくれた。
ヒロイン浜辺美波の可憐さもまさに今旬であったし、ゴジラにより宙吊りにされる電車の中での彼女の絶体絶命的状況も、ゴジラ映画の王道らしくて、実にお似合いだった。ゴジラの熱線を浴び葬式まであげた彼女が、病院で何とか生きていたとの展開も、脚本の組み立てが上手いせいで意外感もあって恥ずかしながら感涙。ただ、彼女の首に出来ていた黒い痣は、ゴジラの細胞が巣食っている様にも思え、単なるハッピーエンドではなく、次回作?への布石なのだろうか。
そして、なんと言っても、ゴジラに特攻攻撃すると思わせておいて、直前にパラシュートで脱出するというのが、今だ邦画ひいては日本社会にはびこる特攻精神や自己犠牲の賛美との決別という意味で、清清しく感じた。山崎貴脚本、素晴らしい!
監督山崎貴、脚本山崎貴、製作市川南、エグゼクティブプロデューサー臼井央 、阿部秀司、
企画山田兼司 、岸田一晃、プロデュース山田兼司 、岸田一晃、プロデューサー阿部豪 、守屋圭一郎、協力プロデューサー上田太地 、山内章弘、チーフゴジラオフィサー大田圭二、
ラインプロデューサー櫻井紘史、撮影柴崎幸三、照明上田なりゆき、録音竹内久史、特機
奥田悟、美術上條安里、装飾龍田哲児、衣装水島愛子、ヘアメイク宮内三千代、音響効果
井上奈津子、VFX山崎貴、VFXディレクター渋谷紀世子、カラリスト石山将弘、編集宮島竜治
選曲藤村義孝、音楽佐藤直紀 、伊福部昭、助監督安達耕平、キャスティング杉野剛、スクリプター阿保知香子、制作担当横井義人、プロダクション統括會田望。
出演
神木隆之介敷島浩一、浜辺美波大石典子、山田裕貴水島四郎、青木崇高橘宗作、吉岡秀隆野田健治、安藤サクラ太田澄子、佐々木蔵之介秋津清治、田中美央堀田辰雄、遠藤雄弥齋藤忠征、飯田基祐板垣昭夫、永谷咲笑明子。
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