「どの要素もイマイチで、ドラマは酷い。」ゴジラ-1.0 すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
どの要素もイマイチで、ドラマは酷い。
⚪︎作品全体
正直、「ゴジラ」としても「-1.0」としてもイマイチな作品だった。
「ゴジラ」という部分を考えてみると、「ゴジラシリーズ」における人類vsゴジラという構図がほとんど存在しないのが不満だ。まあ、「ゴジラシリーズ」と大きく括ってしまうと、平成ゴジラはそこまで人類vsゴジラの構図ではなかったりするんだけれど、初代『ゴジラ』とほぼ同じ時代である戦後日本という舞台にした以上、個々の人間のみならず、社会全体がボロボロになったところへ襲い来るゴジラを描かなければ「ゴジラ」を謳っている意味があまりない。しかし、物語の大半を主人公・敷島の個人的な感情にクローズアップしてしまっていた。
そういう意味では「0」となった日本を「-1.0」へと突き落すという絶望感がかすんで見えてしまった。
特に致命的なのは敷島の心にある「自分の戦争はまだ終わっていない」という、日本社会とは隔絶された超個人的な動機付けが終始あることだ。貧困だとかそういう意味での「戦争は終わってない」ではなく、敵に立ち向かえなかった自分の弱さの「終わってない」としているところに、周りの人間を置き去りにしても良いという身勝手な言い訳を置いている気がした。
復員省で日本のためにゴジラを倒すと決起する人たちの傍らでエゴを剥き出しにして怒り続けている敷島に対しては、ヒロイン・典子を失ったことへの同情よりも「自分勝手だな」という印象が上回る。
全体主義では悪とされた「自分勝手」が戦後ではそうじゃない、という視点を加えたかったのかもしれないけれど、個人的にはシンプルに敷島が嫌なヤツに見えた。
敷島が味方を見殺しにしてしまった現場で生き残った整備兵・橘に対し、悪評を言いふらすことで呼び寄せるという手段を使ったことも、ずいぶん酷い。震電を改修できる腕利きを探すという名目で、「自分の戦争を終わらせる」キーパーソンとなる人物を呼び寄せる。そこに相手の気持ちなどなく、ただただエゴで、不快だった。
さらに最悪なのは、物語の脚本上、橘を「ただの善人」としたことだ。敷島は典子を失ったことで凄まじい負の感情を吐き出すのに対し、橘は敷島を簡単に許してしまう。冒頭の場面で敷島が機関砲を撃っていれば救われたかもしれない同胞たち。無惨に死んでいった瞬間を目の前で見ているにも関わらず、だ。その感情を整理させる間もなく、敷島に乗る震電に脱出装置をつける過程が、全くもって理解できない。終始なにかを許さない敷島と、許す橘。これが物語上でコントラストになれば良いけれど、橘の感情にスポットが当たることはほぼなかった。橘を作劇上の舞台装置としか見ていないのではないか。
終盤、「誰かの犠牲の上に成り立つ平和」という第二次世界大戦と同じ過ちを繰り返さない物語は納得できたが、そこに辿り着くまでの感情の描き方は全く納得いかない。
「ゴジラ」も「-1.0」も果たして必要だったのか。さらに言えば、ラストへ至るまでのドラマも必要だったのか。迫力あるVFXだけ褒めるのであれば、ミュージッククリップやイベントでの短編上映の方がよほど向いているような気がした。
⚪︎カメラワークとか
・VFXのアクションは確かに良かったし、貶すつもりはないけれど、アカデミー賞視覚効果賞作品と言われると首を傾げる。作中でゴジラが鉄道車両を掴んで地面と垂直になるシーンがあったけど、同じ年のアカデミー賞視覚効果賞にノミネートされていた『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』にも同じようなシチュエーションがあった。簡単には比較できないけど、横にあったものが落ちてくる恐怖感であるとか、垂直になった時の内装の使い方、人物が落ちるまでのアイデアなんかは後者の方が多彩だったと思う。
・ほったて小屋にような敷島宅でのカット割り。畳と土間しかない四畳半以下のスペースで人物の会話を映すのにカット割ってたのが衝撃。カメラ位置の高さもだけど、空間の狭さの演出とか、そういうのなんもないんだ…って思ってしまった。敷島と典子の会話シーンのカット割りは二人のぎこちなさとか、向いてる方向性の違いみたいな意味もあるのかな、と思ったけど、カット割った直後に同じフレームに入れているのを見ると、多分そういうのは意識してないのだろう。
敷島の友人が「早く二人結婚しろ」みたいなことを言うシーンは、居間にいる敷島がはぐらかしたあと、土間の台所にいる無言の典子を映していた。こういうのって「聞こえてないようで聞こえてる距離感」でやる演出であって、二、三歩の距離でやるのは相当無理があるなって思った。
家の端から端まで数歩で行ける距離なのに、現代の間取りみたいなカメラワークは一体…
⚪︎その他
・芝居が過剰すぎる。本当に酷い。感情的に自分の考えをベラベラ話して関係性が進むドラマはドラマじゃない。
・本当に嫌だったのがオンボロ掃海船の船長がゴジラに攻撃を与えるたびに「やったか!?」っていうところ。この作品でベタなギャグを延々とやることに何の意味があるんだろう。ゴジラシリーズって空想動物が暴れ回るっていう状況ながら、そこに生きる人たちが懸命に駆けずり回るところに物語の説得力があるのに、その世界で「ベタなフィクションあるある」をやってしまったら「所詮フィクション」っていう冷めた表現にしかならない。自分で自分の首を絞めるようなメタっぽいギャグは、見ていて痛々しい。そしてそれを見ている時間も無意味に感じられて、とても不愉快な気持ちになった。
・VFXが低予算であることをやたら持ち上げられているけれど、作品を見る人間にとって予算がどうとか関係ない。