「「日本の勇者のやり直し」。ゴジラにかこつけた「なろう」的な敗残兵の復活再戦物語」ゴジラ-1.0 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
「日本の勇者のやり直し」。ゴジラにかこつけた「なろう」的な敗残兵の復活再戦物語
1カ月ぶりくらいの映画鑑賞。
なんか言いづらいんだけど、
ぶっちゃけ『シン・ゴジラ』より全然面白かったわ(笑)。
ゴジラ自体は、ここぞというところ以外は言うほど出てこないのだが、
ドラマ・パートがそこそこ充実しているので、観ていて飽きがこない。
僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』や、ドラ泣き必至といわれた『STAND BY ME ドラえもん』で、まるで泣けなかった人間なので、どうせ『ゴジラー1.0』も肌に合わないんだろうな、などと勝手に思いつつ観に行ったのだが、終盤はそれなりにうるっときたし、相応に最終決戦前の一連の展開にも感情移入することができた。
これなら、ふつうに人気が出るのもよくわかるや、と素直に思った次第。
まあ、山崎貴監督としては、本作は一応ゴジラ映画といいつつ、
思い切り『永遠の0』の「続編」的な位置づけなんだろうね。
死に損なった特攻兵。国を守れなかった海軍兵。
彼らのやり残した「戦争」の〈代替物〉を背負って、
ゴジラは海からやって来る。
ここでのゴジラは、単なる怪獣でもなければ、単なる災害や公害のメタファーでもない。
自分たちが結局は敗れたせいで(主人公にとっては敵前逃亡したせいで)本土進攻を許し、結果何百万という一般人を死なせることになった、「勝てなかった米軍」の亡霊なのだ。
ここで倒せれば、やり直せる。
ここで勝てれば、誇りを取り戻せる。
自分たちに全く咎のない形で、いきなり降りかかってきたゴジラという新たなる巨大な脅威。それは厄災でありながらも、敗残兵たちにとっては、実のところ「心の救世主」のような機能をも有している。
先の大戦は、ある意味、自業自得の敗戦でもあった。
しかし、ゴジラは違う。
アメリカさんの水爆実験で巨大化し怪物化した恐竜が、いきなり日本の首都を攻めてきて、罪なき民を鏖殺しようとしてくるのだ。
とてもわかりやすい敵。
ゴジラに立ち向かう過酷な試練。それは「チャンス」でもある。
次こそはやってやる。次こそは勝ってみせる。
作戦に成功すれば、負け犬として抱えていたわだかまりを、なんとなくすっきり解消することができそうな、あつらえたかのような「戯画化された復讐戦」。
それが今回の「ゴジラ」の正体だ。
要するに、この物語の本質は、「ゴジラ」に偽装された「なろう」に近いものだ。
『Reゼロ』や『悪役令嬢…』や『無職転生』と同様、「一度は弱さゆえに上手く果たせなかった使命」を「新たな意志と守るべき仲間の存在」によってパワーアップした結果、試行錯誤のすえ「もう一度やり直してみせる」までの過程を、カタルシスをもって描いた物語。
だからこそ、この物語は、観る者の心をたやすく感動させるわけだ。
僕は、この物語のそういう「都合の良さ」を決して否定しないし、バカにしない。
われわれ日本人は、先の大戦に負けて、プライドをズタズタにされた。
単に負けて、殺されて、占領軍に教唆される立場に貶められたからではない。
本土を守れなかったから。家族を守れなかったから。
頼りにしてくれた銃後の民の期待にこたえられなかったから。
その思いは、別に醜くもなければ、おかしくもない、いたってふつうの悔しさであり、一生心を責めさいなむ重荷に違いないし、その苦しみを軽減し「すっきり」させてくれるフィクションの枠組を特撮に求めるのもまた、別に間違っていない。
正直言うとこの映画、左派的なスタンスの人から見たらかなり「いらつく」内容なのではないかとも思う。こんなのが大ヒットしていることに、内心忸怩たるものがある「良識人」も結構隠れていそうな(実際、山崎貴は左派の毛嫌いする百田尚樹の善き解釈者でもある)。
ただ、思想云々はさておくとしても、そもそも戦後の特撮というのは、巨大な敵が日本を侵略しようと迫り来ては、善意の国家防衛隊と善意のヒーローがそれに立ち向かって、最終的には撃退するというお話を繰り返し繰り返しやってきたに過ぎないわけで、結局は、子供だましの着ぐるみの世界で、何度も何度も「アメリカに負けた悔しさを擬似的にはらしてきた」というのが「特撮の本質」でもあるのだ。
『レインボーマン』などは、まさにそういった思想性が極端な形であふれかえっていたぶん、地上波放送できなくなったりといった軋轢がいろいろ生じたのだと思うが、ウルトラマンにせよゴジラにせよ戦隊ものにせよ、多かれ少なかれ、特撮にはそういう側面がつきまとう。
「負けた戦争のやり直し」。
「敗戦国の憂さ晴らし」。
こういった特撮の持つとある側面を、敢えて真正面から「直視」して、誰にでもわかる形で表すために、山崎監督は、戦後すぐの時代背景を舞台立てに「ゴジラ」を作って見せたのかもしれない(監督本人は、一番日本の国防力が脆弱だった時代を舞台にとることで、民間人が自らの力で立ち向かうしかない状況を作ろうとしたと述べているが、本作で一番真摯に描かれているのは「生き残ってしまった兵隊」の抱える苦悩に他ならない)。
そう考えると、本作が「戦争映画」の延長として製作され、なおかつ「なろう」的、「仮想戦記」的、敗者復活的なご都合主義を兼ね備えているのは、むしろ特撮の本質と真正面から向き合った結果だとも言えるのではないか。
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山崎監督と庵野監督の共通点を一つ挙げるとすると、
それは、浜辺美波ちゃんが好きで好きでしょうがないところだろう(笑)。
『シン・仮面ライダー』も、前半はほとんど浜辺ちゃんのコスプレイメージビデオみたいなつくりになっていたが、本作での山崎監督も、浜辺ちゃんへののめり込みようはなかなかにすさまじい。
NHK朝ドラの『らんまん』で、浜辺ちゃんが、異様に和装や古い洋装の似合う「昭和に映える」女優であることは改めて確認されたが、今回の浜辺ちゃんは野生児のようなボロから、割烹着姿、さらには原節子のような事務員姿まで、「昭和初期女優」のコスプレをいろいろさせられたうえ、乱暴な言葉づかいから上品な口調まで披露、その様々な魅力を全開で引き出してもらっている。
浜辺美波は東宝シンデレラの出身だから、東映の仮面ライダーのヒロインをやるよりは、東宝のゴジラのヒロインをやるほうがよほど筋が通っているし、なんならこの役は「宿命」とか「使命」のようなものだ。とはいえ、浜辺ちゃんが受けてくれて山崎監督は大喜びだったろう。
もう、浜辺ちゃんがとにかく可愛くて可愛くて、やれることは全部やらせたい感じ。
ズタボロの汚い浜辺ちゃんも、お母さん姿の浜辺ちゃんも、おぼこい新妻然とした浜辺ちゃんも、凛としたビジネスウーマン姿の浜辺ちゃんも、爆風で吹っ飛んでく『フォーガットン』のジュリアン・ムーアみたいな浜辺ちゃんも。
しかも途中、強烈な設定がぶっこまれて、こちらもぶっ飛んだ。
え? なに? 神木くんとは同棲してるのに
赤の他人のまま、身体は清い関係のままなんですって??
なんだよそれ??
僕たちの美波ちゃんは、お母さんだけど経産婦じゃない、
人妻っぽいけど、実は処女なんだよ、みたいな???
マジ、クッソキモいこと考えるな!!山崎貴。
マジ、クッソキモい!!
マジ、クッソキモいけど……、おれ、よーくわかるよ(笑)。
おれにはわかる、監督、あんたのその気持ちが! 祈りが!
女性から見たらきっとドン引きだろうが、個人的にはまさに神設定。
しっかし、よくこんな童貞の夢みたいなアホ設定押し通したなあ、……さすがだぜ、山崎貴。
歪んだ浜辺美波愛の所産(浜辺美波を穢したくない)を、神木君サイドに責任をなすりつけて(生きることに忌避感があってお嫁にもらってあげられない)正当化してみせるその手腕は、ほんとうに只者ではないとひたすら感服した次第。
ちなみに、一回目の「拒絶」シーンと対を成す、あの「頭挟みこみ」シーンのあと、たぶん事を成したんだよね、あの二人は? 違うのかな?
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特撮映画、アクション映画としては、
まずは「本体をなかなか見せない」「出しても短時間しか出さない」という、「ゴジラ」の本道にひたすら則った作りを貫いていて、感心した。
と同時に、まずは「海」で見せて、「陸」で見せて、最後は「海」&「空」で見せるという形で、戦争映画の「三軍」を満遍なく配しているのも巧い。
最初は「島」で『ジュラシック・パーク』のパロディ、
お次は「海」で『ジョーズ』のパロディ、
メインは「銀座」で『旧ゴジラ』のリメイク、
終盤は「海&空」で『永遠の0』のやり直し、
と、既存の作品の王道的要素を巧みに盛り込んで、だれが見ても楽しめるパニック&バトル・ムーヴィーに仕上げているのも、山崎貴らしい職人芸だと思う。
とくに海でのシーンは、「熟練の船長に助手の若者、行動派の学者に銃の巧い主人公」という取り合わせといい、背びれを見せて迫って来るゴジラといい、鳥瞰ショットで船の下を横切るゴジラといい、口に機雷を噛ませる展開といい(元ネタではガスボンベ)、ほぼ『ジョーズ』そのまんまで、楽しく観させてもらった。
ゴジラのバトル要素では、「尻尾を使ったバック・スピン・アタック」が多用されていたのが印象的。その破壊力がまた抜群で、たしかにゴジラがあの体型で攻撃してくるなら、これしかないよなと思わせるリアリティがあった。
あと、ゴジラが熱線を吐くまでに、シャキーン、シャキーンと、放射能で輝きを増した背びれが飛び出してくる巨大合体ロボ的なギミックも、期待を高める手順としてはよくできていた。吐かれる熱線が、まさに原爆&水爆のアナロジーであることは明白で、ここでも「戦勝国アメリカの影」としてのゴジラ像という所期の設定が強調されていたように思う。
終盤の対ゴジラ作戦は、鳥瞰で船団の位置を示し、作戦の概要や各船の役割がヴィジブルで伝わってくるよう考えられていて、その手際のよい情報整理は、さすが『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』を撮った人だけのことはあると感心。
相模湾という「間近な深海」の使い方もなるほどと思わされるし、一見してオキシジェン・デストロイヤーへのオマージュだとわかる最終兵器の構造も、ジャンルファンに対するくすぐりがしっかりきいている。
特撮も、アメリカのビッグ・バジェットのSFXからすればお粗末かもしれないが、日本の予算規模で考えれば、とてもよく頑張っているのでは。少なくとも、観ていて「ちゃちい」気分にはならなかったし、長年VFX職人としてあらゆるジャンルの映画を引き受けてきた山崎貴の本領は、十分発揮されていたような。
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とにかく、神木くんの演技は抜群だった。
すばらしいの一言。
彼の真に迫った演技のおかげで、ある意味「都合のよい」物語が、観客にそう思われることなく、すっと受け入れられていたとも言える。
似たような時代設定で、似たような貧乏暮らしを描いているのに、『らんまん』とはまるで異なる空気を作って来てて、さすがだなあ、と。
浜辺美波も、『シン・仮面ライダー』と較べればずいぶんと自然な演技をしていたと思う。
吉岡秀隆は、普段通りのキャラだが、だからこそ安心感があった。
佐々木蔵之介は、一番芝居がかった台詞をあてがわれていて(「恐れ入り谷の鬼子母神」とかw)若干「痛い」演技をやらされていたが、ともするとダークサイドに落ちがちな話を、うまく明るさのなかに引き上げる役割はきっちり果たしていた。
青木崇高に関しては、めちゃくちゃいい役をもらってて、ホント愛されてるなあと。
ちなみに、青木崇高がらみのネタも、浜辺美波がらみのネタも、100人観てて気づかない客は5人くらいのものだと思うが、「オチが予測できる」のもまた「安心感」の一種であって、決して悪いことではないだろう。
おそらくは大半の客が「こうなるだろう」と予測している辺りで、きちんと話をまとめて終われる能力もまた、一流のエンタメ作家の必須要件である。
あと、銀座のシーンで一瞬、橋爪功が映ったのはびっくりした。
他にも探せば隠しキャラが点在しているかも。
これもまた、今の時代のSNS対策の「撒き餌」ってやつですね、わかります。
「なろう」なら女神様に特殊技能をもらわないと…なんて乗ってみましたが、おっしゃる内容ならジャンルは所謂「ループ物」かなあ。
バトルシーンの分かりやすさはとても好感が持てました。