「ん゛ーッ!!(敷島のような苦悶の表情で)」ゴジラ-1.0 ヤッターさんの映画レビュー(感想・評価)
ん゛ーッ!!(敷島のような苦悶の表情で)
11月11日鑑賞。
良いところ「も」ある。それが僕の頭を抱えさせる。
暴論だが、こんな思いをするならば、もっと駄作であってほしかった。
ゴジラに関するシーンはどれも良かった。ゴジラザウルス(あえてこう呼称させてもらう)初登場はきちんとビックリさせてもらったし、高雄との一騎討ちも見応えがあった。毎度お馴染み放射熱線大喜利についても、GMKのアップデートかつ新しい描写を見せてもらえたと思う。
何より伊福部昭のBGMだ。シンゴジラやキングオブモンスターズでBGMによるアゲ効果が十分立証されたのであろう、臆面もなく、しっかり使ってきた。アガらない訳がない。とかく海神作戦におけるリタルダンドからのメロディ突入、動き出す駆逐艦のシーンは今思い出しても胸が熱くなる。
しかし、だ。人間パートがゴジラの加点をどんどん減点する。
今回の主人公敷島はゴジラに対して「しっかりと」因縁づけられた主人公である。ゴジラは自身を捉え続ける呪いであり、乗り越えるべき高い障壁だ。この時点で人間パートはゴジラパートの添え物ではなくなる。
なればこそ、ゴジラパートと同等、もしくはそれ以上のクオリティと魅力が求められるところなのだが、個人的には及んでいなかったように思う。
元々山崎貴作品で共通して見られる「オーバーアクト」が肌に合わない自分としては、人間パートは苦痛でしかなかった。シンゴジラが徹底して無くしていった冗長な演技(特に敷島を典子が慰めるシーン)に鼻じらんでしまう自分がいた。
今作で思ったことは、オーバーアクトは監督のアンコントロールによる産物ではなく、明確な意図をもって行われているのではないかということ。でも何のため?監督の昭和に生きる人間に対する認識?昭和の人間は皆、喜怒哀楽を声を張り上げて表現する人間だと思ってるのだろうか。シンゴジラの巨災対みたいに、早口に、感情少なめにしゃべることの方がいいと言いたいわけではない。でも、大仰な芝居とルーズな演出は、ゴジラが作り出せている絶大な緊張感を大きく損ねてしまっている。そう感じる。
あと、戦後間もない昭和においてはそれがリアリティなのだろうが、女性が完全に庇護の対象、あるいは主人公たちの行動原理以外の何者にもなっていないことは、2020年代に作られる作品としてどうなんだろうとも思う。フレッシュな主演キャストで大衆向けを装いつつ、実際は
怪獣大好き!
軍艦大好き!
負け犬たちが再び立ち上がる作品大好き!
を隠すことがない、男に刺さりまくるフェチ映画になってるんじゃないだろうか。いや、僕も好きですよ、そういうの。でもなんか、昨今さまざまな問題意識のもとに作られてきたエンタメ作品の中において、閉塞的で、時代遅れ感さえあるのではないかと感じさせられてしまう。
ゴジラに何求めてるんだ?と言われればそこまでだけど、求めたいじゃない。だって、ゴジラなんだもの。日本のトップクリエイターが集って、特撮怪獣映画の金字塔であるゴジラを作るなら、志も完成度も高いものを求めたいじゃない。
まあでも、「戦争は終わっちゃいない…」って感じで、より良い作品が続いてくれれば嬉しいなと思います。とかく不安定かつきな臭い世界情勢に警鐘をしっかり鳴らせるような、そんなゴジラの到来を静かに待つこととします。
「まずは君が落ち着け」とか“新品コピー機群”とか「見返りは幹事長」とか、笑ってしまう部分は「シン」の方が凄く多かったと思いました。とか言って今作がシリアスに徹していたとも・・言えませんね。
トミーさん
コメントありがとうございます。確かに、シンの異端さが引き立つような王道ゴジラだったかもしれませんね。
シンシリーズでお馴染みになってしまったミーム(ザラはどことか私の好きな言葉です)みたいなご愛嬌がないことも、トミーさんのコメントで気づきました!そういうのがあると、愛しやすくなるんでしょうかね…。