「意表を突く「民活バンザイ!」なゴジラ最新作」ゴジラ-1.0 ドミトリー・グーロフさんの映画レビュー(感想・評価)
意表を突く「民活バンザイ!」なゴジラ最新作
本作で最も驚いた点は、映画が昭和20(1945)年からの3年間を時代背景としながら、昨今の日本の政治状況を色濃く反映していたことです。このゴジラ70周年記念作では、「民活バンザイ!」「自助×共助にこそ下々の者が生き延びるすべは在る」とばかりに、民間人主導による「一時の勝利」が感動的に描かれているのです。
どういうことかというと、日本国政府、GHQともにゴジラ駆除作戦から手を引いてしまった結果、窮地に追い込まれたニッポン最後の一手が「民間人有志による防衛隊結成」だった、というストーリー展開なのです。先の大戦を生き延びた元海軍将兵や特攻隊員に、かつて戦時協力したエンジニア・研究者らも加わり、一丸となって事にあたるわけです。
そもそもゴジラの「生長要因」はざっくり天災4、人災6といった按分でしょうか(※本作ではその要因を仄めかすにとどめている)。いずれにせよ、否応なくゴジラに対峙する過程で巻き起こるはずの政治的駆け引きや社会的葛藤こそ、重要な「見どころ」の一つになり得るのではと思いますが、そこが本作では極めて稀薄です。というか醒めていますね。もっとも、邦画は総じてポリティカル・ダイナミクスの描き込み方が弱いですが。それは、本作と同じく“民間人”が“怪物”と対峙する『グエムル―漢江の怪物―』(ポン・ジュノ監督)を引き合いに出すまでもなく、昨今の韓国映画と比べてみれば明らかです。
“お上”は政治的・道義的責任が大きければ大きいほどその所在を曖昧にしたまま、後始末だけを“下々”に強いる。一方、押しつけられた側は、そんな“お上”への不信感を酒席などでボヤきつつ、結局は連帯感を錦の御旗に“お上”の要請へ殉じていく——。そんな「日本人体質」が期せずして露わになっているところが、むしろ本作の「見どころ」と言えるかもしれません。
さて、その後、怪物駆除の「海神(わだつみ)作戦」は、NHKの「魔改造の夜」みたいなノリで立案・準備・実行とトントン進みます。「俺の中の戦争がまだ終わってないんです」とつぶやく主人公をはじめ、先の大戦の記憶も生々しい民間人たちが、今日の視点からすると“骨董品”にしか見えない戦艦や戦闘機で無謀な作戦に身を投じていく——。その姿にはどこか『ランボー』や『地獄の7人』の影がダブります。
ここで、第二の「見どころ」は、旧海軍の試作戦闘機や数々の艦艇など「骨董品」たちの雄姿がリアルにCG再現されていること。巡洋艦の一斉艦砲射撃とか、駆逐艦同士のニアミス・シーンとかのド迫力などハンパない。往年の日本映画が描いてきた「軍艦もの」の魅力を彷彿とさせてくれます(話が逸れますが、無数のタグボートが応援に馳せ参じるシーンでは、ノーラン監督の『ダンケルク』を思い出しました…)。
そして、いよいよゴジラを葬り去るシーンを迎えるわけですが、爆沈していく怪物を前に、各艦艇の乗組員全員が自然発生的に敬礼を捧げます。ん? 天災×人災複合型の新たな「神」に対して畏怖と敬意を表しているとか?? でも、この描写には正直、違和感を覚えました。そもそもゴジラ退治って昨今話題のクマ駆除の論理と同じだったはずでは。ここで敬礼するなら、いっそのこと、シーンに被せて「海ゆかば」でもどっかーんと流せばよかったんじゃない、とすら思いました。
…と、ここまできたら、エンドロールも席を立たずにじっくり味わってください。この最後にこそ、第三の「見どころ」、というか最高の「聴きどころ」が降臨しますから。そう、今一度、エンドクレジットに被せて伊福部昭の「ゴジラのテーマ」が爆音で流れるのです。ずんずん腹にくる重低音、クセになるリズム、エッジの立った名旋律が、文句なしにコーフンへといざなってくれます。シネコンの極上な音響環境でこうして不朽の名曲を味わえることに感謝です。
終わりよければすべてよしというわけにはまいりませんが、映画ジャーナリスト大高宏雄氏の言葉を借りるなら、この「大問題作」、いま一見の価値はあると思います。
以下、雑記。
怪物を茫然と見上げる群衆の中にヅメさんの姿を見つけた途端、意識が他のシーンの吉岡秀隆さんとコネクトし、さらに両人が幾度も共演したほのぼのムードたっぷりの山田洋次監督作品へと瞬時転送されてしまってアカン。