「他の作品がチラチラする」ゴジラ-1.0 大阪マフさんの映画レビュー(感想・評価)
他の作品がチラチラする
武装解除された昭和22年当時の日本でおそらく原爆ですら効き目がなさそうな再生能力があるゴジラ相手に犠牲者なしで撃退するというスペクタル性はいい。その割に上陸してから銀座までしか暴れないのはどうだろう?
冒頭の舞台は敷島海軍少尉が「内地」から出撃した場合は奄美のどこか、台湾からなら八重山のどこかになるだろうが、ゴジラは核実験で現れたという設定を使うとまだ日本軍が掌握していた南洋諸島の方が自然だ。「内地」から飛べるとすれば彩雲のような機種になるので無理に特攻隊に絡めないで「内地」から南洋諸島に連絡機として飛行した彩雲が不時着した方がよさそうだ。
神木隆之介と青木崇高は「平清盛」の源義経と武蔵坊弁慶なので五条大橋以来の主従関係故に信頼関係があるように見えてしまった。いくら敷島と橘は「内地」で知っているようにセリフで描いていても敷島の橘に対する信頼ぶりは少し不自然だ。一緒に衣川で討ち死にしたから?ゴジラの口に機雷を突っ込んだのは敷島が乗り込んだ掃海艇のシーンであって冒頭のシーンにはないのに敷島が橘に向かって一緒に見てきたように効果を訴えたところで分からないはずなのに監督は気がつかなかったのか?
橘は最初のうちは敷島に敬語を使っているので階級章が映らないし階級も名乗らないが准士官どまりで敷島海軍少尉は実戦経験がない設定なので予科練出身の海軍士官か特務士官ではなく海兵卒か海軍予備学生だろう。
この作品は「シン・仮面ライダー」と出演者が被ったり夫やカノが出演したりしているので「シン・仮面ライダー」より先に公開した方がよかっただろう。敷島が震電のコクピットに典子の写真を置くシーン以外は「らんまん」を連想しなかったが、大石典子はどう見ても人間ではない。演者が浜辺美波なので有楽町あたりでゴジラに列車ごと襲われて外堀に落ちた上で銀座に戻ってからも生きているのは「用意周到」でプラーナを突っ込みまくった緑川ルリ子にしか見えないのは、この映画にとって不運なところだ。ひょっとしたらハチオーグがルリルリそっくりな典子を回収して蘇生した上で記憶を抹消して元の世界に戻したか、あるいは「仮面ライダーV3」で本郷猛と一文字隼人がデストロンの基地で風見史郎を改造したみたいに一文字隼人が洗脳を解除してくれた緑川ルリ子に恩義を感じて瓜二つの典子に改造手術を施したのか。「誰も死なせない」というメッセージ性を持たせるとしても大石典子を超人にしてはまずいだろう。
浜辺美波は緑川ルリ子の表情のない表情や槙野寿恵子の豊かな表情のように作品の良し悪しで見せる印象が変わる女優だと改めて思った。「あさイチ」などで神木隆之介が既に共演経験がある7歳年下の浜辺美波を「美波ちゃん」から「浜辺」と呼び方を変えたと語っていたし、お互いに熟知しているので息も合うわけだ。
旧海軍の掃海部隊では海軍時代の階級でお互いを呼んでいたはずだが。
予算の関係?でアメリカ軍が出て来ないし「日本政府は国民を見捨てたので民間人が日本と国民を守る」割には航行不能になった高雄がはるばる航行出来るように修理した上で武装して「昭南」から「内地」に向かったり公職追放された海軍士官達が主体になって復員庁第二復員局が管理しているはずの雪風と響を自由に使えたりするのは矛盾するのではないか?国会議事堂前に陣取って銀座に向かうゴジラに砲撃していた四号中戦車となると生産台数が少ない車種なのに、あれでは作中世界は帝国海軍は存在しないが戦車隊を擁する帝国陸軍は存在したみたいだ。それに永田町から四式中戦車の75ミリ砲で銀座に向かう途中のゴジラを迎え撃つには距離があるし東京湾から上陸して銀座に向かったはずのゴジラの行動に無理が出てしまう。「昭南」には高雄と同型艦の妙高もいたのに出したくなかったのか。特別輸送艦の船体には船名と日の丸が描かれていたのに作中では日の丸が描かれていない。
敷島が搭乗するために探して見つかった機体が試作戦闘機なら烈風もあるのに震電であり橘が敷島に対して説明するシーンと電報が出て来るシーンで「最終決戦」の行方が見えてしまった。練習機と零戦しか飛ばした事がないであろう敷島が桜花のように機種に爆装した震電を自由自在に飛ばせるとは相当な力量の持ち主になってしまう。
東宝がこの映画の続編を製作する場合、ゴジラ映画を量産していた昭和40年代を舞台にして典子が連れている孤児役には割り切って遠藤さくらか本田望結を起用したらどうだろうか。「ウルトラセブン」の映画を製作するならアンヌ隊員役には浜辺美波を起用してダリーに寄生される香織役には本編と同じく松坂慶子を起用してアンヌを襲わせたらいいのではないか。