「シンゴジラが強すぎる」ゴジラ-1.0 RAIさんの映画レビュー(感想・評価)
シンゴジラが強すぎる
結局こうなることは分かっていたはず、
いくらいい出来でも、シンゴジラを越えることは絶対にない。ましてや同じシリーズ、顕著に作品の差が出てしまい、嫌でも比べてしまう。
その中でも今回のゴジラ−1.0はそれなりに頑張ったと思います。やっぱりゴジラというフォーマットがある限りある程度は面白くなるということがわかりました。伊福部昭のあの曲を流してゴジラに街を襲わせたらそりゃ面白くなります。
問題はその他!ゴジラの初登場シーンや逃げ惑う人々主要キャストたちの葛藤。
全てがシンゴジラの足元にも及んでいませんでした。なんなんでしょうね。−1.0の方が役者一人一人の演技の熱量が伝わってくるし、主人公の敷島の葛藤なんかどの世代が見ても共感しやすいものだと思う。
けれど、全然ダメ。これは監督の差だと思います。まずシナリオが今回の−1.0は台詞一つ一つが「臭い」。
船の乗組員の自己紹介シーンなんか鼻で笑ってしまいました。チョウさん、小僧、学者とかってガンバの冒険か!って笑笑 あとあれ、序盤の大戸島でのゴジラ初登場シーン。「多分、ゴジラってやつだと思います!」
は?なにそれ。さらっと登場させてゴジラだと思います?いやー山崎貴シナリオ下手くそすぎでしょ。
ここまで言うと山崎監督に失礼になるのは重々承知してるのですが、どうしてもあの天才庵野秀明と比較が生まれてしまうんです。
「ゴジラですか」
「こんな時に名前なんか、どうだっていいでしょ」
「まあ、米国にゆかりがあるならそれもいいじゃないか。名前はついていることが肝心だ」
「政府は非公式に、巨大不明生物をゴジラ、ゴジラと呼称すると言う談話を発表しました」
はい勝てません。むりです。完璧すぎますもん。
あと、ところどころスピルバーグ作品のオマージュが、見受けられました。ゴジラの初登場シーンなんかあれまんまT-REXですもんね。動きといい人の食い方と言い。あの機雷回収船もジョーズを意識してるんだと思います。そこら辺は割と観てて楽しかったんですけど。そういったところに助けを求めてもあの化け物庵野秀明の前では無力。
と言うわけで、僕は山崎貴含めこれからの日本の監督はゴジラ作らない方がいいと思います。絶対に比べられてどんなにいい作品作っても100パー勝てない。もうシンゴジラという名の最強の巨大不明生物が映画界に誕生してしまいした。
追伸 浜辺美波はあのまんま死んでた方が良かった
全くもっておっしゃる通りでありシン・ゴジラは金子修介監督の平成ガメラ以降ゴジラはガメラに敗北したままなのか!と諦めていた怪獣ファンに凄まじい衝撃と光を与えてくれた作品であります。
たった一本でもって怪獣映画を超える怪獣映画の在り方を示してしまった庵野秀明は確かにゴジラ以上の怪物ですが、
シン・ゴジラという作品は庵野秀明をもってしてもおそらく二度の召喚は不可能な破壊神かと思います。
シン・ゴジラは怪獣映画としては枠を飛び越え過ぎているとも言えます。
山崎監督のシナリオ回しが緩いのは確かですが流石にヒトの呼び出せる限界を超えた本物の邪神と比べるのは可哀想かなあと…
まあ何が言いたいかと言いますと諸監督の方々にも今後もゴジラ映画にチャレンジして頂きたいなあと。
シン・ゴジラの講談のようなやり取りは好きな人にはたまらないと思います。例えば京極夏彦の小説百鬼夜行シリーズでは京極堂の蘊蓄が数十ページも会話だけで続くというファン垂涎のパートがあるのですが、勿論これが「しつこい」「不要」「クサイ」「これ見よがし」と感じてあのレンガ本に価値を見出だせない人もいます。私は好きなジャンルだから読めたものの、理系の話なら価値はわかっても自分には向かないと思ったことでしょう。シン・ゴジラはまさにその良くも悪くも「たまらない」作風でした。
虚構のゴジラに設定と蘊蓄を盛り、全て表面化する。ある意味、あらゆる設定を土台として水面下を異様に作り込んだトールキンと真逆のウィットです。
つまり、ゴジラマイナスワンは言うなれば、蘊蓄や辻褄合わせよりも物語と勢いを取ったゴジラであり、シン・ゴジラが大人向け大衆小説とするとゴジラマイナスワンは児童向けファンタジー大作です。
インド映画のRRRもまた植民地の歴史の上に作られた話でありながら、不死身のような主人公たちと無茶苦茶な戦闘に都合の良い友情が「そこが良い」と人気なのですが、まさにゴジラマイナスワンの要素と重なっていますね。
そう!!!
シン・ゴジラとゴジラマイナスワンは互いに完全なる純度100%の「自分の萌えは他人の萎え、他人の萌えは自分の萎え」なのです!!
これ、凄くないですか?!?!?!?!?!
特攻と戦争を美化しない点も実に義務教育的な真っ直ぐひねていない純真なゴジラマイナスワン、まさにシン・ゴジラと対極です。