「憎むべきはゴジラか、それとも・・・」ゴジラ-1.0 DEPO LABOさんの映画レビュー(感想・評価)
憎むべきはゴジラか、それとも・・・
戦争の自己犠牲から逃れ続け、自責の呪いを背負いながらも生き延びた主人公が、
集団に強いられない自分のやり方でゴジラに立ち向かうお話。
以下ネタバレあり
▼ゴジラ化する主人公
主人公の設定が、自分最優先の気弱な青年という出発点がとても良い!
ここぞでひよってしまった自分への怒り、自己犠牲を強いる国に対する怒り、大事な人を奪われたゴジラへの怒りが爆発して、
黒い雨に打たれながら咆哮を放ち、復讐を果たす死場所を探す主人公の狂った目つきはまさにゴジラさながら。
気弱な青年から変貌する様が超ダイナミック。
それでいて、自分の感情第一優先という行動指針はブレていなくて、嘘臭さがない。
▼ゴジラが真の敵ではない
「戦争を終わらせる」という台詞が繰り返し出てくるのが印象的だけど、登場人物ごとに誰との戦争なのかが微妙に捉え方が違うのがおもしろい。
戦時下なので敵国がいたり、ゴジラへの敵意があるのは当たり前なんだけど、
主人公としては、自分自身、犠牲を強いる日本という国家との戦争でもあるし、
同僚を失った整備士や、近所の母ちゃんは、むしろ主人公のせいで、それぞれの戦争を戦い続けている。
登場人物が、敵国やゴジラ以外にも、身近に戦う対象がいるというのがドラマを味わい深くしてる。
▼ゴジラの本質
戦争の記憶がリアルに残っている終戦間近に、初代ゴジラが原爆・放射能をモチーフにしたように、「直視したくものをエンタメに昇華する」というのが、ゴジラの本質だと思っている。
シン・ゴジラでは、東日本大震災と日本政府の機能不全、原発事故の呪いといった、現代のリアルに直視したくないものを織り込むことで、初代ゴジラをリブートさせていた。
今作では、「戦争の加害者としての一面」を直視している印象を感じた。
そこには、誰の、誰に対する加害かというのも多岐に渡っている戦争自体のカオスさも含んでいる。
日本の敵国に対する加害。敵国から日本への加害。日本が自国民へ自己犠牲を強いる加害。不条理に犠牲になった者の平然と生き残っている者に対する怒り。
そのカオスな怒りの集合体が、今作のゴジラなのではないか。。
だからこそ、ゴジラはピンポイントに人のいる場所を襲い、銀座に黒い雨を降らし、日の丸模様の戦闘機を執拗に追いかけるんだと思う。
▼過剰な演技も味方につけちゃうすごさ
さすがに臭すぎると思ったシーン。
ワダツミ作戦前の、
「みんないい顔してるぜぇ。」
「戦争を生き残っちまった自分たちが今度こそは役に立てるんじゃないかってな!」
的なところ。
クライマックス大戦前に団結する演出的に仕方ないけど、
結局、さっきまで憎んでた前時代的な自己犠牲精神で熱狂しちゃってるのには、やや違和感。
でもそこに主人公はいなくて、単独行動で秘密兵器を仕込んでいることを、私兵部隊の誰も知らないというのが本当に救い。
チームにはチームのエゴがある。主人公には自分にしか知らないエゴがある。という形で、
同じチームではあるけど、実は心の底ではすれ違っているという演出を、臭い演技でもって効果的にしちゃっているのがすごい。
▼ゴジラVSゴジラの構図
復讐意識を持ったゴジラと、それを力でねじ伏せようとする私兵部隊(+復讐に取り憑かれた主人公)。
そのどちらにも絶対的な正しさはなく、ただエゴとエゴの泥沼の戦いがあるだけ、というのを描く上で、
戦闘開始時にゴジラのテーマを選曲したのは、個人的には大正解だったと思う。
「憎むべきはゴジラではなく、戦争そのものである」という雰囲気づくりにも一役買ってる。
▼まったく新しい戦争映画
これまでの日本の戦争映画は、原爆の悲惨さ、特攻隊の哀しい英雄伝といった、被害者としての一面にスポットを当てたものが多かったように思う。
そして、ろくに正しい情報も与えられていなかった日本国民は戦争に巻き込まれた被害者で、本当の悪は暴走した軍部である、といった趣旨のものが大半な気がする。
だけど、安藤サクラが特攻を逃れた主人公をいぶり倒すように責める様をみてハッとさせられる。
やはり、程度の違いはあれど、国民の全体的な雰囲気の中にも、日本は正しい戦争をしているという意識があったのではないか。
そして、
集団のための自己犠牲を美徳とする精神は、まさに今の日本にも確かに生き続けている。
戦争の被害者としての一面だけでなく、加害者としての一面も見つめること。
それでいて、圧力に屈しないで自立して生き続けることこそが、本当の終戦を意味するんじゃないですか的な、
現代を生きる我々にブッ刺しにくるメッセージ性が込められていて、
現代のポリコレ的な要素も含んだ、かつてない新しい戦争映画だと思う。
日本の村社会的差別構造を描いた『福田村事件』もそうであるように、日本のダークサイドに光を当てる的な表現は、商業的な課題をクリアできれば今後トレンドになってくるのではという予感も感じさせる。
ゴジラが出てはくるものの、
戦争体験の中のトラウマ、赤の他人との共同生活、自己犠牲を強いる国家への不信感、戦争の加害者と被害者という人間ドラマ部分がしっかりしているからこそ、戦時下の日本を追体験させる、重厚な戦争映画になっている。
▼観客が観たいように観れる余白がすごい
作品自体は反戦カラーが強く、思想的に右か左かというと、左のリベラル色が強いように感じる。
でも、見方によっては、ゴジラは日本国家のために犠牲になった英霊であると見ることもできなくはないので、右寄りの考えの人も感情移入できるのかもしれない。
(ただ個人的には、家族を守るために自己犠牲を果たした英霊が、住んでる家族を巻き込んでまで市街地に復讐しにいくというのは、動機的にいまいちすっきりしない)
いろんな主義・思想を持っている人が観ることも見越して余白を残しているさじ加減が、商業映画的にも、ものすごい配慮されてるように思える。
あと、結局あっさりハッピーエンドっぽい展開に消化不良になったとしても、
実は生きていた内縁の妻の首に謎のあざがあったり、黒い雨をモロ浴びしていた主人公の被曝具合を見ると、
女の子は守れたけど、二人的にはハッピーとは言い切れない要素をあえて明らかにしないのが素晴らしい。
観客がエンディングをハッピーにもバッドにも観れる余韻の残し方もすごい。
しかも関係性が家族じゃなく、赤の他人であるという人物設定も最高。愛ですね。