聖なる証のレビュー・感想・評価
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どんよりした空気に満ち満ちている
フローレンスピューの素晴らしい演技と聞けば
見ずにいられないのだけど、
とにかく観たら重い空気に満ちていて
とてもしんどかった。
オープニングのセットからの入りが自分には
何を意味するのかよく分からなくて、
なんだ作り物かよと言う雑念が入ってしまった。
宗教観の話なので、
熱心な信仰をしているとまた違うのかもしれないが、
自分には、洗脳されこうでなければならない、と言う
意識が皆の中で共有されて雁字搦めになった哀れな
家族と、真実を受け入れられないのに観察しろと
命じた哀れな信仰者たちとしか思えなかった。
難しいし重いし、
4ヶ月何も食べない娘がどうやって生きてるのか?
と言うミステリーをもっと大々的にエンタテインメント
仕立てでやってくれればよかったのになと
思う。
まぁでも、日本でも話題になってた宗教二世の
問題もこういう感じで、周りは逃げればよいと
簡単に言うけど、親が全ての子どもにとっては
難しいよなと思いました。
フローレンス・ピューの重厚な演技
力作
19世紀半ばアイルランド。ロンドンの看護師エリザベスが4ヶ月絶食しているという少女の観察を依頼される。閉鎖的な田舎町の一家の娘アナはしかし健康であった。何で食べないのかという質問には「天のマナを食べている」と答え、朝に夕にお祈りを唱え、とにかく信仰に厚いのだった。アナには聖なる明石として頻繁に訪ねて来る人がおり、その人らから食べ物をもらっているのか、と疑う。エリザベスはアナに負担になっていると判断して家族にも面会を禁じる。
ある日アナやこの地域の取材にロンドンから記者が訪ねて来る。アナは彼に村の泉を見せ、彼はアナに世界旅行の話をし、鳥カゴのおもちゃをプレゼントする。
徐々に衰弱していくアナに無理矢理食物を与えようとするが、ある時、母親が面会時に口移しで食べ物を与えていたのだと気づく。なぜそこまでして食べないのかアナに問い詰めると、9才の時に死んだ兄とは二重の関係、つまり兄と妹プラス夫と妻の関係でもあった、と告白される。
口移しで食べ物を与えていたことは、当然、彼らには否定され、村の聖職者や医師に説明しても信じてもらえず、このまま衰弱死するアナを見殺しにできないと判断したエリザベスは、一家が夜のミサで留守にする日に、ある企てを実行する。エリザベスは皆には未亡人と話していたが、実は生後3週間の子どもを亡くしており、まだ救える子どもを見捨てられないのだった。
泉に瀕死のアナを連れて行き、一旦目を閉じさせて、ナンに生まれ変わらせるエリザベス。
火事の一件の調査後、それまで常に彼女と交代で観察していた修道女がエリザベスに質問する。何か見られているのかと警戒するが「胸騒ぎがしたのでミサを抜け出すと、天使が馬に乗った少女を連れているのを見た」と言う。
ある女性のモノローグでスタジオのセットから始まるオープニングと、そのセットで終わるラスト、という凝った作りも含めて、力作だと思った。
もどかしい
ほとんどカルトっぽい
食べずには生きられない
16世紀から20世紀にかけ英国で定期的にFasting girl(=断食少女)というものが現われたそうだ。
何ヶ月も食べていないと主張する少女およびその家族のことで、目的は教区からの寄付や恩恵にあずかり家計を潤すことにあった。
こんにちでも子を脅迫して学校に行かないというマーケティングをしている親がいるし、環境活動をやらせて巨財をきずいたスウェーデンの少女とその親もいる。
それらを顧みれば暗黒時代にFasting girl詐欺が横行しても不思議はない。
ただしキリスト教がやっかいでおそろしいのは食べずに生きているという与太話に猶予が生じるところ。
そもそもがFasting girlを擁立する一家の最終目標はバチカンのような高位のところから奇跡認定されることだ。食べずに生きられるのは神聖さのしるしと見なされる。
つまり中世キリスト教世界ではFasting girlが「もしかしたらほんとかもしれない」と勘案された。だからこそ定期的に彼女たちが現われた──わけである。
何人かのFasting girlが後世に伝えられていて、その伝承にもとづいてアイルランド系カナダ人作家のEmma Donoghueが2016年にThe Wonderというスリラー小説を書いた。
それをチリの監督Sebastián Lelioが映画にし、Netflixに乗り、聖なる証と邦題された。──のが、これ。
──
4ヶ月も食べてないと主張する少女とその家族があらわれ、教区がその審判員として修道女と看護人を派遣する。交代で二週間少女を観察せよとのお達し。──。
ところが信心深い一家は騙り(詐欺)を目的としておらず、断食とそれによってもたらされる死を試練ととらえ、当人さえも殉教を望んでいる。
それが映画の格調をあげ、テレーズやヨアンナのような宗教気配もあった。
が、非科学的な親が少女をみごろしにする話になっているので、立脚点は宗教サイドではない。むしろベルイマンのような「神の不在」映画といえる。
あまり明白にはされないが、アンナ(Kíla Lord Cassidy)は亡くなった兄から性的に玩弄されており──それを見とがめた親が兄を責めた結果、なんらかのかたちで兄は世を去る。で、亡くなった兄にたいする贖罪として親とアンナは断食を敢行するという話。(──だと思われる。)
リブ(フローレンスピュー)がやってくるまでは口移しができていたが、引き離されたことで神の意思にまかせる──ことになる。・・・。
なお、物語全体が俯瞰されるように撮影舞台がむきだしになっている状況から入り/閉まるがメタフィクションの気配が効果的──というわけでもなかった。
が、映画はいい。重厚で魅力的な雰囲気。豊頬で真っ白なアンナ。目力の据わるリブ。引き込まれた。
──
ピュー、たくましい。ずんぐりでがっちり。強い女の印象。放火し人様の娘を奪取し豪州へ飛ぶw。そんな強引が暴れない女優、ほかに居るだろうか?
Paige役にBelova役、豪胆だし、ずっとアメリカ人だと思っていた。イギリス人だなんてはじめて知ったw。
──
(余談だがこれを見るまえに荻上直子監督の川っぺりムコリッタという映画を見た。外国映画との差を感じたときに日本映画のポジション=存在意義について気づくことがある。それは「じぶんのさくひんを堂々と世間に披露しよう」という強いメッセージ。文でも絵でもなんでもいいがわたしがつくったものは世に出しても恥ずかしいことじゃない。──と日本映画は教えてくれる。)
またNetflixで
またNetflixでざわつく映画に出会った。娯楽映画好きには絶対無理系。話はひたすら平坦で謎はあるけど挫折者いっぱいやろなぁ。で、真相解ってもやるせない。これにパワー・オブザ・ドッグ思い出す自分は変なのかもやけど、因習、思い込み、今回は特に信仰(日本人特に外国の信仰はわからないと思うけど、ちなみに自分も映画etcで少し知ってるだけです。)に翻弄される登場人物は同じと思える。カンバーバッチもアン(役者名覚えてません)も束縛から開放されるけど棘だらけのカンピオンより今作はハッピーエンド。観終わって何時間も経ってからざわつきが来る映画にまた会えました。
えらそうに書きましたが自分の今年1番は娯楽作トップガンです。
最後にピールもパワーのカンバーバッチ並みに芸達者と思わせてもらいました、ということで終わります。
食べない少女と食べるピュー
"奇跡"これまたフローレンス・ピュー劇場
今日の映画界の常識/通説、フローレンス・ピューが出ているとその映画はグッと面白くなる。彼女は現代きっての実力派若手で名作請負人の貫禄あふれる名優だ!
本作もまたそうした好例に違いない、考えさせられる良作。信仰と飢饉、家族と子供。飢饉で亡くなっていった子供たち。英国のお節介=干渉か、やり直すこと。セバスチャン・レリオ脚本監督による独自の雰囲気もあるミステリアスな歴史ドラマに引き込まれていく。そしてフローレンス・ピューが注目されるキッカケとなった『レディ・マクベス』と同じように青いドレスに身を包んで…。
観察。1862年、英国からアイルランドの田舎にやって来た看護師エリザベス・ライト。4ヶ月断食しているにも関わらず、弱ってはいるものの、健康なままの少々アナ。主人公の役割は、一日8時間のあいだ、少女を観察すること。奇跡か嘘か?早くこの茶番を終わらせろ。親しくなっていく=真相に近づいていくにつれて生まれる彼女の苦悩と葛藤、そして決断・行動に揺さぶられる。
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