「受け手の解釈に大きく委ねた映画」生きててごめんなさい すんさんの映画レビュー(感想・評価)
受け手の解釈に大きく委ねた映画
何をやってもうまくいかず、自己中心的で自分勝手な莉奈を修一が見染めるところから映画は始まる。
初めは上手くいっていた2人だったが、それは修一が1人じゃ何も出来ない莉奈を世話することで自分の現実での惨めさを誤魔化していたからだった。
莉奈が仕事を始め、自分よりも充実した毎日を送る事実に耐えられなくなった修一が度々莉奈に対して想いを忖度なしにぶちまけるシーンが散見されるが、その度に我に返ったように謝る修一の姿はとてもリアルに描かれていたと思う。
またこの映画は特に対比構造が顕著に描かれていた。小説を書くシーンでの天才と凡人という言葉に表れているように、努力しても仕事も夢もうまくいかない修一と、それをあっさりこなして最後は出版まだしてしまう莉奈が対比で書かれている。
修一が莉奈を自分の中で下に格付けしそれに満足していたのが悪いことなのかと問われれば、実は莉奈も途中で犬を拾ってきて世話していたように、自分がうまく行き始めた途端自分を頼ってくれる対象を探す修一と同一の思考を辿っていた。それについても修一と莉奈、莉奈と犬の対比構造で表しているのは比較的わかりやすく良かった。
さらに家から駅に向かうシーンでも冒頭の修一が仕事に向かう場合と、莉奈が家に帰る場合とで対比されている。目的や目標があって駅に向かう人物は途中の階段に気付き、そうでない方は気付かずスルーしてしまう。それに加えて修一が階段を登った先になにもない、と一蹴したのに対し莉奈は振り返って景色を眺めていたのを踏まえると、修一は頑張った先の結果だけを求めており、莉奈は結果ではなくその過程を振り返って大切にしているという対比になっていた。(修一はなにも得られなかったが莉奈は得ることが出来たということの暗喩でもあったか?)
最後のシーン、修一は渡ったのか渡ってないのかが曖昧になっており、受けての解釈に結末を委ねている。私としては修一は自分を見つめ直し、新しく莉奈と関係を築いていったと解釈したいところである。
評価としては冒頭のシーンの真意が掴めなかったこと、文芸サークルの先輩の話が思ったより深掘りされなかったことを鑑みて星4としています。