殺しを呼ぶ卵 最長版のレビュー・感想・評価
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変態良い子
1968のイタリア/フランス映画です。
邦題がカッコよ過ぎ!
原題だと、、死が産む卵、、かな?
当時の先鋭的、実験的、オシャレな映像を興味深く見れました。女性陣の魅力半端なく、ジーナロロブリジータの熟女感、エバオーリンの(若い頃のバルドーに似てる)若々しさと、コントラストが楽しめます。
さてお話は少し変わった性癖のある主人公がビジネスとモラル、2人の女性と陰謀の中で翻弄される悲しいお話です。(しかし実験的な編集も手伝いわかりづらくなってます)
当時遺伝子操作なんていう技術はまだなく交配レベルだと思いますが、行き詰まった養鶏業界を救う頭の無い肉の塊みたいな鶏の交配に成功したり、屠殺シーンあったりとなかなかグロいです。時々入るSEが仮面ライダー的で面白いのですが、前衛的な音楽は出来が悪いと思いました。
正直映画としては短縮版が正解かなと思いますがファッションや当時の先鋭とは?とか監督のこだわりとか気になる人は最長版を見て損は無いと思います。
あ、車がクラッシュしてるカッコいいポスターは話とはほとんど関係ありませんww
カンパリソーダ
題名に意味は無し 単に主人公が頼んでいたオーダー
自分が生まれた年の作品なので確かに演出やルックは古い ビビッドな色遣いと現在と比較してのサスペンスの甘さは否めないが、まぁでも時代を勉強するという意味では意義があったのではと思う
それぞれのシーンが結局なにも回収されない所とか、関連性を丸っきり無視する点、特に主人公が飼料を潰すミキサー付近を細工する点で、姪が驚く場面がイミフなのが、無理矢理ミスリード作成というオチまであって、その辺りを愛でるという観方が正しいのかも知れない エロの割にはバストトップ無しとか、グロは頸羽根無し鶏のアニマトロニクスのみとか、まるで現在に合わせた様な温さも興味深い 冒頭のSMプレイも、"ごっこ"というオチを明確に匂わす演出が却って新鮮だったりしてw
ただ、鑑賞後の正直な気持は、花椒しか味付けてない麻婆豆腐と表現するしかないか・・・
一つ、目を惹く、そしてメインテーマかもしれない台詞は「私達は異常なことを分かち合う必要があった」
倦怠期のカップルが次のステージに上がるためには、"共犯者"になるという事 大変興味深いメッセージである
素敵な邦題
なかなかグッとくる邦題。
イタリアンホラーということにもくすぐられ、地雷?踏んでやろうじゃないの、ってな気分で観に行きました。
最初の殺人シーン、怖くもなんともない。
何の感情も全く動かされないことに軽くショックを受け、自身をちょっと疑いながら見続けました。
馬鹿馬鹿しいけど、まぁ付き合ってやるか、みたいなことにもならず、淡々と時間が過ぎてゆきます。
突然、『あ、これ寝ていいやつだ…』と、心の声が聞こえ、素直に従って気持ちよく眠りました。
以前なら頑張って観ただろうに、これは映画ファンとして進化なのか退化なのか。
評価は低いが、こういう鑑賞がたまにあってもいい。
映画より、体験自体を楽しみました。
本編より、邦題や煽り文句の方が面白い好例(?)でした。
そこそこ人を選びそうだけど、日本では初めての養鶏ホラー?
今年22本目(合計675本目/今月(2023年1月度)22本目)。
大阪ではテアトル梅田さんが閉館されたこと(2022年9月末までで)で、イタリア映画等は配分がいま流動的なのですが、韓国映画といえばシネマートという、そのシネマートの1枠に入っていました。
映画の作りが丁寧でなく、もともとあるものに追加版があったことなど、ここにある基礎情報くらいは知らないと厳しいかなという印象です。そのうえでも、イタリア映画のホラーものというと本当に見当たらないし、ましてや「養鶏ホラー」なんて聞いたこともないという、「聞いたこともない単語」が2つ「化学反応したら…?」というある意味「面白い」映画だとは思います。
もとのフィルムは1970年代のもので、今とは文化も科学技術も何もかも違いますが、それでも「養鶏の文化」や「機械か、人か」という今でもわかるような分野が当時からでもあったのね、ということがわかるので良かったです。
しいて言えば、当時のフィルムに「残酷さの観点からカットされた部分を今回戻して」作ったのが本作品なので、映倫の指定ではPG12の扱いですが、ちょっと直視するのが厳しいかな…というところも数か所だけですがあります。
2時間(120分)はないので、ドリンク、お菓子などは売店などで買わないほうが良いかもです。激しく後悔するかと…。
そして上記で書いたように、「大元のフィルムそれ自体」は1970年代のイタリア映画のものであるようなので、終わりも終わりで、ただ単に FINE と出て、ほかイタリア語で「この映画はイタリアで作られました」とかという語が出るだけ(エンディングロールがなく、画面が1枚ぺらっと映るだけ)というすごい終わり方をするのですよね。
もっともこれに限っていえば、この映画だけでなく、当時のイタリア映画自体がそうだった(基本的に画面にFINEと出て最低限の文字が出て終わりで、エンディングロールという概念自体が「ない」)と考えることも可能です。
採点に関しては以下の通りです。
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(減点0.2/ややPG12としては厳しい)
・ 描写の一部がどうしても厳しいところが多いです。中には画面を直視するのも精神的にしんどいかな…という部分もあります。普通は「人が人を殴る」というようなもので、それが圧倒的多数を占めるのですが、この映画、描写がきついのはニワトリに関する一部のシーンです(ネタバレ回避。ニワトリがどうなっていくのか、という点が出るため)。この点、R15じゃなかろうか…とは思うものの、「レーティングの差1つ違いと思えるものは0.2扱い」です。
※ なので、「PG12指定のホラーなのね」ってことで、チキンだのコーラだの購入して入ることは強く非推奨です。
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真昼の情事は殺しの薫り... 愛憎渦巻く養鶏場で誕生した畸形の鶏は思い遣りを無視した利己主義の末路か...
"思わせぶりな演出が続くわりには大して盛り上がらず眠たかった…"といった辛口批評も散見され、確かに頷ける面もあるのですが、当時のスターが出演して商業的成功も企図された作品でも徹頭徹尾、人間のエゴイズムを殊更に露悪的に描く姿勢はアジアやハリウッドの映画とは違った哲学を感じさせます。
そして濃厚な死とエロスの香りに唐突且つ暴力的な劇判が生理的嫌悪感を掻き立てる・・・いわゆるジャーロやユーロクライムの文法で撮られた作風は尖りに尖っており、話の筋よりも情感、起承転結よりも強烈な画造り優先の、雰囲気を嗜む映画です。
一応は因果応報というか、悪だくみをしていた人間はその報いを漏れなく受けたラストですが、兎にも角にも己の愛と道徳に苦しんだ主人公だけがいわば真人間であり、残りのキャラクターは皆一様に自己愛と利潤追求に満ちた人非人で、まさに"正直者が馬鹿を見る"をこれでもかと叩き付けるようなシニカルな印象が濃密でした。
社会派B級サスペンス風養鶏ドキュメンタリー
なんで日本全国で最も鶏肉が消費されるこの時期に、敢えて公開したんだか。
どう頑張ってもB級の域を出ない作品ではありますが、
・進化を求める妻と保守的な夫の構図=新種の鶏を喜ぶ組合と奇形とディスる夫の構図
・美味くてコストが安いものを求めるあまりに、遺伝子さえも歪ませようとする人間の愚かさ
・とは言え、飼料代がバカにならないのはようわかる
・観客に夫が◯◯◯だと思わせる見せ方の巧さ
・エヴァ・オーリンが美人すぎる
この辺で十分加点出来ますね。
ただし冒頭から↑に片足突っ込むまでがやったら時間がかかる。多分その辺を見越してか、ちょいちょいエヴァとジーナのセクシーショットを挟んできますが、それでも辛い。辛かった。
冒頭の意味不な場面&セリフの連続に、正直かなりの忍耐を求められましたが、オチ的にはまあまあ面白かったです。
ブッ飛んだ邦題
とにかく劇中に流れる音楽が印象的で絶えず場面毎にセリフを掻き消すようにインパクトのある音楽が全体を支配している感覚。
茶番なサイコキラーを演じたジャン=ルイ・トランティニャンが『暗殺の森』や『男と女』に出演していたのが嘘かのように、滑稽でもある本作に差し障りのない存在感と演技、ラストは突然変異でニワトリ怪獣でも登場するのかと勝手に想像!?
なんて事ないサスペンス物と猟奇的は言い過ぎ、描かない描けない残酷描写とエロを控え目にした結果、逆に芸術的に思えてしまう類の演出描写、卵を啜る刑事のラストが何かエグい。
現在形の諸問題
内容は変態的な性癖に複雑な愛憎劇が絡むサスペンス。それよりも、養鶏場における機械化による人材切り捨て、利益追求のためだけの遺伝子組み換え等、現代社会の問題でもある。'60年代後半でこの様な問題に目を向けて作品を作り出すセンスに脱帽する。個人的にはジャン=ルイ・トランティニャンのマカロニウェスタンとはまた違った配役が興味深かった。
ネタバレ厳禁! 養鶏場一家の闇を暴く、ジャッロの皮を被ったゴダール風プロレタリアート映画。
あまりにキテレツなタイトルのせいで、昔から名のみは知っていた。
ジャッロ映画一覧などを見ても、ひときわ異彩を放っているし。
だって「殺しを呼ぶ卵」だもん。「世界で唯一の養鶏場スリラー」だもん。
世界で唯一の闘鶏映画『コックファイター』を映画館で観た身としては、そりゃ気になります。
とはいえ、しょせんはただのB級ジャッロ(ジャッロとは、イタリアの猟奇サスペンス映画を指す呼称で、マリオ・バーヴァやダリオ・アルジェントの作品が有名。たいていマイ・ナイフをもった連続殺人鬼が出てくる)。
「伝説の」「幻の」というよりは、単純に「歴史に埋もれてほぼ忘れられた」作品だ。
それが一体全体どういう理由で、いまさらレストアされた挙句、リヴァイヴァル上映なんかされるのか?? 不思議すぎる。
暴挙であり……快挙だ。
小屋にかかる以上、ジャッロ愛好家としては、もちろん行かずばなるまい。
(いざ入ったら、なんか若者層で半分くらいは客席が埋まってたんだけど、どういうこと??)
一言でいえば、バランスの悪い映画である。良くも悪くも。
B級スリラーなのに、異様に難解だ。
B級スリラーなのに、やたら凝っている。
B級スリラーなのに、前衛の香りがする。
その割に、とんがった前衛性と実験性が、作品の価値を高める方向に機能しているかというと、どうもそんな気がしない(笑)。単純に、とっつきにくく、わかりにくく、寝落ちしやすくなっているだけのような……。
ジャッロの世界には、一部でよく知られたダルダーノ・サケッティという脚本家がいる。
なぜか、この人が関わると、中身は単なる血みどろスプラッタなのに、異様に筋がわかりにくい難解な作品になって、ほとんど不条理劇のような混乱を呼び起こすという御仁で、ルチオ・フルチの一部作品がホラーのくせに現代文学めいた衒学性を漂わせているのは、ひとえにサケッティの仕業だったりする。
本作の脚本は監督のジュリオ・クエスティと編集のフランコ・アルカッリで、サケッティの息はかかっていないとはいえ、きわめて同種の「わかりにくさ」「筋の追えなさ」を示しているのは実に興味深い。
今回観てつとに思ったんだけど、やっぱりこのわかりにくさって、脚本&編集のアルカッリが文芸映画寄りの人間だってこともあるけど、同時代にブイブイいわせてたゴダールの悪い影響ってのもあるんだろうなあ(笑)。
『殺しを呼ぶ卵』は、パンフレットでセルジオ石熊氏が指摘しているとおり、フランス資本が入っていることもあってか、きわめてフレンチ・テイストの強い作品である。
そのなかでも、白色レグホンに象徴される「カーマインレッドとホワイト」を徹底して強調する色彩設定のやりようとか、故意にわかりにくく歪められたナラティヴとかは、たしかにゴダールによく似ている。
ニワトリ小屋のなかで三人で「映え写真」を撮りっこするシーンは『女は女である』みたいだし、炎上する自動車事故シーンの高速モンタージュは『ウイークエンド』そっくり。
実験的なショットを重ねていく編集や、ノイズ寄りのアヴァンギャルドな音楽も、ゴダールっぽい。
本作で音楽を担当しているブルーノ・マデルナは、イタリアの現代音楽家として著名な人物だが、個人的にはじつはマーラー指揮者として昔から知っていた。交響曲第3,5,7,9番の4枚組(ARKADIA)と、同7番のHUNT盤と9番のBBC盤のCDを持っていたので、ちょっと名前が出てきてびっくりしてしまった。
かなり暴力的な弦奏が間歇的に叩きつけられるヒステリックな音楽で、映画のニューロティックな空気感のかなりの部分を支配しているといっていい。
映画自体は、そこまで面白いかと言われると、じつはあんまり面白くないかもしれない。
いや、かなり面白くないかも……(笑)。
とにかく付いていきづらいナラティヴのせいで、何がどうなっているのかよくわからないまま話が進行するので、いいかげん退屈するし、いらいらする。睡魔に襲われる。
それに加えて、細部の適当な処理にいらつかされる。
冒頭の目薬をさす印象的なショットからして、なぜかちゃんと眼に入っていない。なんかいらっとする。そのあと、ジャン=ルイ・トランティニャンが娼婦をナイフで切りちゃちゃくっているが、肝心のナイフに血がついていない。なんかいらっとする。
ジャン=ルイ演じるマルコが、出だしでやたら記憶の調子が悪そうなのが、何かの伏線かと思ったら、なし崩しに養鶏場に戻って、結局そのあとも理由の説明が出てこない。いらつく。
養鶏場は夢の自動化システムとかいっているが、採卵用養鶏と食肉用養鶏が完全にごっちゃになっていることに、またいらつかされる。そんな二刀流の養鶏場ってあるもんなのか??
その他、思わせぶりなのにまったく話にからんでこない弁護士の旧友とか、犬が給餌機に落ちるショットの適当さ加減とか、いらつきポイントには枚挙にいとまがない。
猛烈にわかりにくいうえに、一事が万事いい加減なつくりの映画に2時間近く付き合うのは、結構な苦行である。
とはいえ。
この映画、悪いところばかりではない。
まずは編集。カッティングや色彩設定は間違いなくアートの香りがするし、才能を感じさせる。
B級スリラーと相性は悪いかもしれないが、フランコ・アルカッリはアントニオーニやベルトルッチとも何度も仕事をしている一流の編集マンなのだ。
それから、スリラーとしては全体に間延びした出来の作品だと言わざるを得ないが、「ニワトリ映画」としての見どころは随所にちりばめられている。
冒頭に出てくるニワトリの胚の顕微鏡動画は、シュールなアート感満載だ。
養鶏舎を埋め尽くす白色レグホンの美感。そこを突っ切って走る人と犬。
ニワトリを食肉処理する工程のリアル映像は、この映画最大の衝撃的グロ・シーンだ。
何より、あのどこか怒っているような、達観しているような面相で、奴隷的立場に安住しているニワトリたちを、資本主義下で消費される労働者に仮託してみせるアイディアが良い。
あと、この映画には、とある大がかりな「叙述トリック」が仕掛けられている。
結構これ、みんな引っかかるんじゃないかなあ?
(引っかかったらなんなんだと言われたら、それまでだが)
パンフで誰も指摘していなかったけど、これって結局、1963年にマリオ・バーヴァが『モデル連続殺人!』という、ジャッロ映画の基本形とも言える映画を撮っていて、ジュリオ・クエスティはその祖型の存在を「逆手に取って」客を騙しにかかってるんだよね。
この「ネタ」に触れずに、本作の内容および粗筋について語るのはほぼ不可能なので、パンフや映画の内容紹介でも、何らかの形での言及(もしくは誤魔化し)がある。
なので、未見の方はぜひ、あまり予備知識無しでご覧になることを強くお薦めしたい。
ちなみに、この叙述トリックが明かされることで、序盤に遺されていたいくつかの違和感や、演出上おかしいと思われていた部分に「ああそうだったのか!」といちおう得心のいく解決がつくのだが、他にも山ほどおかしな部分や意味のわからない部分があるので、別段観終わっても全然すっきりはしないという(笑)。
あるいはこの映画の異様なわかりにくさって、このネタを隠すための壮大なミスディレクションだったのだろうか?? う~む……。
あと、映画館の入り口に『養鶏の友』がディスプレイされてたりする、軽い「コラボ感」にちょっとばかりぞわっとしました。『養鶏の友』の編集者はフライヤーにもコメント寄せてて、これがもうバリバリにふるってるんですよ。(以下引用)
異常なことの象徴、
不穏の塊のように描かれた、
あの「化け物」。
しかし、あれは大なり小なり現実である。
私たち個人が望むと望まざるとにかかわらず、
あれが必要なのだ。
見えなければ良い。知らなければ良い。
気づかないふりをしていれば良い。
恐怖と不安は小屋の檻に閉じ込めておこう。
安藤千尋(月刊「養鶏の友」編集部)
なんか、すごくない?? このコメント(笑)。
そりゃもう、まさにおっしゃる通りなんですが。
この達観がないと、あの商売はできねえんだなあ、と……。
いやあ、恐れ入りました。
鑑賞後、晩飯に西武新宿前のラーメン屋「駄目な隣人」にはいったら、「卓上の生卵&海苔」無料食べ放題という、おそるべきサーヴィスを敢行していてびっくり。
卵つながりで、こんなこともあるんだなあと。
もちろん、搾取されるニワトリたちに感謝の想いを捧げながら、ありがたく一つ追加でいただきました。
火曜サスペンス、だな。
いろいろ予告が大袈裟なような。資本主義うんたらなメッセージ性はよく分からんかった。意図的だろうけど描写もシュールすぎて現実か幻かわかりづらい。カットされた残酷描写も当時ならばなー、という感じだった。
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