沈黙の自叙伝のレビュー・感想・評価
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これが今の話である恐さ
インドネシアに縁があって鑑賞。途上国の軍や警察による暴力の権威に守られた地方の権力社会を、ひそやかだが切り口の鋭い映像遣いで描いている。フィクションだと思うが極めてありうる物語という印象を受けた。
ある軍人一族と、彼らに代々仕える使用人一族。後者の末子の青年が今は一人で住み込み管理している屋敷に、退役した家主の将軍が一人帰郷する。
はじめは戸惑いながら将軍の世話をしていた青年だが、将軍は彼に父親のように接し、彼も将軍の若い頃の制服を着せられてそっくりと言われ、軍曹と呼ばれるようになってまんざらでもない。
そして、青年は将軍の小さな問題を解決しようと進んで動く。前段で将軍が発した「謝罪は魔法の言葉」との忠告を素直に受け取り、彼はトラブルの相手に、将軍に直接謝れば許してくれると気軽に勧める。
だが人々が謝罪を受け入れるのは、後ろに暴力的権力が控えているからで、「軍曹」が無邪気な高揚を感じながら会話すること自体がその権力の行使だということに、暴力が発動されるまで青年は気づかなかった。そして世界は暗転する。
二人がともに自身が手にかけた人物の弔辞を述べるはめになるのは寓話として意図された皮肉だろう。本当に怖いのは、殺しても何の咎めも受けない権力者の立場である。
どちらのケースも、対象に接触する予定を知る人もいるし、(将軍の車で現場に乗り付けているので)前後の目撃者もいるはずだ。だが仮に証言があっても警察や有力者が揉み消すだろうし、実際、すぐに別の証言や容疑者がお膳立てられている。
こんな体制では自分の安全を守るため誰もが口をつぐみ、事件が立件されることはない。もっとひどいのは、一方で噂レベルで話が広まることで、かえって不可侵性が高まり、権力者の神話が強化されることである。
最後のカット、参列する軍人たちを前に弔辞を促され、青年はついにその権力を自覚した、と私は解釈した。
本作は2017年に時代設定されている。スハルト大統領の時代ならともかく、民主化が進んだとされる現代を舞台にこの物語をぶちこんできた制作者の危機感と勇気に敬意を表したい。(「アクト・オブ・キリング」連作を観たときに感じた途方もなさを思い出す)
ちなみに、弔辞で将軍が述べた話に東ティモールでの逸話が出てくることで、観客は将軍の暴力性の背景を想起することになる。スハルト時代、同地での独立運動弾圧のために投入された陸軍特殊作戦軍(コパスス)は拷問や虐殺など多くの人権侵害で糾弾された。最後の葬列での赤いベレーがトレードマークである。
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