「ジャーナリズム視点はワイドショー視点よりつまらなくなる理由。」SHE SAID シー・セッド その名を暴け ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
ジャーナリズム視点はワイドショー視点よりつまらなくなる理由。
ハリウッドの大物プロデューサーの性加害騒動を、追及する新聞記者側から描いた、
現実にあった話を題材にしたガッツリ社会派な作品。
ちょうど中盤の真ん中までは我慢して鑑賞してたが、後半はやっぱり、寝落ちした。
(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!
別にMetoo運動や性加害問題に興味が無いわけではない。
でもこの手の作品、なんで眠くなるのか、不思議だと思いませんか?
日本に目を向ければ、ジャニーズ騒動の記者会見も、
フジテレビ騒動の記者会見も、
それに付随したワイドショーも、
性加害案件の騒動を興味津々で時間の許す限り、飽きるまで視聴したはずなのに、
こういう映画になると、なぜか眠くなってしまう。
この「不思議なカラクリ」は一体何なのか。私は何度も寝落ちして、ある事に気づいた。
(ヽ´ω`)
それは、「善」が「悪」を追及する様子や、「弱い者」が「強い者」を倒すという行動は、
実はみんなが思ってる以上に、「つまらない」という事実。
これは、私がベイスターズファンだからわかる。
(-д☆)キラッ
昨年こそ、我が横浜DeNAベイスターズは悲願の日本一を果たしたが、
基本的には毎年、弱いチームである。
弱いチームだからこそ応援し甲斐があるのだ〜!と、
全試合観る、ファンの鑑のようなお手本ファンも勿論いるのだが、
私の場合、勝てそうな試合だけ見続けるし、大きく負けてる試合は、途中で観るのを止めるのだ。
( ゚Д゚)y─┛~~
なぜなら、「負け試合はつまらないから」である。
常勝チーム巨人ファンは、負けに慣れていない分、これが更に顕著になる、と思われる。
負け試合ほどつまらない試合はないのだ。
つまりどういう事かというと、今作のような映画は、
弱い者、負けてる者(沈黙する者)、性被害に苦しむ者、巨悪に立ち向かう巨大じゃない追及側(ジャーナリスト)の視点で大体描かれるから、
途中で理不尽な目に遭う。嫌がらせだったり、邪魔されたり、潰されそうになったり。
最後の最後勝つまで我慢できる人、勝利を信じていられる強い精神がある人なら、何の問題もないのだが、
世の中、そういう人ばかりじゃないのだ。
これがテレビゲームだったり、フィクション映画の世界だと、不思議とそうでもないのだが、
報道の「善側としてのジャーナリズム的な視点」だと、意外と我慢できない。
なぜかというと、ジャーナリズム的な視点なら、他にもっと楽に見守れる視点があるからだ。
それは、ワイドショー的な視点である。
ワイドショー的な視点というのは、週刊誌も同様だが、
「上」にいる「悪」側の人間が、転落する様子を見守れる視点なのだ。
悪を倒すのではなく、悪が落ちていく様子。それは、下世話的であり、露悪的であり、悪趣味的な視点とも言える。
強引に言ってしまえば、これもまた、善ではなく悪であり、「加害性を伴う視点」だ。
加害性を伴う視点から、悪い加害者が転落していくストーリーを見る。
これは、実はジャーナリズム的な視点よりも、面白いのだ。
\(^o^)/
だから、日本人はワイドショーが好きだし、
ジャニーズの記者会見も、フジテレビの記者会見も、
あの手の糾弾大会サンドバッグ的な展開は、大好きだし面白がる。
ゆえにワクワクしながら、みんな見る。
((o(´∀`)o))ワクワク
言うなれば、「悪」の視点で「悪」が転落していく様子であり、しかも絶対勝てる八百長試合的勝ち確の視点。
最後は勝つという内容ですらなく、ず〜っと勝ってる状態で、最終的にも必ず勝つ。
面白くないわけがない。
しかも。
(ΦωΦ)フフフ…
ワイドショーや記者会見の視聴者は、形式的に「悪」にならなくて済む。
(?_?)ナニソレ
「悪」は、悪者を追及する報道記者やらコメンテーターらが、我々の代わりに担ってくれる。
フジテレビ騒動時の記者会見がまさにそれだ。
m9( ゚ω゚) ドーン!
品の無い意地悪な質問をした記者を、視聴者がこぞって叩く一幕もあった。
確かに品がなかったのは事実なのだが、露悪的悪趣味的な視点を持ちながら見ている視聴者も、
あの会見においては、ある意味で加害性を伴う存在であるはずなのに、
その加害性を、品のない記者に押しつけているだけ。
つまり、安全地帯から好き放題罵詈雑言を言う事は、「とてつもなく面白い行動」なのだ。
\(^o^)/
以上が、『この手の映画は眠くなるのに、記者会見やワイドショーは眠くならない理由のカラクリ』になる、
という個人的見解。
だったら、映画も悪者(性加害者)が転落する様子を、メインにした構成にすればいいじゃん!
∠( ゚д゚)/
と思うかもしれない。
それは無理である。
映画自体が訴えられたり、訴訟リスクを抱える問題作になる恐れがある。
だからこの映画も、
あくまで新聞記者側から見た視点、
著書を元にして作った作品、
実際の性被害的な描写はほとんどなく、
取材、取材、取材、の描写が大半になる。
これはアカデミー賞作品「スポットライト」の時もそうだった。
実際に加害者と被害者がいる事件だからこそ、
直接的被害描写は、映画での表現はリスク大で無理なのだ。