こんにちは、母さんのレビュー・感想・評価
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脇役が新鮮な山田映画アップデート版
山田洋次が吉永小百合主演で描く"母3部作"の3作目は、東京の下町で細々と足袋屋を営む母が、会社のいざこざで悩んでいる息子の前で、誰かに恋したことを打ち明ける。過去の2作とは随分ムードが違うが、母と息子の周辺では今の日本社会から取り残された人がいたり、下町の人々の温かい日常があったりと、いつのも山田映画がベースにはある。
最も違うと感じたのは、大泉洋演じる息子を悩ませる会社の同僚を演じるのが、吉岡秀隆ではなく宮藤官九郎だったり、母の友達の1人をYOUが演じるなど、比較的新しい顔が脇で存在感を発揮している点。山田映画は細部でアップデートされているのだ。撮影ではテイク数が多いことで知られる山田演出に、同じ脚本家でもある宮藤がどう対処したのか?なぜ、YOUは誰よりも自然な演技に徹することが出来たのか?聞いてみたいことはいっぱいある。
何よりも、最後まで人の心に寄り添い、駆け抜ける山田洋次作品の脚本力を改めて痛感する最新作だった。
小津安二郎監督作品の面影を想起してしまう
家族と親子を描いてきた松竹映画らしい作品であり、間もなく92歳を迎える山田洋次監督が改めて原点回帰した、“母と息子”の新たな出発の物語です。
吉永小百合と大泉洋の組み合わせが素晴らしい効果を発揮しています。吉永の映画出演は123本目で、山田組は6本目、「母べえ」「母と暮せば」に続く「母」3部作の3作目。大泉は山田監督の映画出演は初(ドラマで山田監督が脚本を務めた「あにいもうと」に参加している)となります。大泉が製作発表時に「あの吉永小百合から、大泉洋は生まれない」と自虐的にコメントしていましたが、山田監督の演出による母と息子としてのふたりの掛け合いは心地よく、お互いに俳優としての新たな魅力を引き出し合っているように思います。
なお本作には、冒頭や所々にインサートされるビルや下町の景色、昔ながらの日本家屋でのエピソード、目線を少しだけずらした人物を正面から捉えたショットの切り返しによる会話やテンポなど、山田作品でありながら、小津安二郎監督作品の面影を想起してしまうようなカットやシーンが散見されます。もちろん山田監督は意識して撮っていないと思いますが、そんな見方でも楽しめる作品です。
黒木華、蒼井優からのバトン
家に帰ると母がいる
…心落ちつける家
家に(実家)に帰ると
母が優しく迎えてくれる
疲れたからだに何気ない日常が
"癒し"をもたらせてくれる
何もかもが許される場所
母が暮らす家
大泉洋と吉永小百合の二人が
ちょっと可笑しな感じで笑わせてくれる
そこに娘孫の永野芽郁がいい感じで
絡んでくる
母のご近所の仲間も楽しくて
母を取りまく人たちは皆が優しい
ただ一つ気がかりなのは
…母の恋心・・に悩むが。
ちっちゃな出来事は日常茶飯事
でも、そんな中でもどこかほっとする
…母さんのいる"家"
幼い頃からず~と住んでいた"家"
そこには優しい母さんの姿がある
そこに帰ると懐かしさを覚えて
いつもの母さんのいる"幸せ"
を噛みしめて彼の頬に涙が…流れる
ほんのりと温かな気持ちになった
いつも寅さんスピリット
昭和的で牧歌的な作品です。ホームレスに対する眼差しもいつもの山田洋次監督で優しいですよね。友人を助けて自分が会社を辞めるなんて誰でもできることじゃない。令和の下町も捨てたもんじゃないですね。そんな寅さんスピリット溢れる作品でした。
山田洋次の世界
悩み多き中間管理職
下町人情ドラマの巨匠山田洋次さんのメガホンで吉永小百合さん、大泉洋さん出演とくれば傑作に違いないと観る前から保証付きの映画ですね。
舞台が墨田川沿いの下町で老舗足袋屋の母とサラリーマンの息子と孫からホームレスとボランティアと多様な登場人物と言う原作に山田監督が惹かれたのは納得です。
会社のリストラ方針と友人との板挟みに悩む人事部長を大泉さんが演じますが、離婚という家庭問題まで重なってドラマの大半が苦しむさまなので正直、観ていて気が重い。
かってはミス墨田川という超美人のお母さんに吉永さんはピッタリなので、なんでも思い通りに叶うだろうと思っていたら意外な顛末、親子ともども失ってこそ得るものがあるという人生の山谷、人情の機微に山田作品らしい風格を感じました。
ただ、大泉さんなら渥美さんほどではないとしても寅さんシリーズのようなユーモア、コメディ感が出るのではないかと期待した割には平凡な悩める主人公で終わってしまったのは惜しい気もします・・。
人事部長は大変❓
吉永小百合さんの年齢にあった作品を観ることができた。
大学生の孫娘を持つ祖母の役。
吉永小百合さんのセリフ、〜だね、が合わない。
下町の風情を出そうとしてだろうけど。
〜だね。じゃなくて、〜よね。とか、〜でしょ。
の方がしっくりくる。
か、
演技力の問題かも?綺麗だけど。
大泉洋、本作では大会社の人事部長で、
いろいろな悩みを持つ世代。
人事は、その担当者の性格により悩む人もいるだろうな。自分に置き換えると辛いから。
大学の同窓生木部の懲戒解雇を撤回するがため、自分の
首をかけてしまった。
離婚もされてしまった。
ちょっと立ち直るには時間がかかりそう。
その母は、いつも元気いっぱい🈵
近くの教会⛪️の牧師様中心のボランティア活動に励む。
だけど、お年召しているのに夜中の訪問には疑問が。
心がけは温かく頭が下がりますが🙇
牧師様に淡い❤️心抱いていたけれど、
転勤に伴い消滅💔
別れ際にかな?連れて行って、と言っていたけれど、
極寒の地だから、なんとも言えないな。
孫娘の永野芽郁さんは、
いつもおへそ出しファッションで元気娘、
おばあちゃんのボランティアも手伝う子。
だけど、大泉洋が非情な人間だったら、
母の吉永小百合も嫌になるんだろうな。
人をイジメるよりまだマシ、なんだろうな。
そういうホンワカムードのお話。
父親大泉洋のマンション処分に伴い、
三世代で住むこととなった。
おばあちゃんまだまだ元気出さなきゃー、だけど。
吉永小百合さんは、
やはり、『愛と死を見つめて』が良かったと思います。
『キューポラのある町』も有名ですが、未見でして💦
セリフが……
梅雨明けの7月29日に鑑賞!
梅雨明けかぁ、季節が一緒だななんて思って見ていたら、ラスト「今日は7月29日あんた(息子)の誕生日よ!」 なんとこれが鑑賞した日だった!!こんな偶然はなかなかない、あー驚いたー!
映画の方は、ホームレスの人に食べ物などを届けるボランティアで知り合った牧師さんの事を好きになった母(吉永小百合)と会社の人事で参っている息子(大泉洋)、家出しておばあちゃんの所に居候している孫娘の話。所々昔懐かしい風情があったけれど、吉永小百合の家の外がセットされた感が強くて少し残念。産婆さんが来て自宅で(大泉洋を)産んだとか、時代が違うような気もした。
「死ぬのが怖いわけではない、いつ歩けなくなって、いつ寝たきりになって、人のお世話になるかって事が怖い」と言う吉永母さんのセリフは心にズーンと響いた。みんなそうだと思う。
母さんの手触り
毎度お馴染みの寅さん系昭和ノスタルジー映画なのであろうか。それとも松竹の大先輩である小津安二郎や成瀬巳喜男へのオマージュ作品なのであろうか。私の拙いデータベースを紐解いてみても、どうも元ネタらしき作品が思い浮かばないのである。冒頭のビル群を写し出した空舞台演出は確かに小津っぽいし、吉永小百合演じる母さんの再婚を心配する息子(大泉洋)という構図は、紀子三部作の変型バージョンなのかもしれない。しかし、山田洋次の最新作は今までにない新機軸性を感じるのである。
ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の主人公役所広司演じる平山的生き方に、現代に生きる孤独な若者が多数共感を寄せた事実と、何かしら関係があるのだろうか。大手自動車メーカーの人事部部長である神崎昭夫(大泉)は、会社のリストラに神経をすり減らし、妻とは別居中で離婚秒読み状態、娘の舞(永野芽郁)は妻の家を飛び出して浅草で足袋屋を営んでいる福江(吉永)の家に入り浸りだ。「セキュリティがきっちり管理されているマンションよりも、いつも扉は開けっ放しで人が自由に出入りできる」実家が大のお気に入りなのである。
昭夫がストレスを溜め込んでいるサラリーマン生活と、そんな競争社会がらドロップアウトしたホームレス(田中泯)の路上生活が対照的に描かれながら、その中間に位置づけられるのが、福江が通う教会の牧師(寺尾聰)が主宰するボランティア活動なのである。コロナ禍を契機に、日本企業はリモート就業を拡充、雇用の安定しない非正規や派遣社員が大半をしめ、例え大企業に就職しようとも定年まで勤めあげられる社員などほんの一握りに過ぎない。米国流の自由競争式社会でストレスを溜め込まない方が不思議なくらいだ。
0(ホームレス)か1(企業労働者)のデジタルな日本社会に疲れきった昭夫や、それを生理的に拒否する女子大学生舞なのである。そんな昭夫や舞が癒しを求めて逃げ込んだ場所が、年金をもらいながら福江が細々と営業を続けている足袋屋「かんざき」なのだ。“とらや”そっくりの間取りの居間には、牧師やボランティア仲間が集い笑い声がたえず巻き起こる。独居中のマンションに帰っても話し相手はルンバだけという昭夫にとっても、母さんのいる実家が素晴らしく居心地がいいことに気がづくのである。
デジタル最前線をいくあのアメリカでさえ、カードやスマホ決済にはよらない現金決済が、最近若者の間で流行っているのだとか。何を言いたいのかというと、コスパやダイパを最大限に追及しようとしたデジタル社会はいずれ人間に多大なストレスをもたらすということなのだ。そんな社会のトレンドをいち早く察知しシナリオに盛り込んだ本作は、やはり新機軸とは言えないだろうか。“心の足し”となる🍘作りや、足袋サイズの手計測など、単純なアナログ回帰ではない“手触り感”が人生やり直しのキーワードになることを、山田洋次は感じていたのではないだろうか。
くしくも、巨匠ミケランジェロ・アントニオーニが『太陽はひとりぼっち』の中で警告を発したように、“手触り”の有無が人間の不安感を軽減したり、増幅したりすることを、山田は憶えていたのではないだろうか。この映画には、吉永小百合が、ホームレスの田中泯や牧師の寺尾聰、息子の洋や孫の芽郁に直接素手で触れるシーンが数多く登場する。山田や吉永が普段痛感しているであろう“老いへの不安”もまた、“触覚”によってある程度解消できるのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
性善説の世界で
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