そんなの気にしないのレビュー・感想・評価
全6件を表示
65~70点ぐらい。キャビンアテンダント
キャビンアテンダントの日常 featuring アデル・エグザルコプロス、って感じの映画です。
飛行機で世界中を飛び回るキャビンアテンダントですが、機内販売を頑張ったり、緊急時の研修をしたり、ワンナイトな恋をしてみたり、
最後は家族間の会話にホロッとさせられ…
東京、日本、寿司、って単語も出てきます。
アデルのファンなんで楽しめました(笑)
今作は大人っぽい化粧してて、すっぴんから化粧するシーンも入ってるけど、彼女は化粧してない方が魅力的だと思う(笑)
綺麗なんだから化粧なんていらない(笑)
昔はスチュワーデスって言ってたけど、今はキャビンアテンダントなんですよね。
でも、タイトルがハテナ?
合ってないと思う。
そんなの気にしない!(キマッタ)
タイトルなし(ネタバレ)
退屈だが普通の人の人生は他人が見たらこういうものかもしれない。
誇張せずドラマも作らず、彼女のつらいひとときを見る。
アデルは演技をしてるように見えない。ほんとに見える。
だんだん彼女を見るのに集中していく。
アデルブルーのときも思ったが、相変わらず、髪を束ねてボサボサなのが魅力的。
母親の死がまだ癒えてない。電話でわかるシーン、いままでのはそういう事か。最初ダメダメな人なのかと思った。いや悲しい出来事がなくても、適当なのかもしれない、ポテンシャルはあった⁇
私はお酒をあまり飲めないので、飲んで発散するのが羨ましいというか、自堕落にもなれないつまらなさを思ったり…。
お酒に溺れてる感じもあった彼女が、仕事のステップアップをしながら徐々に変化してよくなっていってたが、優しさから奢ったことを、ただのルール違反として処理され咎められて、やってられないなと思うところよかった。
自然なエピソードで、現場で臨機応変にしても後日他人からはルールが全てで罰せられ、柔軟な対応はしてもらえない。
じっくり見るシーンが多かったと思う。
ケータイの契約について電話くるシーンいい。
面接のシーンもいい。
庭で三人で話してるときセンサーのライトが消えるとこ好き。
アデルのただ歩くところがよかった。
とにかくアデル・エグザルホプロスの存在感につきる
『立ち上がろう!ストは欧州中で起きている』『でも、革命を起こす気はない』
ウマシカなヒゲ面の汚い男が言う。
『ベッドに自分では何も出来ないで、延命処置と介護されなければ生きる事が出来ない母を見ると、耐えられない。だって母を愛しているからね』これが男のサガだと思った。女性もそう感じるのだろうか?
しかし、
自分で何でも出来るけど、社会からは決められた決まりにそって生活をやっていかなければならぬと言った不満を描いたお話だ。
この場合は格安航空会社だが、そう言ったゴミみたいな仕事をさせる社会はたくさんある。その社会がAIと言っているんだから、その経済であるキャピタリズムは終焉に近いと感じる。AIが成功すれば(成功なんかしないと願っている)ゴミみたいな仕事(お茶汲み、ステップラーで資料を束ねる、部屋の掃除、ブランド品を売る)しか残らない。つまり、現在必要としない仕事が炙り出されるって事だ。
添乗員が一人もいなくとも飛行機は飛ばせるし、究極パイロットがいなくとも、飛行機は飛ばせるだろうから。さて、しかし、そんな航空会社の航空券買います?
つまり、何もかも市場経済に没していて、その中には安全や衛生も含んでいると言う事だ。
やっぱり『組合』なんだろうなと思うが、そんな事言うと『コミュニスト』と言われるからね。まぁ、今の若者は『そんな気にしない』でやって下さい。75歳になったら、十万円もらいませんから。でも、死んでいるかいないかも
『そんな事は気にしない』でね
『立ち上がろう!ストは欧州中で起きている』『でも、革命を起こす気はない』この会話だけでこの映画は認めたい。多分、そこが本音。
なお、パンデミックと現状の経済の停滞は、全く別物と理解すべし。
但し、地震や戦争は大きく経済に左右する。そして、問題の核心は、市場経済はそれすらお金に変えていると言う事だ。
最低『花咲くいろは』の緒花にはそう言った労働の『いろは』を教えるべきだ。
コロナやTinder…現代を象徴する映画
アデルのままのアデル
アデル、ブルーは熱い色にでていたアデル(エグザルホプロス)がでていたので見た。廉価航空の乗務員の話。
見ていて思ったのは部分的で辺境なこと。
日本では一般的に物語は包括的であろうとする。また中央値(都鄙なら都、謂わば代表的であること)であろうとする。部分的であったり辺境のことになりにくい。
もし日本で部分的で辺境なことを語るなら、地方でしがない職についているという卑屈なポジションに立ってしまうのであり、わが国では(東京でキャリアに就いているというような)中央値ではないすべてが哀愁の象徴になってしまうきらいがある。
言いたいことを解っていただけるか解らないが、日本では中央値の物語でないことはぜんぶ成功しなかった者のペーソスになるわけ。
つまり俺はまだ本気出してないだけみたいな話ってとりわけ卑屈に語んなくてもそんな奴山ほどいるわけであって、地方人の逡巡がさも異常事態のように語られることで、加えて都鄙が“格”に昇華されてしまうことで翔んで埼玉のようなものがあらわれ、けっきょく中央値を持たないすべての日本人に自虐が宿ったという話。
主人公は格安航空につとめるキャビンアテンダント。全体ではなく中央でもなく、ヨーロッパ的アンニュイとドキュメンタリーのようなムード。主人公の屈託は母を亡くしたことで、その事実から逃れるように働きまくる。映画はいくつかのオブセッションを経て哀しみを乗り越えようとする人を描いていた。
映画は主人公の安っぽさを強調している。大仰な目尻ライン。クレヨンでかいたみたいな口紅。働き者だがオフは酔いつぶれ勤務中も一杯ひっかける。壊れそうになっている女。瓦解の一歩手前の女。そういうペーソスを拾っていく。
アデル~(2013)はじぶん的ベストのひとつだがアデルを見たのもあれ以来だった。
特長は半開き口とそこからちょっと見える齧歯。無邪気さと淫奔さの緩衝地帯。フェミニンだがぶっきらぼうでふてぶてしい。
そしてやはり演技の気配がない。
Abdellatif Kechicheだったからあのアデルができたというのもあるが、アデルだったからあのアデルができたんだろうと、これを見て思った。
このムードは英米にはない。(リアルな演技以前にドキュメンタリーのごとく世界と人物が一体化したムード)
ドライブマイカーがパルムドールをとった年(2021)、カンヌのカメラドール候補にあがったが逃したそうだ。ちなみにアデルの言いにくい姓エグザルホプロスはギリシャ人の父に由縁しているとのこと。
ちなみに原題も英題も邦題より強く「知るかよ」という感じだと思う。
全6件を表示