「閃光の真下にいた人は、戦争について、語ることはできないんだ」彼方の閃光 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
閃光の真下にいた人は、戦争について、語ることはできないんだ
2024.1.16 TOHOシネマズ二条
2022年の日本映画(169分、R15+)
色盲の青年が東松照明の写真集に魅入られて、長崎で出会った自称革命家と共にドキュメンタリー映画を作る様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本は半野喜弘
脚本は半野喜弘&島尾ナツヲ&岡田亨
副題にはフランス語で「Éclairs sur l'Au-Delà」とつけられているが、これは邦題をフランス語に直したもの
物語は、2009年に視力を失った少年・生田光(石毛宏樹、青年期:眞栄田郷敦、老齢期:加藤雅也)が描かれ、彼のナレーションにて、心の内が紡がれて始まる
それから10年後、西麻布にいた光は、喫茶店のカップル(原田桂佑&山塚はるの)が東松照明の写真集「太陽の鉛筆」について話しているのを耳にしてしまう
その写真集に興味を持った光は、そこに映し出されていた世界を見るために、長崎へと足を運んだ
写真集の景色を訪ねていく光だったが、彼はそこで革命家を名乗る謎の男・友部祐介(池内博之)と出会う
彼はこの世界を変えるために、戦争に関するドキュメンタリーを撮ろうと考えていて、光は彼の手伝いをすることになった
地元民に話を聞いたり、友部の元恋人と思われる女性・豊崎詠美(Awich)と会話を重ねる中で、光は友部が撮りたいものが何かわからなくなってくる
彼は「使い古された既存の言葉」を嫌い、作り上げられた戦争のイメージを覆そうと考える
そんな中、詠美の祖母・ツタエ(中村列子)の話を聞いた光は、「沖縄に行きましょう」と友部を連れ出すことになったのである
映画は、ほぼラストまでモノクロ映像になっていて、冒頭は真っ暗闇で光の幼少期の声だけが聞こえる演出がなされている
いわゆる「光の視界」を再現していて、ある時点で蘇ってくる色彩との出会いは、瑞々しくも美しく感じられた
映画の内容は、太平洋戦争の沖縄決戦の現実を刻々と語っていく内容になっていて、友部は「現地の人は諦めている」とまで言い切ってしまう
それが沖縄在住の案内人・糸洲(尚玄)との言い争いに発展するものの、友部は子どもじみた暴論を吐いているに過ぎなかった
物語のテーマは「71歳時」まで燻り続けた「戦争をしてはいけない理由」なのだが、理屈ばかりでシステムだのゲームだの言う友部とは違い、71歳時の同居人・片桐(伊藤正之)は「ダメなものはダメだ」と感情論を突きつけてくる
確かに「戦争をなくすため」には、それを起こしている様々な要因を潰していくしかないのだが、所詮は経済活動の一環であると言う側面は否定できない
そして、その活動を止めることは不可能に近いので、それ以外の方法を考えるしかない
それは「たとえ武器を作ったとしても、それを戦争には使わない」と言う感情的な部分であると思う
綺麗事ではあるものの、国と国の殴り合いに武器を使って民間人を犠牲にすると言う現実を変えるしかなく、政治交渉の場において「先制攻撃が国の消滅につながる」などの抑止が必要になってくる
自国を滅ぼさないために先制攻撃はしない、攻撃力はルール違反を犯した国に向けて全世界から同時に行われるものと言う構造があれば、その手段に打って出る国家はいない
とは言うものの、現実的には全世界を敵に回してでも戦うと言う国家があるし、利益共同体が結束を固めていくとか、代理戦争を行わせるなどの部分があるので、結局のところ「人間から戦争を奪うことはできない」に行き着いてしまうのだと思った
いずれにせよ、事前知識ゼロで観に行ったので、初めは何の話が展開されるのかはわからなかった
最終的に「色がある世界は美しく、それを守るために人類がすべきことは何か」と言う命題に辿り着いていくので、そこまで複雑な物語ではなかったと言うのが率直な感想だった
複雑にしているのは、映画に登場する友部のような人物で、正しさを持ち出しても解決することはない
世界で起こるすべての紛争は、解釈された正しさを基盤にしているので、それが客観的に見ておかしいと言う議論は成り立たない
それゆえに、戦争と言う行為に及んだペナルティというものをルールにするしかないのだが、このルールを人間が運用すると碌なことにはならないので、いっそのこと「ジャッジはAIに委ねる」なんて考えが浮かんでしまうのだろう
避けては通れない問題ではあるし、メディアが流す印象論だけに染まるのも良くないので、こう言った映画を観つつ、色んな角度からこの問題について考える必要があるのではないだろうか