フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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地平線が意図するもの
スピルバーグの自伝的映画ということに興味をもち観ることにした。
観終わった感想としては、いまいち「映画が意図していること」をちゃんと僕が理解できていないのではないか、という消化不良な感じが拭えなかった。
1人の人間の成長ドラマとしては見ごたえがありそれなりに面白い。大人たちの愛情をうけ無邪気に楽しいだけの幼年期からはじまり、成長するにつれて数々の葛藤や青春を経験し、最後に自分自身の本当に向かうべき道を確信して終わる。
だけど、これはあくまで「のちにこの青年があのスピルバーグになるのである…」ということありきだからそれなりに興味をもって観れるのであって、仮に映画の背景にあるコンテキスト抜きに作品単体で面白いかと言われれば正直微妙。
主人公の家族や友人知人はみんな個性的で面白い。理知的な父親、芸術的な母親、ユーモラスなおじさんなどなど、彼らがスピルバーグの人間性を形作り、作品に反映されているということだろう。
特に母親の存在が大きい。母親の「すべての出来事には意味がある」という考え方は、まさに映画の本質ともいえる。映画の中のできごとはすべて監督が意図したものだからだ。
「すべての出来事には意味がある」という目で世の中をながめてみたり、自分の人生に意味付けすることで、映画監督としての感性がみがかれていったのではないだろうか。
個人的にはキリストを崇拝するガールフレンドがぶっとんでて面白くて大好きになった。彼女だけがステレオタイプな役柄から外れている気がする。
主人公は「後に天才映画監督になる異端児」というよりは、周囲の個性的な人間たちに翻弄される「常識的感性をもつ一般人」として描かれているように思う。
「クラッシュ」に固執したり、映画作りに熱中したりというエピソードはあるけど、常人より特別秀でた感性があるというほどではない。この主人公が後に「ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」などの数々の革新的作品の監督になる、と言われてもちょっとピンと来ない。
たぶん、これがスピルバーグ本人による自伝映画だから主人公は「普通」という設定になるのだろう。本人が監督でなかったら、主人公の異端ぶりをもっと強調するに違いない。
この映画のポイントは、「映画の本質」を
主人公が徐々に理解していく過程なのだと思う。ボリスにつきつけられたのは、「芸術を追及する者は家族と引き裂かれてしまう」ということ。母親とベニーおじさんとの件では、「知りたくもない真実を明かしてしまう」もの。おさぼり日の映画では、逆に「ありもしないものを表現の魔法的な力で捏造してしまう」もの。
最後、映画の巨匠的な人に「地平線は上になっても下になっても面白いが真ん中だとくそつまらん」みたいなアドバイスもらって、上機嫌で終わったけど、この終わり方の意図が僕にはよく理解できなかった。
ストーリー的には、巨匠の言葉によって、それまでの主人公の迷いや悩みが晴れて、映画監督になることへの決意がみなぎった、ということのはずだけど、なぜ単なる映像の構図へのアドバイスにそんな力があったのか、やや腑に落ちない。
単にあこがれてた映画の巨匠にアドバイスもらって嬉しかった、ということかもしれないけど…。
「すべての出来事には意味がある」と結びつけるなら、地平線(目線)は、出来事への意味のとらえ方をいっているのかもしれない。真ん中の地平線は、「出来事には(偶然以上の)意味は無い」ということ。そんな風に人生を送るのはクソつまらん、ということになる。地平線が下がる(目線が上向きになる)のは、「出来事を良い意味に解釈する」こと。だから最後、映画のカメラが地平線が下がるように修正された、ということなんかな?
青年の映画への目覚め
最後は母のことも父のことも、家族も恋人も友人も、いったんは心の視界から消して、映画の世界に溶け込むシーンで幕。あっ、ここで終幕とは物足りないなと、瞬間的に思った。でも父のバートが好きなことにエンドははないと言い切ったように、ここは開幕のシーンなんだと思い直しました。
この青年の幸運は、一途な母と、更に一途な父のもとに育ったこと。
家族キャンプを撮影したことで、サミーは撮影と映画の魔力に憑かれてしまう。善悪とか倫理とか感情とかも超えた、このシーンのドキドキ感に本当に胸を打たれました。人の目ならば気づかないであろう母と叔父の接近を、カメラは捉えていた。サミーは鼓動を高めながら、カメラ越しでなければ見つからない真実に驚愕する。
そして卒業記念のイベントを撮影すると、映画の中でヒーローに昇格した友人もすっかり戸惑ってしまっていて、それほどにカメラは真実をも呑み込んだ嘘もつけるのだと、サミーは知ることになる。
母ミッツイは少女みたいに可憐で、女神のように神々しく、妖精のように奔放だったりする。シースルーのダンスがまともに見られないぐらい妖しかった。でもサミーは、これはカメラに収めておかずにはいられなかった。
映画は言葉より雄弁だと知った、青年の瑞々しい映画への目覚めが、この作品のメインテーマ。その主題に、監督の自伝と言う特殊性が寄り添う映画だったように感じました。
サミー役のガブリエル・ラベルが、感受性が強くひ弱なのに、強情かつクールな青年を演じていたと思います。映画を観る人たちの想いを想像することが、次の作品への起点になると肌で感じ取っていった、若き日の天才。
すごかった
想定を上回る表現や展開が連発し、感動しながら圧倒される。
お母さんの浮気動画を作ったら、みんなの前で上映してしまうのではないかと思ったら、そんな安い表現はしない。お母さんだけに見せる。お母さんはお父さんや家族を愛していながらも、浮気相手にひかれる。人間である以上どうしようもないことだ。お父さんの立場もつらい。
ビーチでの撮影で、いじめっ子に恥をかかせる動画を作るのかと思ったら、輝かしくかっこよく表現して、それで相手の心を傷つける。理由が「5分だけでも友達になれると思った」なんて切なさだ。傷つく相手も繊細だ。
8ミリが上手すぎる。すでにプロ級だ。
人生の春を描いた物語で、これから先夏が来て秋と冬も来る。想像しただけで涙が出る。
スピルバーグ監督の見事な手さばきの映画、心地良い面白さ
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
この映画はスティーブン・スピルバーグ監督の自伝的なストーリーだということのようですが、スピルバーグ監督の見事な手さばきの映画だと思われました。
個人的には以下3点にその見事さがあるように思われました。
1点目は、それぞれのシーンでの生き生きとした登場人物たちの演技だったと思われます。
監督の演出は、主人公のサミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベルさん)による、劇中のナチスとの戦いの戦争映画の撮影現場で、味方が全滅した後の上官の感情を演出する場面でも表現されていたと思われましたが、とにかくどの登場人物も魅力的に映画の中で存在していたと思われます。
それは主人公のサミー・フェイブルマン(幼少時代含む)だけでなく、特に母のミッツィ(ミシェル・ウィリアムズさん)や、妹たちのレジー(ジュリア・バターズさん)・ナタリー(キーリー・カルステンさん)・リサ(ソフィア・コペラさん)(幼少時代含めて)、祖母のハダサー(ジーニー・バーリンさん)、ボリス伯父さん(ジャド・ハーシュさん)など、登場人物の魅力的な演技が輝いていたと思われます。
(父のバート(ポール・ダノさん)は控えめな人物で、また違った魅力がありましたが)
2点目は、人間の矛盾を深く理解して描いていたところだと思われました。
この映画『フェイブルマンズ』は、幼少時の主人公のサミーに母のミッツィと父のバートが映画がいかに美しく素晴らしいか暗闇が怖くないと説かれている場面から始まります。
しかしこの時に幼少時の主人公のサミーが見た映画の『地上最大のショウ』は、特に子供にとっては美しさや怖くないとは真逆の、列車が車と衝突して大脱線事故が繰り広げられる悲惨でショッキングな内容でした。
しかしサミー少年は逆にこの列車事故の映像に魅了され、映画作りのきっかけになって行きます。
ここにも人間の矛盾が描かれていたと思われます。
この人間の矛盾を描いている場面は、ベニー・ローウィ(セス・ローゲンさん)と主人公のサミーとのエピソードでも描かれていたと思われました。
後に、父バートと母ミッツィとの親友であるベニーが、母ミッツィと父を裏切る行為をしていたと、サミーがキャンプのフィルムを編集している時に気がつきます。
サミーの家族がベニーと別れてカリフォルニアに行く直前に、ベニーはサミーに高価なフィルムカメラを餞別にプレゼントします。
しかしベニーが母ミッツィと、父バートや家族への裏切りをしたと思っているサミーは、ベニーからのカメラのプレゼントの受け取りを拒否します。
ベニーは何度もカメラを持って行くようにとサミーに伝え、根負けしたサミーはその時自分のそれまで持っていたカメラを売って得たお金の全てを渡してベニーが渡して来たカメラと交換します。
しかしベニーはマジックのごとく別れ際にサミーの上着のポケットにお金を返して、サミーに映画を撮ることを辞めるなと言って立ち去って行きます。
このベニーが餞別にサミーにカメラを渡す場面は、彼の親友であるサミーの父やサミーの家族を裏切った人物を、サミーにとっての全面的な悪として描かず、矛盾ある魅力的な人物としてベニーを表現していたと思われます。
サミーはカリフォルニアに行った後で、反ユダヤのローガン(サム・レヒナーさん)などから高校でいじめに遭います。
しかし後にサミーが撮影した高校卒業間近のビーチパーティーの記録映画の中で、反ユダヤのローガンは輝いて映画の中に映っていました。
サミーは反ユダヤのクソであっても、映画はその人物の魅力を映してしまうことをローガンに伝えます。
ただローガンは、映画に映っていたのはステレオタイプの理想のそして自分にとっては軽薄な人物で、自分はあんな人間ではないと涙します。
ここでも、サミーにとって反ユダヤの憎むべき人物であっても、人間の矛盾を深く理解した上での人物描写がされていたと思われました。
最後に3点目は、スピルバーグ監督による並行したエピソードの巧みな構築にあったと思われます。
この映画は例えば映画制作の素晴らしさを描いただけの作品ではないと思われます。
この映画は、家族の物語であり、映画制作の話であり、反ユダヤをめぐる話などであったと言えます。
それぞれの細かいエピソードも含めて、頭から最後まで1つのテーマで描かれた作品では実はなかったと思われました。
ただそれぞれのエピソードが並行して描かれ、それぞれがダブって描かれているので、エピソードは様々であるのに断片的やぶつ切りに思われず、151分の長い作品でありながらまだまだ続きを見ていたい面白い映画になっていたと思われました。
また、よく考えれば私達の人生も、それぞれの問題が解決されないまま並行して進んでいるのだと改めて思わされる映画になっていたと思われます。
この並行したエピソードをダブらせて巧みに描く構築は、スピルバーグ監督の見事な手さばきだからこそ可能になっていると思われました。
以上の、
1.登場人物のそれぞれ輝く魅力
2.人間の矛盾に対する深い洞察と理解による描写
3.並行したエピソードを巧みにダブらせて配置する構成
によって、この映画『フェイブルマンズ』は見事な作品に仕上がっていると、僭越ながら思われました。
もちろんこの映画は大きな1つのテーマで描かれている作品ではないとは思われます。
なので大傑作大感動の映画とはまた違った作品だとは一方では思われました。
ただ万人に向けてお勧め出来る、素敵で素晴らしい作品であったこともまた事実だと思われました。
良かった! 特にラスト5分の名シーンは鳥肌もの!!
スティーブン・スピルバーグ監督の幼少期から映画監督を目指すまでを描いた味わい深いドラマ
昔から映画雑誌などで語られてきた、スピルバーグ監督の辛かった家庭事情とピーターパン症候群、ユダヤ系として経験してきたいじめの実態を背景にしていながらも作品自体は暗くならず、爽やかでエネルギッシュ、最後はとても前向きな気分になれる後味がいい作品、"このストーリーを語らずにキャリアを終えることはできない"として撮った監督の想いがひしひしと伝わってくる味わい深い名作として完成されています
映画に詳しくなくても多くの人がスピルバーグ監督の代表作 「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ シリーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク シリーズ」といった映画史上に燦然と輝く名だたる作品群を知っていて、SFファンタジー/アドベンチャー色が強いため、そっち方面の監督と思われているかもしれませんが、本人としては人間ドラマで大成したいと思ってきた人、
本作はその原点に迫ると共に人を描きたかった監督の愛情あふれる演出に感嘆します
監督を投影したサムを力強く演じたガブリエル・ラベルさん、苦悩する母親を演じたミシェル・ウィリアムズさん、二人の熱演が印象的
特にサムが8㎜カメラのファインダーを覗きこむ姿にワクワクしました
そして個人的に一番好きなシーン
スピルバーグ監督が本格的に映画監督を目指すきっかけとなったエピソードが描かれるラスト、サムが出会うのは当時既に大巨匠だった「駅馬車」「リバティ・バランスを射った男」「捜索者」などで有名なジョン・フォード監督、アイパッチに葉巻を燻らしものすごい剣幕でまくし立て、構図について二言三言、助言する僅か数分のシーンですが、その熱量の凄いこと・・・
全身鳥肌ものだったのと、身体中に力が入り、まさに"息をのむ"とはこのことだなと実感しました
そのフォード監督を演じたのは「ブルー・ベルベット」「デューン/砂の惑星(1984年)」のデヴィッド・リンチ監督、本編中は誰か分かりませんでしたがエンドクレジットで判りました
今は亡き超大物監督を現代の超大物が圧巻の演技で魅せる最高に粋な演出、間違いなくスピルバーグ監督の新たなる代表作として語り継がれることでしょう
個人的には本作の後、TVドラマ映画「激突!」で注目され「続・激突! カージャック」で劇場用長編映画監督デビューし続けて「ジョーズ」「未知との遭遇」・・・とヒット作を次々と世に送り出していく続編をいつか撮ってほしいとも思いました
Life with Film
映画監督として幼少期から映画がとても好きなことが、伝わってくる作品でした☺️✨
幼少期に映画に魅せられて、プレゼントのカメラを活用して自分が映画を撮影する側になる描写がとても好きでした。
家族に焦点が当てられていましたが、もう少し人生においての人々の出会いについて描写があった方が良いかなと思いしました。
”The 映画“ って感じ
久しぶりの映画館での映画。アカデミー賞作品賞にもノミネートされてるので見てみた。
まず、最初に翻訳が”戸田奈津子”って書いててビックリした。前にテレビで戸田さんが、トップガンマーベリックで翻訳はしない的なことを言ってたから、マーベリックで終わりやと思ってたけど、トムクルーズの作品はもう翻訳しないってことやったのかなぁ??
スピルバーグがアリゾナに住んでる時に映画サークルみたいな感じでたくさんの友達と映画を撮影してるのが、とても本格的ですごいなぁと思った。現代はどの映像もとても高画質で美しいが、昔のような荒めのフィルムも味があってそれはそれで趣があって良いなぁと感じた。
作中にスピルバーグの母が父の友人ベニーのことを好きになって、不倫まではいかないがそのおかげで母がおかしくなっていったりするシーンが多かったから、映画を見ている間ずーっとなんだか心が締めつけられるというか、気まずいというか、モアモアするというか、少なくとも見ていて気持ちは良くなかった。
アメリカってユダヤ人系の人が結構多いイメージやったけど、作品の中ではユダヤ人であるスピルバーグが差別されたりいじめられたるとかされるんだなぁ。現代もそうゆうのが残ってるのだとしたら日本人もアメリカに行きづらいなぁと少し思った。
この作品はいかにもアカデミー賞とか取りそうな感じで、王道の”The 映画”という感じがして、久しぶりの映画館での映画がこの作品で良かったと思う。
「映画うま男」を創り出したもの
スティーブン・スピルバーグ
言わずと知れた「映画監督」の
代名詞と言えるほどの世界最高の
ヒットメーカー
幼少期に観た映画に魅入られ
17歳の時にハリウッドスタジオに
出入りするようになり作った短編
「アンブリン」が
アトランタ映画賞を受賞
ユニバーサルとの契約を得て
1971年「激突!」
1975年「ジョーズ」など
低予算をアイデアと特殊効果で
ひっくり返す作品で
世界的にブレイク
その後は自身のルーツである
ユダヤ人にまつわる本質的な
テーマの「シンドラーのリスト」
など社会は作品も展開
多種多様なジャンルをこなし
映画マニアからは
「映画うま男」と呼ばれ(?)
映画界の頂点に君臨しっぱなし
である
というスピルバーグ氏のその
ハリウッドに出入りするように
なるまでを描いた今作
どうだったか
主人公を氏をモデルとした
サミー少年に留まらず
「フェイブルマン家」として
扱うことで誰の視点に偏る
こともなくそれぞれの心情を
主張させる展開はあたかも
NHK朝ドラのようで逆に新鮮
内容を通じて映画が自分にとって
人々にとって何であるかという
思いが伝わってきました
先日も似たようなテーマの
「バビロン」という作品が
ありましたがそれより
なじみやすかったです
だって朝ドラだから
アリゾナに住む
ユダヤ系の「フェイブルマン家」
新しもの好きで優しいが
いったんスイッチが入ると
相手かまわず早口で喋り始める
ナード系の機械技師のバートと
芸術家肌でファンキーで奔放
なピアニストのミッツィ
そんな間に生まれたサミー少年は
映画に連れられ見た作品は
「史上最大のショウ」
機関車と車が激突し
大事故が起こるシーンを強烈に
脳裏に焼き付けたサミーは
せっかくバートにプレゼントされた
模型機関車も憑りつかれた様に
ミニカーと激突させるので
バートは頭を抱えますが
ミッツィはその行動に意味を感じ
バートのカメラをこっそり
サミーに渡しその「シーン」を
撮って見せるよう言います
サミーはクローゼットの奥の
即席映画館で最高のそれを
ミッツィに見せます
それがサミーの「キャリア」の
始まりだったのです
そんなミッツィの口癖は
「出来事には意味がある」
その頃バートはRCA社で
同じエンジニアとして
親交を深めていたベニーと
共に開発していた
真空管コンピュータ「BIZMAC」が
認められIBMがバートを引き抜き
アリゾナを出る話が出てきましたが
ミッツィはそれを強く拒絶します
何故なのでしょう
やがてボーイスカウトでも
短編映画で評判の作品を
作るようになったサミーは
拳銃が弾を発射する後入れの
フィルム効果等を編み出し
父も感心しますがそろそろ
そういう趣味よりも実質的な
車の運転なども覚えてと
言われるのを嫌がるように
そんな折ミッツィの母が亡くなり
悲しみに暮れるミッツィを
案じたバートはサミーに
欲しがっていた編集機を与え
一家とバートの仕事上から
家族ぐるみの付き合いの
ベニーおじさんと行った
キャンプの短編ビデオの
編集してミッツィに
見せてやってくれと
頼まれます
サミーは正直乗り気には
なれなかったのですが
そのキャンプ映像の
編集中に不意に映った
ミッツィとベニーの
「密接さ」を知り
困惑しミッツィ(とベニー)
を拒絶するように
なっていきます
ミッツィはそれに対し
怒りを見せるのですが
サミーにその理由を
打ち明けられ
どうしていいかわからない
サミーは秘密を洩らさない
ようにします
アイデアと工夫で
思うまま寓話を撮ってきた
サミーが
単なるキャンプを
映像に残したことで
思わぬ真実を残す
その「真実性」の怖さを
知ったので
カメラで撮ることに
恐怖をも覚えてしまった
ようです
そんな折ミッツィの
母の兄であるボリスおじさん
が弔問に来ますが
映画関係の仕事をしていると
サミーに伝えると
母方の家に伝わる
芸術家肌の妥協できない
我慢できない性分が
お前にもある
どうしても我慢
できないから覚悟せえよ
と言われてしまいます
結局家族は
カリフォルニアへの
引っ越しが決まり
ミッツィがアリゾナを離れる
事を拒否し続けた「理由」
ベニーから餞別として
最新型8mmカメラを
贈られますがサミーは
前述の恐怖からもう映像は
撮らないと拒否(結局受け取る)
バートはもう成長して
やめたものだと思って
いたのですが
バートはベニーとミッツィ
の関係にもまるで気がついて
おらず仕事の成功しか
頭にないようで
そこへも少なからず
不満があるのでしょう
結局カリフォルニアに越した
フェイブルマン一家
サミーはユダヤ系である事で
転校先のハイスクールで
スクールカースト頂点の
ローガンやチャドらから
とことん虐められますが
サミーも結構やり返すので
トラブル続き
引っ越すんじゃなかったと
父を恨みますが
ふと知り合った
ガールフレンドのモニカの
勧めで最新カメラを貸して
あげるからと卒業イベントの
撮影を頼まれます
そんな折引っ越し後から
家事も何も手に付かず
ベッドで寝てばかりになった
ミッツィにバートもついに限界
「離婚」と相成ってしまいます
理由を受けとめられない妹らは
混乱しますがサミーは既に
知っていますし
(妥協できない性分も
ボリスから聞いてますし)
淡々と卒業イベントの編集を
進め工夫も凝らした見事な
作品を作り上げます
さて卒業パーティー当日
サミーはモニカに
両親が離婚するので一緒に
ハリウッドに来ないか的な
重たいプロポーズをして
しまい大爆死
しかしその傷心冷めやらぬまま
上映したサミーの映画は大ウケ
チャドは徹底してマヌケに
描写されローガンは
「無欠の英雄」のように描かれ
ローガンに女子勢は夢中に
なりますがローガンはだんだん
複雑な表情になります
そしてサミーに詰め寄ります
「なぜあんな撮り方をした」
するとサミーは
「お前は最低な野郎だ」
「だが"あの中"なら仲良く
なれるかもしれないと思った」
とハッキリ言いきります
するとサミーを見つけた
チャドが仕返しに
殴りかかってきますが
なんとローガンが
チャドをぶん殴って
追い払ってしまいます
そしてローガンは
あろうことか慟哭し始めます
周囲に対し強い男と
虚勢を張ってきた
自分を映像で見透かされて
しまったという事でしょうか
思わぬリアクションに
サミーは困惑しますが
「このことは秘密だ」と
告げられローガンは去ります
かつて
現実を映像に残すことで
不都合な真実を切り取ってしまう
怖さを目の当たりにしたサミー
ですが今度は演出をもって
人をフィルムに映し出す事で
作り出される理想がその人を
押しつぶしてしまう
事もあるということを
スティー…じゃなかった
サミーは知ったのでしょうか
まぁローガンは単純に
感動したんだと思いますが
そして1年後
サミーは離婚後父についていって
カリフォルニアの大学に行った
ようですが相変わらず差別は
なくならず映画の仕事がしたい
と方々に手紙を出しまくっては
お祈りされる日々にうんざり
バートは気を落とすなと
たしなめますが
ミッツィからの手紙が
届いておりそれでベニーと
幸せそうにしている姿を見て
バートも一気に態度が変わり
したいようにしなさいと
サミーに言います
バートも自分の夢にばかり邁進
していたわけではなく
バートなりに家族のために働き
ミッツィの幸せも願っていた
所はあったと思いますが
届かない部分があった
ベニーとの関係は結局
知っていたのか不明ですが
(映画の中でもどちらとも
とれる描写でした)
アーティストの妥協なき感性
はバートなりに感じ取って
いたのだと思います
バートにそう言われた
サミー宛の封書には
ハリウッドのスタジオから
話を聞きたいというものが!
なんかハリウッドスタジオの
ツアーを抜け出してスタッフと
仲良くなって3日間のフリーパス
貰ってその間に人脈を作った
なんて逸話もありますが
それはあくまでスティーブ(笑)
そして面接に臨むサミー
テレビシリーズの仕事を依頼され
すると伝説的な監督を紹介されます
その監督は葉巻をくゆらせながら
「地平線を上か下に取るだけで
その映画は面白い!
真ん中にある映画は退屈だ!
それだけ覚えておけ!」
という金言を授かります
本当に言われたんでしょうねw
ここのシーンだけですが
圧倒的なキャラを見せつけた
デビッド・リンチさすが
そして足取り軽くハリウッドの
スタジオの間の通りを向こうへ
去っていくサミー
彼に待っているものは?
というところで映画は閉じます
別に自分は映画マニアではないので
歴史的な作品に詳しいわけでは
ありませんがそれでも作品から
伝わってくるメッセージは
色々ありました
スピルバーグ監督の言葉で
一番好きなのは何かの番組で
「映画監督に憧れる若者に
アドバイスお願いします」と
司会に言われたときに
「その質問には答えられない」
「なぜなら私も
映画監督に憧れているのだから」
人は生きている限り
道のまだまだ途中…
ストーリーはこんなにも人を喜怒哀楽させるのかと感動
宗教、差別、スクールカーストといった、誰かが作り上げた空想の中でもがき、家族の中では、最も自分を精神的に支援してくれたお母さんの恋模様が、お父さんは資本主義に翻弄された猛烈サラリーマンで家族を翻弄する。これらの格差、差別、イデオロギー、経済システムは全てフィクションによって構築されたものだ(サピエンス全史的な世界観)。そのフィクションを映画という形でパッケージングしてるという構成が面白い。
子供の頃から映画に夢中になったサム少年は、レンズ越しにこれを捉える。ポールダノに「趣味だ」と揶揄されるが、それに怒りを覚える。卒業式で流した映像で、同級生が悲しみ•怒りを爆発させる。「こんなにも映像は人の喜怒哀楽を揺さぶるのか!」と思ったに違いない。サム少年は、その様子をどこかレンズから覗いているように客観的に見ているように感じた。
今はスマホで簡単に撮影してSNSでシェアされるが、当時は映像コンテンツなど少なかったに違いない。しかも、自分たちの仲間が写っているとなればみんな喜ぶだろう。承認欲求という点では今も昔も変わらないなと実感した。
「クラッシュ」で始まり終始「クラッシュ」が根底に流れて続けているような映画だった。だが、最後にくすぶっていた情熱がジョンフォード氏の言葉によって爆発したように見えた。映画界の巨匠同士が良い意味でクラッシュした瞬間を見たようだった
【映画ジャンキー誕生の軌跡】
スピルバーグ監督の映画讃歌、もっと言えば人間讃歌。時に愉快で、時に理不尽な人生の一頁を、意図した表現で撮ることの出来る醍醐味と、翻って図らずも真実を撮影し対峙せざるを得ない憂いも引っ括めて、映画の虜になった熱烈な想いが伝わってくる。
保守的で現実主義の優秀なエンジニアの父親と自由奔放で情熱家の音楽家の母親を、対立構造で描くのではなく理屈や理想だけで割り切れない人間の滑稽さと愛おしさで表現していて、ジョン・フォード監督と対面するラストシーンのカット割りテクニックに留まらない含蓄のある台詞にグッとくる。
★★★★☆
#映画
#映画鑑賞
主人公と父親の話。
フェイブルマンズは出自を顕わす家名だけど、主人公と父親の話だと思った。
導入からキャンプまでのテンポがいったんカメラを置くタイミングからスローになる。
ストーリーが母親のエピソードに引っ張られるけど、彼女は西海岸には戻らない話の方が良かったじゃないかな?父親は凄い人なんだけど、エピソードが少なすぎて消化不良だった。
光と影
わかる!全員の胸が張り裂けそうな気持ちは、わかりすぎるくらいわかる!ただ、それでも、敢えて言おう身勝手であると。
どーせ苦しい人生なら、強く生きるしかない。そして、胸が躍る生き方を選ぼう。
こういうのが、行間という物だと思う。なんでもあけすけにすればいいという物ではない。グレーでいいのだ。解釈の余地を残して、真を伝える。私の好きな感じだった。
しかし、あのキリスト教徒の描き方ww
お母さんを愛し家族を愛し自分も含めて赦せたのかな。あの小躍りのシーンは素敵で、明日に続く希望のある良い終わり方でした。
【”寓話を語る男。”映画に魅入られた青年の半生を、彼を優しく育てる両親や父の友人、そして級友達との関りを通して人生の痛みや、映画の持つ力や魅力に青年が気付き、更に映画道を究める決意を描いた作品。】
ー ご存じの通り、"fable"は、寓話を意味する。
つまり、主人公、サム・フェイブルマンとは、”寓話を語る男”となる。
スピルバーグ監督の今作への想い入れが伝わって来るタイトルである。-
◆感想
・物語は幼きサム・フェイブルマンが有能なコンピューター技師である父(ポール・ダノ)と優しくピアノを弾く事を愛する母(ミシェル・ウィリアムズ)と3人で映画”地上最大のショー”を観に行くところから始まる。そして、サミーは、映画の中で列車と自動車が正面衝突するシーンを見て、家に帰ってからも”衝突ごっこ”にふける。
ー あのシーンは、どう考えてもスピルバーグ監督の初期傑作の「衝突」に繋がっていると思う。-
・映画に嵌ったサミーは、トイレット・ペーパーをフル活用して、妹たちにミイラ男に変身させる。そして、その姿をサミーは父の8ミリカメラで映して行くのである。
ー 今作では、常にサミーは映す側に立っている。-
■フェイブルマン一家には、常に父の親友ベニー(セス・ローゲン)がいる。そして、父が腕を買われてGEに会社を変わる時にも、妻の進言で、ベニーも一緒に付いてくる。そして、ある夏の日にサミーが何気なく撮っていたフィルムに映っていた母と、ベニーが親しそうにしている姿。
ベニーは家族にはそのシーンをカットして見せるが、徐々に母に反抗を始める。
そして、理由を問う母に、一本のフィルムを渡し、自分の衣装が掛かっている小さな部屋で母に見せる。
このシーンは、サミーの母に対する優しさと、遣る瀬無さが伝わって来て、胸に沁みる。又、母を演じたミシェル・ウィリアムズの”貴方が考えているような事はしていないのよ‥。”と涙ながらに訴える姿も。
母は、父を愛しながらも、ベニーにもプラトニックな想いを持っていた事が分かる。
だが、このことにより、父がIBMへ再び職を変えた際に、ベニーはついて来ないし、両親の関係もギクシャクし始め、離婚してしまうのである。
・サミーは、転校前の高校では、戦争映画なども、級友達を集めて取っている。
ー 彼が一人生き残った兵士役の青年に言った言葉。”部下が皆、殺されたんだ・・。その想いを映したい。”そして、青年は涙を流しながら、倒れた兵士たちの間を、ゆっくりと歩いて行くのである。彼の映画センスや、戦争に対する想いが表現されているのである。-
・サミーが慣れない土地で、ユダヤ人である事を級友ローガンやチャドに揶揄されるシーン。そんな彼は、高校の卒業記念映画を撮影する。
ー 海岸で燥ぐ級友たちの姿を映す様も、例えばカモメを取った後に、級友たちの顔にアイスを落とすシーンを入れたり、一工夫している。
そして、自分に嫌がらせをしたローガンが、砂浜でのリレーでトップでテープを切る様を撮ったりもする。そして、彼の映画がプロムで流された際に、ローガンとチャド(彼は記念映画では散々な様で映っている。)は、サミーを呼び出す。が、ローガンはチャドを殴りつけ、自分はロッカーに背を預けながら座り込み涙するのである。
サミーが映画でローガンに訴えたかった事。それは、人種差別はイケナイという事だったのである。サミーは心に痛みを覚えながらも、映画が持つ力にも気付いて行くのである。-
・サミーは大学生活に馴染めず、主にTV映画を製作する会社に、メデタク入社する。そこで、彼を待っていたのは・・。
ー ビックリしたなあ。「駅馬車」「怒りの葡萄」などのポスターが額に入れて飾られている部屋で待つようにと言われたサミーの前に現れたのは、ジョン・フォード監督であり、それを演じているのはデイヴィッド・リンチ監督である。
1900年代の前半から中盤のアメリカの大監督を、1970代から2000年代に掛け、カルト的な映画も含め数々の傑作を制作した監督に演じさせるとは・・。-
<今作は、御存じの通りスティーヴン・スピルバーグ監督の半生を描いた自伝的作品である。
そして、今作は幼き時に観た”地上最大のショー”で、映画に魅入られた少年が、青年期に映画製作を通して、人生の痛みや喜びを学んでいく様を、見事に描いた作品でもある。>
他の作品をもう一度見かえしたくなった。
劇中のサムの体験のひとつひとつがスピルバーグのの作品に影響を受けているのではないかと思えた映画でした。まだまだ話は続くので、ぜひ続編を期待したいです。
非現実な衝突を求めた少年の現実の話
ET、ジュラシックパーク、インディジョーンズなどワクワクする世界観、夢のある冒険譚を生み出してきたスピルバーグが贈る、自伝的作品。
初めて観た映画の虜になり衝突への衝動、映画を撮る魅力に取り憑かれていった少年の、苦しくもなつかしい、愛おしくも苦しい家族と青春が詰まった物語だった。祖母の兄からの芸術への情熱の話、憧れの監督とのぎこちない会話からの印象的な話など、一瞬の出来事なのにずっと心に残り続ける名言はこれまでの人生を支え、その反面彼を縛る鎖となったことが伺える。
なかなか評価が分かれそう。
派手さはないけど、とても丁寧な描写で2時間30分引き込まれっぱなし...
派手さはないけど、とても丁寧な描写で2時間30分引き込まれっぱなしでした。
また、イニシェリン島の精霊同様、芸術家とは如何なるものか、を考えさせられました。
最後はくすっと笑えるような終わり方だし、この終わりから今の映画制作に続いてると考えると感無量です。
監督の生前整理
監督の生前整理
激突に興奮していた少年
大学のイケメン同級生とのエピソードが何とも良い
監督は魂を張り裂かれるだか残酷な仕事だかといった台詞があったと思うが
次世代に向けたメッセージなのだろう
母親役ってマリリンの人だっけか
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