フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
全76件中、1~20件目を表示
スピルバーグ監督が誕生するまでの物語
サミーフェイブルマン(モデル スピルバーグ監督)が、子供の時に見た映画をきっかけにいつか自分もこのような映画を撮る監督になりたいと思った少年が、自主制作映画を撮り好評を受けました。
特に印象に与えたのは高卒後映画の撮影所でのスタート=これがスピルバーグ監督のキャリアとしての始まりに繋がったんだなと思いました。
もし彼がいなかったらジョーズもジュラシックパークの歴史もなかったと思われます。
さすがスティーブンスピルバーグ
まず最初に伝えたいのはこの映画は自伝でありドラマのカテゴリーに入るということ。この前提を分かった上で鑑賞してほしい。スピルバーグ監督作品だからと言ってジュラシックパークやインディジョーンズみたいな面白さを期待しないで欲しい。
その上で以下評価。
・悪い点
台詞で具体的に気持ちを述べるシーンがあまりにも少ないため、表情や雰囲気で気持ちをこちらが汲み取る必要がある。そのため、感受性が劣っていると「なんだかよくわからなかったな」という感想だけが残ってしまうだろう。悪い点として述べているが、どちらかと言うと観る人を選ぶということを伝えたい。感情が理解できればこの映画は何倍にも解釈が広がる作品となるだろう。
また、楽しむために必要な前提知識が少し必要になるところも挙げておきたい。時代設定が古いため、作中に登場する作品や監督名があまり知らない人も多いと思う。そのため、「あっ、この監督は…」というような熱いシーンも理解できないことで少しつまらないと感じてしまうシーンも多いだろう。
・良い点
さすがスピルバーグ監督と言いたいくらい序盤のテンポが良い。幼少期をダラダラとやると確実に寝る人が出てくるので、こういったテンポの良さは他の映画も見習いたいところ。これは長年ヒット作を生み出してきたが故のノウハウが光っている。
ストーリーのネタバレになるが、父親が母親の浮気に気付いていることが序中盤の父親のなんとも言えない哀愁漂う表情から汲み取ることができる。観てる側なんか違和感を感じることができるのはこの俳優の演技が素晴らしいためであることは言うまでもない。俳優の名前はポール・ダノというのだが実は昨年に公開されたザバットマンのリドラー役としても出演している。ここで深く語るのはやめておくが、ザバットマンでの演技もとても素晴らしいので気になった人は是非鑑賞してみても良いだろう。
まだ、この映画の良さを語り足りていないが、これは間違いなくスピルバーグ監督の作品であり、今年観るべき作品のひとつであることは間違いない。
また、観たいので星5。
映画の夢に与えられ、奪われる
上映時間2時間31分、さしたる事件もアクションもないストーリーなのに、まったく飽きることがない。
本作がスピルバーグの自伝的作品であることは予告編などで語られていたが、そのことを知らなくても十分面白い。
この映画の主人公はサミー・フェイブルマン。タイトルの「フェイブルマンズ」とは、“フェイブルマン家”という意味だ。
つまり、本作はサミーと家族を巡る物語を縦糸にしながら、同時に「映画を創るとはどういうことか」というテーマが縦糸として貫いている。この後者のテーマについて劇中、繰り返し語られていて、それが映画好きにはたまらない面白さ。
観終わって、珍しく脚本を読み返したいと思ったくらい。
映画とは嘘である。
サミーが西部劇を撮るエピソードがある。
フィルムを編集をしているサミーは銃撃戦のシーンが「嘘っぽい」と悩む。
そこで彼は工夫を凝らし、フィルムに穴を開けることで迫力あるシーンを創り出すのだが、これは嘘に嘘を重ねて現実感を創っている、と言える。
家族旅行を撮影したフィルムに写っているものは現実だが、編集することで、それは「現実」から遠ざかる。
サミーは偶然、母の浮気を撮ってしまう。だが、そのシーンは編集でカットして、無難な作品に仕上げた。
出来上がった映像は楽しい家族旅行が表現されているが、それはサミーが編集で創った「嘘」だ。そして彼は偶然フィルムに収めた「現実」に苦しむことになる。
ハイスクールのプロムナイトで、お楽しみ遠足の様子を収めた映像をサミーが上映するシーンも同様。
その直前にサミーは彼女にフラれてしまう。傷心のサミーだが、みんなを楽しませる映像を上映しなければならない。ショウ・マスト・ゴー・オン。
映像を撮った時点では、サミーは彼女とラブラブだった。その映像を撮ったカメラは、彼女の父親から借りたものだったし、カメラを貸すからとサミーは映像制作を彼女から勧められて引き受けたのだった。
つまりサミーにとって、その映像は彼女との思い出に満ちたものだ。同級生たちは映像を観て楽しんでいる。それなのに彼だけが傷ついている。
ここでも、サミーが創った映像の中の「嘘」(彼女とラブラブ)は、「現実」(フラれた)によって打ちのめされるのだ。
こうして、サミーは映画を創りたいという夢に導かれ、家族や周りの友人たちと8ミリカメラで映像を撮るのだが、ときにそれは残酷なまでにサミーを傷つける。
本作は幼いサミーが両親と初めて映画を観るシーンから始まる。
サミーは映画館の暗さやスクリーンの大きさなどに怖がっている。
だが、サミーはたちまち映画の魅力に取り憑かれ、その後、8ミリカメラを手に自分で映画を撮り始める。
この冒頭のシーンが本作のすべてを象徴している。
サミーは映画に夢中になるのだが、初めは怖がっているのだ。
そう、映画は怖い。映画人を苦しめるものだ。
ラストに登場するジョン・フォード監督(なんとデヴィッド・リンチが演じている)は映画の仕事を始めようとするサミーにこう言う。
「心がズタズタになる仕事だぞ」と。
両親が離婚しそうなときも、サミーは離れた高い場所に座り、そのやりとりを撮影することを想像してしまっていた。
祖母の臨終に際しても、彼はカメラを覗くかのように死にゆく祖母を観察している。
映画を創る者ゆえの習性であり、業(ごう)だ。
サミーは映画監督になるという夢に近付きながら、映画の夢に与えられ、そして奪われていく。
だがラストは、それでも、夢に向かって歩くのを止めないサミーの姿をカメラは捉える。
思いがけず出会ったジョン・フォードとの会話の余韻に高揚しながら、サミーはスタジオが立ち並ぶ撮影所の通路を歩いていくのだ。
本作の冒頭で「地上最大のショウ」に触発されてカメラを手に取り列車の衝突シーンを皮切りに映画を撮り始めた少年はやがて「激突!」を撮り、「未知との遭遇」や「E. T.」などで「破綻した家庭」をたびたび描いてきたことを僕たちは知っている。
スピルバーグが「スピルバーグになる」以前を描きながら、映画とはなにか、映画を創るとはどういうことか、そしてさらに、何かを創作するとはどういう意味を持つかを語った。
傑作である。
創作というものについて
何かを作るということ、特にアートというものへの憧れが加速する映画だった。
結果を残すことがどこまでも重要で、それが全てじゃないなんて口が裂けても自分が心からは言っちゃいけないなと感じた。
芸術は麻薬だ!俺らはジャンキーなんだ!
途中で叔父さんが呪いのように言うセリフ。
同じ場面で、お前は家族と芸術の板挟みになる、孤独に道になる、的なことも言ってた。
終始そういう話。映画製作のいいところと悪いところ。
芸術肌の自由人お母さんの浮気な心も映画なら隠せる。
いじめっ子を神格化させることもできるし、また別のいじめっ子はダサく見せることもできる。
ただどちらかというとそういう強いメッセージがあると言うよりは、1人の少年が大人になるまでの様々な出来事の記録に近い。
大きな山があるというよりは小さな山が複数回ある。
それぞれの出来事に愛が感じられるのがスピルバーグのいいところで、それぞれの出来事が不思議と退屈せずに見れてしまうのがスピルバーグの凄いところ。
印象的なシーンやセリフが多いのもその理由の一つ。
・地上最大のショウのシーンが忘れられなくて再現する少年
・フィルムにピンで穴を開けて銃撃戦を再現。それは楽譜を母が踏んで穴を開けたところで思いつく。
・ピアノ弾きの芸術肌お母さんは洗い物をしないので、使い捨ての食器を食後にテーブルクロスで包んで捨てる
・母は思いつきだけで竜巻に突っ込んでいく。全ての出来事に理由がある、と
・浮気相手のおじさんからのカメラのプレゼントを無視するでもなく壊すでもなく金を払って受け取るのはスピルバーグっぽい。それでいて金をさらりと返される
・母は今度は猿を飼い始める
・交際相手はイエス大好き。
・デビットリンチがジョンフォード役
・地平線は上か下かだ!のあとに真ん中から下へと地平線を動かすカメラワーク
芸術家の自由人母とエンジニアの天才父からスピルバーグが生まれるのはまるで必然かのよう
様々な嫌な人間や出来事が絵が描かれるのに、怒りこそあれどそれがねちっこい憎しみにならずなんだかんだで愛で包まれているのはスピルバーグのさすがの人柄。
とても深く優しく悲く、でも暗くない映画だった。 正直一度の鑑賞では...
とても深く優しく悲く、でも暗くない映画だった。
正直一度の鑑賞では全てを理解することは難しく、追って再び鑑賞した。
パパ: IBMの天才エンジニア。妻が大好きで優しい合理主義者
ママ: 子供や夫を愛するお母さん。でも自分を自分らしく保つために必要だったのは夫ではなく、夫の友人。家族を犠牲にしてでも自分の在り方を貫いた。
サミー: 映画を諦めきれずに大学を中退しそう。
家族と自分の理想というテーマで鑑賞すると、
家族を犠牲に自分のあるべき姿を追い求めた母。
妻を心から愛していたものの、自分が与えきれていない何かを感じていた父。そして離婚が成立。
母は、父にはこれ以上の幸せがあるはずなのとサミーに話す。
しかし父は離婚によって得るものはなく、IBMでの順調な仕事だけが人生となる。
一方母はアリゾナに戻り好きな男と幸せを送る。
妹のセリフ: 自分が到達できないような人(天才のパパ)に崇められてママは大変よ。ダニーはママを笑わせてた毛けど、天才のパパは静かに話を聞くだけだった。
そんな中サミーはハードな学校生活に耐えかね、映画の仕事は諦めきれないでいた。
父は仕事を諦めない人、母は自分の理想を追い求めて人生を諦めない人。
良い意味でも悪い意味でも、自分の気持ちを最優先した親の子供であるサミーは自分の好きなことを絶対に諦めない人だと、最後、父は悟ったのではないか。
父が私生活共に幸せになるには、他の女性と結婚すべきだった。でも妻を心から愛していたから結婚し、妻の気持ちを優先して離婚した。
一方母は子供や夫を傷つけたという罪悪感はあれど、新たな暮らしを幸せに送っている。
どうすればよかったのかとかいう問題ではなく、これが運命というものなのかな。
No. 1319
フェイブルマン家の人々
映画ファンの誰もが知っていて、その作品の多くが
を愛されている
世界で一番有名な監督・スティーヴン・スピルバーグの自伝映画。
始めて映画観た映画に取り憑かれて、8ミリフィルム撮影に熱中した
子供時代。
芸術家のお母さん(ミシェル・ウィリアムズ)
科学者のお父さん(ポール・ダノ)の風変わりだけど、
素敵な家族の長男に生まれたのサム。
お母さんはちょっと風変わりだけど、楽しい仲良し家族の中で、
最初の映画を観た日から、映画作りに熱中して70年。
今日に至るのです。
スピルバーグが78歳だったなんて!!
いつも若いとばかり思っていた。
この映画を観て実は2つの点に注目しました。
1つ、
カメラには思いがけない光景が写ってしまうことがある。
2つ、
映像作家は対象が個人的に好きか嫌いかは、関係なく、
光輝いてる対象や美しい人物、面白い映像を写してしまう。
1つ目の例は、
サムはホームビデオの編集をしていて、あることに気づく。
父親の助手で親友でほとんど同居人の
ペニー(セス・ローゲン)と母親のラブシーンが映り込んでいたのだ。
この事件にショックを受けたサム(ガブリエル・ラベル)は、
大好きだった映画作りから離れる事になる。
2の目の例は、
落ち込んでいるサムにガールフレンドのクローディアは
ハイスクールの「おサボり日」の記録映画を撮ることを提案する。
「おサボり日」とは卒業学年が授業をサボってビーチで遊ぶ日のこと。
仕方なく撮影するサムだったが・・・
サムがユダヤ人で小柄で非力な所を見て、酷いイジメ行為をするローガン。
高校一のモテ男でバスケットボールのスターのローガン(サム・レヒナー)
ローガンを疎ましく思いながらもサムの記録映画は、
ローガンの動きばかりを追い、
まるでローガンのプロモーション・ビデオのようになってしまう。
美しさをレンズはとらえずにはいられない。
スターの眩しさを映像で表現せずにはいられないのが映像作家の宿命なのか?
しかし脚光を浴びた形のローガンは、喜びより苦悩の表情を
覗かせて悔しがる。
スター性を持つものには持つもので、神に選ばれ者の苦悩や重荷がある事を
サムは知るのだった。
それとともにサムにはクラスメートや教師(みんな)を喜ばせるのが好き!!
昔から人の喜ぶ顔が好きだったのだろう!
この2つから、映像のマジックと、対象への抗い難い愛(欲望)
相反する魅力に畏れとともにサムは映画に魅せられていく。
そして天才の夫を持つ妻の苦悩・・・両親の離婚。
そしてユダヤ人と虐められた辛い過去。
も、同時に描かれる。
プロの監督になったスピルバーグが、
過去にはこんなトラウマ的な経験をしていた。
大学に馴染めない彼は映画スタジオに手紙を書きまくる。
その一つがプロデューサーの目に留まる。
そしてスタジオを訪れた彼はなんと心から尊敬する「ある人」に
合わせてもらうのだ。
そして貴重な貴重なアドバイスを貰う。
「ある人」を演じたのが、デヴィッド・リンチ監督とは?
すっかり縮んで小さくなってて皺くちゃで、とてもショックでした。
でも「ある人」の晩年の写真を見たらそっくり。
(似せていたんですね!)
(ラストですから是非ご自分の眼でアドバイスを確かめてね)
映画は楽しいものなのか?
大好きなスピルバーグの自伝なので、楽しみに見にいった。
映画作りは楽しい、自分も高校の頃にスプライサーでフィルムを切っていた事を思い出す。
しかし、この映画は「映画って楽しい、皆を幸せにする」というのみではなく、時には人を不幸にしたり、傷つけることもある事を観客に知らしめる、非常に奥の深い映画であった。
スピルバーグの妹さんたちは生きているわけで。 この映画、作っちゃって良いの?
予想した映画と違った。
E.T.を作ってる時の裏話とか
ジュラシックパークのCGテストで興奮してるスピルバーグとか
そういう話とその発想の元になった幼少期の話が中心かと思った。
たしかに、彼のフィルムクリエイターとしての成長も描かれるが
この映画を見終わって最初の印象は、ミッツィ・フェイブルマン。お母さんだった。
お母さんがお父さんの親友と不倫し、離婚する映画だった。
「自分の母親があのように離婚していったら、自分は母を許せるだろうか?」
というのが見終わって最初に思ったことだ。
母であり、ピアニストという芸術家である母の葛藤。
すごくエキセントリックで、情熱的で、
そして子どもたちを愛している。
映画を見ている自分からすると、時に理解不能と思えるような行動ばかりだ。
でも同時にスピルバーグは
「すべての出来事には意味がある」
というメッセージを彼女のセリフを通して繰り返し発してくる。
そう、きっと意味はあるのだ。
でも、今もまだ完全には分かったとは言えない。
スピルバーグの記憶にあるそんなエピソードでこの映画は成り立っているように思える。
「愛のために家族を捨てるなんてそんな身勝手な女じゃない」と言いながら
結局、その身勝手を行使した。
なのに、最後にお母さんと話すシーンはどうだろう?
身勝手を許せと言ってくるお母さんにサミーは即「許します」と言い、
そのあとプロムの話を談笑する母と息子のなんと仲良さそうなこと。
そして、その後の父との暮らしの中で
お父さんに
「The Endはない」
と言わせることで
スピルバーグもまた家族を永遠に愛しているということを演出した。
例え、近くにいようとも、離れていようとも。
そもそも、この映画を私たちが見ることができていることそのものが家族全員がこの試練を乗りこえて、例えば妹から
「記憶がよみがえるから映画にするな」
と言われることなく、公開されたということ。
母は子どもたちみんなに許され、愛されたのだと思う。
(ただ他の、誰にも言わないよ系エピソードは許可を取ったのかな?知らんけど。)
そして、映画の世界に足を踏み入れて
映画の神から極意を伝授され
空に向かって飛び上がったところで映画は終わる。
「あ、ちゃんと極意を守ってるよ。」
って言って、終わる。
ひどく分かりにくいけど、ひどく分かりやすい、愛と芸術についての映画。
フェイブルマンズ。
何度か見たい映画になった。
トイレットペーパーのミイラに一番ハマった⭐️
初めて観た映画「地上最高のショウ」に心奪われ映画作りに没頭するようになったサミー少年
両親に愛され妹達も兄の映画作りに協力し幸せな家族の姿に前半は観客誰もが白い歯を見せて微笑み、口元も緩み優しい表情でスクリーンに入り込んでいた事だろう…
マスクが緩和されたと言えまだまだ観客が同志になる感を得られるのは先になりそうだな…
そして物語は進み成長したサミー
イジメや淡い恋…彼の思春期の悲しみや喜びなどが描かれ巨匠監督の自伝的物語と言う敷居の高さがなく美化され過ぎていないところに
誰もが共感出来るのかも知れない
後半、イジメの元凶ローガンが自身の外見にそぐわない内面の醜さをサミーが映したフィルムの中で気付き動揺し自己を責める
母の時もそうだったがサミーのフィルムは被写体の内の真実を映し出す
己の本質に気付き変わって行くであろうローガンとサミーのロッカー廊下のシーンには心揺さぶられました
家族愛と映画愛に溢れる上質作品!
キャストの皆さんの素晴らしき演技を拝めた事
この作品の観客になれた事に
スピルバーグ監督!感謝します!
未来に向かって走り出したサミーのその後も
見届けたい私です
両親への深い想いに溢れた作品
両親に連れられ、初めて映画館で観た映像に目を丸くした少年サミー・フェイブルマン。後々巨匠となる彼が、葛藤し歩んだ自らの青年期を描いた作品。
多くの俳優が演じたかったであろうサミー・フェイブルマンを、ガブリエル・ラベルが見事に演じる。
悩みながらも母として家族を支えるピアニストミッツィをミシェル・ウィリアムズが、家族を大きな愛で包むコンピューターエンジニアの父バートをボール・ダノが演じる。
母親を…そして父親を見つめるサミーの眼差しが痛い程切ない。
エンドロールで流れるピアノの音色が美しく、巨匠スピルバーグ監督の両親への溢れる思いに一層心が揺さぶられた。
ーリアに捧ぐ
ーアーノルドに捧ぐ
映画館での鑑賞
イン・マイ・メモリー
映画監督の自伝的作品が続いているが、遂にこの監督が!
スティーヴン・スピルバーグ。
関心の程は『ROMA/ローマ』『ベルファスト』の比ではないだろう。
如何にして“映画監督スピルバーグ”は誕生したのか。どうやったら“映画監督スピルバーグ”になれるのか。
映画監督を目指す若者たちはこれを見れば、君も未来のスピルバーグ!
…に容易くなれる訳ない。
映画監督として成功出来るのは星の数の中からほんの一握り…なんて現実的な話ではなく、
本作は確かにスピルバーグが自身の少年時代をモデルにしているが、あくまでモデルであって、何もかもそのままという訳ではない。主人公の少年の名は“スティーヴン”ではなく“サミー”。性も“スピルバーグ”ではなく“フェイブルマン”。
大部分は生い立ちに沿っているようだが、これはスピルバーグの“記憶”の物語。
誰だって自分の幼少時の頃をはっきりとは覚えていまい。忘れていたり、朧気に覚えていたり…。
でも、何かしらに影響受けたり、いつぞやのあの時とか、人生を長いフィルムに例えるなら全てでなくともあるワンシーンワンシーンを鮮明に覚えていたり、記憶に残っている事がある。
それを反映させ、スピルバーグは自身の記憶の中に、我々を誘ってくれる。
また本作は、“映画監督スピルバーグ”が誕生する前の話。
映画ファンなら一度は耳にした事ある筈。ユニバーサル・スタジオに勝手に自分のオフィスを作って忍び込んでいたとか、『刑事コロンボ』などのTVドラマの演出をしていたとか。そしてあの“サメ映画”で時代の寵児に…など、それらのエピソードは描かれない。ここを見たかった人には期待外れで、『フェイブルマンズ2』を作って欲しいくらいだろう。
でも私は、本作の話にこそ興味惹かれた。すなわち、
映画に虜になった瞬間。
影響計り知れない家族との記憶。
スピルバーグの本当の原点の原点。
冒頭シーンが秀逸。ばっちり心掴まれる。
両親に連れられ、初めて映画を観る。
まだ6歳。ちょっとおっかながっている。
でも、いざ観たら…。初めて観た映画は、『地上最大のショウ』。
サミー(スピルバーグ)少年にとっては、映画。あなたが人生で好きになったものは何ですか…?
私の場合はやはり映画。初めて観た映画は確か、ゴジラ(『vsビオランテ』)かドラえもん(『アニマル惑星』)。映画好きのきっかけになったのは、ゴジラ。観ながらそんな事を思い出した。
サミーは父に買って貰った模型の列車で劇中の事故シーンを再現。母に買って貰った8㎜カメラでそのシーンを映し出す。
私はカメラを回したりはしなかったが、(またまた怪獣で申し訳ないが)怪獣のソフビ人形で対決シーンなんかを再現したもんだ。
それだけに留まらず、妹たちを出演させてカメラを回し続ける。
旅行や家族の転機時(引っ越しなど)もカメラを手離さず、ティーンになってからは友達らと映画撮影。
私はそこまでには至らなかったが、さすがは未来のスーパー監督。この行動力、実践力。
きっかけと目覚め、再現、自分もやり始める…。
誰しもそんな思い出はきっとある筈。サミーの姿に自分を重ね合わせられる。
それだけ聞くとノスタルジックでハートフルな作品と思う。
勿論そうでありつつ、ほろ苦さも。
本作は家族のドラマと言っていい。
フェイブルマン一家。サミー、母ミッツィ、父バート、3人の妹。
仲良しで幸せな家族である。個性も強い。特に母。
ピアニストで芸術家肌。自由奔放おおらかな性格で、感情表現も豊か。
一方の父は電気技師で技術者。真面目な性格。
息子の映画への目覚めに対し、反応は別。母は尊重するが、父はあくまで道楽としか思っていない。
仕事人間の父の転職で引っ越しを繰り返す。
好きだった地もあれば、嫌いな地も。カリフォルニアの高校ではユダヤ人であるが故にいじめに…。
差別や自身のルーツ、思春期のモヤモヤもさることながら、特に悩ましたのは家族の関係。
家族と父の同僚で親友ベニーとキャンプ旅行へ。ベニーとはほぼ家族のような付き合いで“おじさん”も同然。
楽しいバケーションを過ごし、サミーはカメラにその模様を収める。家に帰り編集している時…、ある事に気付く。
それは見たくなかった。信じたくなかった。でも…。
カメラは時としてショッキングな瞬間をも映し出してしまう。
サミーが見てしまったのは…、母とベニーの親密な関係。
母はベニーを愛しているのか…? 父と母は愛し合っていないのか…?
サミーの心に家族へ対しての疑念や凝り、わだかまりが燻り続ける。家族を愛しているからこそ、それは尚更。
やがて恐れていた事態。両親の離婚。
スピルバーグの両親の離婚は知ってる人は知っているだろう。母に育てられ、母子家庭の影響はスピルバーグの初期作品でよく見掛けられる。
と同時に、“父の不在”もスピルバーグの初期作品でよく見掛けられた。
スピルバーグの実父は家族を捨てて家を出たとされていたが、後年誤解であった事が分かり、和解。いつの頃からかスピルバーグの作品で父親の存在が大きくなった印象を受けた事があった。
スピルバーグの両親はすでに他界。居なくなって初めて気付き、知る事だってある。だから、今こそ描ける。
過去と両親への向き合い。
スピルバーグのプライベートとパーソナルな部分をまじまじと。
いつしか、これはスピルバーグの記憶だけではない。私たち自身を見ているとさえ感じ始めた。
2時間半超えのヒューマンドラマ。
それでも飽きさせない作りは、さすがはスピルバーグ。
8㎜カメラで撮影した映画。スピルバーグが少年時代から映画を撮影していたのは有名で、劇中の作品はそれらの“セルフリメイク”。
あの戦争映画(『地獄への脱出』)なんかは後々の『プライベート・ライアン』の片鱗も。
他にも後の作品を彷彿させる箇所や要素も所々に。
スピルバーグの分身とでも言うべきサミーを演じたガブリエル・ラベル。
自分の好きなものへ一心不乱に夢中になる姿、ティーン故の葛藤、複雑な心の機微…それらを見事に体現。
母ミシェル・ウィリアムズの存在感。スピルバーグ自身や作品に於いて如何に母親の存在が大きかったか充分納得させるほど。だから、悔やまれる。オスカーで主演女優ではなく助演女優でノミネートされていたら…。この実力派女優が遂にオスカーに王手を掛けていたかもしれない。(主演で推した配給会社のバカバカバカ!)
ポール・ダノも絶品の名演。好調続くこの演技派に、また一つ代表作が。オスカーノミネート落選は残念。と言うか、嘘でしょ??
代わりにノミネートされたのは、伯父役のジャド・ハーシュ。42年ぶりのノミネートは天晴れだが、噂に聞いた通り出番は少なく、勿論インパクト残すが、正直ダノがノミネートされて欲しかったかな…。
本作の演技賞ノミネートに関してはちと納得いかない点もあるが、名アンサンブルなのは紛れもない。
常連スタッフもスピルバーグの物語を強力フォロー。
音楽のジョン・ウィリアムズは今夏の『インディ・ジョーンズ』最新作で映画音楽からの引退を表明。(その後撤回したとも言われているが…)
もしそうなら、スピルバーグとのタッグは本作がラスト。長年のタッグで数々の名作と名曲を生んできた二人のフィナーレが、盟友の自伝的作品というのが感慨深い。
美しい音楽で彩る。
好きなものが自分を悩ます事もある。
サミーもそう。家族の秘密を目撃してしまい、少しの間カメラを回さなくなったのもそれが原因だろう。
でも、自分は何が好きか。何が取り柄か。何を手にしていたか。
やはり、映画だ。
またカメラを手に取る。回し始める。
映画の持つ力は本当に魔法だ。
サミーは好奇心は旺盛だが、何処にでもいる普通の少年。
そんな彼がカメラを手にした事により、家族や周囲の輪の中へ。
高校生活でもそう。いじめられていたが、あるイベントでカメラを回し、その上映会で皆を沸かせる。
いじめっことの関係に変化も。
映画は人々に影響を与え、世界を変える。
それは何も理想事ではなかった。自身の実体験からの現実事。
映画は夢であり、リアル。
だからこそ我々は映画に魅せられる。映画が好きで好きで堪らない。
母親のモットーとでも言うべき言葉。
“全ての出来事には意味がある”
ラストに登場するあの映画監督(演デヴィッド・リンチ!)。彼から掛けられた格言。
“地平線は真ん中にあるとつまらない”
スピルバーグが歩んできた光と陰はこうして集約した。
格言は人それぞれ解釈出来るだろう。構図や人生哲学にも通じる。
真ん中は平坦で退屈。上や下は山あり谷あり。酸いも甘いもあって映画=人生は面白い画になる。
史上最高の映画監督から頂いた言葉に、少年は思わず「ヒャッホー!」。
地平線を“上”に、新たな史上最高の映画監督の歩みはここに始まったのだ。
そして今へ続く。
すべての出来事には意味がある
サミーにとっての初めての映画見物のシーンで、この映画は始まる。暗い映画館に入ることを怖がる幼少期のサミーに「映画とは…」といかにもエンジニアらしい(滑稽な)説明をする父バートに対し、芸術家肌の母親ミッツィは映画の素晴らしさを説き、サミーの恐怖心を解きほぐそうとする。何とも対称的な説明に笑ってしまったが、これがフェイブルマン家の悲劇の伏線になる。
竜巻が起こるや、三人の子供を車に乗せ、その見物に向かう母ミッツィ。その好奇心と行動力には驚かされる。そして「すべての出来事には意味がある」とミッツィは呟く。これから起こるすべてのことが映画監督スピルバーグの未来、作品に繋がるということを示唆しているのだろう。
自分の映した映像を編集する過程で母の浮気に気づいてしまう中学生(?)のサミー。家族を愛しながらも夫の親友との浮気に溺れてしまう母。そしていつしかその事に気づき苦しみながら、結局それを許す父バート。引っ越しの車のなかでのエピソード、飼い始めた猿に夫の親友であり、恋人でもあるベニーの名を付ける母親、離婚してベニーと暮らし始めた母親からの手紙と同封された写真を見てショックを受けながらもサミーの大学退学を許すバート。こうしたすべてのことが映画監督スピルバーグに繋がっている。
サミーの手腕によってヒーローのように編集されたドキュメンタリー映像に「こんな安っぽい人間じゃない」ということなのか「自分の内面と映像とのギャップに衝撃」なのかよくわからないが、ショックを受けて、怒るハイスクールの同級生で、サミーを苛めていたイケメンのローガン。人の心理(サミーもローガンも)の複雑さも興味深いが、面白い映像を作るためなら何でもできると言わんばかりのエピソードでもある。
スピルバーグの映画監督としての才能を垣間見せるエピソードと、彼の映画監督としてのバックボーンとなる幼少期から青年期までの出来事。特に母親ミッツィの存在、父親バートの存在、特に両親の離婚を巡る家族の葛藤、苦しみ、ミッツィとバートの振る舞いはとても興味深い。
それでも人生は続く
衝突に魅せられて映像撮影をはじめた幼少期
キラキラとしたアルバムのような撮影から
映画という芸術作品を作る青年になっていく成長
役者にも徐々に熱く指示を出し始めた青年は
単なる趣味というには片付けられない
そこに情熱が生まれている明確なシーンだった
映画への愛、監督になる覚悟、その始まり
母親の気持ちに気づくまでは幸せな家族だと思っていた
母親も人間であり女であるということが
それが現実として突きつけられるのがリアルだった
夫婦、愛、幸せ、寂しさ、出会い、別れ、死
家族、友達、猿、いじめ、差別、アイデア
病気、裏切り、優しさ、プレゼント、夢
ヒエラルキー、虚像、孤独、フィルム、映画
地平線が真ん中だとクソほどつまらん
芸術がそうであるように
人生も同じかもしれない
現実は楽しいだけじゃない、辛いこともあるし
心が引き裂かれるようなこともあるし
つまらない人生に思えるかもしれない、だから
色んなアングルから撮った方が面白いに決まっている
面白く思えないと辛い出来事もただ辛いだけ
全ての出来事に意味がある と思いたい
ラストカットは遊び心があって
スピルバーグ監督らしい〜と心地いい脱力でした
監督自身がこの作品を通して
ズタズタになった心を昇華したように思える作品
成長物語と夫婦のお話
あと!ポール・ダノの父親役が最高
優しくて賢くて愛妻家で家族想いで
笑顔が素敵で穏やかな理想の男性
そこに退屈さを感じてしまい
自由奔放な芸術家肌な妻は物足りなくなり、、
全て分かって暮らしていたようで切なかった
妻と親友、幸せな家族を失ってしまう
やっぱりポール・ダノ好きだ
貫禄があって、また新しい顔が見れて嬉しい!
今日たまたま芸術作品に対して批判している人が
目の前にいて、その場面に出くわして、、
作品を観る前の出来事で効いた気がする
この出来事に意味があったかもしれない、、
人生と地平線
スピルバーグの自伝的作品ということですが、基本的には、サミーのパパとママの話とサミーの高校生の頃の話を軸に物語は進んでいきます。
最後の絵の地平線の話が面白いですね。最後の映画関係者の上司は、絵の地平線が上か下にあるのは面白いが、真ん中にあるのは面白くないと言っています。個人的な解釈ですが、これは今までのサミーの山あり谷ありの人生とリンクします。
つまり、中庸な人生は面白くなく、人生は上下するから生き甲斐のある人生を送れるんだよという意味と感じました。
もう少し感動があれば満点にしましたが、上品で心地良い作品でした。
スピルバーグ監督の原点を通して訴えるメッセージとは
スピルバーグ監督ができるまでの少年期から青年期にかけての物語。
衝撃的だった映画体験
初めてカメラを持った時
家族との時間
アリゾナ、フロリダへの引越し
ユダヤ人として生まれた彼の葛藤や差別
いじめ
恋や失恋などなど、
スピルバーグが大人になるまでの出来事が綴られているけど、彼にとって最も衝撃的だった出来事は、家族でのキャンプの時のフィルムに映っていた母親の女の顔、父の親友で慕っていたオジサンとの関係性を知ってしまったことじゃないだろうか。
カメラを回さなかったら、編集していなかったら真実は知らずにすんだのに…
そして皮肉なことに、彼は歴史に名を刻む映画界の巨匠となった。
とはいえ、結局数年後には両親は離婚し、母は父の親友のペニーと一緒になったのだけど。
そんな母から得たことは
“心のままに生きること”
彼も大学を中退し、心のままに愛する映画の道へ進んだ。
そして本作は、映画と芸術へのオマージュでもある。
配信によって映画館や映画が転換期を迎えている今、『モリコーネ』や『バビロン』そして本作などが映画の尊さを訴えているようにも思える。
画もピアノの音楽も美しかった。
「地平線は下でも上でも美しい」
「真ん中に描いたらダメだ」
監督の最後の言葉、印象的だったな。
私もスピルバーグの母から学んだことがある。
我が家も食卓はテーブルクロスと紙皿にしよう!!面倒な後片付けの手間が省ける(笑)。
人生の分岐点が細やかに描かれている
父の仕事の都合や母の精神の揺らぎで生活環境が左右されるさまが細やかに描かれている。
ピアニストの母が引く音楽の選曲のセンスがよくて聞き入ってしまった。
ユダヤ系の家計ということで行く先々でからかわれいじめられても強く生きていく主人公が最後にフォード監督の出会うシーンがとても印象的。
大きな盛り上がりのシーンはないかもしれないですが、2時間30分ほどの映画でも飽きずにみられました。
昔の自分に向き合う時、それは一つの時代の終焉を告げているのだろうと感じた。
春近し、鼻はモゾモゾ 花粉症!
ティッシュは手放せませんねぇ~
と言うわけで?
今日は「フェイブルマンズ」を鑑賞しましたよ!
最近思うのだが、誰かも書いておられたが映画を
映画館(劇場)で鑑賞するのは
やはり既に終わっているのだろうかと感じる。
昨今、誰でも携帯等で動画撮影し編集そして配信も出来る。
そして 上手くやれば収益も上げられるのである。
映画界という物は今まで特別であったけども、
TV業界から個人製作のYouTubeの様な物に
ここ数年でがらりと変化してしまった。
アカデミ-賞などと言う権威も、後数年で100年を迎えるが
コレで一つの節目が来て、映画の役目も終焉なのだと
それを 今作で少し感じたかな。
※映画は永遠なれ~と信じてきたが 儚い夢かも知れぬ。
今作は 見方(感想)は二つに分かれそう。
一つが、映画を主に観るだけの方の感じ方。
内容を重視してしまうと、一人の名映画監督の自伝的展開なので
母の愛、家族の絆や人種的差別などに
心流される事はあったカモだが
さほど共感 感動はその視点では生まれては来ないと思う。
恋愛的な部分も彼の人柄では奥手であって、その事が
恋愛シ-ン演出では冴えなかったことを物語っていると思う。
そういう観点では 評価は★3ぐらいで低めだろう。
もう一つの視点が、映画好きで 製作に憧れた人達である。
勿論、役者志望の者も入るだろう。
彼の過去を知る事で、自分の未来や叶えられなかった夢を
そこに重ねることが出来るからである。
この場合、評価は高く★5に匹敵すると思う。
彼が映画に触れ初めた経緯や、趣味で撮った映画の数々、
そしてアイデア。これ程までに興味を獲た事はないかな。
凄く為に成った~ ってのが本音ですね。
特に演出の妙技、やっぱ観察力が長けてるなと感じる。
フィルムの針の穴開けね。ナルホド~。
卒業メモリアル作品の製作で、人の心(見た目)は
撮りと編集次第で自由に出来るんだよって事を
さらりとやってのけてる。
ここが 凄く彼らしい生き様だなと感じるわ。
夢を映画で描く基本姿勢は、この頃に培われたんだろうね。
なんとか 相容れない級友が友人に成れればと、彼のために
上手く取り計らう思いは、映画製作する人なら
そういた気遣い(思い)は 常に考えている事だと感じる。
昔、大島監督が 挨拶一つまともに出来ないヤツが
映画なんか撮れるかい~ って言ってたの覚えてるわ。
それぐらい 沢山の人達の協力で製作現場が進むんで
気遣いや配慮は常に大事だなと思うね。
生前に深作監督にもお会いしたが、見た目怖そうだったけど
誰に対しても丁寧な方だった事 思い出したわ。
きっとスピルバ-グ監督も同じ目線を持った
方なんだろうと思うね。
会える事が出来るのなら会ってみたい思いです~。
てな事で、映画人生で
久しぶりにパンフレット買ったよ!
映画創る方に興味などある方は
お薦めな作品かも。
アカデミ-賞とか気にせず
是非劇場へ お越し下さいませ。
面白かった。
・母親がピアニスト?で食器やテーブルクロスが使い捨てっていう生活が目新しかった。
・父親の親友?と母親とが付き合う事になって、二人は別れて、ラストに親友とのツーショットを見て、深く落ち込んだ父親の姿を見て、好きだったりするとやっぱり完全に感情を切り離した他人という風にはなれないんだなぁとしみじみと思った。
・ラストに出てきたのがデヴィッドリンチとはわからず、後から知って驚いた。
・母親がキャンプ中に親友と浮気?している映像を家族の中では編集して流さず、一人ひっそりとまとめていて言いたいけど言えないという苦しみの感じが辛そうだった。それを後から見せる形になったけど、幼少期に見せたおもちゃのSLの映像を楽しそうに見せたシーンとを重ねる映像的な面白さもあって悲しいなぁーと思った。
・ユダヤ人ってだけでいじめてきた背の高い男が好きな女子と仲良くなるのかと思ったら、その友達と仲良くなって驚いた。その子が確かキリストの見た目が大好きっていうのも何だか新鮮だった。その後、付き合って両親が離婚するからって一緒に来てくれっていってそれとどう関係あるのと別れるというのが切なかった。
・また、いじめてきた男を英雄のように編集した余暇の映像を流していた。5分間だけ仲良くなりたかったという理由でそういった編集をしていたのが、なんとも言えなかった。それが結果、当人はあんな立派な人間じゃないのに何であんな事をしたんだと傷つけるというのも皮肉だった。
・母方の祖母の兄?が突然家にやってきて、映画関係?の仕事をしていたもあり、映画の仕事は身を削るだけで不幸だというようなことを言っていた。創作は楽しいだけじゃないという以上の重たい感じだった。何か、頭に残った。
・カメラで撮影していたり、編集機で作業しているシーンが楽しそうで面白かった。
スピルバーグが人生を振り返るとき
スピルバーグも、自らの人生を振り返る歳になったんだな。『フェイブルマンズ』それでも映画人の悲しさ、自らの素材さえドラマにしてしまう。事実はどうあれ、一人の大監督の自伝捉え、鑑賞するのも一考。映画の輝いていた時代を生きた最後の監督とともに。
前半は、つまらないドラマ、後半で帳尻を合わす。
スピルバーグの自伝的作品。
アリゾナでの幼少期から、ロスに移る青年期と映画界を目指すまでを描いています。
前半、アリゾナのお話は退屈で、安っぽいメロドラマ風。
スピルバーグも鈍ったな、なんて思ってしまうのですが。
後半で、帳尻を合わしてくるあたり流石。
映画作りでいうと、オーソドックスなタイプになるのかな。
ドラマを作り込むタイプ。
その分現実感がなく、作り物感が漂う画面。
あまりにも、メークのきっちりした母親に、生活感がでてこない。
出来すぎた家庭も父親像も、不自然だ。
それでいて、後半で一気にドラマを仕上げてくるのは、流石職人技と唸らせる。
ユダヤ系という複雑さ
スピルバーグの家庭である。
日本にいると、よくわからない概念だけど、欧米ではそうではないことを、改めて感じさせる。
アリゾナでの生活では、ユダヤ系ということで差別は受けない。
ロスに移り住んで、ハイスクールでの差別は、強烈だ。
同じアメリカかと思ってしまう。
ロスでは、アリゾナほどユダヤ系が多くないのだろう。
同級生の言葉が、きつい。
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人だろう」
確かにそうなんだけど、イエスがユダヤ人のマリアから生まれ、ユダヤの系図であることも事実。
ここは、反ユダヤ主義の影響と見るべきだろうか。
おそらく、ロスでは、ユダヤ人は少数派なんだろうな。
知的レベルと高学歴、財政的にも恵まれた家庭の多い、ユダヤ系。
やっかみや、嫉妬を受ける要素は、多分にある。
スピルバーグが、人生を振り返るとき
もうそんな歳に、なったのですね。
映画界に入る辺りで、物語は終わっている。
この後の続編は、できるのだろうか。
今までの、スピルバーグ作品を見てきて、この作品も、その制作方法に変わりがない。
いかにもオーソドックスな、ドラマの展開だ。
あれだけの大作、ヒット作を生み出した人に、これ以上新しいものを求めるのは、酷だろう。
その作品も、メソッドも古典の範疇に入ってきているとも感じてしまう。
時は流れる、時代は、変化するとしみじみ感じてしまう。
全76件中、1~20件目を表示