フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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芸術は痛みを伴う
スピルバーグの自伝映画。
小さい頃から才能があったのは予想通りだった。
母親の才能を受け継いだのか〜。
でも誰もが思い描くような、こんな努力をしてのし上がった〜とか、環境に恵まれてて華々しくて理想的な人生〜とかいう訳ではなかった。
現実は映画通りじゃないと思うけど、なんか上品な作品に感じたからよかった。
ごく普通(ちょっといいとこの子?)の日常で、でも父親からの理解が得られなかったり、母親の裏切りがあったり、ユダヤ人だからと差別を受けてしまったり。
ただ、そんな関わり合う人たち、家族、友人、恋人といった身近な人たちのひとつひとつの言葉や思いが、本人の中で積み重なって、映画に対する抑えられない情熱が膨らんで、夢へ一歩ずつ近づけてくれるのだと思った。
人生の中で何度躓くことがあっても悲観的になることなく、今をひたすら生きているって感じ。
辛いことをされても、すれ違っても、愛する家族だからどうしても憎めない。
そう、全ての出来事には意味がある。
それが映画に活かされていると思うと...深い!
映画は大事なものを壊すし痛みを伴う。
情熱は痛みを吸収しながら大きくなっていくのかな。
派手な自伝映画ではないけど、映画監督になるべくしてなったんだな〜と思った。
最後のシーンで、これから彼の映画人生の始まりを感じてワクワクした!
続きが観たいなぁと思った…
スピルバーグの自伝的作品ということなので、ミーハーな気持ち満点で観た。彼の作品から感じていたのは、父親の不在だったが、この作品を観てみると、どうやらそれだけでもなさそうだ。母親が良き理解者であったことは間違いないが、もっと複雑な事情も垣間見えた。父親は仕事はできたようだが、母親の気持ちを理解していたとは思えない。ピアニストとしての野心とか、家族を思う心とか見えていなかったように感じた。両親の離婚は子どもに深い傷を与える。それは作品の端々からずぅっと感じてきたが、やっとその本当の思いに触れることができてよかった。スピルバーグの気持ちの一端が理解できた気がする。そして、最後のご褒美。思いもよらなかったので、めちゃくちゃうれしかった。だから、映画界に入ってからのスピルバーグの足跡も知りたいなって思う。
メイキング・オブ・スピルバーグ
鑑賞後。私がしみじみとした気持ちで劇場を後にする一方、一緒に観に行った友達は「まあ、スピルバーグが好きな人にとっては最高の映画なんだろうな」と不満げに漏らしていて、そうか、私は独りよがりで作家主義的な悪しきシネフィルなんだった、と改めて痛感させられた。
しかし本作はまさに映画に狂った人間のそうした独善性、あるいは撮るという行為の暴力性についての映画だ。スピルバーグもまた(彼と私とでは無論比較にならないが)映画によって人生を狂わされた映画小僧の一人なのだ。ゆえに『E.T』や『ジュラシック・パーク』といった「いつものスピルバーグ」を期待すると肩透かしを食らう。
過去のスピルバーグの分身ともいえるフェイブルマン少年はありふれた小児的欲求から始めた撮影趣味が高じて遂には自分で映画を撮るようになる。そのとき彼が感じていたのは撮るという行為のひたすら純粋な快楽だ。学校の友人を集め、あり合わせの道具とアイデアで映画を作り上げていくさまは、さながら図画の課題に無心で臨む工作少年のようだ。
しかし彼は映画作りを通じて撮るという行為の暴力性を思い知る。母親をクローゼットに閉じ込めてフィルムを強制的に見せつけるシーンと、いじめっ子を過度に英雄化した記録映画をプロムで上映するシーンは特に衝撃的だ。意図的であろうとなかろうと映画というものは容易に人間を窮地へ追いやることができてしまう。これらのシーンに先行してフェイブルマンが物理的な暴力を振るわれるシーンがある(母親に背中をビンタされるシーン、いじめっ子にグーで顔面を殴られるシーン)のは、映画にはそうした物理的暴力に釣り合う、あるいは凌駕するほどの精神的な暴力性があることを示すためだ。
だが一方で映画は無力でもある。フェイブルマンの父親が言ったように、それは単なる趣味であり、現実への影響力という点でいえば、数式やプログラムのほうがよっぽど「役に立つ」。事実、いくらフェイブルマンが映画人としてめざましい進歩を遂げようと、それとは無関係にフェイブルマンは父親の仕事の事情で幾度も引っ越しを余儀なくされるし、彼ら一家の関係も日に日に悪化の一途を辿っていく。
絶えず交互に提示される映画の強さと弱さ。そこには良い映画とは何か?という根源的な問いに対するスピルバーグなりのアンサーが沈潜しているように思う。良い映画とは、無際限に空想の中へ突き進んでいくものでも、辛く苦しい現実をただただ耐え忍ぶものでもなく、その中間領域を強く指し示すものである。少なくとも私には、スピルバーグが本作を通じてそういうことを言っているのではないかと感じた。
別の言い方をすれば、空想と現実は常にフラットな相互干渉的関係を成すものであるべきだ、ということ。この均衡性への配慮を失った瞬間に映画は死ぬといってもいい。空想だけを重んじる映画は現実を生きる我々との結節点を持たないがゆえにどこまでも重みを欠いているし、現実だけを重んじる映画は政治的・社会的啓発以上の射程を持ち得ないという点において映画=フィクションである必然性がない。
思えば映画作りとはきわめて不毛で絶望的な営みだ。空想とも現実とも適度な距離を置くという禅問答のような命題と不可避に格闘しなければならない。そこで踵を返さなかった本物の狂人だけが巨匠という名誉で因業な称号を手にすることができる。スピルバーグは中間領域を指し示すという第三の道を発見し、そしてそれを具体的な作品によって次々と実証していった。『E.T』『ジュラシック・パーク』『レディー・プレイヤー1』などの、言うなれば「説得力のある夢物語」とでも形容できるような作品を。
そういう意味では、本作は今挙げたようないわゆるザ・スピルバーグ的な映画についてのメイキング映画ともいえるかもしれない。ブロックバスター的な満足感の乏しい地味な作品ではあるが、スピルバーグという監督が好きなら是非観てほしい一作だ。
とっておきのラストシーン
スピルバーグが、生まれて初めて映画館で観た「地上最大のショウ」に衝撃を受けてから、8ミリ映画作りにのめり込み、本格的に映画監督を志すまでの日々を、家族との関わりを中心に、丁寧に描く。
エンジニアで温厚な父親と、芸術家でエキセントリックな母親のもとだからこそ、あのようなスピルバーグ作品のテーマ、アイデア、作風が生まれたのだと理解できる。
映画作りということでは、それまで見世物としての面白さを追い求めていたが、戦争映画のラストで初めて、役者とともに感情を乗せることによる感動を発見するところや、卒業記念映画のクラスメイトヒーローの描き方で映画の魔術を感じさせるところが、とても興味深かった。
出演者では、母親役のミシェル・ウィリアムスが圧倒的な存在感(共感しづらい難役)。これまでくせ者イメージのあるポール・ダノが、とことん優しい父親役で意外。出番は少ないものの、大叔父が強烈な印象を残す。
それにしても、とっておきのラストシーンがおまけに付いているとは。あの言葉も本当にあったものなのだろうか。ラストショットでカメラが慌てて動くあたりの茶目っ気も好ましく、さわやかな後味を残した。
天才ですね
芸術の才能だけでなく、成功する人の思考を持ち合わせてますよね。(当然ですが)
幼少期のシーン、最後の地平線のシーンはまさにスピルバーグの天才さを感じます。
また、映画に対する考え方や思いや、育った家庭環境など、なるほどなぁと思うばかりです。
ただ物足りなかったのは、成功するところまで物語として観たかったです。
とはいえ、終わりかたは芸術的であり、文学的でもありました。
ラストが描く未来
ワクワクする気持ちで、観終わりました。
いわゆるサクセスストーリーでないところがとても好き。
続編あればきっと観に行くけれど、できれば作ってほしくない。
その後の彼の活躍は知ってるし、あの、続きは自分や愛する人たちの未来でもあるから。
3.6チャーミングな母親だったのかな
好きな事をずっと続けられるはとても羨ましいなぁ。人の弱さとか愛情ある両親に育てられたんだろうなぁとか。色々な作品に現れてるんだろうなぁとか。見入ってしまった。観終わって勝手に大竹しのぶさんみたいだなぁって思ってしまった😅
私だけかな? 映画好きで語るならばスピルバーグ無しじゃ語れないんとちゃうの?
どうもいかんせん,スティーブン・スピルバーグというと、映画を観るならば大概の人には「あっ,それ知ってる!」という所謂メジャーな?作品が多いと思われる。 で、私事だが(スピルバーグ以外の作品に置いて)色んな作品を観て行く内に,わりと変わったものを観る様になってきた気がする。 たまに「何処が良いの?」とか…言われちゃう事も多々ある中、また<非常に悪い言い方になっちゃうが>形式ばった(所謂,一般受けしやすく&反論されにくい無難なシナリオ的な)感じになっちゃったりしてるんじゃないの?と思いつつ,鑑賞してみた。
大変失礼な言い方になります。わりとキャスティングで観る作品を決める私だが、何と無くそうだよなぁ⁈的な思いだったが,調べた結果,やっぱりヒース・レジャーの亡くなる直前迄の奥さんだった。ミシェル・ウィリアムズが透け透けのドレス?で踊ってるだけだけれども、私には十二分に観る価値在ったと思えた。
最初からゴチャゴチャ言っちゃったが、自伝的作品と謳って居たが,私には意外にも面白かったのは云いたい処…。
宝石のような小さな映画
自伝的作品だという。映画を初めて観る日から始まり、どのようにしてスピルバーグを模した主人公サミー・フェイブルマンが、映画を撮ること、ものごとをフィルムに収めることに夢中になっていったかを、丁寧に紡いで行く。
家族や友だちなどとの関わりも描かれるが、通常の成長物語りとは違う。
サミーはレンズを覗き、フィルムを編集することで、世界のありようを認識する。撮影されたものの善悪より前に、彼はその美しさに魅了されてしまう。そこに映画づくりの魔力があり、それはとても恐ろしいものでもあるのだろう。
スピルバーグは今でも映画の魔力にとらわれたままなのだと、観るものは思い知る。
彼の目はすなわちカメラのレンズであり、世界は映画なのであろう。
ならば身も心も映画に捧げた状態のこの巨匠こそが映画そのものなのではないか、そんなふうに独りごつ。
ビンテージ感溢れるフィルムの色、俳優陣の演技のゆったりとしたうまさ、被写体のありようを最大限に捉えるカメラワーク。それらのすべてが、ただただ美しい。
映画に囚われてしまった少年。そんなこととは無関係に迫る、心の外にある現実という世界。
それといかに折り合いをつけるか、それとも折り合うことを拒絶するか。
映画という武器を手にした主人公が、実際にどうやってそれと戦っていくか。その先は、この映画では描かれない。
あくまでも小さな心に映画が満ちる美しさだけを、これ以上ないほど丹念に描く。
だれにでもあった少年少女の日々の夢。もう記憶の向こうにかすれて消えていきそうな小さな日々。
それをもういちど見せてくれる宝石のような映画だ。
演技と演出と、ミシェルウィリアムズのちから
スピルバーグ監督がなんとしても撮っておきたかったらしい、自分の映画人生の序盤戦、幼少のころ映像に心を奪われてから青年になりハリウッドと縁を持つまで
自伝に沿い良し悪しいろんな出来事が起こるけど、観てる側の感覚としてそんなビックリするようなエピソードはなく、むしろなんともよくあることばかりのようでもある
でもそれを、恐ろしく卓越した演技と演出で描くもんだから、アカデミー作品賞にもノミネートされちゃうような素晴らしい作品になってるという
しかも、出ると作品の魅力をざっくり5割増しとかにしちゃうミシェル・ウィリアムズが放り込まれている
細かいエピソードが丁寧に描かれてる
セスローゲン良かった。
お父さんも良かった。
お母さんも良かった。
叔父さんも良かった。
ライバル少年も良かった。
妹も良かった。
どのエピソードも良いね。
ペニーって書いてあるけど、ベニーね。
もう少し続きが観たかった
映画好きなら誰もが知る、スピルバーグ。
そのスピルバーグの自身の生い立ちを映画にした、ということで
とても気になり鑑賞。
少年時代、どうやって映画の世界にのめりこんでいったのか、
そしてその才能を如何に開花させていったのか。
一方で愛にあふれた家族内で発生するドラマ。学校でのいじめや恋愛、そして、別れ。
せつなさも感じる彼の思春期のお話。
いろいろあった人生、いよいよ映画界へ、というところで。。。
そのあとがもう少し見たいのだが!笑
せめて、激突!、ジョーズぐらいまでは笑
駆り立てられる
スピルバーグの自伝的作品、という前情報のみで鑑賞。
まぁ、あとはアカデミーノミニー作品だったということくらい。
どこまでが事実を元に構築されているのか分からないが、スピルバーグの初期衝動と逃れられないサガは感じた。
正直な感想としては、もっと両親との関係性を掘り下げても良かったと思う。別にエンタメ性が高い作品でもないのだから。
残念に感じた点が一点。
頑なにカメラを封印していた彼が、再びカメラを取った理由がアリフレックスだったこと。
そんな安易な形で戻らず、駄目押しくらいな形で戻って欲しかった。
欲を言うと、この後商業映画に突入した彼の苦悩も観たかった。それこそ、シンドラーくらいまで描いているもんだと思っていたわ。
ルーツをたどる
どこまでが事実でどこまでが演出なのか。
探ることこそ無粋というやつだろう。
それもこれもまるっと受け止め残るのは監督のルーツ、
これは家族についての、とりわけ母親の物語なのだ、ということだろう。
だからして主人公と映画の関係を深掘りするより家族それぞれの表情やエピソード、
母親を中心にした人間関係が丁寧に描かれている。
同時に劇中、それらを狂わせる悪者的立場で「映画、映像」は登場し、
不穏の象徴ときらめくような対象としては出てこない。
懺悔でもなく、そういう事があったと言わんばかり淡々とした本作は想像していた以上に抑えられた作品で予想と違っていた。だがどうともはっきりさせることなく終わる悪者的映画、映像の件に転機があったことだけは感じられ、傷つきながらも手放すことだけはしなかったその後にアーチストの狂気と現実を垣間見る。
公のスピルバーグ像を讃えるものでなく、大変パーソナルな思い出をスチール写真のように切り取った一作は、文学短編を読み終えた後に似て少し心がざわついたままである。
追記
もっと快活、豪胆な物語をみたかった、といったような感想を多く見かけるが
冷静に考えて、自身の人生を、自身が監督して、自身の映画として公開しているのである。
それでいて内容が自分スゴイだろ、なんてあるわけない。
できるとしたらうぬ惚れた、メタ認知不能の、恥ずかしいくらいイタイ人物である。
だからして華々しい内容にならないのは当然なのである。
そこが本作のもっとも生々しい点であり、ナイーヴな真実に触れた証でもあると感じている。
興行映画としては少したいくつかも
すごく楽しみにしていたがいきなり戸田奈津子先生の字幕が出てぐっとくる。この映画は単なる興行映画では無いのだろう、スピルバーグ先生だからこそ許される2時間半で何かすごい事件が起こるわけでもなく映画フリークスの幼少期から大学生までの半生を彼の家族をとりわけ両親と父の友人との関係性を含めて丁寧に心の機微を着々と描きとおしたどちらかと言えばたいくつな映画かも知れない。スピルバーグで無ければ2時間に切られてもおかしくないしその方がテンポが出て面白くなるであろうがそれでも私にとっては大切な大好きな一本である。「スーパーエイト」で食い足りなかった8ミリ映画制作のあれやこれやを存分に見せてくれてエディット作業中のモニターがストーリー展開に大きくからむ作りも良く考えたもので母親役のミシェル・ウィリアムズがおそらくは実人生の経験も反映していて素晴らしい、特に竜巻を観に行くシーケンス。スピルバーグとは一回り以上年が離れているが私も高校生の文化祭で8ミリ映画作りにはまってその後の人生が決まった。最初からビデオがあった世代の人には到底分からないであろうピンで穴を開けたりもするこのフィルムを切ってセメダインでつなぐ編集作業やテープレコーダを回して音をシンクロさせる上映会などノスタルジー満開でたまらん。映画作りの映画はいつだって間違いなく面白いのだが、今回特に良かったのは戦闘で部下を死なせてしまった小隊長に演技をつけるシーン。これまではしょってきた演出部分を丁寧にじっくり描いて見せられたのも2時間半のなせる業であろう。クライマックスでジョンフォード監督に面会するシーンも秀逸で地平線が上か下かのカメラアングル論とそれに続くラストカットが驚きであった。映画スタジオの中の通りを遠ざかる主人公をまさにローアングルでパンアップするカメラがぶれる。興行映画としては明らかにNGテイクで、スピルバーグは意図的に画竜点晴を欠いたことよ。
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