フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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スピルバーグの妹さんたちは生きているわけで。 この映画、作っちゃって良いの?
予想した映画と違った。
E.T.を作ってる時の裏話とか
ジュラシックパークのCGテストで興奮してるスピルバーグとか
そういう話とその発想の元になった幼少期の話が中心かと思った。
たしかに、彼のフィルムクリエイターとしての成長も描かれるが
この映画を見終わって最初の印象は、ミッツィ・フェイブルマン。お母さんだった。
お母さんがお父さんの親友と不倫し、離婚する映画だった。
「自分の母親があのように離婚していったら、自分は母を許せるだろうか?」
というのが見終わって最初に思ったことだ。
母であり、ピアニストという芸術家である母の葛藤。
すごくエキセントリックで、情熱的で、
そして子どもたちを愛している。
映画を見ている自分からすると、時に理解不能と思えるような行動ばかりだ。
でも同時にスピルバーグは
「すべての出来事には意味がある」
というメッセージを彼女のセリフを通して繰り返し発してくる。
そう、きっと意味はあるのだ。
でも、今もまだ完全には分かったとは言えない。
スピルバーグの記憶にあるそんなエピソードでこの映画は成り立っているように思える。
「愛のために家族を捨てるなんてそんな身勝手な女じゃない」と言いながら
結局、その身勝手を行使した。
なのに、最後にお母さんと話すシーンはどうだろう?
身勝手を許せと言ってくるお母さんにサミーは即「許します」と言い、
そのあとプロムの話を談笑する母と息子のなんと仲良さそうなこと。
そして、その後の父との暮らしの中で
お父さんに
「The Endはない」
と言わせることで
スピルバーグもまた家族を永遠に愛しているということを演出した。
例え、近くにいようとも、離れていようとも。
そもそも、この映画を私たちが見ることができていることそのものが家族全員がこの試練を乗りこえて、例えば妹から
「記憶がよみがえるから映画にするな」
と言われることなく、公開されたということ。
母は子どもたちみんなに許され、愛されたのだと思う。
(ただ他の、誰にも言わないよ系エピソードは許可を取ったのかな?知らんけど。)
そして、映画の世界に足を踏み入れて
映画の神から極意を伝授され
空に向かって飛び上がったところで映画は終わる。
「あ、ちゃんと極意を守ってるよ。」
って言って、終わる。
ひどく分かりにくいけど、ひどく分かりやすい、愛と芸術についての映画。
フェイブルマンズ。
何度か見たい映画になった。
自伝映画のお手本
出来事には意味がある
さすがとしか言いようのない名作に。
第95回アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演女優賞など堂々7部門にノミネートされ、S・スピルバーグの監督賞位はあるのかな?と期待していましたが、残念ながら無冠に終わってしまいましたね。
(エブエブの圧勝過ぎて・・・)
ちなみにゴールデングローブ賞では作品賞と監督賞を受賞しており、やはりGG賞は推せる!
スピルバーグの自伝的作品なので、いわゆる“超大作”感はありませんが、主人公のサミー・フェイブルマンの少年時代から映画監督を目指す青年期までを描いていて、のんびり鑑賞していたら(やられた~!)ってなる秀作でした。
5歳のときに両親に連れられて初めてみた映画が「地上最大のショウ」っていうのもいいですよね。ここは実話だそう。
で、列車激突のシーンに心を奪われたサミー少年。あの映画の中で一番のシーンがそこだったのね(笑)。そして後のあの作品に繋がっていくんですねぇ。
8ミリカメラでの撮影に夢中になる少年の目はキラキラと輝いていておそらくスピルバーグ少年そのものなのでしょう。
ユダヤ人として差別を受けたり、両親が離婚したり、スピルバーグの原体験がベースになっています。
プラムのシーンは近作の「ウエスト・サイド・ストーリー」とのリンクを感じましたし、ここはあの作品に繋がっているんだろうな、などと考えながら観ているととても楽しかったです。
音楽はジョン・ウィリアムズ。そりゃあそうよね。
「バビロン」「エンパオア・オブ・ライト」など最近は偶然なのか何なのか映画愛を語る作品が多く、この作品もその類なのですが、でもただ映画を賛歌するだけではなく、撮り方ひとつで伝わる物が全然違ってくる、という映像の怖さもしっかり描いているんですよね。そこが本当にスピルバーグの素晴らしいところです。
父親役にポール・ダノ、母親役はミシェル・ウィリアムズ。ミシェルお母さんに主演女優賞をあげたかったなぁ。
家族の物語というとてもパーソナルな作品ですが、退屈に感じるヒマは全くありません。スピルバーグ流のユーモアもたっぷり。
クライマックスでサミーがある映画界の大御所に会わせてもらえるシーンがあるのですが、待っている前室に貼ってあるポスターの数々でその大御所が誰なのかがわかり、対面前から目頭が熱くなっていました。
そしてその大御所を演じていたのもかなり意外な人物でびっくり!
そこからのラストの地平線のオチね。クスっと笑えて(さ~すが~)って爽やかな気持ちに。
それにしても西部劇がかなりお好きのようですよね。
スピルバーグ版の西部劇、是非とも拝見したいものです!
ところで。
アカデミー賞作品賞にノミネートされた10作品のうち、日本での公開がまだのものを除いて全て観ましたが、わたしデミー賞は「フェイブルマンズ」の圧勝でした。
芸術は痛みを伴う
スピルバーグの自伝映画。
小さい頃から才能があったのは予想通りだった。
母親の才能を受け継いだのか〜。
でも誰もが思い描くような、こんな努力をしてのし上がった〜とか、環境に恵まれてて華々しくて理想的な人生〜とかいう訳ではなかった。
現実は映画通りじゃないと思うけど、なんか上品な作品に感じたからよかった。
ごく普通(ちょっといいとこの子?)の日常で、でも父親からの理解が得られなかったり、母親の裏切りがあったり、ユダヤ人だからと差別を受けてしまったり。
ただ、そんな関わり合う人たち、家族、友人、恋人といった身近な人たちのひとつひとつの言葉や思いが、本人の中で積み重なって、映画に対する抑えられない情熱が膨らんで、夢へ一歩ずつ近づけてくれるのだと思った。
人生の中で何度躓くことがあっても悲観的になることなく、今をひたすら生きているって感じ。
辛いことをされても、すれ違っても、愛する家族だからどうしても憎めない。
そう、全ての出来事には意味がある。
それが映画に活かされていると思うと...深い!
映画は大事なものを壊すし痛みを伴う。
情熱は痛みを吸収しながら大きくなっていくのかな。
派手な自伝映画ではないけど、映画監督になるべくしてなったんだな〜と思った。
最後のシーンで、これから彼の映画人生の始まりを感じてワクワクした!
続きが観たいなぁと思った…
スピルバーグの自伝的作品ということなので、ミーハーな気持ち満点で観た。彼の作品から感じていたのは、父親の不在だったが、この作品を観てみると、どうやらそれだけでもなさそうだ。母親が良き理解者であったことは間違いないが、もっと複雑な事情も垣間見えた。父親は仕事はできたようだが、母親の気持ちを理解していたとは思えない。ピアニストとしての野心とか、家族を思う心とか見えていなかったように感じた。両親の離婚は子どもに深い傷を与える。それは作品の端々からずぅっと感じてきたが、やっとその本当の思いに触れることができてよかった。スピルバーグの気持ちの一端が理解できた気がする。そして、最後のご褒美。思いもよらなかったので、めちゃくちゃうれしかった。だから、映画界に入ってからのスピルバーグの足跡も知りたいなって思う。
メイキング・オブ・スピルバーグ
鑑賞後。私がしみじみとした気持ちで劇場を後にする一方、一緒に観に行った友達は「まあ、スピルバーグが好きな人にとっては最高の映画なんだろうな」と不満げに漏らしていて、そうか、私は独りよがりで作家主義的な悪しきシネフィルなんだった、と改めて痛感させられた。
しかし本作はまさに映画に狂った人間のそうした独善性、あるいは撮るという行為の暴力性についての映画だ。スピルバーグもまた(彼と私とでは無論比較にならないが)映画によって人生を狂わされた映画小僧の一人なのだ。ゆえに『E.T』や『ジュラシック・パーク』といった「いつものスピルバーグ」を期待すると肩透かしを食らう。
過去のスピルバーグの分身ともいえるフェイブルマン少年はありふれた小児的欲求から始めた撮影趣味が高じて遂には自分で映画を撮るようになる。そのとき彼が感じていたのは撮るという行為のひたすら純粋な快楽だ。学校の友人を集め、あり合わせの道具とアイデアで映画を作り上げていくさまは、さながら図画の課題に無心で臨む工作少年のようだ。
しかし彼は映画作りを通じて撮るという行為の暴力性を思い知る。母親をクローゼットに閉じ込めてフィルムを強制的に見せつけるシーンと、いじめっ子を過度に英雄化した記録映画をプロムで上映するシーンは特に衝撃的だ。意図的であろうとなかろうと映画というものは容易に人間を窮地へ追いやることができてしまう。これらのシーンに先行してフェイブルマンが物理的な暴力を振るわれるシーンがある(母親に背中をビンタされるシーン、いじめっ子にグーで顔面を殴られるシーン)のは、映画にはそうした物理的暴力に釣り合う、あるいは凌駕するほどの精神的な暴力性があることを示すためだ。
だが一方で映画は無力でもある。フェイブルマンの父親が言ったように、それは単なる趣味であり、現実への影響力という点でいえば、数式やプログラムのほうがよっぽど「役に立つ」。事実、いくらフェイブルマンが映画人としてめざましい進歩を遂げようと、それとは無関係にフェイブルマンは父親の仕事の事情で幾度も引っ越しを余儀なくされるし、彼ら一家の関係も日に日に悪化の一途を辿っていく。
絶えず交互に提示される映画の強さと弱さ。そこには良い映画とは何か?という根源的な問いに対するスピルバーグなりのアンサーが沈潜しているように思う。良い映画とは、無際限に空想の中へ突き進んでいくものでも、辛く苦しい現実をただただ耐え忍ぶものでもなく、その中間領域を強く指し示すものである。少なくとも私には、スピルバーグが本作を通じてそういうことを言っているのではないかと感じた。
別の言い方をすれば、空想と現実は常にフラットな相互干渉的関係を成すものであるべきだ、ということ。この均衡性への配慮を失った瞬間に映画は死ぬといってもいい。空想だけを重んじる映画は現実を生きる我々との結節点を持たないがゆえにどこまでも重みを欠いているし、現実だけを重んじる映画は政治的・社会的啓発以上の射程を持ち得ないという点において映画=フィクションである必然性がない。
思えば映画作りとはきわめて不毛で絶望的な営みだ。空想とも現実とも適度な距離を置くという禅問答のような命題と不可避に格闘しなければならない。そこで踵を返さなかった本物の狂人だけが巨匠という名誉で因業な称号を手にすることができる。スピルバーグは中間領域を指し示すという第三の道を発見し、そしてそれを具体的な作品によって次々と実証していった。『E.T』『ジュラシック・パーク』『レディー・プレイヤー1』などの、言うなれば「説得力のある夢物語」とでも形容できるような作品を。
そういう意味では、本作は今挙げたようないわゆるザ・スピルバーグ的な映画についてのメイキング映画ともいえるかもしれない。ブロックバスター的な満足感の乏しい地味な作品ではあるが、スピルバーグという監督が好きなら是非観てほしい一作だ。
とっておきのラストシーン
スピルバーグが、生まれて初めて映画館で観た「地上最大のショウ」に衝撃を受けてから、8ミリ映画作りにのめり込み、本格的に映画監督を志すまでの日々を、家族との関わりを中心に、丁寧に描く。
エンジニアで温厚な父親と、芸術家でエキセントリックな母親のもとだからこそ、あのようなスピルバーグ作品のテーマ、アイデア、作風が生まれたのだと理解できる。
映画作りということでは、それまで見世物としての面白さを追い求めていたが、戦争映画のラストで初めて、役者とともに感情を乗せることによる感動を発見するところや、卒業記念映画のクラスメイトヒーローの描き方で映画の魔術を感じさせるところが、とても興味深かった。
出演者では、母親役のミシェル・ウィリアムスが圧倒的な存在感(共感しづらい難役)。これまでくせ者イメージのあるポール・ダノが、とことん優しい父親役で意外。出番は少ないものの、大叔父が強烈な印象を残す。
それにしても、とっておきのラストシーンがおまけに付いているとは。あの言葉も本当にあったものなのだろうか。ラストショットでカメラが慌てて動くあたりの茶目っ気も好ましく、さわやかな後味を残した。
天才ですね
ラストが描く未来
3.6チャーミングな母親だったのかな
私だけかな? 映画好きで語るならばスピルバーグ無しじゃ語れないんとちゃうの?
どうもいかんせん,スティーブン・スピルバーグというと、映画を観るならば大概の人には「あっ,それ知ってる!」という所謂メジャーな?作品が多いと思われる。 で、私事だが(スピルバーグ以外の作品に置いて)色んな作品を観て行く内に,わりと変わったものを観る様になってきた気がする。 たまに「何処が良いの?」とか…言われちゃう事も多々ある中、また<非常に悪い言い方になっちゃうが>形式ばった(所謂,一般受けしやすく&反論されにくい無難なシナリオ的な)感じになっちゃったりしてるんじゃないの?と思いつつ,鑑賞してみた。
大変失礼な言い方になります。わりとキャスティングで観る作品を決める私だが、何と無くそうだよなぁ⁈的な思いだったが,調べた結果,やっぱりヒース・レジャーの亡くなる直前迄の奥さんだった。ミシェル・ウィリアムズが透け透けのドレス?で踊ってるだけだけれども、私には十二分に観る価値在ったと思えた。
最初からゴチャゴチャ言っちゃったが、自伝的作品と謳って居たが,私には意外にも面白かったのは云いたい処…。
宝石のような小さな映画
自伝的作品だという。映画を初めて観る日から始まり、どのようにしてスピルバーグを模した主人公サミー・フェイブルマンが、映画を撮ること、ものごとをフィルムに収めることに夢中になっていったかを、丁寧に紡いで行く。
家族や友だちなどとの関わりも描かれるが、通常の成長物語りとは違う。
サミーはレンズを覗き、フィルムを編集することで、世界のありようを認識する。撮影されたものの善悪より前に、彼はその美しさに魅了されてしまう。そこに映画づくりの魔力があり、それはとても恐ろしいものでもあるのだろう。
スピルバーグは今でも映画の魔力にとらわれたままなのだと、観るものは思い知る。
彼の目はすなわちカメラのレンズであり、世界は映画なのであろう。
ならば身も心も映画に捧げた状態のこの巨匠こそが映画そのものなのではないか、そんなふうに独りごつ。
ビンテージ感溢れるフィルムの色、俳優陣の演技のゆったりとしたうまさ、被写体のありようを最大限に捉えるカメラワーク。それらのすべてが、ただただ美しい。
映画に囚われてしまった少年。そんなこととは無関係に迫る、心の外にある現実という世界。
それといかに折り合いをつけるか、それとも折り合うことを拒絶するか。
映画という武器を手にした主人公が、実際にどうやってそれと戦っていくか。その先は、この映画では描かれない。
あくまでも小さな心に映画が満ちる美しさだけを、これ以上ないほど丹念に描く。
だれにでもあった少年少女の日々の夢。もう記憶の向こうにかすれて消えていきそうな小さな日々。
それをもういちど見せてくれる宝石のような映画だ。
演技と演出と、ミシェルウィリアムズのちから
もう少し続きが観たかった
映画好きなら誰もが知る、スピルバーグ。
そのスピルバーグの自身の生い立ちを映画にした、ということで
とても気になり鑑賞。
少年時代、どうやって映画の世界にのめりこんでいったのか、
そしてその才能を如何に開花させていったのか。
一方で愛にあふれた家族内で発生するドラマ。学校でのいじめや恋愛、そして、別れ。
せつなさも感じる彼の思春期のお話。
いろいろあった人生、いよいよ映画界へ、というところで。。。
そのあとがもう少し見たいのだが!笑
せめて、激突!、ジョーズぐらいまでは笑
駆り立てられる
スピルバーグの自伝的作品、という前情報のみで鑑賞。
まぁ、あとはアカデミーノミニー作品だったということくらい。
どこまでが事実を元に構築されているのか分からないが、スピルバーグの初期衝動と逃れられないサガは感じた。
正直な感想としては、もっと両親との関係性を掘り下げても良かったと思う。別にエンタメ性が高い作品でもないのだから。
残念に感じた点が一点。
頑なにカメラを封印していた彼が、再びカメラを取った理由がアリフレックスだったこと。
そんな安易な形で戻らず、駄目押しくらいな形で戻って欲しかった。
欲を言うと、この後商業映画に突入した彼の苦悩も観たかった。それこそ、シンドラーくらいまで描いているもんだと思っていたわ。
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