フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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スティーブン•スピルバーグ if the horizon’s...⁉️
CBSに呼ばれたサミーは、その後、出世作のテレビ映画『激突!』(1971)『続・激突!/カージャック』(1974)、大ヒット作『JAWS/ジョーズ』(1975)へ。
両親の離婚と言えば『E.T.』(1982)、
『未知との遭遇』(1977)では父の職業が電気技術者、鉄道模型が登場する。
戦争映画として、
『1941』(1979)、『太陽の帝国』(1987)、『プライベート・ライアン』(1998)、『ザ•パシフィック』(2010)へと続く。
とにかくスピルバーグの生い立ちがこれら数々の映画となっていく。
ジョン•フォード監督がサミーに告げたこの名言……
Now remember this!
If the horizon’s at the bottom, it’s interesting.
If the horizon’s at the top, it’s interesting.
If the horizon’s in the middle, it’s boring as shit. Now, good luck to you. And get the fuck out of my office.
It is the scene based on Spielberg’s real-life meeting with John Ford.
映画監督に限らず、
秀でた人は、平凡じゃなく非凡な発想と独創力を持ち合わせているということ、共感出来ます。
fableじゃないFablemans
151分という長さが気になった。
最初の1時間はサミーの可愛らしさを見るのが面白かったのだが、
そして、それは誰もが通ってきた道だと思えたのだが、
複数のFablemanを語るうちに、焦点がぼやけ、うんざりする2時間が過ぎていった。
ミッツィやバートの話になるにつれ、正直「これどーでもいいや」的な映画になってしまった。なんか、やたら力み、捏ねくり回し過ぎ。
しかし、解釈とは面白いもので、やたら上から目線で啓蒙してくれる人もいる。
最後に登場する名監督の映画を見ることは義務であるとか、
ある場面を解釈するのに、誰もがそんなことはわかりきっているような言葉で「映画論」を宣う。
こんな一般的な解釈に多くの「共感」が得られているというのは、やはりSpielbergという名前から入っているからなのだろうか。Spielberg信者には、何を言っても敵わない。
まさに、Spielbergという場でFablemansを演じきりたい彼らがいるのだろうね。
僕には、
Spielbergが「こんな映画だって、<地平線>を変えれば、作ることができるんだぞ」っていう荒い鼻息しか聞こえてこなかったんだけど・・・ネ。
スピルバーグ監督が誕生するまでの物語
サミーフェイブルマン(モデル スピルバーグ監督)が、子供の時に見た映画をきっかけにいつか自分もこのような映画を撮る監督になりたいと思った少年が、自主制作映画を撮り好評を受けました。
特に印象に与えたのは高卒後映画の撮影所でのスタート=これがスピルバーグ監督のキャリアとしての始まりに繋がったんだなと思いました。
もし彼がいなかったらジョーズもジュラシックパークの歴史もなかったと思われます。
ジョン・フォード監督
若かりし頃、スピルバーグが、ジョン・フォード監督と会っていたんだ、
スピルバーグの親の離婚に興味無い、
ジョン・フォードが、ラスト出て来なかったら、真中に地平線のある映画だった。
地平線はどこだ!?
かの名監督、スティーブン・スピルバーグ氏の映画監督になるまでの体験を描いた自伝作品。
映画好きのワタクシですが、ほとんど監督や役者で観る作品を選ぶことは無く…それでもスピルバーグ監督と言えば!と思い、遅ればせながら本作も鑑賞。
鑑賞前は、往年の名作たち誕生の物語や逸話などが描かれるのかと思いきや、映画監督になるまでの、いわば誰も知らない頃の日々が描かれたドラマ作品といった感じでしたね。
なので特段、スピルバーグの物語ッ‼…って印象も無く、本当に一人の少年が夢に向かう普通の(?)話といった所でしょうか。
それ故、特にこれといった波や見せ場といったものはなく、テンションがぶちあがるような描写も無いが、それでも2時間半の長尺を飽きずに観ていられるのは名監督のマジックですね。
ラストシーンはちょっと感動。ここで終わるの!?とも思ったが、まさに新しい物語の始まりって感じ。
そして面白かったのは彼女さん。可愛いし積極的なのは良いが、降臨だとか口から魂云々とか言われたら…たとえ好きでもワタクシだったらダッシュで逃げちゃいますねw
そしてプロムの上映会はしてやったり(?)なのでしょうか。こどもたちの人間模様も複雑ですね。
そんなこんなで、コミカルなシーンもありつつ、身勝手な親や優しい妹たちとの家族物語でもあり、なかなか面白かった。
ちなみにワタクシ、今まで観た映画の中で一番好きなのが子供の頃に観たプライベートライアンなのです。未だにこれを超える作品が見つからず…とにかく名作ですよね。
本作の中でも戦争映画を作りたがるサミーの姿が描かれていましたが、学生時代に戦争作品を作り…そのゴールが本当の監督になって作り上げたプライベートライアンなのかなぁ~なんて思ったりして、勝手に一人でアツくなってしまいました。
これからも名作の誕生に期待です‼
気になるが、結局なんなのか?
最初天才の片鱗をみせつつ成長していくノスタルジー物かと思いきや、人種差別、不倫、家庭問題、学校色々ありすぎて焦点ぼやけ始め、しかも就職前終了。結局古きよきハリウッドよりも前のスピルバーグ創世記の話。
もっと成り上がっていく話期待。
地平線が意図するもの
スピルバーグの自伝的映画ということに興味をもち観ることにした。
観終わった感想としては、いまいち「映画が意図していること」をちゃんと僕が理解できていないのではないか、という消化不良な感じが拭えなかった。
1人の人間の成長ドラマとしては見ごたえがありそれなりに面白い。大人たちの愛情をうけ無邪気に楽しいだけの幼年期からはじまり、成長するにつれて数々の葛藤や青春を経験し、最後に自分自身の本当に向かうべき道を確信して終わる。
だけど、これはあくまで「のちにこの青年があのスピルバーグになるのである…」ということありきだからそれなりに興味をもって観れるのであって、仮に映画の背景にあるコンテキスト抜きに作品単体で面白いかと言われれば正直微妙。
主人公の家族や友人知人はみんな個性的で面白い。理知的な父親、芸術的な母親、ユーモラスなおじさんなどなど、彼らがスピルバーグの人間性を形作り、作品に反映されているということだろう。
特に母親の存在が大きい。母親の「すべての出来事には意味がある」という考え方は、まさに映画の本質ともいえる。映画の中のできごとはすべて監督が意図したものだからだ。
「すべての出来事には意味がある」という目で世の中をながめてみたり、自分の人生に意味付けすることで、映画監督としての感性がみがかれていったのではないだろうか。
個人的にはキリストを崇拝するガールフレンドがぶっとんでて面白くて大好きになった。彼女だけがステレオタイプな役柄から外れている気がする。
主人公は「後に天才映画監督になる異端児」というよりは、周囲の個性的な人間たちに翻弄される「常識的感性をもつ一般人」として描かれているように思う。
「クラッシュ」に固執したり、映画作りに熱中したりというエピソードはあるけど、常人より特別秀でた感性があるというほどではない。この主人公が後に「ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」などの数々の革新的作品の監督になる、と言われてもちょっとピンと来ない。
たぶん、これがスピルバーグ本人による自伝映画だから主人公は「普通」という設定になるのだろう。本人が監督でなかったら、主人公の異端ぶりをもっと強調するに違いない。
この映画のポイントは、「映画の本質」を
主人公が徐々に理解していく過程なのだと思う。ボリスにつきつけられたのは、「芸術を追及する者は家族と引き裂かれてしまう」ということ。母親とベニーおじさんとの件では、「知りたくもない真実を明かしてしまう」もの。おさぼり日の映画では、逆に「ありもしないものを表現の魔法的な力で捏造してしまう」もの。
最後、映画の巨匠的な人に「地平線は上になっても下になっても面白いが真ん中だとくそつまらん」みたいなアドバイスもらって、上機嫌で終わったけど、この終わり方の意図が僕にはよく理解できなかった。
ストーリー的には、巨匠の言葉によって、それまでの主人公の迷いや悩みが晴れて、映画監督になることへの決意がみなぎった、ということのはずだけど、なぜ単なる映像の構図へのアドバイスにそんな力があったのか、やや腑に落ちない。
単にあこがれてた映画の巨匠にアドバイスもらって嬉しかった、ということかもしれないけど…。
「すべての出来事には意味がある」と結びつけるなら、地平線(目線)は、出来事への意味のとらえ方をいっているのかもしれない。真ん中の地平線は、「出来事には(偶然以上の)意味は無い」ということ。そんな風に人生を送るのはクソつまらん、ということになる。地平線が下がる(目線が上向きになる)のは、「出来事を良い意味に解釈する」こと。だから最後、映画のカメラが地平線が下がるように修正された、ということなんかな?
出来事には理由があり、人生の経験にムダはない
初めて映画館で見た作品の迫力に心を奪われ、クラッシュシーンの再現に凝り始める、子供の感性の純粋さ。そこから想像通りのムービー製作にのめり込む様子がキラキラと描かれている。その過程で、カメラは思いもよらない真実を捉えていることを知る。その事実と現実、少年時代の繊細な心はどう理解し、どう乗り越えるのか。心の成長とともに、撮影する作品で描こうとするものが徐々に深くなって行く。卒業記念記録ムービーのエピソードも興味深い。学年のスターのようなイメージの嫌なヤツが、そのイメージが色濃く撮影されている自分を見て悔しがる。楽に何でも出来るのではなく、実はコンプレックスの塊で人一倍努力していた、という彼を知り、お互いを初めて理解する。
幾つもの発見や経験を重ね、苦しみながらやはり自分はフィルムメーカーになるしかない、と選択した人生。巨匠スピルバーグが撮る作品ジャンルの幅の広さが理解出来、涙と感動が溢れる。おまけとも言えるジョン•フォードのエピソードは映画小僧の背中を思いっきり押したと言える、胸が熱くなるシーンだった。想像を遥かに超えていた名作。
映画は光も影も映し出す
スピルバーグ監督の自伝的映画。どこが自伝でどこから自伝的なのかよく分かりませんが、この映画には監督が作り上げてきた名作に影響を与えた出来事がちりばめられているのでしょうね。
自伝的なのだから、事実に着色して壮絶なストーリーに仕上げているのかと思いきや、想像していたよりも平坦なストーリーに感じました。
キャンプで母が踊るシーンやラストの父が写真を見るシーンは、影が強調されていました。
映画も光と影で映されるものなので、ときの感情をまるで映画のように影で表現しているようでした。
青年の映画への目覚め
最後は母のことも父のことも、家族も恋人も友人も、いったんは心の視界から消して、映画の世界に溶け込むシーンで幕。あっ、ここで終幕とは物足りないなと、瞬間的に思った。でも父のバートが好きなことにエンドははないと言い切ったように、ここは開幕のシーンなんだと思い直しました。
この青年の幸運は、一途な母と、更に一途な父のもとに育ったこと。
家族キャンプを撮影したことで、サミーは撮影と映画の魔力に憑かれてしまう。善悪とか倫理とか感情とかも超えた、このシーンのドキドキ感に本当に胸を打たれました。人の目ならば気づかないであろう母と叔父の接近を、カメラは捉えていた。サミーは鼓動を高めながら、カメラ越しでなければ見つからない真実に驚愕する。
そして卒業記念のイベントを撮影すると、映画の中でヒーローに昇格した友人もすっかり戸惑ってしまっていて、それほどにカメラは真実をも呑み込んだ嘘もつけるのだと、サミーは知ることになる。
母ミッツイは少女みたいに可憐で、女神のように神々しく、妖精のように奔放だったりする。シースルーのダンスがまともに見られないぐらい妖しかった。でもサミーは、これはカメラに収めておかずにはいられなかった。
映画は言葉より雄弁だと知った、青年の瑞々しい映画への目覚めが、この作品のメインテーマ。その主題に、監督の自伝と言う特殊性が寄り添う映画だったように感じました。
サミー役のガブリエル・ラベルが、感受性が強くひ弱なのに、強情かつクールな青年を演じていたと思います。映画を観る人たちの想いを想像することが、次の作品への起点になると肌で感じ取っていった、若き日の天才。
彼は愛されていた
創ることに取り憑かれた少年が、自らの作品で突きつけられた現実があまりに残酷で、それでも創造は止めれれない。もはや業だから。
傷つくけど、父にも、母にも、映画にも愛されていたし、彼も愛していたというのがよくわかる。
はー目が溶けそう。
スピルバーグが両親役の俳優がメイクしてきた途端に号泣したって話がめっちゃすき
日記
監督の撮る映画は好きだけど、監督に興味があるわけでない俺には、さして感動する様な物語ではなかった。
が、
なぜ自らの自伝を撮り商業ベースに乗せようと思ったのかには興味があった。
意図はなんだろう?
興行収入を見込めると算盤を弾いたのだろうか?
見終わって思うのは、えらく客観的な視点だったなぁと。本人が本人を撮ってる訳なのだけど、あまり本人である事への執着を感じさせない。
とある作品の登場人物。
それ以上の感想はなかった。
…それはそれで凄い事なのかもしれない。
こうこうこうで、こんな事があったからスピルバーグが出来上がったんだな。
そんな事を解析するような物語だった。
衝撃的な映画との出会い。
それ以降、彼の隣にはいつもカメラがある。
青年期に至り、カメラから離れるも物理的な接触を持たなかっただけで、常にどこかにはあったのだろう。
映像における表現を模索する少年期などは見応えあった。自分のイメージが具現化された時の充実感は格別であろう。
そして、この映画で語られるスピルバーグは、やっぱり普通ではない。
変人だ。
彼の両親は、よく彼を理解できてたなあと思う。
いや、むしろ、映画制作に傾倒していた事が隠れ蓑にでもなっていたのかもしれない。
自伝なだけに彼を形作った金言がちょいちょい出てくるのは、楽しかったな。
自分で自分の生い立ちを撮るなんて、これ以上に小っ恥ずかしい事はないと思うのだ。とはいえ、第三者にハリウッドの流儀に則って、色々デコレーションされるのも違うのだろう。自伝でありながら、それが自伝ではない事が自分だけが知っているみたいな居心地の悪い環境はゴメンだろう。
やむにやまれすぎ2択を迫られたら、自分で撮る方が、まだ誤解は少なくて済む。そんな事なのかしら?
劇中、イケメンがスピルバーグ少年にブチギレた内容によく似てはいる。
なんかの記念なのかしら?
それとも、不治の病でも宣告させたのだろうか。
…まぁ、俺の思考が及ばないとこに理由はあるのだろう。
「地平線が真ん中にある絵はクソ程面白くないっ!」
この言葉は覚えておきたい。
映画は楽しいものなのか?
大好きなスピルバーグの自伝なので、楽しみに見にいった。
映画作りは楽しい、自分も高校の頃にスプライサーでフィルムを切っていた事を思い出す。
しかし、この映画は「映画って楽しい、皆を幸せにする」というのみではなく、時には人を不幸にしたり、傷つけることもある事を観客に知らしめる、非常に奥の深い映画であった。
スピルバーグの妹さんたちは生きているわけで。 この映画、作っちゃって良いの?
予想した映画と違った。
E.T.を作ってる時の裏話とか
ジュラシックパークのCGテストで興奮してるスピルバーグとか
そういう話とその発想の元になった幼少期の話が中心かと思った。
たしかに、彼のフィルムクリエイターとしての成長も描かれるが
この映画を見終わって最初の印象は、ミッツィ・フェイブルマン。お母さんだった。
お母さんがお父さんの親友と不倫し、離婚する映画だった。
「自分の母親があのように離婚していったら、自分は母を許せるだろうか?」
というのが見終わって最初に思ったことだ。
母であり、ピアニストという芸術家である母の葛藤。
すごくエキセントリックで、情熱的で、
そして子どもたちを愛している。
映画を見ている自分からすると、時に理解不能と思えるような行動ばかりだ。
でも同時にスピルバーグは
「すべての出来事には意味がある」
というメッセージを彼女のセリフを通して繰り返し発してくる。
そう、きっと意味はあるのだ。
でも、今もまだ完全には分かったとは言えない。
スピルバーグの記憶にあるそんなエピソードでこの映画は成り立っているように思える。
「愛のために家族を捨てるなんてそんな身勝手な女じゃない」と言いながら
結局、その身勝手を行使した。
なのに、最後にお母さんと話すシーンはどうだろう?
身勝手を許せと言ってくるお母さんにサミーは即「許します」と言い、
そのあとプロムの話を談笑する母と息子のなんと仲良さそうなこと。
そして、その後の父との暮らしの中で
お父さんに
「The Endはない」
と言わせることで
スピルバーグもまた家族を永遠に愛しているということを演出した。
例え、近くにいようとも、離れていようとも。
そもそも、この映画を私たちが見ることができていることそのものが家族全員がこの試練を乗りこえて、例えば妹から
「記憶がよみがえるから映画にするな」
と言われることなく、公開されたということ。
母は子どもたちみんなに許され、愛されたのだと思う。
(ただ他の、誰にも言わないよ系エピソードは許可を取ったのかな?知らんけど。)
そして、映画の世界に足を踏み入れて
映画の神から極意を伝授され
空に向かって飛び上がったところで映画は終わる。
「あ、ちゃんと極意を守ってるよ。」
って言って、終わる。
ひどく分かりにくいけど、ひどく分かりやすい、愛と芸術についての映画。
フェイブルマンズ。
何度か見たい映画になった。
自伝映画のお手本
76歳のスピルバーグが8mmフィルムカメラを手持ちで撮影しているカットがいくつかある
あの頃に戻って楽しんで制作したんだろうと感じる
フィルムに穴をあける発光エフェクト
カモメからアイスクリームが顔に垂れる画への振りカット
映像づくりにおける工夫や知恵、わざをしっかりと見せてくれる
家族のドラマを通して
スピルバーグの才能が生まれる背景を
セリフだけでなく
細かく映像で見せてくれる
本や小説、ドキュメンタリー、フィクションであっても
実存した人物をベースに描く際には
必ず参考にしたい映画
出来事には意味がある
スピルバーグが、どのような幼少期を過ごしたのか。
家族と偏見と、時代とコミュニティ。
そういう複雑さを描いているように感じた。
物事に対するストイックさは、こどもの頃からなんだね。
凄い情熱と周囲の理解があったんだと思う。
映像を通して理解した人の感情とか、揺れみたいなものが、その後の作品に生かされてるんだろうな〜。
そういうところが、無駄なく描かれてるところが、スピルバーグの凄さかも。
家族の、母親へのオマージュなのかな。
さすがとしか言いようのない名作に。
第95回アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演女優賞など堂々7部門にノミネートされ、S・スピルバーグの監督賞位はあるのかな?と期待していましたが、残念ながら無冠に終わってしまいましたね。
(エブエブの圧勝過ぎて・・・)
ちなみにゴールデングローブ賞では作品賞と監督賞を受賞しており、やはりGG賞は推せる!
スピルバーグの自伝的作品なので、いわゆる“超大作”感はありませんが、主人公のサミー・フェイブルマンの少年時代から映画監督を目指す青年期までを描いていて、のんびり鑑賞していたら(やられた~!)ってなる秀作でした。
5歳のときに両親に連れられて初めてみた映画が「地上最大のショウ」っていうのもいいですよね。ここは実話だそう。
で、列車激突のシーンに心を奪われたサミー少年。あの映画の中で一番のシーンがそこだったのね(笑)。そして後のあの作品に繋がっていくんですねぇ。
8ミリカメラでの撮影に夢中になる少年の目はキラキラと輝いていておそらくスピルバーグ少年そのものなのでしょう。
ユダヤ人として差別を受けたり、両親が離婚したり、スピルバーグの原体験がベースになっています。
プラムのシーンは近作の「ウエスト・サイド・ストーリー」とのリンクを感じましたし、ここはあの作品に繋がっているんだろうな、などと考えながら観ているととても楽しかったです。
音楽はジョン・ウィリアムズ。そりゃあそうよね。
「バビロン」「エンパオア・オブ・ライト」など最近は偶然なのか何なのか映画愛を語る作品が多く、この作品もその類なのですが、でもただ映画を賛歌するだけではなく、撮り方ひとつで伝わる物が全然違ってくる、という映像の怖さもしっかり描いているんですよね。そこが本当にスピルバーグの素晴らしいところです。
父親役にポール・ダノ、母親役はミシェル・ウィリアムズ。ミシェルお母さんに主演女優賞をあげたかったなぁ。
家族の物語というとてもパーソナルな作品ですが、退屈に感じるヒマは全くありません。スピルバーグ流のユーモアもたっぷり。
クライマックスでサミーがある映画界の大御所に会わせてもらえるシーンがあるのですが、待っている前室に貼ってあるポスターの数々でその大御所が誰なのかがわかり、対面前から目頭が熱くなっていました。
そしてその大御所を演じていたのもかなり意外な人物でびっくり!
そこからのラストの地平線のオチね。クスっと笑えて(さ~すが~)って爽やかな気持ちに。
それにしても西部劇がかなりお好きのようですよね。
スピルバーグ版の西部劇、是非とも拝見したいものです!
ところで。
アカデミー賞作品賞にノミネートされた10作品のうち、日本での公開がまだのものを除いて全て観ましたが、わたしデミー賞は「フェイブルマンズ」の圧勝でした。
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