フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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衝突は好きだったけどさ...
やはり、私はアカデミー賞との相性が極度に悪いらしい。昨年は、「ドライブ・マイ・カー」と「ナイト・メア・アリー」くらいで、後は結構すきだったんだけど、今年は「ノマドランド」や「ミナリ」、「プロミシング・ヤングウーマン」の一昨年のように、評論家との意見が合わない。一貫して思うのは、長くて退屈。眠たくなっちゃう。スピルバーグの半生を描いた物語って、結構期待してたんだけどな...。
映画というコンテンツの素晴らしさを描いている映画だとてっきり思っていたんだけど、私の捉え方が悪いのか、どうもそうは思えなかった。というか、見たかったのはそこじゃない...っていうのが正直な感想。誰も知らない過去だからこそ、映画化することに意味があったのかもしれないけれど、どうもそこに面白みを感じられない。ただただ、〈フェイブルマンズ〉一家の20年を羅列しただけ。んー、退屈しちゃうよ、それは。
エンターテインメント作品としても、ドキュメンタリー作品としても、かなり粗い。「バビロン」の方が圧倒的に映画愛に溢れていたし、魅力的で面白かった。舞台は違うとは言えども、同じ映画という世界。どうして、こんなにも違うのだろう。それか、私がお子ちゃまなだけか?笑 この映画を楽しむには、スピルバーグ愛が必要なのか?ちと、理解に苦しむ。
どのようにしてスピルバーグが映画に目覚めたのか、そして、彼の子ども時代にはどのような映画を撮っていたのか。この辺の描きはしっかりしており、割とみていても面白い。穴を開けるというのはなかなか。だが、かなり普遍的。アカデミー賞作品賞にノミネートされるほどのものか?色んな人を敵に回してそうで怖いが、少なくとも私はそう思う。これで、主演女優賞貰えるなら...これ以上は慎みます。
感性、バグってんのかな笑 不安です笑
でも、どう考えても賞レースの流れ的に、本作かエブエブが今年の作品賞に選ばれるはず。まだまだ、日本公開されていない映画ばかりであるために、決め付けられないところもあるが、アカデミー賞作品を見るのはやめておいた方がいいかも。
もう少し映画作りに特化して欲しかったかな
情緒不安定な人が多い気が
スピルバーグ少年の回顧録
へーそうなんだー
巨匠による美化された自伝映画なのか。
巨匠の作品、それも巨匠の自伝的作品にこの評価をつけるのはなかなか勇気がいることでございます。しかし、このサイトは単なる映画好きの人間が自分の無知を棚上げして好き勝手述べるサイト。所詮はど素人なので自分が感じたことを自由に述べればいいのだと自分を納得させる。
いくら巨匠の作品でも凡人の自分が楽しめなかったことを素直に書くことがこちらのサイトの存在意義なので遠慮なく書かせてもらおう。
さて、本作は幼い息子を初めて映画に連れてゆく場面から始まる。映画を怖がる息子に大人でも理解しづらい説明をする父親。幼い頃ヘタレだったスピルバーグらしいエピソード、でもなんか不自然。この始まりから感じた違和感は鑑賞中結局消えなかった。
その後、映画が始まってからいつまでたっても面白くならない。私の長年の映画鑑賞経験から開始十分前後で駄作か否かが大抵わかる。これは朝から体調が悪いせいかなとも思ったが、どうやらそうではないようだ。
まさかスピルバーグ作品で時計を気にするとは思いもしなかった。
ストーリーは前半は母の浮気、後半はいじめと両親の離婚と、そもそも本作の主役が若き日のスピルバーグでなければならない必要性があるのだろうか。
勿論、幼い頃から映画作りに没頭してきた、しかし大抵の映画監督はみなそうであろう。本作の主役がスピルバーグでなければ成立しえない作品とは到底思えない。
彼だけの物語、それはやはり幼き頃の学習障害であった点ではないだろうか。
彼がそう診断されたのはごく最近のこと。つまり当時は精神医療が進んでおらず障害であることさえ認識されてなかった。彼が人並みに勉強できなかったことが障害によるものだと理解されてないだけに彼や家族の当時の苦しみはひとしおだったはず。そのせいで酷いいじめにもあった。
しかし、そんなつらい時期を家族や周りの支え、そして映画への愛が支えとなり今のスピルバーグがいる。
本作は素直にそれを映画として描けばよかったのではないだろうか。そうすれば家族の絆、そして障害があっても支えがあれば克服できるというメッセージ性ある作品になりえたのではないか。
本作では学習障害の点はまったく描かれなかった。スピルバーグ自身がすでに公表している事実にもかかわらずである。この点の意図はわからない。
しかしたとえ障害があっても偉大な映画監督になれるんだという一番描いてほしかったテーマが描かれなかったのは非常に残念。
過保護すぎる幼年期から少年期のサムを見ていてまったく感情移入出来なかった。というか登場人物の誰に対しても。
実話ベースだから無理にドラマチックにできないとしても、もう少し見せ方を工夫できなかったものか。
たとえば前半の一番の見せ場、母の浮気をサムがフイルム編集中に知ってしまうくだり。ここはサムの表情だけを見せて観客には何が映っていたかは見せずに、母に見せるところで観客にも見せるようにすれば事実が発覚するまで観客は小さなサスペンスを楽しめたはず。実際スピルバーグはいままでこの様に観客を楽しませてきたのでは。
また、スピルバーグといえばユダヤ人差別。流石にこれはスルー出来ず、一応描かれていたがそれもとってつけたような感じであまり深刻には描かれない。そして卒業制作の映画で誰もが予想したいじめっ子との和解がそのまま描かれる。
ここでいじめっ子の葛藤だけは本作で唯一共感できたところではあった。映画と現実は違うという彼の言葉。彼が思う理想の自分と実際の自分との乖離に悩んでいるところが描かれていて本作で唯一感情移入出来た場面だった。
スピルバーグの自伝的作品でなければそもそも企画さえ通らなかったのではないかと思える凡庸な作品だった。
映画しかない男が映画の職を掴むまでのお話なんだけど・・・
映画の事故シーンが怖かったトラウマを映画を撮ることで克服させるって、フィクションの裏側を教えると言う意味では良い方法だと思うが、バリバリの技術者の父親ではなく芸術系の母親が勧めたことが興味深く、のちにジョーズやプライベートライアンなど血まみれの映画を撮ることとの対比としても面白いエピソードだと思った。
母親は家族のために我慢していたが最後は自分に正直になり好きな人の元へ行くが、夫が見ている前でも構わずイチャつき、自由人として家庭を崩壊させる原因のように描かれており、スピルバーグ自身本当は心から許していないのではないかと思った。
父親は一見すると被害者者のようだが、家庭を守りたいが為にそれに気付かないふりをし平静を装い解決を先延ばしにするなど責任の一端は十分にあると思った。
実は嫌われてたおじさんが両親よりも一番サムのことや世間の事を良くわかっている。
プロムの彼女可愛いけどどうしたかったのか良くわからなかった。
高校のいじめっ子が映像を観て泣き喚いていたのは面白かったが、大したことではない現実でも映像で素晴らしく見せるという才能が開花した瞬間があれだったのかもしれない。
そしてアメリカ映画のイジメシーンはいつ見てもエゲツない。
スピルバーグの自伝的映画だが、ユダヤ人家庭の内向的な少年と言うこともあり、広い交友関係があるわけでもなく、ほぼ家族、特に母親と自身との関係を描いた部分が多く、もっと映画制作、作風、方向性に影響を与えたきっかけみたいなものを見てみたかった。
撮影でリアリティを出すための色々な工夫は面白かったけど。
デビッド・リンチ演じる何故か血だらけのジョン・フォードは笑えたが、なんかよくわからない地平線の話はサムには刺さったみたいで、これが史上最高の映画監督誕生の大きなきっかけとなったとしたら最高のエピソードだと思った。
うーん…
残念なストーリー
主人公が映画作りを学ぶ姿から、観客のわれわれはなにを学ぶべきか
スピルバーグの自伝的映画。だから、というわけでもないのだろうが、みんないい人になっている。両親の離婚や自身のいじめなども出てくるのだが、どこか甘いのだ。
ただし、映像表現としてはすごい。斬新な映像ではない。それでも、ひとつひとつのショットが計算しつくされているのがよくわかる。
これはサミー・フェイブルマン少年(スピルバーグの投影)が、はじめて映画を観たときの体験を踏まえると、納得できる。
サミーは両親に連れられて「地上最大のショウ」(1952年)を観にいく。そこで列車が走って、車を吹っ飛ばし、さらにはその先に止まっていた車両を吹っ飛ばすというシーンに衝撃を受け、自宅でおもちゃの列車でそれを再現するのだ。その後も妹や友だちを役者にして映画を撮るのだが、常に映像表現に重点がおかれている。つまり、スピルバーグはすぐれたストーリーテラーではあるのだが、もともとは「迫力の映像」が好きだったのだろう。
ストーリーは、説明するまでもなく、映画に魅せられた少年の成長物語だ。
芸術家肌の母親と天才的な技術者の父親の間に生まれたサミーは、ニュージャージーで生まれ育つ。
映画を撮ることに夢中になっているサミーを両親は暖かく見守る。ただし、母親は息子が将来は映画監督になるのだと信じていたが、父親はあくまでも「趣味」だと考えていた。
父親の転職にともなって、アリゾナ、カリフォルニアへと引っ越す。
カリフォルニアの高校でサミーはユダヤ人であることを理由にいじめにあう。ただ、悪いことばかりではなく、モニカという少女と知り合ったり、学校行事を撮影して高い評価を受けたりもする。
やがて成長したサミーは、映画業界で働くことを志し、就職活動をはじめる。
母親をミシェル・ウィリアムズが演じている。父親はポール・ダノ。
ミシェル・ウィリアムズはいつもの号泣シーンがなくて残念だった。彼女は人並みの幸福を奪われて、耐えに耐えて、最後に号泣する、というのが十八番なのに。
そのかわりといってはなんだが、ポール・ダノがよかった。離婚後に、妻から送られてきた手紙に同封されていた写真を見て、妻とのはじまりから終わりまでを一瞬で追体験するような顔をする。これは、なかなか見ることのない演技だった。
この映画が公開された時期は、本作も含めて「映画についての映画」が公開されていた印象がある。ネットフリックスやアマゾンといったテック企業が映画業界で力を持ちはじめたことや、マーベルのようなスーパーヒーローものが量産されるようになってきたことで、映画を見直そうという流れになってたのかもしれない。
映画館の暗闇の中で人々を魅了し、時には人の人生を変えるような力を持っていた映画が、配信によっていつでもどこでも観られるようになり、わかりやすく、より売れるものが求められるようになってきた。
ビジネスなのだから売れる映画を作るのは当たり前だ。ただ、そのために類似品を作り続けることになってはいけない。アメコミばかりでもいけないし、マルチバースばかりでもだめだ。今までとは違う、売れる映画を作るために頭を使うべきではなかろうか。
古き良き時代の映画製作に触れられている本作を観て、そんなことを思った。
どう観たら高評価になるのかな?
この作品は世に出す必要あるのかな
監督の家族の物語
スピルバーグ監督の幼少期から青年期を土台に作った物語だけど、期待したものと違ってた。
映画の魅力に取り憑かれた青年の物語かと期待したんだけど、
制作場面はところどころに出てくるんだけど、映画制作そのものより主人公とその家族がどう過ごしたかといったものになっててなんとなく掴みどころのない物語の様に感じた。
ところどころに監督の作品にインスパイアされる場面が出て来るところは映画好きには心をくすぐられる。
スピルバーグも枯れ果ててしまったものだ。
まさかスピルバーグ作品で、これほどつまらない映画になるとは夢にも思わなかった。
とにかく地味で、暗くて、退屈で、辛気臭くて、つまらない。本当につまらなかった。
確かに監督の過去作でも、「ターミナル」など、やや地味めな作品もあったが、それでも確かな面白みはそれなりにはあった。
本作はそれすらも、無い。
追い打ちをかけるのが、こんなにつまらない作品にもかかわらず、150分と言う異常な長尺。
そしてとどめにあのラスト。拍子抜けするような幕切れだった。
あれが気が利いているような幕切れだとでも本気で思っているのだろうか。
ただ、一つだけ、かろうじて褒められるシーンがあり、高校時代のいじめのシーンは、
あの決着の付け方は新鮮に思えた。
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