「デミルとフォード」フェイブルマンズ かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
デミルとフォード
セシル・B・デミルの『地上最大のショー』にはじまり、ラストは“映像の詩人”ジョン・フォード(デヴィッド・リンチ!!!)の登場で幕を閉じる。ジョーゼフ・L・マンキーウィッツのパージを巡ってデミルとフォードが対立した経緯をご存じの方なら思わずニヤリとさせられる演出である。フォードに「大衆の好みを誰よりも知っているが、わたしゃあんたが嫌いじゃよ」と言わしめたデミル。デミル→フォードへと、年齢を重ねるにつれ作風が変化してきた監督スピルバーグの半自伝的作品といわれる1本だ。
技術者の父さん(ポール・ダノ)はメカのことになるともう他のことは目に入らない。小さな電気メーカーからGEに引き抜かれ、やがてIBMに転職する理系わらしべ長者だ。しかし、家族のためにピアニストになる夢をあきらめた芸術志向の母さん(ミシェル・ウィリアムズ)にしてみれば、堅物の父さんは優しくていい人だけどどこか物足りない。家族は父さんの出世に伴って、アリゾナからカリフォルニアへと移住、生活もだんだん豊かになっていくのだが....
黒澤明は映画作りの魅力の一つに“編集”の面白さをあげていたが、サミー初期の作品には、巧みな編集や技術的な工夫がふんだんに盛り込まれている。それは、当初大衆迎合的なエンタメに走っていたスピルバーグの(デミル風の)作風とまんま被っている。家族で車に乗ってハリケーンを追いかけるシーンや「全ての出来事に意味がある」なんて台詞を聞くと、あの『未知との遭遇』を思い出さずにはいられない。ナチスをやっつけたはいいものの味方全員を失って悲しみに浸る米軍兵士の物語は、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』へと繋がっているのだろう。
しかし、カリフォルニアに越してきて以来、元気のない母さんのために撮りだめしていたフィルムを編集していたサミーは、そこに見てはいけないものを見てしまうのである。ここでサミー青年は、技巧的な編集には頼らないあのままの人間の姿を映し出す映画が、観客の心に刺さることを学ぶのだ。高校卒業記念に撮った海辺の映画の中で、サミーを苛めるいけすかないジョッグ野郎を美神として演出したくだりなどには、おそらくサミーの、いなスピルバーグのヒューマニズム路線への作風変化をオーバーラップさせているにちがいない。
映画関係の仕事をしているオジサン(ジャド・ハーシュ)から、映画作りにのめり込めばのめり込むほどに「芸術と家族の間で引き裂かれる」ことを予言されるサミー。結局仕事最優先の父さんと夢みがちな芸術肌の母さんが離婚したように、キャリアを最優先させたキリストオタクの彼女に、映画監督を夢みるサミーは思い切りふられてしまうのだ。が、夢をあきらめきれないサミーは、遂にそのきっかけを手に入れるのである。「地平線はどこにある?」ジョン・フォードに面会したサミーは、映画界への一歩を踏み出すのである。まだどこにも定まらない自分だけの地平線を目指して.....