葬送のカーネーションのレビュー・感想・評価
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死者との旅
荒涼とした大地を、棺を抱えながら歩く老人と少女の姿を、非常に少ない台詞と美しいショットの連続で描いた作品。全編の抒情的な雰囲気が素晴らしくて大変にセンスの良い作品だ。二人がどこに向かっているのかは終盤までわからない。棺の中は男の妻の遺体。ことはわかる。死者との旅という点でトミー・リー・ジョーンズが監督・主演した傑作「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」なんかを思い出す。 死者との旅は生きる意味を問い直す旅となっている。道中、色々な人に助けられながら進んでいく二人は、様々な生活をしている人たちと束の間の時間を共有する。人の営みと無言の遺体。この映画の二人はそのどちらともコミュニケーションしているのだと思う。 途中、幻想のシーンも挿入されるためか、全体的に寓話的な雰囲気も漂う。遺体を担いでシリアの紛争地帯を目指す親子、世界は争いに満ちていて、人が理不尽に死ぬ悲劇に溢れている。国境は生と死の境界線か。しかし、この映画は生と死の境界線が曖昧な雰囲気が漂う。それは悪い意味ではなく、生きる者は死者とともにいるのだということでもあると思う。
風の冷たさが見る者の頬に感じられる
祖父と孫娘が祖母の埋葬の為に棺桶を担いで故郷の村まで歩いて帰ろうとするトルコ映画です。 荒涼とした平原を殆ど言葉を交わす事もなく歩き続ける二人の背景は必要最低限の事しか語られず、カメラはひたすら彼らの行程を追います。 「なぜ、そうまでして棺を運ばねばならないんだ?」 「一体、どこに向かっているんだ?」 「国境を超えるのか?」 など、観る者の疑問に丁寧には答えてくれません。行く先々の光景は寒々として、どこか奇妙で、でも切なくて遣る瀬無くて美しいのです。そして、風の冷たさが見る者の頬に感じられるのでした。 トルコを巡る国際情勢をもう少し知っていた方がよかったな。そもそも、トルコがどこと国境を接しているのかもよく分かっていませんでした。 (2024/1/13 鑑賞)
老人と孫娘と妻の遺体の旅
妻の遺体と孫娘を連れて老人はどこへ向かっていたのか。 トルコから遠く離れた日本に住む僕には理解し得ない何かがあるか。 現実世界に、戦争が発生している事は知っているが、実感はできない。 戦争を題材にした映画ではないが、紛争に近い地域の生活が垣間見える。
24-016
難しい作品でした。 宗教や思想、紛争、法律、 人を縛るものはたくさんある。 生への意味を見出すのが難しい人々がいる。 現実の世界の出来事。 大人の行動には考えや信条があるとしても、 子供は理解できないよね。 落書きを諌められたり、 玩具を取り上げられたり、 山羊や犬と遊んでも怒られる。 挙げ句の果てに棺桶の中で眠ることに。 子供には受け止めきれないよ。
夏だったら腐ってる。
凄いな。 なんだろこの夢と現実、胸が締め付けられるような力強さとシンプルさ。トルコの若い監督ベキル ビュルビュル長編二作目。小津安二郎の大ファンで来日時お墓参りしたらしい。 難民主人公2人に会話がないのに情報量がめちゃ多い。 ばあちゃんの亡骸を故郷に埋めたくてわざわざ紛争地隊に向かうじいちゃんと、いやいや付き合う孫娘のロードムービーです。まじで殺伐とした乾燥地帯で見る夢って、悲しく切ないファンタジーです。 ほんと映画って凄いなぁと改めて思った。 トルコ国境近くの話なんで知識無さすぎ自分、パンフ読んで勉強。パンフも美しい写真満載、トルコ知識満載ですごく良くできてるから買った方が良い。 英題の「カーネーションとクローブ」ってのがグッと来た。(カーネーションとクローブはトルコでは同音異義語)
戦火と世代交代と
《葬送のカーネーション》 亡くなった妻を戦火激しい祖国へ埋葬するため孫娘と2人棺桶を運ぶロードムービー。過酷な状況でもお祈りを忘れず礼儀正しい祖父に比べちょこまか遊びお菓子をつまむ少女の対比がもの悲しくもあり、思いのまま亡き両親との楽しい生活を描く少女は力強くもある。静かな静かな佳作
色々と考えさせられる作品
色々と考えさせられる作品だった。 孫娘ハリメがあまりにも辛く可哀想な感じが した。 トルコの内戦で親を亡くした設定だが、それでもハリメは辛い。 老父ムサ役と孫娘ハリメ役の俳優はよく難しい 作品を演じた。
現代的な作品
とにかく説明はない。 説明ないまま、じいさんと孫娘の旅は続く。 ここがトルコなのは分かってるけど、どこに向かってるのか、棺の中は誰なのか、など分からないことだらけ… 分からないままに流されてるうちに、じいさんはトルコ語が話せないらしい、二人が目指してるのは国境らしい、車を借りて運べないくらい金はないらしい、棺の中は大切な家族らしい、とだんだんと分かってくる。 そして終盤になってやっと分かる。車と反対に逃げてくる人々の姿によって。じいさんたちはトルコに避難してきたシリアの難民らしいと。ばあさんを故郷に葬りたいんだと… ラストの孫娘からの視線と、じいさんの心象は、おそらく多くの国を追われたものたちに重なるものだろう。そういう意味で、普遍的な問題を描いた現代的な作品なんだと思う。
鑑賞者自身を映し出す合わせ鏡
この作品に対し抱く感覚は、それまでの自身の経験に依るだろう。 突飛でシンプルなストーリーに、平和、故郷、人生、尊厳、自由、多くの要素が心に浮かんだ。 映画の何を評価するかは、人・作品によりそれぞれだろうが、今回は映画に対してというより、観て何かを感じた自分に対しの甘めの⭐️3.5
良作です!
昔の岩波ホールで上映してそうな雰囲気の良い、ミニシアター好きには堪らない良作!最初は?ですが、ストーリーは実はシンプルで徐々に明かされていきます。 トルコの景色など映像美、風の音や民族音楽、ミステリアスな展開に惹かれました。 舞台となるのは地中海地域とは全く違う、雪が降る荒涼としたい南東部、トルコって広いんですね。 岡崎伸也さんの「食で巡るトルコ」を読み返したくなりました。
棺を担いで戦地へ向かう悲愴なロードムービー
内戦で国土が荒廃した故郷シリアからトルコに逃れたムサとその孫娘ハリメが、トルコで亡くなったムサの妻の遺体をシリアに運ぶ道中を描いたロードムービーでした。ロードムービーというと、観客もその一行に加わったような感覚があるもので、劇場に居ながらにして世界を旅することが出来るという意味で旅する時のような高揚感を得られることが多いですが、本作に至っては全くその逆でした。そもそも内戦が行われている地への旅は、文字通り”死出の旅路”とも言える訳で、かなり悲壮感が漂う映画でした。 シリア国境に向かう道のりも、決して綺麗な大自然の中というものではなく、ぬかるんだ道の両脇には荒涼とした原野が広がる風景が多く、旅を楽しめる要素はごく僅かでした。 しかもムサの妻の遺体を収めた棺桶を運ぶため、ヒッチハイクで歩を進めるものの、途中途中で別の車を探さねばならず、時にはムサが棺を担いで引きずりながら運ぶ始末。それでも老人と孫娘が、棺を担いで故郷を目指す姿を見て、車に乗せてくれたり食べ物を提供してくれたりする人がちょこちょこと登場したのは唯一の救いでした。 そもそも妻の遺体を故郷に運ぶことを誓ったムサは、どうやらトルコ語が喋れないようで、まだ小学校高学年くらいのハリメがアラビア語とトルコ語の通訳をやらされているのが痛々しいところ。ハリメの両親もシリア内戦で亡くなっているようで、ムサがシリアに行ってしまえば世話をする人がいないのでこの”死出の旅路”に同行を強いられるハリメ。分厚い雨雲が空を覆い、雷がゴロゴロと鳴り響く中、泥濘に「家」と「太陽」と「ハートマーク」を描くハリメ。今一番欲しいもの、逆に言えば一番欠けているものを描く彼女には、同情しかない。子供らしくちょっとはしゃげば、直ぐに「ハリメ~」と苛立ち交じりにムサに怒鳴られる彼女であるが、それでも健気に祖父に着いて行くのだから、非常に切なくなってしまいました。 ようやく国境近くまで辿り着いた2人。現地の警察だか軍だかから、国境に近付いたら危険であること、ましてやシリア側に遺体を持って入るには、煩雑な手続きが必要になると言われ、結局その街の墓地にムサの妻は埋葬されてしまう。妻の遺体を故郷に運ぶという誓いは、物理的に果たせなくなってしまったのに、それでも国境に向かうムサ。そして彼に着いて行くハリメ。ムサは有刺鉄線が絡まる国境の金網フェンスを越えてシリア側に行ってしまう。そんなムサの運命や如何に? 虚構と現実の融合というべきか混濁というべきか分からないけど、国境を越えたムサに起こった出来事=エンディングは、映画的と言えば映画的だったけど、極めて宗教的な体験を描いたシーンでした。妻を天国に送らんとする頑固一徹なムサの不退転の決意が適ったように思われ、中々神々しい映像でした。 そんな訳で、個人的に初めて観たトルコ映画でしたが、10年以上も続くシリア内戦を背景として、一概に創作とは思えないリアリティを持った本作の評価は★4とします。
台詞がないから好奇心をかきたててくれる
「うん、映画観た」と見終わった時に思えた。少なくとも知的なことに時間を使った満足感はある。ゴジラマイナス何とかとは大違いだ。結局お爺ちゃんと小さな女の子の説明も、そもそもなんでそんな事してんの?の説明もないまま頭の中で沢山の?と戦いながら椅子に深く深く座ってた。マイナス何とかをもう1度観たいとは到底思わない。テレビがくだらないので見なくなったのと似てるし、僕みたいなボンクラでもちっさい知的好奇心をくすぐって欲しいのだ!ゴジラも台詞を10分の1くらいにしたらマシなのかもしれんwジイさん割引で1300円也だけど1300円分は回収できた気がする^^/
クローブ(karanfiller)とカーネーション(Karanfil)はトルコ語で同音異義語
2024.1.18 字幕 京都シネマ
2022年のトルコ&ベルギー合作の映画(103分、G)
亡き妻を故郷に運ぶ夫と孫娘を描いたロードムービー
監督はベキル・ビュルビュル
脚本はビュシュラ・ビュルビュル&ベキル・ビュルビュル
原題は『Bir Tutam Karanfil』で「ひとつまみのクローブ」、英題は『Cloves & Carnations』で、「クローブとカーネーション」という意味
「クローブ」は香辛料の一種で、劇中で二人が女性からもらうもの、「カーネーション」は劇中でハリメはお墓に刺す植物(の模型)のこと
物語の舞台は、トルコのアナトリア南西部
最愛の妻を亡くしたムサ(デミル・パルスジャン)は、孫娘のハリメ(シャム・シェリット・ゼイダン)を連れて、故郷のシリアを目指して旅をしていた
妻を納めた棺をヒッチハイクで運んでもらう
映画の冒頭は、おしゃべりな二人組ユルマズ(バハドュル・エフェ)とコルクマズ(タシン・ラーレ)の車に乗る二人が描かれ、結婚式の行列に巻き込まれる様子が描かれる
行き先の違う二人は、道の分岐点で二人と棺を下ろし、ムサたちは途方に暮れた
ムサはハリメが持っていた木のおもちゃのタイヤの部分を外し、棺に設置して引き運ぶことになった
その後二人は、羊飼いのコバン(イート・ヤゲ・ヤザール)に食べ物を分けてもらったり、トラクターの運転手(セルチェク・シムシェック)に乗せてもらって、近くの村へとたどり着く
そこにいた大工(フラート・カイマック)は「棺のまま国境を越えることはできない」と言い、遺体を「段ボール箱」に移し替えることを提案する
そして、知り合いハヴヴァ(エミネ・チフチ)の車に乗せてもらい、その知り合いの男(セルカン・ビルギ)などの助けを受けて国境までたどり着く
だが、国境警備隊に「遺体」を運んでいたことがバレて、その男もムサもハリメも拘置所に入れられてしまう
指揮官に呼ばれたムサは「妻との約束」を語るものの、その思いは叶わず、トルコ国内の墓地に埋葬されることになったのである
映画のラストは、国境の鉄条網を越えるムサが描かれ、彼はある結婚式の新郎の席に座る様子が描かれて終わる
おそらくは「若き日の自分」を重ねてのものなのだが、それをハリメが見ているということは別の意味があるようにも思える
物語は、ほぼ喋らないムサとハリメが描かれ、周りの人が死ぬほど喋りまくるという構図になっていた
冒頭の二人組のおしゃべりはほぼ無意味だが、中盤のラジオの音声、後半のハヴヴァの言葉はそれなりに意味がある
特にサイード・ヌルシーの言葉を引用し、「死は終わりではなく、来世への入り口」という言葉は、ハリメの死生観を育てるのに必要なものとなっている
サイード・ヌルシーは、クルド人のスンニ派イスラム神学者で、コーランの一編である「リサレ・ヌール・コレクション」を著し、6000ページにもわたる解説書を書いた人物である
また、赤いカーネーションの花言葉は「純粋な愛」「真実の愛」という意味があり、かつて「お墓に備えるのは白いカーネーション」だったが、今では赤やピンクなども使われている
ハリメは祖母の似顔絵を墓標にして、そこにカーネーションを備えるのだが、これまでにハリメの絵を否定してきたムサは、そこでは何も言わずにそれを見守っていたのは印象的だった
いずれにせよ、トルコからシリアに戻るという内容で、彼らがトルコに避難した背景などは描かれていない
シリアはハリメの両親が死んだ場所であり、彼女はそこに戻りたがらなかったのだが、ムサは彼女を強引に引き連れていた
ムサとしては、妻との約束を果たしたかったのだが、シリアは戦争が続いているというセリフがあったので、おそらくは「シリア内戦」の時期にあたるのだと思われる
内戦下のシリアに戻ることは死を意味するのだが、ムサにとっては「そこで死ぬこと」に意味があるように思える
それゆえに彼は、ハリメをトルコ側に残して行ってしまったのかな、と感じた
無言で進むロードムービー
トルコを旅する老人と孫娘の話。 あらすじには「亡き妻」とあるが、後半でやっと明かされるまで、誰の亡骸かは不明のまま映画は進む。 孫娘の名を呼んだり、宗教的に子どもだからと許せないことを叱る以外に、ほとんど主人公の老人にセリフはない。 孫娘が墓にカーネーションを添えるまで、なんでこのタイトルだかもわからない。 帰りに見た宣伝パネルに、「小津安二郎の影響をうけた」と書いてあり、あゝと膝を打つ。 見終わって、観た人間の心の中でやっと完結するタイプ。 しかも、人によってまったく感想が異なるやつ。 私には、ロードムービー調に周りの人々がどんな価値観があるかを述べさせながら、主人公にとっては大切な故郷、家族の思い出の地を奪った戦争や対立する国々への怒りと悲しみに震え、このまま死んでいってもいいという自暴自棄ぶりに見えました。 またそんな男の姿と対比で、これからの世代〜孫娘は、子どもらしい生き方は許されないまま一人で生きていかなければならないという未来を示した作品に思えました。 この感想が、監督スタッフが意図した方向とは限らないけれども、人の数だけ感想がわかれるような気がしました。
寡黙な祖父と孫、衝撃のラスト
主人公2人の台詞が少ないが、次々現れる親切な登場人物たちはやたらお喋りなので、途中寝そうになりながらもラストまで鑑賞できた。特に最後は驚きで目が覚めた。 不思議な作品だったけど、あとからジワジワと色々考えさせられそうな作品だった。 主人公の台詞は少ないが祖父と孫の表情から伝わるので、これで良かったと思う。
知ってから観るか、知らずに観るか
ヒッチハイクと徒歩を繰り返しながら棺を運ぶ、祖父と孫を追ったロードムービー。 棺を剥き出しで長距離運搬するという異様な行為と、ほぼ無言で足を進める二人を遠くから撮ったカット、そして奇妙な旅路を行く二人に様々な人が投げかける言葉が印象的だった。 大人が主導する訳アリの旅路を子供の視点で描く作品として、イラン映画「君は行く先を知らない」を思い出す。 行間を読ませる描写や意味深なパート等、示唆的なエピソードと映像が豊富で、頭と感覚を研ぎ澄ませながらの鑑賞だった。 旅の理由やその目的地が持つ意味、なぜ二種類の言葉が行き交うのか等、旅の背景や二人の素性は本編が進むにつれ徐々に明かされる。それらの殆どは既にチラシや作品紹介に書いてあるためネタバレではないのだが、明らかになるのが本編の終盤だったりにおわせ程度だったりするため、事前にそれらの情報を知っているか否かで作品の観方や鑑賞後の印象が大きく変わるような気がした。もし事前情報ゼロで鑑賞していたら自分はどんな感想を持ったか、記憶を消して再見したい作品だった。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 個人にとって愛を捧げ誓いを結ぶのが普遍的である世界が、同時に個人のささやかな願いや約束を踏みにじる戦争というものを起こさずにおれない理不尽と不条理さ。
①トルコの広漠とした大地を棺を引いて歩く老人とその孫娘が辿り着いた先は、愛と誓いとの場所であった。 しかし、同時に老人の細やかな願いも亡くなった妻との約束を阻む戦争というものが起こっている場所でもあった。 老人の旅に付いてきた(というか付き合わされた?)少女は旅路の果てにそれを目撃する。 ②冒頭の結婚式の宴の名残りのシーンと、ラストの老人の思いでの中の結婚式の宴のシーンとを呼応させている構成。 ③昨年末に読んで衝撃を受けた川上未映子の『夏物語』(結局、結婚もせず子も成さなかったけれども、もし結婚後に読んでいたら子供を持つのを躊躇ったかも)。 その中の登場人物の一人が言う「一番幸せなのは、この苦しみと悲しみしかない世界に生まれてこないこた」と全く同じことを、老人と孫娘とを乗せてくれたトラックの中で偶々かかっていたラジオのトーク番組でゲスト(多分哲学者?)が言っていたのには驚いた。 極論だし、勿論、正論ではないけれども、平和(と言っておきましょう)な日本では「子をなすのは当たり前だし、子供も自分と同じような人生を送って貰いたいし、その様にも育てる」とほぼ誰もが疑いもせずに思っていることに、
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