「18世紀後半、大飢饉に見舞われた東北の山村で一人の少女が必死に運命に抗います。「遠野物語」の世界感を知った上で鑑賞すると、より深く理解できる気がします。」山女 もりのいぶきさんの映画レビュー(感想・評価)
18世紀後半、大飢饉に見舞われた東北の山村で一人の少女が必死に運命に抗います。「遠野物語」の世界感を知った上で鑑賞すると、より深く理解できる気がします。
上映時間が合わなくて、観たいと思ったのに結局
観られなかった作品が毎年かなりあります。(…残念)
3年前公開の「アイヌモシリ」もその一つ。この作品は
同じ監督の作品と知り、今度こそはと鑑賞しました。
江戸時代、18世紀後半。
浅間山の大噴火による天明の大飢饉発生。
冷害に見舞われる東北の山村のお話。
口減らしのため、生まれて直ぐの赤子の首を締める
そんな農家の姿から始まる。 …うわ @_@ ;;
冒頭からハードです… うへ
その赤子を処理する(=捨てる)のが主人公一家。
ひい爺さんの出した火事。村も焼けた。
そのため田畑を取り上げられてしまった。
そのため生活は超のつく貧乏暮らし。
村の汚れ仕事を引き受けて暮らしている。
飢饉のため、食べるものが無い。
お上からの配給米も、本来の分を分けて貰えない。
そんな中、村の中で盗難事件が起きる。
真っ先に父親が疑われる。 そして何と
盗んだモノも家の中から出てきてしまう。
庄屋たちに問い詰められる父。 と、そのとき
” 自分が盗った ”
娘が名乗り出る。
” そういえばお前、昨日の夜どこかに出かけたな ” と
娘に罪を着せる父。
(※娘の発言は嘘で、父がそれに乗ったのか…?)
父に散々殴られた上で、娘は牢屋に。 うー
気の毒に思った村人の手助けで、娘は牢を脱出。
” もうこの村にはいられない”
女人禁制の山へと足を踏み入れる娘の姿。
とまあ、この辺りまでのお話でも
充分に可哀相な娘なのですが…
お日様が顔をみせない日が続いている。
村の占いババア が ” 若い娘を山の神に捧よ ”と告げ
その白羽の矢が、逃げ出した娘に刺さる。 ぷすっ
山狩りの結果、娘は連れ戻されしまう。
娘の父は、娘が生贄になる代わりに
過去の罪は帳消しにしろ と村長に迫る。
しぶしぶ頷く村長。ほくそ笑む父。 ぬぬぬ。
そして生贄となる日。
山の神への捧げ方は「火あぶり」。 えっ …熱そう
白装束で柱に縛りつけられた娘。
足元に積み上げられた薪に火が放たれる。…あぁぁ。
と、そのとき
早池峰山の山頂付近からにわかに黒雲が沸く。
ものすごい豪雨。そして落雷。
柱に縛りつけられていた娘の戒めが解けとぶ。
怪異の仕業か と恐れを抱く村人を尻目に
何処へともなく歩き去って行く娘。
うーん。
この後、娘はどうするのか。再び山に戻るのか。
それを色々と想い巡らさせる、余韻のあるエンディングでした。
どっとはれ。
観て良かった。
満足です。
◇あれこれ
■山女(やまおんな)
あまり耳にしないコトバと思っていましたが
この作品を観た後に「遠野物語」のページをめくると
題名に「山女」と付く話がいくつかありました。
(…不勉強)
・山中の笹原の上を滑るように歩く女 とか
・中空を飛ぶように進む女 とか
・夜な夜な工場に現れて笑う女 とか
精神状態に異常をきたしているかのような
表現で描かれている感じがして切ないです。
異人にさらわれて山で暮らすようになる事も、
現状の生活に耐えかねて山に逃げ込む事も、
その昔は「良くある話」だったのでしょうか。
また、猟師が山の中で「大女」を見つけ「つい」
鉄砲で撃ってしまった話なんかもあります。
そんな「トンデモ話」が淡々と語られるのもまた
遠野物語の世界のお話。
決して「子ども向けの良い話」ではない話もまた
遠野物語の時代の悲しい現状を物語っています。
■山田杏奈(やまだあんな)
私の観た(もしくは気になった)作品の中で、
この方の演じる役は「悲惨な運命」のイメージなのです…。
それほど多くは観ていないのですが
・ミスミソウ
・屍人荘の殺人
そして今回の「山女」。
たまたまなのかもしれませんが、この女優さん
私が鑑賞した作品中では不幸な役が多いです… +_+ ;
他の出演作品を観るのがコワイ… @_@ ;;
■不協和音(?)のBGM
特に気になったのが作品の前半。
気持ちを不安にさせるような、聞いていて気持ちが
落ち着かなくなる音楽が流れていて、じわじわと
効いてきた気がします。+_+;
恐らくそれを狙っていたのかと思うのですが、効果抜群。
まんまとやられた感じです。 なんか悔しい…。 むぅ
◇最後に
「山は女人禁制」
山岳信仰の山は恐らくそうだと思うのですが
この作品に描かれる「早池峰山」もその一つ。
なのですが…
早池峰山の女神さまは、不幸から逃れようとして山に
入ってくる女性に対しては寛容な面がありそう。
そんな気がしました。
「駆け込み寺」ならぬ「駆け込み山(?)」。
そんな面もあったのかもしれないなぁ と
思ったりもしています。
一人で山で生きていけるかどうかはさておき、
「山の方が、それまでの暮らしより遥かにマシ」
そんな時代・土地だったのでしょうか。・_・
◇最後の最後
そもそも、山の神は女神サマなのです。
山の女神サマに「若い女」を捧げるのって、なにかこう
根底で間違っている気がるのですが… うーん。
◇山田杏奈・追記
☆「ゴールデンカムイ」の実写版で
アシリパ役に決まったようですね。これは楽しみです。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
共感とコメントありがとうございます😊
山の神様は女神様だったのですね。だから女人禁制。
あの占いババア!の一言で、生け贄という解決策?になってしまって。『遠野物語』もお調べになられて。カッパ淵と馬小屋ぐらいしか知りませんので。凛が助かって良かったです🦁
今晩は。
”そもそも、山の神は女神サマなのです。”
仰る通りですね。私は東北の2000m級の山は全て登っていますが、マタギの方が記した本を読むと、オコゼ(醜女の代わり)をお供えしたり、奥深い山に登るとその様な形跡を時折観ました。(で、丁寧にお祈りをする。大切な事です。)
私は、今作は天によって生かされた娘は村人たちの畏敬の念の中フラフラと歩いて行きますが、”この人は、山の神になるんだろうな”と思いながら観ていました。「アイヌモシリ」も偶々観ましたが、日本の土着性ある民俗学的な映画は好きですね。
私は、柳田国男より、宮本常一の作品が好きで学生時代から社会人に掛けてほぼ全て読みましたが、凄い民俗学者がいたモノだと思います。
宮本常一の「忘れられた日本人」の中の一編「土佐源氏」をもしお読みでなかったら、お勧めです。では。