Pearl パールのレビュー・感想・評価
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もはやホラーじゃないと思うけれど、温故知新で生まれた新ジャンル。
ホラーというジャンルを入口にして、さまざまな時代のジャンル映画を訪ねて回る。なんだかタイ・ウェスト監督の映画史探訪みたいな体を成してきた『X』シリーズの第二弾。今回は時代設定こそ無声映画の1910年代だが、表現としては『オズの魔法使』に代表される夢見るようなテクニカラー映画を再現しつつ、『何がジェーンに起こったか?』のサイコスリラー味をミックス。正直、ホラーとしては怖くないというか、もはやホラージャンルからは逸脱して、いま改めて当時のスタイルを模倣することで、なんだか古くて新しいものが生まれている面白さがある。そして形式だけの面白さではない。完全に主演のミア・ゴス劇場であり、もうミア・ゴスの陽性なのに暗さを秘めた表情を見ているだけでお釣りがくる。誰もがノックアウトされるであろう、常識破りの長回しも、ミア・ゴスへの信頼故に生まれたクライマックスなのだろう。エンドクレジットの表情は、監督が止め絵にするつもりだったのに、カットをかけずにカメラを回し続けたら撮れたらしい。誰もが想定していなかったパールの涙が、行き当たりばったりで撮れてしまったのも、映画の神が微笑んだという気がする。
映画の世紀の夢と狂気を鮮やかにえぐるスラッシャー3部作の第2弾
1979年のテキサスの片田舎を舞台に、女優志望のマキシーンと殺人老婆パールの対決を描いたタイ・ウェスト監督作「X エックス」(2022)を観た時、これほど壮大な構想を深謀したプロジェクトとは思いもよらなかった。そもそも、ミア・ゴスがマキシーン役だけでなくパールも特殊メイクで演じたことを鑑賞後に知ったくらいだ。
ウェスト監督とミア・ゴスは「X エックス」の撮影準備期間中、すでに「Pearl パール」の脚本を書き上げていたという。時代は1918年、若かりし頃のパールの夢と挫折を描く前日譚だ。厳格な母の監視下、全身不随の父の世話をさせられ、夫は戦争に出征中だが、大衆娯楽として急成長が始まった映画の世界でスターになることを夢見るパール。
「X エックス」が「悪魔のいけにえ」などの1970年代の低予算ホラー映画にオマージュを捧げたように、「Pearl パール」はテクニカラーの幻想的なミュージカル「オズの魔法使」へのオマージュに満ちている。世代の異なるマキシーンとパールという、映画スターを夢見るヒロインたちをめぐる血みどろの惨劇を描きつつ、20世紀の米映画史を(断片的ではあれ)振り返ってみせる側面もあるのだ。
第3作「MaXXXine」の概要も少しずつ明らかになっている。ティーザー予告によると、舞台は1985年のロサンゼルス。時系列では「X エックス」の後日譚となり、タイトルロールのマキシーンが当然主人公だが、“XXX”は本格的なポルノ映画を指すラベルなので、彼女はやはりポルノ業界で夢を追うのだろうか。主要キャストはミア・ゴスのほかエリザベス・デビッキ、ミシェル・モナハン、リリー・コリンズ、ケヴィン・ベーコンと特に女優陣が豪華。撮影は4月に始まっており、前2作の製作のスピード感からすると来年公開も十分あり得る。パールからマキシーンへと継承された夢と狂気の物語がどんな結末を迎えるのか、今から楽しみだ。
ホラーとXファクター
あのA24製作のホラー三部作のひとつ
時代背景的には最初に当たるが、公開順序では2番目で、私が最後に視聴した作品。
しかし、最初から3部作構成が考えられていたのは間違いないように思う。
この三部作は、物語的につながっているようでつながっているわけでもないように感じる。
つながりがあるのは間違いないが、主演のミア・ゴスがこれらをつなげている。
この「パール」は、1918年当時のスペイン風邪と第1次世界対戦という時代背景が、アメリカ全土に住む国民に与えた影響のひとつをピックアップするように描かれている。
そしてこの作品の背後にある人間性こそ、「サイコ」の根幹。
人の心を蝕み、ゆっくりと破壊している「もの」の正体が描かれている。
今我々はこの作品を観て、当時の社会を批判できるが、当時、つまり現在の我々に現在社会の問題点を明確に批判することができるのかという問いに答えられる人は少ないだろう。
このサイコという概念と「Xファクター」という概念が、三部作を通して示されるが、同時に、映画スターになりたいという欲望、母からの抑圧や父からの抑圧があり、Sexと暴力も示される。
物語的に主人公の想いは最後には叶うが、その過程にあるのは異常なまでの自己暗示的作業と、そうさせる根源の抑圧、そこから逃避して思ったとおりに生きてみたときの自由と失敗というトライアンドエラーがある。
基本的にパールとマキシーンは同じ(群像)だが、時代背景が結果を大きく分けたようにも感じる。
この二人には身体的特徴の違いがあった。
それが顔のあざだ。
マキシーンの顔のあざの原因は明確化されていないが、もしかしたら父による悪魔祓いの結果かもしれない。
この違いはキリスト教の「聖痕」を感じさせる。
似たような二人の人生の違いは、時代背景によるところも大きいが、抑圧から脱出しなければならなかった両者の行動の違いだったのかもしれない。
家族を捨てることができず、大喧嘩がきっかけで起きた事故と、その始末の手段が「殺人」だったこと。
しかしそれは突然起きたわけではなく、パールは殺して餌にする喜びを既に味わっていたから。
この延長線上にあった「サイコ」
そしてロープを編むようにその他の「要因」(ある種のXファクター)である抑圧と時代背景の存在。
つまり人は誰しも「Xファクター」を持っていて、その一つに違いがあるだけかのかもしれない。
容姿端麗 博識 ダンス 演技 これらは「あって当たり前」だが、それ以外の「光り輝くもの(Xファクター)」を探すためにオーディションがある。
そのXファクターは「サイコ」ともなるのだろう。
パールの不合格理由が「それ」で、パールにとって見ればそんな理由は彼女の存在そのものを全否定されたのと同じだった。
「X」では、文字通りその「Xファクター」が何かを探す物語だった。
「X」の要素は、「ジャンル」で変わってしまう。
若者たちは成功を映画に求め、増え続けるポルノ需要に乗ろうと考えた。
舞台となったあの家
老婆パールは彼女の士業と諦めという深い絶望から、殺した母と同化するような思考になっていた。
彼女は若者たちを見て「ふしだら」という。
そしてマキシーンに若かりし頃の自身を重ね合わせる。
父の異常な抑圧と悪魔祓いと称した虐待から逃れたマキシーンは、その負ってしまった顔のあざという聖痕の真偽を試されることになった。
ただ一人生き残ったマキシーンは、つまり「合格」したということだろう。
「マキシーン」で彼女はその「合格」に値する最終試験に挑む。
さて、
マキシーンが成功するために必要だった「Xファクター」とは何だったのだろうか?
時代は既に多様化している。
基本的な容姿があればパスする。
そしてマキシーンは、パールと同じように父を殺した。
それは抑圧からの決別であり、いかなる抵抗もくぐり抜けて「スターになる」という強い意志だったのではないか?
劇中劇のホラーシリーズ第2弾での主役の交代
どんなことでも揺るがない信念
パールの時代に憧れを抱いたセックスシンボル「ゼタ=バラ」を、マキシーンは煙草の吸殻で踏みにじった。
まるでWBCで大谷選手が皆に鼓舞したセリフ「今日だけは憧れるのはやめましょう」だ。
それだけ強いマキシーンの思いが、彼女の未来を切り開いた。
これこそが「Xファクター」であり、オーディションの審査員が「光」としか表現できない「輝き」なのだろう。
パールに欠けていたのは、確かに時代背景というのもあっただろう。
しかし彼女は「自分自身」に頼らず、映画技師のジョニーを頼った。
これが彼女がスターへの階段を上がれなかったことだろう。
この差こそ「心」の差であり、思いの強さの差。
束ねられたロープの要因の、唯一の差
それによって人はスターにもなれるしサイコにもなってしまう。
なかなか恐ろしく奥深い三部作だった。
ミアゴスの狂気を演じる幅に安心感
前作『X エックス』で老女として狂気の殺人を繰り広げたパールの若き日を描いた物語。
見てきたから…
ミッツィーに殺人を告白するシーンだが見てきたもの以外の告白が欲しかった。お決まりのグロシーンはあるものの、Xを超える怖さは感じなかった。サイコパスな田舎娘、閉鎖的、密室と言っても過言ではない狭い世界で鬱屈した思いが爆発してしまった。
悪魔の殺人女子
前作「X」で殺人老婆パールの若かりし頃を描いた作品。
最初は納屋に入ってきた可愛いガチョウを農具のフォークで刺し殺したのを皮切りに不倫相手や友人、親まで殺す残虐非道ぶり、昔から人殺しだったということはよく分かりました。
高圧的な母親や病気の父を抱え悩むのは分かりますがやってることは悪魔です。後味も悪いし観たことを悔やむような映画、3部作観ましたが、ろくなもんじゃないというのが総論でした。
悪魔の殺人女子
前作「X」で殺人老婆パールの若かりし頃を描いた作品。
最初は納屋に入ってきた可愛いガチョウを農具のフォークで刺し殺したのを皮切りに不倫相手や友人、母親まで殺す残虐非道ぶり、昔から人殺しだったということはよく分かりました。
高圧的な母親や病気の父を抱え悩むのは分かりますがやってることは悪魔です。後味も悪いし観たことを悔やむような映画、3部作観ましたが、ろくなもんじゃないというのが総論でした。
狂気
ワン・テイクなんだ
こないだレンタルで観ました💿
今回も、パールを演じたミア・ゴスがいい仕事してますね🙂
スターを夢見てオーディションを受けるものの、無残に落選したことで、彼女が秘めている暴力性と残虐性が抑えられなく…。
この辺りは、わりと丹念な描写でした🤔
パールと親密になる映写技師にはデヴィッド・コレンスウェット🙂
口がうまく男前で、いかにも何人もの女性を引っ掛けていそうな雰囲気。
しかしパールの凶暴性に気づき始めたのが運の尽きでした😰
前作「X」での
殺人夫婦の片割れパールが、いかにしてああなったかを描く本作。
彼女の凶暴性の発露は恐ろしく、また他人の嘘を嗅ぎ分ける鋭さがあるのもポイント😳
A24のユニークさは健在で、後半の容赦ない展開はまさにホラーです⚠️
ラストシーンのミア・ゴスの引きつった笑顔は、脳裏にこびりつくほどのインパクト❗
これは次作
「マキシーン」
も早くみたいですね👍
『X エックス』に登場する老婆パールの若き日の物語
3部作の2作目。
『X エックス』に登場する老婆バールは何故シリアルキラーになったのか?が分かります。
1作目『X エックス』と2作目『Pearl パール』はセットで見て下さい。お互いがお互いを補完しあっててとても面白いです。
厳格な母に支配されるパール。農場の世話をし、家事をし、寝た切りの父の介護までたった1人でこなすパール。
この生活を逃れて女優になる事を夢見ているバールの下にオーディションな誘い。殺人を犯してでも参加したいパール。でもそれは出来レースだった…。
耐え忍んでいたパールが壊れていく…。
いやぁ、面白かった。全てが前作の老婆パールに繋がっていて老婆になったパールの行動に全て意味があった事に気付かされる。
是非とも1作目と2作目をセットで見て欲しい。そして3作目完結編も見て欲しいと思います。本当に良くできた脚本でした。
彼女と我々の間にある「何か」とは
以前「そう言えば観てなかったな」くらいのノリで「X エックス」を鑑賞。
あるようでないストーリーと、絶え間なく押し寄せてくるエロとグロの描写に、一体どんな感情を抱けばいいのかと呆然として数日。
やはりここまで来たらちゃんと「Pearl パール」も観ておかねばならないと覚悟を決めて「Pearl パール」も鑑賞。
そして理解した。
「Pearl パール」あっての「X エックス」
でも絶対に「X エックス」を観てから「Pearl パール」を観るべき。
きっと逆なら、ここまで納得は出来ないと私は思う。
「X エックス」に出てきた理解不能な怪物が「Pearl パール」によって我々の行く末かも知れないと思い知らされる。
パールと言う女性は、窮屈でつまらない農場暮らしに嫌気が差し、自分の可能性を信じて常に夢を見ている。
その一見子供じみた少女のような夢想は現代の私達が持つ感情とひどく似ていて。
愛されたい、認められたい、君が一番だと言われたい。
そう、つまりは「承認欲求」
甘い香りのする方へ迷い込み、依存し、少しでも拒絶されたと感じれば排除する。
パールと私達を分けるのは、一体何なのか。それはきっと、パールが持っていない「何か」
それは理性だったり罪悪感だったり、はたまた自分への正しい評価だったり。
パールが「X エックス」で性的行為に拘っていたのは、恐らくそれがパールが唯一認められた「魅力」だったからではないか。
歪んでいたとしても、間違っていたとしても、求められたい、認められたい。
焼け死んだ母親の亡骸に寄り添い、綿菓子のような甘い夢を見ていたシーン。
あれこそがパールが本当に求めていたものなのだと思う。
良い子ねパール、だいすきよ。可愛いパール、愛してるわ。ずっとずっとママの側にいてね。あなたはママの誇り。
本作でも「X エックス」でも、パールの夫ハワードの感情が掴み切れない。
最初は殺人による快楽に取り憑かれているのかと思っていたが、今改めて思えば、ハワードの行動はパールへの究極の愛なのかも知れない。
おぞましさと恐怖を感じるあのラストシーン。
彼女と私達との間にある「何か」とは何なのか。
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