「「愛国」とは?」愛国の告白 沈黙を破るPart2 taroさんの映画レビュー(感想・評価)
「愛国」とは?
自国の不正義や加害行為について、誰にも頼まれないのに証言している。それを「愛国者」と言えるだろうか? イスラエルの元兵士のグループ「沈黙を破る」は、それをしている。そして本作は、そんな彼(女)らの数十年に亘る活動と証言を映した、上映時間3時間弱の長編映画であった。土井監督は、「沈黙を破る」ことは「愛国の告白」でもあるという思いから、この題をつけたのだろう。映画に登場する「沈黙を破る」人々の佇まいには、確かにそう思わせる説得力があった。
上から目線も下から目線もない、彼(女)らのフラットで真摯な眼差しを見ていると、イスラエルの未来は彼(女)らに懸かっているのではないかと思えてくる。正確に言うと、彼(女)らの活動を、イスラエル社会が受け入れらるか否かに懸かっているように思えた。これは日本にも言える。日本の戦前・戦中の加害行為を否定する事が、愛国的行為のように思われているが、そうした状況は日本(の未来)にとってマイナスでしかない。大袈裟でなく、戦前の日本の国あり方を真摯に反省し、国内の人も国外の人も大切にする国にならなければ、日本の良き未来はないように思う。いつまでも、人間を粗末にした特攻を賛美したり、近隣を踏みにじった態度を自分たちで検証できなければ良き未来などない。
印象的な言葉はいくつもあったが、その中の一つに「富豪のお城があって、その周りに餓死しそうな人々がいたら、富豪は平和でしょうか?」というものがあった。つまり、自分が豊かでも、城壁を築いても、周囲が苦しければ平和は訪れないという意味である。隣人と共存する道を探らなければ未来はない。これはイスラエルも日本も同じであろう。
コメントする