ウィッシュのレビュー・感想・評価
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なんだこれ・・・って、なんだこれ? なんじゃこりゃ!?
って、一人ではしゃいでしまったのは、「ウィッシュ」本編ではなく、前座にして同時上映の『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』の方。
この短編で共演しているのは、ディズニー100年のキャラクター達だけではありません。それぞれ歴代のアニメーションテクノロジーまでもが共演している、正に驚異の短編アニメーション。技術的なことは判りませんが、それぞれのキャラクターがそれぞれ当時のアニメーション技術で動いているんです。昔の人は凄かった。予算の都合とかもあるのでしょうか、アニメによってはチープなデッサンや動きになっちゃうけど、当時の技術そのままに、ミッキー・ミニー・シンデレラなど、由緒あるディズニーの滑らかなアニメーション技術が忠実に再現され、しかも最新のCGアニメと見事に共演を果たしている凄まじさ。昔からのトムとジェリーのような戦前から続くカトゥーンアニメなんかも含めて大好きな人間にとって嬉しい短編でした。
そして本編。どんなお話なのかよく知らないで映画館に飛び込みましたが、まさに「ディズニー100年」の記念作品という以外、何者でもありませんでした。
「星に願いを」というテーマを踏まえ、「鏡よ鏡、世界で美しいのは」だとか判りやすいパロディーやオマージュが目白押し。ついでにカービィのゲスト出演!(なのかな?)という、ディズニーの記念すべきエンターテイメントと言えるかと。
でも、そうですね。「雪アナ」「ラプンツェル」「アラジン」だとか、お話そのものがテーマの作品と思って期待してしまうと、マイナス点を付ける人も多いでしょう。見に来ていた子供達とか大丈夫かな?
理念を掲げて王様になったは良いけど、夢を叶えて上げる代わりに、夢を取り上げる。その矛盾が行き過ぎて、まるで情報統制された国家の独裁者に! そんな王様相手に「星のカービィと愉快な仲間達」が立ち向かい・・・って、こんな理解で良いのかな。だとするとシンプルで判りやすいけど、シンプルすぎて物足りない人もいるのかも。
でも大丈夫でしょう。相変わらずの凄まじいカット割りにアニメーション、迫力のある歌と音楽。見応えは十分。
最後のスタッフロールは、ちょっと地味だけど、よく見ていると歴代のディズニーキャラクター達が星の輝きと共にゲスト出演。『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』の始まりに対する括弧閉じの役割を果たしていて、同時上映ではなく、丸々一本の映画としてみるべきだと、感じた次第です。
スタッフロールを最後まで観た人のご褒美、老人にして習い始めたギターで奏でる「星に願いを」――この意味は深い。
設定が…
魔法使いが王様で、民の願いを預かり、定期的に選抜し、それを叶えるシステム…? ふつう、願いなんてひとつだけじゃないと思うけど。それにみんなの願いを見てると、病気を治して欲しいとか、失くしたものを取り戻したいとか、切実なものがない。この国の民は、満ち足りた生活をしてて、不幸ゆえの渇望とかがないみたい。また、王様に願いを差し出しても、具合が悪くなるわけでもないし、何年も叶わなくても頭がおかしくなるわけでもない。でも、自分の願いを自分に戻さないと、何かが欠けるんだね。なんとビミョーな。
100才のおじいちゃんの孫が17才、ってことは、お母さんが35才で娘を生んだとして現在52才、さらにお母さんはおじいちゃんが48才の時の子供になる。なんと晩婚一家なんだ。100才にこだわるなら、ひいおじいちゃんって設定にすれば良かったのでは。しかし、100才のおじいちゃんがボート漕いだり、楽器演奏したり、年の割に元気過ぎないか。
なんか、ディズニー100年記念にこだわるあまり、企画会議が紛糾したのでは、と勘ぐってしまった。あちこち破綻したまま、後戻りできず作った作品に思えて仕方ない。救いは音楽かな。生田絵梨花の歌は良かった。福山雅治は歌が下手なわけではないが、ミュージカルには合わないと思った。
日テレ金曜ロードショーを鑑賞。
食べ物粗末にするの許せないマン
マグニフィコがかわいそうだとかアーシャの方が独善で無責任だとかロサスが愚民過ぎるとか王妃の手のひら返しが酷いとか色々言いたいことはあるけども
やっぱり食べ物を粗末にする描写(それも善人・正義として描かれているであろう側)があったのが本当に無理だった
自由だの願いだのどんなにキレイなお題目を並べようともさ、それはやっちゃいけないだろ?
この映画の製作陣は「飢え」とは無縁で、「飢え」に対して共感の姿勢すらないんだろうねと思ってしまう
思想のために食べ物を踏みつけるのが、富裕層というか、要は意識高い系の人たちの傲慢な思い上がりとか特権意識が透けて見えて…なんだろうな……とにかく嫌だな
どうしてもクッキーを砕く描写入れたいならさ、せめて歌って踊りながらケーキやタルトに調理し直したりとかすればよかったじゃんディズニー映画なんだから
クッキーに洗脳効果があるとかアブないお薬入ってるわけじゃないんでしょ?
食べ物を踏みつける人間が「正義」として描かれるの、本当に嫌悪感が半端ない
マグニフィコが愛嬌たっぷりで親しみやすい王様なのが唯一の魅力
福山ボイスの「無礼者たちへ」はいいね
本当に無礼者たちだよ……
願いって何?
過去に盗賊に襲われ家族を失ったマグニフィコは、守りたいものを守るために魔法を学び、妻アマヤと共に皆が平和で安心して暮らせるロサス王国を地中海に浮かぶ島に建国する。どうみても見あげた国王でしょう。それが何故か途中から敵役に・・。
国王は国民の願いを吸い上げ私物化しているがそれが国王にとって何のメリットがあるのだろうか、確かに願った人々は国王が願いを叶えてくれるのを待ち望んでいるから従順、ただし、国王の本心は叶える気が乏しいことに気づいたお城で働く17歳アーシャは叶える気が無いなら本人に願いの魂を返すべきと対立。
アーシャがディズニー映画らしく星に願いをかけると星の聖、光るミッキーみたいなスターが舞い降りてきて島の動物たちに言葉を授けアーシャを助けます。ここからミュージカルの感じで進みます。
国王はスターや他の願いを全て吸収し、全ての国民を支配しようとする。それでも自分自身で願うことを諦めない主人公。呼応する国民。全ての国民の声が国王の力を凌駕する。国王は禁断の魔法の代償で杖に封じられてしまう一方、国民達に願いが返る。王妃が新しく国王と認められ、物語は幕を閉じる。
確かに権力を手にすると人は変わるものかもしれませんが、マグニフィコは根は悪い人でもなさそうなので残念、第一、魔法使いと言えど神ではないのだから全ての願いを叶えるなんて無理、国王を神格化した国民の方も甘いでしょ、アーシャの叶えられないなら本人に帰せという主張はもっともだが、返したところで本人の努力程度で叶う願いなら大騒ぎするほどでもないでしょう、ディズニーなんだから、もう少しまろやかな解決方法を考えて欲しかった。
味わい深いヴィラン、もしも続編があるのなら
なんでも願いを叶えてくれる王国の真実を知ったアーシャが不思議な星、スターとともに自由のために立ち上がる、そんなお話。
水彩画のようなテイストは個人的には好み。とくにヴィランであるマグニフィコ国王と王妃のマントの刺繍は綺麗だった。
ただしこのテイストがややスモーキーで主人公を活かしているかというと疑問。アーシャの髪や肌、服の色は画面に埋没してしまっている。黒髪の有色人種の主人公はこれまでもいて魅力的だったのに、アーシャは髪が重苦しく肌を輝かせない色の衣装を着ている。
この作品の大きな魅力はヴィランのマグニフィコではないだろうか。強盗に家族を奪われた過去を持つ努力家の魔法使いマグニフィコがいちばん恐れていたのは「喪失」だったように思う。
自身が経験し辛かったからこそ二度と同じ思いはしないように、そして誰にもしてほしくないという願いから作ったのがロサス王国作り上げた。しかし「喪失」への過度な恐れが逆に国民に「喪失」を与えてしまった。
マグニフィコがスターの出現で禁書の魔法に手を出してしまうのも、もう何も失いたくない恐怖や焦りもあっただろう。努力してきたからこそ、積み上げたものが一瞬で水の泡になる絶望も嫌と言うくらい味わったはずだ。
最終的にマグニフィコ王は守るべき国民を傷つける悪だが、魔法使いを目指した動機や邪悪な魔法を使うまでの経緯には同情できるし理解もできるものがある。とても味わい深いキャラクターだと思う。
そして、この作品の致命的欠点は主人公のアーシャが精神的成長する描写がほとんどないので共感を得にくいことではないだろうか。
アーシャがマグニフィコの弟子になろうとするのも魔法使いになりたいからではなく、祖父の願いを叶えるための裏道のためと仲間に指摘されている。もちろん一人で魔法の勉強をしている場面もない。実際に祖父の願いを見つけて早々に叶えてくれとマグニフィコに言っている。祖父サビーノが高齢でその日に100歳の誕生日を迎えるのだとしても少し図々しく、マグニフィコも戸惑うくらいである。
マグニフィコや家族に自分の言い分が通らないと家を飛び出し、心の内を歌いながら星に願うとスターが落ちてきて、不思議な力を持つスターとともにマグニフィコに立ち向かう。
一応、最後には彼女も願いは自分で叶えるものだと反省らしきものはするのだが、結局、アーシャはスターに魔法の杖をもらって魔法を使えるようになる。マグニフィコの過去を考えるとアーシャはうまくいきすぎていてバランスが悪かった。また、アーシャの長所という優しすぎるところ、というのもあまり描写されてなかったと感じる。
ラストはマグニフィコが鏡の中に閉じ込められたまま地下牢に保管される。アーシャに協力した王妃が女王になり、めでたしめでたしとなる。が、後味が悪い。
アーシャに言われるまでは王妃も国民も願いのルールに何の疑問も持っていなかったはずだ。しかも強制ではなく任意だったのにもかかわらず、まるで国王が無理やり奪ったかのような雰囲気になってしまったのは疑問だし、国民が国王の悪口を言っている姿も不快だった。他所から来た人も快く受け入れ、住まいを与えて豊かな国にしていたのは間違いなく国王だったはずである。アーシャが禁断の魔法から国王を解放して過ちを諭す、そういうラストであればこれからアーシャが国王の右腕になって、国民が願いを自分で叶えられるように導く、見守るより良い国の未来が見えただろうにと残念だった。
続編があるのなら、アーシャや王妃のいない何百年後の世界で目覚めたマグニフィコが主役で観てみたいと思う。
楽曲が最高。今のディズニーの思いが伝わる作品。
5歳の子供が大ハマり。何度も歌を歌いながら視聴しています。
私は、ディズニーが100周年なので100歳になったおじいちゃんが今のディズニー自身なのかなと思いました。
願いを他人に預けてしまって、その手に戻すことも強く拒否する。そこに主人公アーシャが願いをわすれないで!と勇気を与えてくれる物語という見方をしています。
マグニフィコ王が敵側になっていますが、彼にも彼の願いがあって、国民と一見ウィンウィンな関係を築くという大人な対応です。契約で動く会社のような国家です。
しかし、国民が王の要求に疑問を持ち、欲を見せただけで契約で繋がっただけの関係性が崩壊してしまいます。王は闇堕ちし、国民の信頼を失います。
それを救うのが願いを捧げていない子供たち。それぞれの願いをぶつけて国をかけて戦う。まさに革命の構図だなと。
この物語のあとは崩壊した国の中できっと大人も子供も苦労するでしょう。
それでも、願いが戻ってきた世界で100歳のおじいちゃん(ディズニー)は歌って暮らし、皆の心を少しだけ明るくするのです。
楽曲の力の入れようも納得です。
ディズニーの限界=人々が見れる夢の限度がこれ
皆に見て欲しいオススメのディズニー映画です。ディズニー100周年記念作品というのも頷ける。
評価したいところは悪役が王妃じゃなく王だったこと。(王妃は主人公を助ける良い人でした。)それは今の現実の社会に即してると思います。
ですがそれは白雪姫やシンデレラからは脱却してるけど、この枠組みではディズニーは皆が憧れる夢を描けないんだと思う。
それはディズニーに力がないからでは決してなく、人々が多様性的価値観に傾倒し、今そういう状態なんでしょう。
ディズニーの解答がこれだということは、世界の幸せな夢の上限がこれだと言われてるみたいだった。
一方で
人々が立ち上がりそれが集まって権力(王)を倒すというレ・ミゼラブルのような胸熱感があります。
This Wishの歌は理由もなくこみ上げるものがある。
スターはものすごく愛しくて可愛くて、ディズニー社が引き継いでいる精神そのもののようだった。
間違いなく魔法は描かれていました。
マグニフィコ御霊鎮魂レビュー
これを書くためだけに映画.comに登録してしまいました。それくらい個人的にはなかなかとんでもない内容でした。
あくまで個人の感想であり、面白かったという感想を否定するものではありません。気持ちの整理です。文章下手なのでこうして人目に晒すのはお恥ずかしいですが、ディズニーアニメで育った身としてどうしても書かずにはおれず…。
この作品の評判は鑑賞前から耳にしていました。マグニフィコは善人であり、ヒロインこそヴィランであると。
実際に鑑賞したところ、気持ちは正直分かってしまうけれど、それは極論すぎるなとは思います。国民にアメを与え続け疑問を持つことさえない環境を作り上げたのはマグニフィコ自身ですから。願いの検閲は謂わば思想統制ですね。
では何故こんなにも反感を買ってしまうのかというと、最後に受ける仕打ちがあまりにも彼の功績と見合っていないからでしょう。
多数の方が指摘しているようにマグニフィコは、家族を亡くすつらい経験をし、そのうえで独学で魔法を習得し、ためらいなく主人公サイドのキャラクターがクッキーを踏み潰せるほど豊かな食糧を蓄え、老人も母子家庭も障がいを抱える人も安全に生活できる福祉国家を作りあげた神様も真っ青な人間ですから。
こればっかりはキャラクターの描写と設定の問題ですね。マグニフィコがあまりにも苦労人すぎた。(あと主人公サイドの人間がクッキーに鼻水ぶっ飛ばしたり踏んだりしたのはもうマイナス五億点すぎた。)
その点アーシャは父を失った悲しい過去があるとはいえ、何の努力の描写も挫折もないまま願ったら星(以降:邪神)が降りてきて、何の代償も制限もないまま魔法を授けてもらえてチート能力を発揮してしまう。シンデレラ3の継母展開をヒロインでやるとは思いませんでした。しかも何故アーシャが魔法を授かったのか全く理由がわからない。歴代のプリンセスたちの中で、一番苦労描写の無いヒロインという描写はさすがにいかがなものかと。過去ヒロインからは恨まれそう。しかし努力も挫折もないぶん、民衆を先導する能力はしっかりあるので、なかなか一筋縄ではいかない恐ろしいキャラです。
そこで思ったのですが、この映画はベルのいない美女と野獣に近いですね。
アーシャが民衆を先導するシーンはどうみてもガストンで、意図的なのではないかと疑うレベルでしたが、スタッフの現状の告発をしていると言われたら信じてしまいそうになります。
彼女が優しすぎるヒロインというなら、野獣となってしまった孤独な王様に寄り添い、対話を何度も試みて、民衆と手を取り合って"人"に戻してあげてこそだったのではないでしょうか?アーシャだけではなく、国民や、王妃だってそうできたはず。
この作品は最終的に野獣を殺してしまったけど。
小説版ではマグニフィコが親を失ったとき邪神に願ったのに助けてもらえず、何故あのとき助けてくれなかったんだと邪神に問う描写があるそう。しかしノーアンサー。完。
あんまりすぎませんかさすがに。
自戒でもありますが、答えやそれに代わるものが出せず雑に片付けてしまうくらいなら、最初からデリケートな問題を取り扱うべきではないと思います。
必ずしも神は助けてくれるものではないのは誰だって分かっているのです。むしろ神も仏もないと思わざるをえない状況にある人のほうがずっと多いのが現実。分かっているからこそよりマグニフィコの理不尽さとアーシャのチートが悪目立ちしてしまう。邪神があのとき助けてくれれば、そもそもマグニフィコはあんなことにはならなかったんじゃないかと問いたくなる。
没になった初期案が本当に惜しい。王妃が悪役だって、ヴィラン夫婦だっていいじゃないですか。男だって女だってバケモノになるやつはいる。人格者もいる。それが人間です。初期案のヒロインとスターボーイVSヴィラン夫婦、ディズニーでは斬新ですごくいいと思いました。そのうえで悪役と和解なんて流れになったら100周年記念っぽくてめちゃくちゃよくないですか。まあこれは個人の好みなので何とも言えませんが…。
どこかのシュガーラッシュで取り上げられた「女の子は男の子がいないと世界を知れない」という問題だって、アーシャがスターボーイに様々な世界を見せてあげるような展開にも持っていけたはず。
恋愛にならなくても、淡い恋で止めたり男女バディものにだってできた。対象をどう扱うか突き詰めるのではなく、排除してしまっては、もう何も生まれない。ウィッシュはそれが顕著に出てしまったと思う。
(余談ですが七人の小人も村人AやBといった感じで半分くらいしか顔を思い出せないし全体的に色が暗く同化してて「あれ?」となりました。ミラベルはカラフルで皆個性的なのですぐ大体の顔を覚えられた。)
ディズニーに限った話ではありませんが、最近のいわゆる"ポリコレ"という考え方は結局女性に「こうでないといけない」というステレオタイプをおしつけているように感じてしまう。
説教くさくったっていいんです。結局キャラが魅力的で話が面白ければウケるものはウケるから。どう伝えていくかなんだと思います。ポリコレという"見直し"自体は間違ってないと私は信じていますし。
「女性とは男のように強く、豪快で、リーダー性がなくてはならない」というのは、これまでの男性像をただなぞっているだけです。結局男性のステレオタイプありきなんです。母親に無償の愛をささげる聖母像を押し付けてきた頃と何も変わっていない。
自分の意思での選択なら、王子様を待つ女の子も、自分から王子様を迎えにいく女の子も、それらに当てはまらない女の子もいたっていいはずなのに。
下手に高下駄を履かせたためにアーシャやアマヤ王妃への批判がそのまま女性を揶揄する下品な言葉に繋がる様を見かけて非常に気分がわるいです。
売れた作品の続編ばかり作ってた低迷期を脱出したと思ったら今度は原型を止めていない実写化までついてくる近年。おまけにいつまでも面白おかしく擦り続けるハンス王子のタヒ体蹴り。気分の良いものではないし、こんな下卑た行為をディズニーにしてほしくなかった。ゲ謎の時貞という本物の人間のクズの姿を見せたい。
今のディズニーが探している答えは、すでに「プリンセスと魔法のキス」に全部詰まっています。
スタッフを白い部屋に拘束してプリキスを300回くらい見せたら、あの頃のディズニーに戻ってくれるんでしょうか…。
期待外れかなあ。曲以外すべてが薄い
100周年記念ということでかなり気合いが入った作品なのかなと思っていたので正直少し期待外れでした。
何がと言うとキャラが皆弱い!主人公も優しい子ということしか分からず、仲間も人数いるけれども特に掘り下げられることもなく、王がどうしてそうなったかなどもなく、ましてやキーキャラクターである星も唐突に出てきて話もしないからわからない…
ディズニー自体がそこまでキャラを深掘りする作品ではないのかなとは思うのですが、それならそれで、深掘りしなくても愛着がもてたり目を引くような見た目やキャラ付けにしないと何も引き込まれないまま終わってしまいます。
他のディズニー映画の名前が出てきたりというところが唯一の特別感でしょうか。
ディズニー映画の冒頭のお城にかかる光の円の正体がこの映画で分かったのですが、思い入れがなさすぎてなんなら魔法がかかる演出です、のまま置いておいてもらった方がよかったまである。あのスターに愛着が湧かないので正体は知りたくなかったかな…
とはいえエンディングの曲は最高に良かったです!この曲だけで星3と言ってもいいかも。もう少し別の場面でも聞けると嬉しいな。
夢を持ち続けることの大切さが伝わる作品でした
ディズニーの創立100周年を記念して製作された映画という事で、以前から気になっていたのでやっと鑑賞出来ました。
物語は、どんな願いも叶うと言われるロサス王国が舞台で、主人公はお城で働く17歳のアーシャ。ある日、王の従者に志願して面接を受けた時に、人々から差し出された夢はほとんどが叶えてもらえない事を知る。
王に管理されている国民の夢を開放し、戻したいと願ったアーシャは夜空の星に祈ると、不思議な力を持ったスターが彼女の元に舞い降り、王から夢を取り戻すためためスターと共に行動を起こす姿が描かれた作品。
この作品、とにかく不思議な力を持ったスターがキュートで可愛らしく、家族ともどもスターの虜になってました。無邪気な子供みたいで可愛かった。
アーシャが飼っている子ヤギも、スターの魔法によって話すことが出来るようになるんだけど、低音ボイスで見た目とのギャップが凄くて思わず笑ってしまった。
純粋に楽しめる映画でしたし、クライマックスで国民一人一人が立ち上がって歌うシーンは圧巻で興奮しました。
ディズニー作品は大人も子どもも一緒に楽しめる作品なので、これからの作品にも期待しています。
期待しすぎた
タイトル通りです。
ディズニーの100周年記念と持ち上げられていたり、テーマが素敵だったのでかなり期待していたのですが、、、
やりたいことを詰め込みすぎたのか、歌に力を入れた結果なのか、ストーリー進行や人物の動機のあたりが雑というかあっさりしすぎていました。言葉を選ばずいうと、薄っぺらい。
映像もCGに手書きアニメーション風の要素を取り入れているそうなのですが、私は中途半端な印象を受けました。歌も、最初の曲とアーシャのソロ曲しか印象に残っていません。
どなたかも書いていましたが、本当に記念映画がこれでよかったのか?と感じます。
声優さんの演技や歌声、ところどころに散りばめられた過去ディズニー作要素については楽しめました。
disnyですらこれが限界のメッセージ
この時代に、このタイミングでDisneyがこの作品とは。
政治的メッセージ強め。
夢を叶えてくれる国のはずなのに(笑)
アメリカンドリーム。
でもその願いは権力者の采配によるもの。
権力に従わなければならない。
王が誰であれ、誰かに期待しすぎてる結果のあの大国。
宗教も?うちの国も?誰かに願いを託しすぎ。
背に腹はかえられぬ。
逃げ道は作りながらだから?
ハッキリしなかったから作品としてはコケたんだろうけど
これがDisneyの精一杯のメッセージなのかなと。
願いは誰かに託すもんじゃない。
宗教しかり。
100年の答えが‥‥これ?
何となく忙しくて、映画館に行けず
Disney+に来るのを待っていた100周年記念作品。
残念ながら、悪い意味で期待通りの作品だったと思う。
良かった点としては、楽曲の良さがあるが、
それでは擁護しきれない歪みを感じる
大きく3点、この映画の問題をまとめてみた。
①願いの役割
②悪役の魅力
③主人公の行動
以下、それぞれについて語っていく。
①願いの役割
ロサスは国王の魔力により建国された国であり、王は統治目的で願いを集める。
国に益をもたらす願いは叶え、思想家や反乱の目が少しでもありそうな願いはそのままにする。
確かに王の意思のみで願いを管理されるのは不幸せかも知れない。
しかし、この願いがあろうがなかろうが、ロサスは幸せな国だと紹介される。
観光も外交も上手くいっているのだ。
もし国民の中に潜在意識の願いとして「王位を奪いたい」と言う輩がいた場合、それを早期に摘む事が出来るのであれば、願いを預かると言う王の政策は素晴らしいと思う。
結局、本作での願いの立ち位置が不明瞭なのだ。
願いがないと早期に死んでしまうとか、願いがないと凶暴性が増すとか、
衣食住や国防よりも、願いがある事のメリットや、失ったことによるデメリットを明確にして欲しかった。
②悪役の魅力
国のために尽くした王が、呪われた魔導書に支配されて人々の願いの力を悪用する。
そこまでは良い。ただ、その描写、もっと丁寧かつ大袈裟に出来なかったのか?
マグニフィコは多少の傲慢さはあるものの賢王とも言える。
国に尽くしてきたはずの彼の最後が、ただの俗物のごとく鏡の中に落とされるのは如何なものか?
ただ排除して終わりが100年の結末なのか?
ここの描写は、いっそ魔導書に呪われたマグニフィコを救い、改心させる方向へ進むべきだったと思う。
③主人公の行動
むしろ、この話の一番の悪役とも言える。
彼女の行動原理は
・祖父の願いが叶えてもらえなかった事
・叶わぬ願いを返してもらえなかった事
から始まる。
そんな彼女が星に願いをかけると、本当に星が降ってくるのだが‥‥
まず、主人公に力を与えるスターは、表情と仕草だけなので、何故主人公に味方するのかが分かりづらい(たぶん自由な星への願いを阻害しているマグニフィコへのカウンターだとは思う)
7人の友達は主人公の味方だったり敵だったりするのだが、特段見せ場もない。
国は上手くいっているのに、祖父の願いが叶えられないと言うだけで、彼女は反乱を起こす。
ここで怖いのは、自分の正しさに一切の疑問を抱かない事だ。
彼女は国統治の難しさも知らないティーンエイジャーが、個人の価値観のみで国を傾けようとするのだ。
しかもそれが原因で王は悪意に飲まれてしまう。
幸せだったロサスを壊したのは、どう考えても彼女である。
個人的には、随所で残念な思想のようなものが見え隠れしたのも悲しかった。
いっそ、中盤までの展開は同様でも良いから、
叶えようと思った祖父の願いが悪意の塊だったり魔導書の影響で悪意に飲まれたりして、自分の立場に苦悩して欲しかった。
どんな願いも、暴走したら相手を傷付ける‥‥と言う内容から、それでも人を信じると言う落とし所にでもしてくれれば、見ている側も腑に落ちる内容だったかと思う。
シンプルな話が悪い訳ではない。
ただ、キャラクターが脚本としての役割しか与えられていない事が良くない。
もっと、キャラクターが生きていて欲しかったのだ。
それが、本作には圧倒的に足りなかった。
勿論、楽曲や描写の良さは多々あったので、
次回の作品は、よりエンターテイメントを意識した作品になる事を願う。
期待してなかった分面白かった
最初はマグニフィコも悪いとこあるじゃんって思ってたけど、国民は自分で叶えようとせず俺に叶えてもらおうとしてる願いって言ってて正論パンチくらった。
マグニフィコなりに国民を守ろうとしてたんだろう。マグニフィコの敗因は、願いに対する恐れが強すぎたことだね。いつか自分や国を脅かす願いになるだろうという想像が、皮肉なことにアーシャによって現実になったんだけど。
だったらマグニフィコの願いが奪われるってだけのエンドでよかった気がするなぁ。
これ、アーシャが正義じゃなくて違う価値観の対立なんだろうな。
でも今までさんざん自分たちの願いを楽して叶えてもらおうとしてたアーシャさんたちが、急に願いは自力で叶えたいみたいな動機になるからおかしい。いや、所有欲なのかな?願いは自分の一部だから、預けたら叶えてもらえない願いもあって返されないって聞いてないから、それなら自分たちで取り戻さなきゃっていう。
細かい心の機微が描かれてないから、アーシャたちがへんに映る。
おそらく、もっと大袈裟にかいた方が良かったよ。サバの願いが、自分の病気を治したい願いで、それは国のためにならんから却下とかさ。そのくらいじゃないと悪役に見えないんだよ。
中途半端に思えた。
追記
脳みそを無にして見たらおもろかった。
ダークサイドの帳が降りてきた
前評判があまり良くなかったため、ディズニープラスを待っての鑑賞
高評価も低評価も納得できる評価の難しい作品
ディズニーに慣れ親しんだ自分からすると、随所に、ラプンツェルのような島国設定、眠れる森の美女のような街の景色、白雪姫のような国王の設定などディズニーアニメをセルフオマージュしたかのような雰囲気で心踊らされた
CGながら昔の手書きアニメーションを彷彿とさせる作画デザインも素晴らしい、エンドロールも自分にはとても刺さった
他の方も指摘している通り、国王がダークサイドに落ちる原因が弱いと感じた
他の黒幕がいて、女王を失うことを恐れる余り、独りよがりな願いが暴走してダークサイドへ…
そして余りにも有名なあのバックミュージックと共にシュコーシュコーと復活し最後は主人公たちに助けられ、王国のバランスを取り戻す!とかなら最高のセルフオマージュになったのに!と妄想しました
ところで吹替で見たんですが、国王の声が福山雅治で彼の顔がチラチラっとしました
福山雅治は大好きですが、だいぶクセ強め
字幕版でも観てみようかな
11回観てきたマグぴオタクの感想
この作品は脚本は本当に最悪すぎる
まぁマグぴでなんとか興行収入伸ばせた
初日に観て色々衝撃を受けまして放心状態になりました
主人公の考えに賛同できなくてヴィランであるマグぴにしか共感できなくて果たしてこれはヴィランとしてどうなのかと
通常のヴィランとは全く違っていて悪事には手を染めてないんじゃないかなと
魔法使いでありながら錬金術師でもあるし
普通の頭脳ではできないことをサラッとこなしてしまうし政治的にもちゃんと王様としての職務を全うして魔法の勉強も欠かさずしている
国としての活動もちゃんとしていて願いの儀式だけでなく国民になった人たちを紹介して
さらに休日にボランティア活動までしているのに
なぜ最後鏡に封印したのか?
これはおそらくマグぴと国民が願いをどう捉えているかだと思います
願いって別に叶う叶わないより努力してが先だと思っています
マグぴ自身が努力してあの地位にまで上がってきたのでそもそも並大抵ではないので
ちゃんと理解している国民はいなかっと思います
ロサスについてもなんですが
ロサスはマグぴがいなかったら何にもできないんですよ
だから弟子を取ろうとしていたのに
アーシャとスターがめちゃくちゃにしてもう
国としては滅んでもおかしくはない
マグぴというのはちゃんとロサスのことを大切にしているので敵に回すなんてありえないことなのに後先考えずに感がありまくりですね
本当に誰も自分たちが恵まれていたことに気づいていないということがびっくりしています
ただ批判したいとは思ってないのですが
マグぴに共感できるのって傷ついたことがあるから人の傷みがよく分かっていて相手の隙間にちゃんと入ってくれて
フランクに話しかけたり安心感を与えてくれたり王冠とかも被らず指輪だけしている
そういうところも好感度が高いということだと思います
私はただアマヤ王妃とマグぴが楽しそうに会話してそれを国民が眺めてたまにキャーみたいなのが
見たいだけだったのに
なんであんなラストにしたのか不思議ですね
おそらく深くまで考えずに出してしまって
色々空回りしすぎて変更点が重なり
良い部分が全く生かしきれなくてみたいな気がします
観てる側がこんなにちゃんと考えているのに
制作側がみたいになっていてカオスすぎる
今のディズニーに足りない部分を気づかせてくれた映画だと思っています
愛を描くのが得意なはずなのに過去作のリスペクトが全く見えなくてびっくりしてます
マグぴは歌唱シーンのみならず見た目もよく
内面も良くて凄く魅力的なキャラなので
本当に理不尽すぎるヴィランです
史上最強ではないです
なるほど。
正直に観終えた後の感想は「つまらなかった」が1番に出てきた。
テーマも、
ストーリーも、
キャラクターも、
それらがご都合主義で全然共感できない。
それに、「ウィッシュ」はそもそも1人1つなのか?
「ウィッシュ」のために必ずしも生きなければいけないのか?
「ウィッシュ」そのものに対する取り扱いも全くピンと来ない。
すごく残念に思っていたのだけど、
あ、そうか!と理解した。
王様はディズニーの象徴と見れば、ストーリーは成立する。
(もちろん、ディズニー側はそんな制作意図はないだろうけど)
ディズニーが生まれて100年。
星に願いを。
そんな夢の抱き方がスタンダードになる中で、他のものを結果として排除することになってしまっているのではないか。
ジャニーズ、吉本、自民党。
多くのメジャーが解体されていく時代感の中で、ディズニーもその対象となり得る、なり得た方が良いのではと感じられた。
奇しくもミッキーの著作権が切れるタイミングで。
私事の小さな意見です
さすがのディズニー。
カラフルな画面に素晴らしい歌。映画館の大きな画面、迫力の音量での鑑賞がオススメ。
夢は誰かに叶えてもらうんじゃなくて、自分の力で叶えようよ!って、テーマもディズニーらしいよね。面白かったです。
1つだけ、ネタバレじゃないんだけど、不快に思う方もいるかと思ったので、ネタバレ表記で。
私個人の小さな意見を言わせてもらえるのなら、最近のディズニー、強い女性、自立した女性に拘りすぎじゃない?男女平等、良いと思う。強い女性も素敵。でもさ、ピンクが好きでもレースのドレスに憧れたって良いじゃん。物語の中でくらい理想の王子様を待ってみたいし、結婚に夢みさせてくれよ。将来の夢に結婚(花嫁さんだったかな?)って書いたら今時?ってバカにされたって話を思い出しちゃって。現実は母はつよしで、なかなかお淑やかにはいかないけどさ、昔ながらの可愛く優しくおっとり、でも芯はあるプリンセスもたまには見たいな、と思ってしまいました。
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